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社会統計学の伝統とその継承

社会統計学の論文の要約を掲載します。

広田純「統計論争によせて」『農林統計調査』第12号,1955年12月号

2016-10-06 10:44:00 | 3.統計調査論
広田純「統計論争によせて」『農林統計調査』第12号,1955年12月号

 比較的短い論稿(全体で3ページ)である。前段では推計学の思想のあらましと,それに対する筆者の見解が述べられている。後段では技術派と呼ばれる論者による標本調査擁護論が批判されている。

 推計学でいう「法則」とは,現実の資料の背後に母集団あるいは超母集団を想定し,このように想定された母集団のそれである。推計学の基調は,大量現象をどう抽象化するか,すなわわち統計調査の対象である集団の規定そのものと関係がある。筆者はここで例をあげているが,推計学者の理解では賃金調査の対象は労働者の集団ではなく,賃金という標識にしたがって個々の労働者に与えられた数値であり,確率変数として考えた数値の集団である。母集団の法則として問題になるのは,賃金の分布がどういう型をもっているか,あるいは性別,年齢別で賃金差が認められるか,である。その限りでは,存在としての労働者の集団そのものとは関係がない。ここから全数調査はむしろ標本調査の特殊な場合であり,これを統計調査の基本と考えるのは無意味ということになる。

 このような推計学的理解に対し,筆者は次のように反駁する。すなわち賃金の分布,性別,年齢別の賃金差は労働者全体に支払われた賃金総額との関連で初めて意味をもつ,なぜなら賃金は資本との関係の表現であって,その意味では何よりも生きている労働者の全体の,つまり階級の問題だからである,と。統計調査の基本が悉皆大量観察であるというのは,社会認識の手段としての統計の基本的性格にかかわる問題で,あくまで原則的問題である。

 それでは推計学で法則の追及あるいは母集団の法則は,どのような内容のものが考えられているのだろうか。増山元三郎によれば,推計学は質も量も重んじているというが,この場合に質を重んじるというのは母集団の想定における層別化のことを指す。推計学でいう層別化は資料にあらわれた標識の変動関係があると考えられる質的要因をとりだし,母集団をいくつかの等質な層にわけることである。

 筆者はこの考え方に,「カテゴリー」あるいは「グループ分け」の概念を対置し,社会の経済構造を表現し,その歴史的発展を反映する概念の体系こそが重要なのであると主張する。「グループ分け」によってはじめて,統計は社会認識の手段になりうる。筆者の整理によれば,推計学で質的要因と呼ばれるものは経験的に想定された質的規定のばらばらな集まりで,そこでは仮説検定が万事を決するから,諸要因のさらに立ち入った理論的規定やその相互連関の追及を行うことは問題にならない,仮説検定をつうじて確かめられた変動要因の系,これが推計学でいう母集団の法則である。この限りで推計学は,豊富な社会認識をそこに閉じ込めようとするおよそ経験科学の名に値しないものである。

 次に技術派の見解に関して,である。津村善郎によって代表される標本調査擁護論は,統計学者の側からの推計学批判を部分的に受け入れ,統計調査における超母集団の想定を否定し,推計学でいう要因分析を社会現象に適用することを断念する。しかし,このことによって,技術的観点から標本調査方式を適宜採用することを認めないということにはならず,むしろその調査技術を積極的に評価する。

 筆者がここで強調するのは,彼らは統計あるいは統計調査を狭い枠のなかに制限し,実態調査との区別をはかっていることである。この試みは統計調査の対象である集団の想定,その抽象方法と関係がある。技術派によれば,統計対象として定義されたもの全部の集まりである存在としての母集団は,結局のところ全数の調査をして得られると想定された調査票の集まりであり,数理統計学でいうところの有限母集団である。統計調査はこのような母集団の測定であり,統計調査としては与えられた調査項目について忠実に表現されればよいので,技術としての調査方法(統計方法)の科学は独立の分野として存在することになる。標本調査は,この技術としての調査方法のひとつである。    

筆者はさらに津村が「統計として対象をいかにとらえるべきかの問題」すなわち調査目的の問題を「どの範囲まで調査するか,それをいかに分類するか,いかなる調査項目を取るか」などの技術的問題に帰着させている点に焦点を絞って論難し,「統計として対象をいかにとらえるべきかの問題」が統計の科学性にかかわる基本問題であること,その限りで与えられた調査目的についてそれが科学的な前提の上に立つものであるかがまず問われなければならない,津村の理解ではその点は曖昧にされている,と述べている。要するに津村の調査目的の理解は,科学性ぬきで正確な統計を作成しようとする標本調査技術論であるということになる。   

森下二次也「推計学的標本理論と技術論的標本理論」『統計学』第2号,1955年9月  

2016-10-06 10:43:16 | 3.統計調査論
森下二次也「推計学的標本理論と技術論的標本理論」『統計学』(経済統計研究会)第2号,1955年9月  

 この論稿を発表する前に,筆者は「統計調査論序説-推計学批判への一つの覚書」(1951年)を公にした。この論稿に対して,かなりの反響,批判があり,それらに応える試みがこの論稿の趣旨である。この論稿が直接,対象としたのは,筆者の見解に対する批判の代表者格であった津村善郎である。

 予め指摘しておくと,この時期(1955年頃)には,標本調査ないしその理論の支持者の姿勢に変化がみられた。日本に標本調査が導入され,燎原の火のようにそれが広まった初期には,標本の背後に想定される仮説的無限母集団に確率の場を定める,いわゆる推計学派の理論が支配的であったが,次第に確率の場を無限母集団の想定にもとめることをせず,それを標本抽出の行為そのものにもとめる技術派の考え方が支持されるようになった。その端境期がこの頃で,本論稿の標題はまさにそうした事情を反映している。

 以上を踏まえ,本論稿の内容に入る。津村善郎は本稿の執筆者である森下二次也を含め,標本調査論の批判者には次のような誤解があると指摘した。誤解の第一は,標本調査に確率の場を誤って想定しているということである。誤解の第二は,標本調査の目的に関するものである。多くの批判者は,標本調査が統計解析(有意差検定)につながると断定している。誤解の第三は,母集団に関するもので,批判者はそれを仮説的無限母集団と誤解している。以下,それぞれについて筆者の反論を要約する。

 上記,第一の点で,津村は標本調査が確率論の応用であるとするのはよいが,確率の場は抽出操作によって与えられるものであり,抽出の方法が変われば確率は変わる,標本理論では正規分布の性質が利用される,しかし母集団は正規分布の性格を有している必要はなく,標本平均が正規分布の性格を利用する,標本調査の理論はどのような集団に対してでも,それが測定可能であれば適用できる,と主張した。

 筆者は,これに反論する。確率が仮定されるのは,推計学的方法における母集団においてである。推計学的推論は,母集団と標本とをつなぐ確率論的図式を想定することによってのみ可能となる。筆者(森下)が標本調査=無作為抽出法そのものにおける確率の場を,母集団の確率論的構造にもとめているとする津村的理解は迷惑きわまりない。推計学的方法における確率の場と,標本調査における確率の場が同じであるはずはなく,筆者が主張したのは推計学的方法における標本調査の必然性である。

 第二の点は,批判者が標本調査の目的を誤解し,標本調査が統計解析(有意差検定)のためのものであると断定している見解についてである。津村の見解によれば,調査における有意差検定は標本誤差にまどわされずに判断するために補助的役割を果たす。有意差とは抽出誤差よりも大きいと考えられる程度の差という意味であり,有意差が認められたということと,有意差に意味があるか否か,本質的な差があるか否かとは別問題である。有意差があるからと言って直ちに母集団に差があるとか,あるいは意味のある差があると判断するのは早計である。筆者はこの津村見解に対し,自らが使った統計解析という用語は,集団の確率論的な分析の意味で使っていること,推計学的方法では標本調査は後にこの意味での統計解析を予定し,推計学的方法の課題は母集団の確率論的分析による確率論的法則を見出すことであること,そうであればこそ標本調査こそが唯一の調査方法であり,その限りで全数調査が無意味であることなどを述べている。標本調査そのものが常に(一般的に)統計解析を予定しているなどとは,言っていない。津村は標本調査と推計学的方法とを,あるいは標本調査一般と推計学的方法のなかに位置づけられた標本調査とをすりかえ,批判者が標本調査を誤解していると決めつけているのである。

 第三の点,すなわち批判者が標本調査の母集団を仮説的無限母集団と考えていると津村が理解している点について。筆者は,推計学的方法では母集団をある分布法則に従う確率変数とみなし,標本がその確率変数の有限界の現実値とみなしている。すなわち,推計学的方法では仮説的無限母集団が想定されている。  
 筆者の結論は,次の通りである。津村は批判者が標本調査を誤解していると言っているが,それは津村の誤解である。批判者は単独の標本調査を問題としているわけではないので,それを誤解するはずはない。批判者が行っているのは,推計学的方法を社会現象に無反省に適用する試みに対する反論である。批判者も標本調査に言及しているが,それは推計学的方法のなかに位置づけられた標本調査である。
問題があるのは,推計学者が統計調査において任意抽出法が全数調査法に代位すべきものであり,統計方法として後者がそれ自身のうちに矛盾をもつとする言明である。要するに筆者が批判したのは,推計学的方法の中に位置づけられた標本調査に対してであったが,津村は「推計学的方法の中に位置づけられた」という条件を外し,筆者が標本調査そのものを否定していると取り違えたのである。標本調査を体系的な推計学的方法からとりはずして扱うということは,推計学にはみられなかった新しい考え方で,筆者はそれについてはまだ検討していない。

 本稿はここまでが第一節で,この後,第二節が続くはずであったが,紙幅がないということで,要点だけが列記されている。
(1)問題となるのは,標本調査を一個の調査技術とみなす考え方である(坂元平八,津村善郎,畑村又好など)。
(2)この考え方は,推計的方法のなかに切り離しがたくはめ込まれていた標本調査を,後者だけとりはずして独立の地位を与えるものである(標本理論の純化)。
(3)この純化は標本理論の数学的純化である。それはもともと応用数学の一部であったものである。いまだ「標本理論」たりえていない。
(4)標本調査は一個の技術なので,普遍的な適用可能性をもつという考え方はおかしい。調査の対象から自由な調査の技術は存在しない。
(5)応用数学=調査技術=一般的適用性という論理の基礎にあるのは,標本調査が母集団について数学的な仮定をおかないという主張である。標本調査=技術論では,母集団は一定の条件をもった全ての集まりであることが強調される。そうではなく,その集まりの一定の標識についてはかられた全ての集まりが母集団である。そうでなければ抽出によって確率の場を与えることが無意味になる。
(6)標本調査を推計学的方法から切り離し,技術として独立の地位を与えるとなると,統計学がバラバラに解体され,単なる技術的知識の寄せ集めになってしまう。
(7)標本調査=技術論は推計学的標本理論への郷愁をたちきれないようで,いまだに「経験的」正規母集団,客観的関係としての大数法則の社会現象における貫徹を認めている。強調される技術としての標本調査論と母集団の分布や大数法則が内的にどのようなつながりをもつのか不明である。