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雀庵の「常在戦場/25 戦争は平和をもたらす」

2021-06-01 08:22:00 | 日記
雀庵の「常在戦場/25 戦争は平和をもたらす」
“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/311(2021/5/31/月】「戦争は二度と繰り返してはいけない」、という言葉をしばしば目にするが、人類史は戦争の歴史である。戦争が新たな秩序=平和を産み、やがてその効力が薄れてきて対立を生み、戦争になり、新たな秩序が生まれる、この繰り返しではないか。


新秩序は勝者が創るから、敗者は当然不満である。敗者は当初は大人しくしているが、悔しい思いを何十年、何百年も持ち続けるから、「いつかチャンスが来たら今度は俺たちが戦勝国になってやる」というのが自然であり、実際にそういうケースは少なくない。「雪辱を晴らす」「臥薪嘗胆」「汚名をそそぐ」「名誉挽回」なんてスポーツ記事では常套句。ホモ・ルーデンス? 映画や漫画は戦争モノが結構人気だ。ユーミンのミリタリールックなんて可愛かったなあ。


どんなに勝者が強くても「栄枯盛衰」「盛者必滅」は世の習い。数千年もの間、戦乱に次ぐ戦乱を体験してきた支那の民は「備えあれば患いなし」「上に政策あれば下に対策あり」「信用できるのはカネと宗族だけ」「いつでも逃げ出せるように子弟と資金は第3国に移しておく」といった自己防衛策に長けている。2000年も国家を奪われてきたユダヤ民族も同様だろう。駐日イスラエル大使館のサイトにはこうある。


<ユダヤ民族は、イスラエルの地(エレツ・イスラエル)に誕生し、この地でユダヤの文化的、宗教的、民族的なアイデンティティは形成されました。長きにわたる離散の時代にも、ユダヤの民がイスラエルの地との絆を絶つこと、この地を忘れることはありませんでした。そして遂に1948年のイスラエル建国によって、ユダヤ民族は2000年ぶりに独立を取り戻しました>


戦争=武力によって奪われたものは戦争=武力によって取り戻す、戦争=武力を忌避する者は亡国、奴隷、家畜となりやがて消滅する、良いか悪いかではなく、これが歴史であり、現実だ。リアルを見ない、備えなのない国に未来はない。米戦略問題研究所のエドワード・ルトワックは著書「戦争にチャンスを与えよ」でこう語る。


<戦争の目的は平和をもたらすことにある。人々に疲弊をもたらすために行われる。戦争に赴くとき、人々は力に溢れ、夢や希望に満ち、野望に心躍らせている。しかし、いったん戦争が始まると、今度は様々な資源や資産を消耗させるプロセスが始まる。この過程で、人々の夢や希望は次々と幻滅に代わっていく。そして戦争が終わるのは、資源や資産が付き、人材が枯渇し、国庫が空になった時である。そして初めて平和が訪れる。人々は家や工場を建て直し、仕事を再開し、再び畑を耕す。


ふたつの国の一方が勝って、一方が負ければ、双方とも戦争を止めて、普通の生活に戻る。敗者は領土の一部を失うかもしれないが、それでも国民は普通の生活に戻り、仕事を再開し、家族を養うのである。「戦争が平和をもたらす」のだ。


今日ではあまりにも多くの戦争が、終わることのない「紛争」となってしまった。その理由は(国連や非政府組織のNGOなど)外部からの介入によって、「決定的な勝利」と「戦争による疲弊」という二つの「終戦要因」が阻止されるからだ。


NGOは自らの組織の永続を目指している。彼らの最優先事項は、目立つような状況下での活躍を誇示することで、善意の寄付を募ることにある。比較的アクセスのよい難民キャンプに活動を集中させれば、メディアはいつまでも報じてくれる。先進国同士の戦争は極めて稀となっているため、NGOにとってはメディアで取り上げてもらうチャンスが減少している。だからこそ彼らは世界で最も貧しく厳しい地区の難民の支援に力を注ぐのだ。


難民は基本的に戦闘で負けた側の人々によって構成されている。その中の戦闘員は「撤退戦」を行っているに等しい。ここでNGOが介入することで(撤退戦中の戦闘員を追い詰めている)敵側が決定的な勝利を収めて戦争を終わらせるというプロセスを妨害してしまうのである。(結果的に)互いが戦争で疲弊することから生まれるはずの「講和」への動きを阻止してしまうのだ。


(自衛隊も派遣されている泥沼的内戦の)ソマリアのようなケースでは、NGOは自分たちの安全を確保するために現地の軍閥などにカネを払い、それが彼らの武器購入資金になったりする。このようなNGOは、かえって戦争を長期化させてしまっているだけだ。


(国連やNGOによる真の解決に)無関心で安易な介入は害毒であり、そうした欲求を各国の政策担当者は排除すべきなのだ。介入拒否は、平和が生み出される条件を整えるために必要なのだ。米国は、他国による国際介入をリードするのではなく、逆に、不介入を説いて思いとどまらせるべきである。介入主義的なNGOを少なくとも公式には支持したり財政的に支援すべきではない。


このような主張は一見すると極めて非常識なようだが、戦争のパラドキシカル・ロジック(逆説的論理)の把握や、戦争の唯一有益な「平和をもたらす」機能を邪魔せずに機能させる必要がある、という確かな認識に基づいているのだ>


天下分け目の関ケ原がなければ幕府による250年の安定はなかった。戊辰戦争がなければ日本は米英仏に三分割されて属国になっていたかもしれない。日清・日露で勝たなければ今の日本はないし、大東亜戦争がなければ列強による世界の植民地支配は今も続いていたろう。


戦狼妄想の中共を抑え込まなければ世界、特にアジアは中共帝国に併呑され、我々はウイグル、チベット、モンゴルのように残虐な圧政に苦しむことになる。勝ち負けは兵家の常とは言うが、戦わずして屈服すれば民族は再起不能、消滅するだけだ。対中戦争は逃げたら日本の終わり、どの面下げてご先祖様に会えようか。果敢に、狡猾に、死にもの狂いで戦うべし。(二十歳の小生に友曰く「極左は極右になりやすい」・・・気を付けた方が良さそうだな)
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