美味しい家庭の食卓を語る1冊。
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味覚日乗
著者:辰巳芳子
発行:筑摩書房
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「美味しい」という言葉には「美」という文字が含まれているのです。
美味しい料理は同時に美しい料理でもある。これぞ、良き食卓。
野菜にしてもなんにしても、安全ということも考えて、品物を選び、季節にあったものに適切な手を加えて食べるということの大切さを思わずにいられません。
けれども、言うは易し。
それをできるかと言われれば、無理。無理、無理。もうひとつおまけに無理、と言ってしまいます。
なまり節を自分で作る?
魚の干物も自分で作る?
苺ジャムを自分で作る。しかもそれはビクトリアの純粋種で?
薬味などの野菜のいくつかは自家栽培。
栗だって、「家の山」に木があって、実りもたわわ。
季節の行事は昔ながらの定番料理で楽しむもの。定番で年を重ねるからこそ味も深まり、後に伝えることもできるのだから。
素晴らしいです。
空腹を満たすための食事に終始している我が身には、正直、別世界です。
この本に書かれているように、食物の味だけでなく安全面にも気遣い、古くからの調理方法や供し方が備えた理を尊重し、はては料理と建築様式との関係までを思うことを日常にするなんて。
料理の美味しさ、美しさに比例する、著者の料理に対しての感性の鋭さ、また意識の高さは峻厳たる峰のようです。
登山のはじめの一歩ですら踏み出す気になれないほどの。
そんなことは、実は読む前からわかっていることです。
「無理。無理、無理。もひとつおまけに無理」と自分が思うだろうことなどは。
しかも、そのようにただ読み物として読まれてしまうだけになる危惧は著者にもお見通し、言葉こそやわらかだけれども大層厳しい文章もあります。(多岐に亘る記述のすべてに賛同できるわけではありませんが。)
それでも読むのは、この本に書かれているような、季節の恵みを余さず受け取り、大切に味わうことへの努力であるとか、心をこめて食卓を整え、食べる人の心身を養うことの尊さは知っておかなければならないことであり、自分がそれを恐ろしいほどにないがしろにしていることを忘れてはならないと思うからです。
そういう美味しく、美しく、優しい食卓に出会った時、その心づくしを余さず受けとり、喜び、感謝することができるように。
とはいえ、ただのひとつも試さずにいるのも情けない話。
せめて著者に倣った方法で「絹莢のバタ炒め」のひとつも作ってみたいものです。
そうやって食べてみたいと思うような、ふっくらとした絹莢に出会ったら。
…と、はなからこうやって逃げ道を作っているようでは、ねぇ。
過日、サクランボの完熟紅さやかを使って、電子レンジでチンするだけの「サクランボ・ソース」を試みましたが、なかなか良かったですよ。今ならば、スモモを使ってもいけるのでは、と思います。
お料理とまではいきませんが、単身赴任の頃をときどき思い出して、いろいろチンしています(^o^)/
なにごともまず実験、などというから家族に「化学実験のような料理」と言われてしまうのですよ(^o^)/
このフレーズで検索してみてください(^o^)/
いっぱい出て来ますよ~(^o^)/
次は怪しいサイトへの勧誘の書き込みでしょう(^o^)/
私のところにもこのめぐみさんがやってきましたが、「初めて」と「始めて」の誤用まで同じで笑ってしまいました(^o^)/
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