疲れ果てたのは誰か?

2007年07月01日 | Weblog
疲れ果てた あなた 私の幻を愛したの

1978年に尾崎亜美が作り杏里が歌った「オリビアを聴きながら」
その詩の最後のフレーズがこれ。

このフレーズは問題
問題はいったい誰が疲れ果てたのか?
といういこと、カズトと激論したわけです。

字面だけ見ていると、いやいや疲れ果てたのはあなたでしょ、つまり
{疲れ果てたあなた}が{私の幻}を愛した

となりそうなところですが、
歌詞全文を読むと、
オリビアを聴きながら(全歌詞)
彼の理想を押し付けられることに疲れた私の姿が浮かんできます。

それは
「私らしく一日を終えたいこんな夜」の部分で明らかであるし、

「誕生日にはカトレアをわすれない」のくだりからも
理想の女であることを押し付けられている感も

そして、彼は夜更けに電話もかけてくるから疲れるのも確実。

だから、
{疲れ果てたのは私}で{あなたは私の幻}を愛した
という解釈が正しい。と思います。

そこでさらに問題となってくるのが
じゃぁ何でこんなややこしい表現にしたのかということ・・・。

尾崎亜美は作為的にこういう表現にしているように思います。

あれっ?ってひっかっかってもらえるように

もしくは、結局二人ともがその関係に疲れたのだ
という風にしたかったのかもしれません。
(これに関しては流れからやや無理はあるけど)

文法的にこういう言い方もあるんかどうかが疑問になりますが
文法的にはおかしいと思います。

あなた、は呼びかけとして挿入されている
(つまり、かなり口語的)と考えるのが自然なんじゃないかと・・・。
でも、絶対、あなたが疲れ果てたと思ってる人は多いはず。

物議を醸す詩です。

Aメロのコード進行もかなりユニークですしね。
移調しそうでしなかったり、転調しそうでしないスワッピングがかなりうまい。

けどメロディーに全く無理がなく自然。ん~すごいなぁ。
尾崎亜美恐るべし。これを僕が生まれる前にすでに作っていたんだから。

押尾コータローのすばらしいギターと杏里のバージョン