続けて更新しようと思っていたのですが、
時間が取れず、空いちゃいました。
3日の土曜日は、
「ふるや」のお家から、
母のお墓参りにも連れて行ってもらいました。
周りの様子も、
私が子供だった頃と、
ほとんど変わってない。
70年経っても、
田舎の風景が好きだ。
生まれ育った所って、
そういうものなんだろうね。
きっと。
母の葬儀の時の祭壇に飾られた「白菊」
この日までと思い、
大事に育てて来ました。
真っ白な美しい菊の花。
お花の好きな母だったから、
きっと喜んでくれたと思ってる。
その後、
妹とランチして、
妹のマンションへ。
母の洋服などを持って来てあるので、
私にも着られる物があるならということでね。
古い物が多くて、
妹と笑いながら、
母の残した洋服を物色。(笑)
3年前の夏。
妹のマンションで会った時、
白いブラウスを着ていた
母の写真を撮りました。
とってもよく撮れたので、
次に会った時、
その写真を持って行き、
母に見せたら、
とっても喜んでくれました。
「私の遺影にして。」って。(笑)
私と妹はその写真を飾っています。
もし、
あの時着ていた白いブラウスがあったら、
欲しい。
ずっとそう思っていました。
春用のカーディガンなどを数点貰うことにしました。
私からの古い手紙も渡されました。
読み返したら、
母の日や敬老の日などに送った手紙でした。
そして、
他には、
私の息子が8歳の時、
主人と言った「つくば万博」からの
「科学万博ポストカプセル2001」の
ハガキもありました。
幼い文字で「ながいきしてください」って書いてありました。
「おかちゃん、長生きできたね。」(笑)
それに、
私の娘からの絵ハガキもありました。
高校2年生の夏休み。
オーストラリアからの絵ハガキでした。
この絵ハガキが、
とても画像を載せることが出来ないほどの、
過激な絵ハガキ!
母はどんな思いであの絵ハガキを眺めたんだろう?
聞いてみたかった。(笑)
娘の記憶から
消えてました。(笑)
これは、
たぶん、
私と幼くして亡くなった姉の
赤ちゃんの時のお宮参りの時のだったのでは?
きれいにほどいて洗って、
箱に入っていました。
何かに使いたいけど。。。
いつか形にしてみたい。
そして、
母が着ていた「白いブラウス」がありました。
妹と、
「これだね!よかったねぇ~~~!!」
と、声をあげてしまいました。
上等な洋服なんて一枚も無かったけど(笑)
あの時の、ブラウスに会えて、
二人して泣きながら笑ながら、
母を恋しがりました。
このブラウスも、
形を変えて、
妹と持っていたいと思っています。
母への思いは消えることはないと思うし、
いつも傍にいてくれてるように感じています。
「ふるや」と「母」に
久し振りに会えたような
一日でした。
「ふるや」と「お母様」に
久し振りにお会い出来たような日が持てて
本当に良かったですね!!
ところで
「ふるや」って なぁ~に?
ご実家様の事でしょうか?
新しく綺麗になってて良かったですね!!
弟さん?が頑張ってくださったんですね!!
本当にお母様への思いは消える事はないでしょぅね!!
寒くなって来ましたね。
コメント、ありがとうございました
菊の花が咲いてるうちに母のお墓参りも出来ました。
「ふるや」っていうのは、
17歳で亡くなった友人の名字が「古谷」だったんです。
「古谷」は私の事を名前で呼んでくれていました。
「くらりちゃん」てね。
でも、私は「ふるや」って名字で呼んでいたんです。
今から思うと、どうして名字で呼んでいたのか?
悪かったなぁ~って思っています。
田舎には大切な人達が眠っています。
今度いつ行かれるかわからないけど、
元気でいたら何度でも行きたい所です。