Minstrel

流離が人生

Title list part.3

2009-06-11 19:26:16 | Weblog
過去に2度ほど過去記事のタイトルリストを作成していましたが、何かにかこつけて作っていました。今回も公開しようと思っております(実はすでに公開していました)が、公開する理由が見つかりません。リストアップするタイトルが 100 個とか思いましたが、goo blog の記事制限で限界に近づいたために本日公開しようと思い立った Amon です。



今回から加わった「DIY」というカテゴリーを目指して来られる方も増えて来つつあることも考慮してタイトルのお尻に「★」印を付けさせていただきました。私の記事構成が「枕」と「本文」と違うカテゴリーのことを書いていたりするので、一つのカテゴリーを目指してこられた方には大変分かりにくい構成になっているので、日曜大工関係をご覧になりたい方は★印をご利用下さい。

では

タイトルリスト・パート2
美しい者
あけましておめでとう
二次転職
プレイヤーキラー半蔵
サークルゾーンスクランブル
生き方
機甲を買いまいた
Oberinは楽しいですね。
貢献度
萎えております
お気に入りの音楽
みち道
恐怖体験第二弾
頭をたたかれたような衝撃
衝撃的なこと2
第二回鼠連れ競争!
プラモデル
破裏拳トリマー
サキちゃん、がんばれ!
前門の虎 後門の羊
回転椅子
道具フェチ
トリマー台
リベンジ成功
騙された!
2脚のベンチ
スプライトの小箱
蟻穴生活
市民球場ラストイヤー
工具(2008年9月現在)
やっと象を見れた
私の田舎は可部
映画鑑賞
クラス会
ギルドに入団
アメリカのドラマベスト 10
ラブチェア
写真製版は印刷工程の一つです
緑竜の子に遭遇
mixi日記 11/25/2008の記事
大阪での出来事
ボトムズに関する私の意見
これスツール? それともベンチ?
ブラックウォールナット色
バージョンアップでレベルが上がる
透明な石人形
ギルドホールでマッタリ
oberin での近況
セコムしてますか?
新種の花
好みの色は何色ですか?
やっちまったなぁ~!
伝えたいこと
ちゃぶ台 その1
ライバルたち
ちゃぶ台 その2
ちゃぶ台 その3
ちゃぶ台 その4
ちゃぶ台 その5 -ラスト-
もう迷わせない!
玄関に椅子
新球場を見に行きました
「シックス・センス」で失敗
ホゾ継ぎの椅子
私がコメントをする理由
その後の椅子
麻雀はダマに限ります
カヤ
柳生一族の陰謀
ヴィジュアルモンスターは消滅してバーチャルムーンスターになりました

VM disappeared and became VMS.

2009-06-10 20:52:52 | Weblog
今から8、9年前に「VisualMonster」というフリーのカードゲームがマカーの間で流行りました。私も一時期ハマってましたが、いつのまにかしなくなっておりました。


話変わって携帯電話のお話。最近迷惑メールが増えてきまして駆除に無駄な時間を取られておりますが、その中で見たことのある文字を見つけました。
「ヴィジュアルモンスター」


「ほぉ~なつかしいのぉ。携帯ゲームになったんか」
とアクセスしてみると、元のゲームとは違い「有料で月額 315 円!」(た、高~い^^;)

この程度のゲーム(すいません)にお金を払うと程、私は裕福ではありません。さっさと諦めます。

そうなると以前遊んでいたパソコン版をしたくなるものです。

遊んでいた PowerMac はすでにありません。今の iMac にはソフトは入っていないはず…。しかし記憶の片隅に Win 版を開発中との記事を見た記憶があります。

さっそくググってみた Amon です。







残念ながら VM の作者と有志のサポートチームの間でトラブルがあり現在 VM は存在してないようです。変わりに「VirtualMoonStar」というゲームが存在しているらしいことがわかりました。

最初は「ビジュアルムーンスター」かと思っていたのですが、よく見てみると「ヴァーチャルムーンスター」だそうで、作者もゲーム自体も全く別物だそうです。同じところはゲームの基本仕様とイラスト。パッと見は同じゲームに見えてしまいますよねw


こちらの VMS は Win と MacOSX で遊べるゲームみたいですね。ただ、対人戦をしようとしても Mac 側では鯖が標準ではたてられないようで、マカーには辛い仕様ですね。



早速 DL しようとします。 が、
「この HP 見たことあるよのぉ~?」
とりあえず Win に DL しましたが、このファイル名は見たことがあります。

Win の中を確認すると既にインストールされてました^^;

「いつ DL したんじゃろう? 覚えてないのぉ~」


ゲームを起動すると結構やり込んだ形跡があります。
(レイザー? デッキ? サイクル? がレアカードも含めて充実していました)


「覚えとらんなぁ~」



起動画面はこんな感じ



神(それぞれ特徴をもった COM)と対戦して勝利した図




私の記憶は VM の時のカードの能力が大半を占めており、未だに VMS のカードの特徴を理解しておりません><


しかし、しばらくは飽きずに遊べそうです。




話は戻りますが、
「いつ DL したんじゃろうか? 覚えとらんなぁ~」


The YAGYU clan's conspiracy.

2009-06-09 22:46:55 | Weblog
結構忙しくさせていただいておりました。
皆様お久しぶりです。Amon です。覚えてらっしゃいますか?w




忙しければ忙しいほど何かしたくなるもので、この忙しい間にしていたこととは、テレビドラマを見ることでした。といっても帰宅する時間に放送しているドラマはありません。ので、昔撮っているビデオ鑑賞になりますが、チョイスしたのは「柳生一族の陰謀」。



このテレビドラマは 1978 年頃に放送されたものです。おそらくリアルでは見ておりません。私が大阪時代にサンテレビで再放送(この辺はあやしいかも。日本文化センターのテレビショッピングが CM で流れているので違う局かもしれません)を録画したものを見ております。



「裏柳生、口伝に曰く…」ではじまる OP を見ただけでシビレてしまいます。



柳生一族ということで、登場するのは
柳生宗矩、三厳、友矩、宗冬、茜の親子。親戚に宗矩の兄弟の宗章、尾張柳生の利厳、厳包親子。ですが、この親戚たちは皆「敵」として登場しております。
結局タイトルの「柳生一族」とは「親父殿」こと宗矩、その子どもたち四兄弟のことになります。(史実的には四男二女だったと思いますが、四男の出家した「義仙」は「子連れ狼」で有名ですよね)


このテレビドラマは直前に公開された同名タイトルの映画をテレビシリーズ化した作品なのですが、別物に仕上げられています。

1話から3話までが映画の踏襲で、私の感覚では5話までが続きのお話のように思います。歴史好きの私としては史実と大いに違う設定にツッコミを入れまくり状態なのですが、時代劇と言い聞かせて史実を思い出さないように見ておりますw


はじまりは徳川二代将軍秀忠の時代。老齢の秀忠公に二人の息子家光、忠長。次期将軍職を争う二人にはそれぞれ優秀な人材有り。忠長に生母お江与の方と酒井忠利、家光に春日局と松平信綱。両陣営はそれぞれ次期将軍を目指してあの手この手を使っていたが、秀忠が長男家光を廃嫡にして次男忠長を次期将軍にすることを決意する。が、その夜病が急変し秀忠崩御。次期将軍選びは振り出しに。

が、この将軍崩御に疑問を抱いた人物が二人いた。その一人酒井忠利はこともあろうか秀忠の遺体から胃袋を幕府配下の伊賀者に盗ませた。首尾よく遺体から胃袋を盗み出せたが、そこに立ちはだかる人物がいた。将軍崩御に疑問を抱いたもう一人の人物、秀忠の剣法指南役柳生宗矩、その息子達だった。伊賀者から胃袋を奪取した柳生一族は崩御の真相を知り、政(まつりごと)への参画を目指す…。


簡単に説明するとこんな感じですかね。

前半は家光を将軍にするための作戦参謀を宗矩が務め、その息子たち、特に三厳(十兵衛)とそれに協力する根来衆の活躍。

中盤より家光政権を磐石にするために老中に就任した松平信綱、その手助けをする宗矩。その中で汚い仕事をこなす三厳と裏柳生(将軍争奪戦の中で一族のほとんどを失った根来衆の生き残り)の活躍。

中盤以降で政への執着が見え始める宗矩とそれが許せない三厳。宗矩と三厳の間で、どちらの命令に従えばよいのか葛藤する裏柳生衆…。



全 39 話中、25 話まで見た状況です。
何回も見ているので後半も覚えておりますが、とりあえず自分のために解説はここまでにさせていただきます。


ビデオでテレビ番組をたくさん撮っておりますが、自分の覚書に
柳生一族の陰謀
服部半蔵 影の軍団
影の軍団Ⅱ
影の軍団Ⅲ
影の軍団Ⅳ(幕末篇)
柳生あばれ旅
柳生十兵衛あばれ旅
柳生十兵衛(1978年)
探偵物語
西遊記
西遊記Ⅱ
ウルトラセブン
原子力潜水艦シービュー号
ヒルストリート・ブルース
L.A.ロー 七人の弁護士
宇宙大作戦(一部)
聖戦士ダンバイン
ぐらいかな?

As for the Mah-jong, concealed meld is good.

2009-05-17 03:05:02 | Weblog
以前、私が発信したメッセージに
「若いときにしか出来ないことがあります」
と書いたことがあります。

私が若い頃にしか出来なさそうと思って思いっきりやった中の一つに
「麻雀」
があります。


学生時代に大阪の寮に入ったときに本格的に覚えました。高校生の頃はカード版の麻雀をしておりましたが、正式に「牌」で覚えたというところです。

麻雀をご存じない方のために説明すると…四人でするゲームです。競技会もありプロもいます。よく893映画などに麻雀をしているシーンが使われたりして「ギャンブル」、しかも雰囲気の悪いゲームにたとえられますが、実際には…雰囲気悪いですねw(今は知りませんが…)


寮でやっていたといっても、内で流行っていたわけではなく、たまたま牌を持ってきていた学生が一人いて、たまたま私はその近くの部屋にいて、たまたま親しいグループにその彼もいて、夜中の暇つぶしに「麻雀」で遊びはじめたのがきっかけ…といったところでしょうか。

親しくなったメンバーは6、7人いて、最大で2卓囲むこともありましたが、通常は4人確保するのに苦労した…というほうが正解かもしれません。学生ですから勉強がメインですよねw が、常にいた面子の一人だった Amon ですw





面子の実力はどんぐりの背比べ状態だったので、誰か一人がいつも勝つとか負けるとかがなかったのが幸いしたのかどうか分かりませんが、この夜中のゲームは長い期間続きました。

長く続けているとそれなりにいろいろと覚えるもので、モーパイ(牌を見なくても触った親指の感触でその牌が分かる)や手配を並び替えなくても分かる様になったこと。それから自分のバイオリズムとか。

当時は漫画や映画で麻雀も流行っていたこともあり、片山まさゆき氏の「ぎゃんぶらあ自己中心派」「スーパーヅガン」、映画「麻雀放浪記」などを参考に怪しげな「技」も覚えました。

積み込み、サイ(ダイス)を思い通りに出す方法、ツバメ返し…etc
いずれもイカサマといわれるもので仲間内だから出来たことで、まったくの他人が居るところでは出来ないようなことです。


サイを思い通りの数を出す方法は…って、皆さんちょっと期待されてます?
何のことはない方法ですが、麻雀では2つのサイを使用しますが振る前に出したい数字を上にして対面の山に投げて当てても転がらないように振るだけです。そう、この技は面子が疲れきっていて意識が朦朧としているときにしか通用しません^^;

積み込みは…文章で説明するもが難しいですね。私がマスターしたのは2種類で自分が子どものときの方法と自分が親のときの方法です。

一日に何度も半荘を繰り返していると「流れ」が起こることがあります。ある人がサイを振ると同じ数字しか出ない…とか、偶数・奇数しか出ないとかあります。そのタイミングを見逃さずに自山(自分が積み込む山)に小細工をします。ようは予想して自分が取るであろう牌を自分が作りたい役に合わせて積み込んでおく…。ただし、誰かが鳴くとその時点で「終~了」です。その牌は他の誰かが取ることになります。

もう一つの積み込みは確実でしたが、条件が厳しいのでそんなには出来ません。まず自分が親で、他の面子の注意力が低下していることが条件になります。で、サイを振って自分の山か、カミチャ(上家)の目を出します。自分の山の目を出すときは最小の数字の目を、カミチャの山が少ないときにはカミチャからの目(最大数)を出して自山から自分に来る手牌のところに役になるように積み込みをします。
って、やってない方だと何のことだかわからないですよね^^;

ようは、最初の手牌から自分の思い通りの牌が来るようにすることです。

ただ、このときに分かりやすい役にしてしまうとイカサマがばれるので、ホンイツ(同じ種類の牌でつくる役)やトイトイ(同じ数字が3つが3つと頭2つの役)、役満は避けて、ニコニコ(チートイツ、2つ同じ牌を7種類で出来る役)やチャンタ(一九字牌が絡まった役)、サンショク(三色同順、字牌以外の種類の牌で同じ数字が並んだ状態で3種類と頭2つの役。三色同刻もありますが、こちらはトイトイと似ているのでばれやすい)などの役をつくっておいて、即効で「ロン(あがり)」して親を続けるようにすることです。

最後の「ツバメ返し」は、上記と条件は同じですが、さらに面子の集中力が散漫なときか、逆に自分の手牌に集中しているときに有効な技です。
自分が親の時に、サイを振ってシモチャ(下家)か対面から始まるようにして自分の山は温存させます。自分の山の数は14枚にしておき、役を仕込んでおきます。面子が手牌を並び替えているときに自分の手牌と山に仕込んだ牌を一瞬のうちにすり返るます。このとき動作が3ステップ必要なのですが、1ステップのような俊敏な動作と無音でイカサマしますw

ただの積み込みと違い、これは明らかに面子にバレル行為なので、チョンボを覚悟でする分、役は大きめにしておきます(私は)。麻雀放浪記ではこのツバメ返しで「天和(親で配られた手牌で役ができている)」をしていましたが、私はそこまではしてません。


イカサマ無しで今まで一番の役は「地和(子どもで配られた手牌で役が後一つで一回目のツモであがる)」で、後知っている役は一度は全部やりました。
チュウレンポトウをやったときなどは手が震えました。しかも映画「麻雀放浪記」の出目徳がチュウレンをテンパって死ぬシーンを思わず真似しましたw

ただ、知らない役もまだまだあるみたいで「大車輪(ピンズで二~八の数字を2枚ずつ)」は広島に帰ってきてから知りましたし、まだ知らない役が存在しているみたいです。

その一因にローカルルールというのも関係しているみたいですが、ここ広島では三打ち(三人打ち麻雀)が主流で私の好みではありません。(だって、勝負は早いし勝ち・負けの差が大きいので、じっくりやりたい私は嫌いです)


今は何処に行っても雀卓は「全自動」しかありませんから、私の技は何の意味も持たないんですが^^

The reason why I comment.

2009-05-11 12:55:57 | Weblog
最初にこの blog をはじめたときには確実に読んでくれる方が居て、その方々を対象に書いてきました。

しかし時と共にその仲間もだんだんと減ってきて、いただけるコメントも「ゼロ」更新をして段々と書く気力が奪われているときにある事件(私にとって)が blog 内で起こり
「やめちゃる!」
と書いたことがあります。

が、そのときには今迄なかったような数のコメントを頂き、
「これだけの人が見てくれてとるんじゃ」
と逆に勇気をもらった事がありました。


有名 blog は別として、私たちのような個人的な出来事を書いている一般人の更新の原動力の一つに「コメント」があることは否定できないと思います。


そんな私も気が付けば細々ですが、長く blog を続けることができています。今まで見ていただいた方やこれから blog を始められる方に恩返しができないか? と考えた結果が
「できる限りほかの方へコメントをつける」
でした。



確かにたいした数のコメントをしているわけではありませんし、コメントしたくてもその話題に入っていけなかったりしてコメントできないときのほうが多いですが^^;


これからもこの方針は変えずにやっていきたと思いますが、皆さんに強要しているわけじゃないですよw



時間がないのでこの辺で…駄文失礼しました。


I failed on "Sixth Sense".

2009-04-22 23:30:39 | Weblog
先週の土曜日は久しぶりにお休みだったので、二日連続で日曜大工でもしようかともくろんでいましたが、妻が久々に羽を伸ばしたいと市内に一人で出かけてしまい、急遽娘とドライブすることにしました。

以前から妻が羽を伸ばすときには娘と二人でドライブによく行っていましたが、今回は娘が始めての場所に連れて行くことに。

っといってもまだ幼い娘には長時間のドライブは少し酷かな? と思ったりして、広島市の北に位置する吉田町を目指すことにします。吉田町というと有名な戦国武将の「毛利氏」の本拠地。

ドライブ好きの私のことですから、普通に国道 54 号線を北上したりしません。可部から八千代町に入るとすぐ、千代田町への近道を通り、そこから美土里町へと抜け、高宮町へ出ます。

高宮町には「ニュージーランド村」という最近閉園した施設があります。


内心「公園として開放しているかもしれない」という思いから向かったのですが、残念ながら完全封鎖されており、入り口すぐの駐車場にすら入ることは出来ませんでした。娘が2、3歳の頃つれてきたのですが、どうも覚えてないらしい。園内の風景を見れば思い出すのでしょうが、入ることはかないませんでした。


仕方がないので近くにある「ホトトギス遊園」という小さなオートキャンプ場で遊ぶことにします。っといっても何もないので人工池で石の投げ方を娘に教えることにします。

上手からモノを投げることが不得手な娘にフォームから教えていきます。最初は岸から2m にある水辺まで届かなかったのですが、徐々に波紋を描けるようになると狂ったように池に石を投げ込みます^^


そうしているうちに3時のおやつの時間です。何も用意していない私は、最初の目的の吉田町にあるスーパーを目指すことにします。そこにある飲食モールでおやつをするために。


と書きながら、若い頃に思っていた「娘とデートをする」という目的がこんなにも早く実現していることに感動している Amon です。





10 分足らずで目的のスーパーに到着し、飲食モールにある喫茶店にて娘は「フルーツパフェ」私は「プリンパフェ」を堪能しました。

私は昔からこのスーパーをよく利用していました。それは市内では置いていない CD を探すときにです。

結構な確立で広島市内の音楽ショップでは扱わなくなったようなモノが田舎のスーパーに置いてあるケースがあるからです。


久しぶりに寄ったので何の目的もなく CD 売り場を覗くと早速掘り出し物を見つけます。

映画「シックス・センス」のサントラが、280 円(中古)

ろくにパッケージも見ずにレジに持っていき即購入。そのまま車の後部座席に放り投げておりました。



さて今日会社から帰宅するときにその購入していた CD を見咎めました。

「おうおう、忘れとった。」

この映画は、たとえ親兄弟でも内容を話してはいけない映画だったと思いますので内容は書けませんが、あまり明るい映画ではなく音楽もそうだったように記憶しております。


ケースから CD を取り出しデッキにセットします。が何故か「エラー」表示。
(??? 何でじゃろう?)

デッキから CD を取り出そうとして目に飛び込んできた「DVD」というマーク。

「ま、まさか… ワシ、買うたのは映像??? 買うた店の店員がディスクを間違えた???」

が、ケースを見るとそこにも「DVD」のマーク。


よく表示を見て購入しなかったのが悪いのですが…。ですが、普通サイズの DVD のケースに入っていないし、パッと見、どう見たって CD のサントラにしか見えませんよ。しかも中古で 280 円ですから…。


ほんとに思い込みの失敗でした><
今からおとなしく映画「シックス・センス」を見ます。





おお、ブルース・ウィリスが出てきた^^

I went to the new baseball stadium.

2009-04-13 19:57:15 | Weblog
先週の金曜日午後五時半頃、お客様より緊急の電話がありました。
「すぐに来い!」

「何事か失敗をやらかしたのでは?」とビビりながら向かうと先方様はご機嫌な顔をされています。

しかしここで油断しては大変なことになります。
「何か…ありましたか?」
恐る恐る確認すると
「野球に行くで!」
「??? いつです?」
「今からよ!」
「えええええええええええええ!」

とビビり倒した後に意外なサプライズに驚いた Amon です(笑)





以前の記事にも書いたとおり私はプロ野球にはそんなに興味を持っておりませんが、今回ばかりはうれしいお誘いでした。

お客様としてはチケットが急遽余ったのがもったいないので私に白羽の矢が立ったのでしょうが、広島の新球場の「こけら落し」に参加できるのは一生で一回しかないことだと思い、仕事もそっちのけでお誘いを受けました。


広島駅の新幹線口(広島駅の裏)から歩いて新球場を目指します。10分くらいあるくと見えてきました。



広島駅(表側)から 10 分という謳い文句でしたが、裏からだとそれ以上かかります。
写真のあたりからスロープになっており、球場の三塁側に直結して入場することができるようです。写真は撮りそこないましたが「ビーナス誕生」の垂れ幕がお出迎えしてくれました。


余談ですが、どうもビーナス誕生のビーナスを見るとアドビのイラストレータしか思い浮かびません^^;


席は一塁側の内野席だったので「コンコース」と呼ばれる球場を一周している広い通路を利用して目的の席を目指します。途中のバックネット裏で一枚。



球場をほぼ半周してようやく目的の席に到達しました。

席に着いてグランドを見て驚きました。
(選手が近い…)



しかも金網がないので常に打球を気にしていなければならない。

しかし今回はその心配はないほどの試合結果でしたが…^^;

ちなみに分かりにくいですが、正面(レフト側)の後ろに電車が走るのが見えました。ということは電車から球場内が見えるということらしいです。( JR 呉線ですが…)



次の日の新聞などでは
「新球場を埋めた3万618人のファンから怒声が飛んだ」とか
「新球場初勝利に酔いしれるはずだったスタンドは、静まりかえった」
とか書かれてありましたが、私の印象では全くそんなことはなかったように思います。最終回には見せ場を作ってくれてみんな大はしゃぎでした^^
大差で負けましたが、皆さん結構満足されて帰途につかれたと思います。

「新球場に酔いしれた」ってのが正解だと思います。

7回裏終了と同時に上げる「ジェット風船」も上がる高さが揃っていて以前より美しい印象を受けました。


おまけで



一塁側喫煙スペースからの一枚。下に見える通路がコンコースで、正面に「バーベキュー」が食べれるというスペース。



鳴りもの専用の広島応援スペース。ライト側の上になります。三塁側の上に相手チームの専用の応援スペースがあります。



帰りは来た時と違う通路ですぐ外に出て正面をパチリ。正式名称は「MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島」だったんですね。

最後に球場周辺のマンホール



人の流れに沿いながらの撮影のためぶれてます。カープ坊やともみじをあしらったデザインになってます。

The event when in Osaka.

2008-12-17 20:31:39 | Weblog
今年の夏ぐらいから体調をいつになく崩していたのですが、ようやく今月に入り復調してきたかと思うと、発熱。どうもお腹にくる風邪らしいです。
今はまだいいですが、徐々に忙しさに拍車がかかってくるこの時期。体調を戻さないと「えらい」ことになってしまうことを心配している Amon です。




いろいろとネットを見て回っていると、どうも過去の出来事を思い出す傾向にあるようです。その一環がこの記事なのですが、さらに懐かしさを思い出させてくれる HP に再開いました。

活動漫画館

ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、オリジナルの GIF アニメを作成され公開されている方です。「機動戦士のんちゃん」は有名(?)ですよね。私は「宇宙人いるか?接触編・発動編」がツボなのですが…。
この管理人さんとはある場所で同じような生活をしていた(おそらく同時期ではない)方で、かなり前( Web2.0 が登場する前)に日記でそのことを知ったのですが、最近 blog も始められて過去に掲載されていたネタ(?)を再びエントリーされています。

その方が最近「安彦良和」氏に作品を見てもらった記事を目にして(スゲ~!)と思う気持ちとは別に(羨ましい)という感情もありました。

(ワシは大阪におって有名人に会うたこともないし…いや、そういやぁ「ザ・ボンチ」のおさむちゃんじゃなくて…まさとの方を見たことある……そんぐらいよのぉ~><)

と思っていたのですが、よく考えると有名人とある時期いっしょにいたのを思い出しました。


故「青木雄二」氏です。

すでに他界された方なのですが、漫画が好きな方でしたら知っている方もいらっしゃるかもしれませんが、代表作に「ナニワ金融道」があります。


私が大阪で就職して何年か経ったころ。
当時4階建のボロビルの2階に私が務める製版会社があったのですが、1階が印刷屋さん兼大家さん、3階が版下屋さん (簡単なデザイン含む)、4階が住居で貸し出されていたビルでした。その3階の版下屋さんに、ある時から後に「おっさん」と呼ぶことになる青木氏が務め出されました。聞けば自分の会社が倒産して勤め始められたとのこと。
(世の中いろいろあってたいへんなんやなぁ)
などと最初は同情的な目で見ておりました。
このビルに入っている会社どうしの仕事の交流は少なかったのですが、たまに上の版下屋さんで作った版下をウチに持ち込むケースもあり、徐々にその「おっさん」と話すことが増え、気がつけばいつのまにか飲みによく連れて行ってもらうようになりました。(といっても割勘)おっさんはいつも飲んでいるような風貌で言葉は汚いし、ちかよると酒臭いし、半分以上「いや」だったのですが、どことなく憎めない人で誘われると大体ついていっていました。ひどい時には北区から「あびこ」(関西の方ならごぞんじですよね)まで飲みに連れていかれ帰るのに往生したことがあります。

そんな飲みに行ったときの話は「金」「法律」「会社の運営の仕組み」などかなりコアな話でいつもついていけませんでしたが、おっさんがこの業界にいるのは将来「漫画」で食っていくためだというのを聞かされており、私も少なからず「絵」に関わる学校に通っていたこともあり、最後にはいつも
「Amon! (本名で呼ばれてたんですけど) お前も絵の夢をもっとんなら~、毎日書き続けにゃぁいけんでぇ~」
が決まり文句でした。

ほどなくして私は故郷に帰らなくてなならなくなり、おっさんとは短い付き合いになってしまいました。


おっさんが成功したことを知ったのはかかなり後のことでした。
おそらくおっさんはそれを実行していたのでしょう。


ちょっぴり、いやかなり感動しました。たまに見せてくれていた画風より、より完成されているその漫画を見た時に。

A photoengraving is one of the pressworks.

2008-12-05 02:30:29 | Weblog
最近物忘れが激しくなってきております。
人と話をしていても
「ほら、あれ…、あれよぉ~、あれ。………何じゃっかかのぉ」
といった具合になかなか思いだせません。
たしかにテレビのタレントの名前だったり、おとといの晩御飯のメニューだったりといまいち興味のないことを特に忘れているのですが、やはり年齢のせいでしょうか?……><

この間会社の若い社員の方としゃべっていた時、つい
「昔はのぉ~」
と言ってしまいました。私としてはこの「昔はのぉ~」を言ったらお終いと思っておりました。それをついつい口にしてしまったのです。なんとなく自分の中では「物忘れ」とこの言葉がリンクして
「忘れちゃぁいけんことはメモして忘れんようにせんにゃぁ、いけんのぉ」

今まで自分の仕事の詳しいことを書くことは避けてきましたが、「技術の伝承」ということで Amon がこの印刷業界に入って覚えた「写真製版」の消え行く技術をメモしておこうと思います。
興味がある方のみ読み進んでください。かなりコアな内容になるはずです。






1985年に DTP( DeskTop Publishing )が定義され、数年を経て私たちのもとに来た時には DeskTop Prepress と意味を変えて到着した DTP。
本来の意味は「パソコンで原稿作成・編集・印刷をすべてする」ことでした。文章にすると小難しく見えますが、パソコンで年賀状などを作成して自分家(ち)のプリンタで出されている方は立派に DTP をされていることになります。
しかし私たちの業界での定義は「パソコンで編集・製版をする」になります。この DTP が登場する前はアナログ…ではなくて立派にデジタル化されておりました。「ワークステーション」と呼ばれる数千万~数億円もするコンピュータがずらりと並んだ通称「冷蔵庫」で作業しておりました。



今回のお話はそれ以前の話。

私が最初にこの業界に入ったのは「製版会社」。しかも二人の方が共同出資して設立した小さな会社の最初の従業員でした。

当然「ワークステーション」のような高価なものはなく製版作業は「手作業」で行っていました。

当時大阪では「分業」化されており、写植屋さんやデザイン事務所で「版下」を作成し、製版屋さんで「フィルム」をつくり印刷屋さんに持ち込み印刷物を作る。当然多くの総合印刷屋もたくさんありましたが、私には無縁でした。


その中の「製版屋」さんでの写真製版の工程を紹介します。

印刷の工程では、皆さんがよく見る「カラー」を印刷する場合4つの色を使います。シアン( Cyan )・マゼンタ( Magenta )・イエロー( Yellow )・墨( blacK )を使います。略して CMYK と呼び、それぞれの頭文字をとっています。(黒色だけ最後の K を使用していますが、B・BL・Bk と表しているところもあります。最近では RGB の B( Blue )と被るため B と表現するものはほとんど見なくなりました。)

ここからややこしくなりますが、3色までは横文字で表しているのに「墨」だけが日本語です。すべて日本語で表現される方もいらっしゃいます。「青版・赤版・黄版・墨版」。しかし正確な色の表現でないために私はあまり使用しません。実際にはシアンは「水色」に近く、マゼンタは「紅色」に近い色をしております。私は「シーハン・エムハン・キーハン・スミハン」と言っております。

この CMYK の CMY は色料の三原色と呼ばれている色を基本としています。可視光線領域(人間が確認できる色の範囲)の約半分をカバーしているのが RGB( RGB の基準もいろいろありますが…)。その RGB のさらに約半分強をカバーしているのが CMY です。
ちなみに RGB とは色光の三原色で、Red・Green・Blue の頭文字をとったモノですが、旧型のブラウン管テレビをお持ちの方がいらっしゃれば近づいて見ていただくとよくわかりますが、RGB の縦長の線がひとかたまりで規則正しく並んでいるのが見えると思います。(パソコン用のブラウン管モニタでは解像度が高すぎて見えません。よい子のみんなはテレビ画面に近づいてみる時には、長い時間&動きが激しい映像が流れている時には見ないでくださいね^^;)

下の図で表しているように RGB を加方混色、CMY を減方混色と呼びます。RGB は光で表現されますので、光が強くなればなるほど白に限りなく近づきます。 数値で表すとR=255・G=255・B=255 になり真っ白になります。逆に CMY は色がなくなっていくほど白に近づきます。C=0・M=0・Y=0 の時に真っ白になります(っていうか色が何ものっていない状態です(笑))
RGB がそれぞれの数値が「 0 」の時には真っ黒になります(光がまったくない状態です)ここで問題の部分になります。CMY の数値が「 100 」の時には理論上真っ黒になるはずなのですが、現実のインキではそうはなりません。限りなく黒に近い「グレー」になるのです。しかも印刷する人の腕によって色々に変化します。(例えば、赤味がかった黒・青味がかった黒・黄味がかった黒になったります)そのために印刷では黒を補色として使用するようになったそうです。実際に写真などを表現するときにスミ版が加わると写真に深みが増します。

(また横道にそれますが、金色や銀色・蛍光色などはこの CMYK では表現できません。が、印刷物に金塊や金閣寺が載っている金色を表現したものを見たことがあると思います。この色は「金色」に見えるはずです。それは周りの色のバランス(グラデーションでの表現など)と人間の視覚の錯覚によって「金色」っぽく見えているのだそうです。)

もう一つ印刷で「墨」を使う理由があります。文章などの「読ませる」文字はほとんどが黒になっていると思います。タイトルの文字に比べて細かったり、小さかったりします。印刷では各それぞれの色の「版」をそれぞれのインクで刷り重ねて印刷物を印刷します。その時に「墨」を使わずに印刷すると CMY をそれぞれ同じ場所に寸分の狂いもなく印刷しなければならなくなります。本来そうあるべきなのでしょうが、実際には紙の伸縮や印刷方法によってズレが発生したりします。ズレは印刷物は「不良品」です。そのために「墨」版を使って文字などの細かい文字を一回の刷り込みで終わらせて塗り重ねない方法にしたのだそうです。そのために印刷物は「常識」として本文など文字数が多い文字は黒で表現されているのだそうです。



上の図は色を見ていただくためにつくりました。



ようやく本題に入ります。

まず最初に完成イメージを

下方に黒の罫線が見えますが、紙の端を表現しております。
このような印刷物を作ろうと思います。

デザイン事務所か写植屋さんから版下をいただきます。

ちょっと厚めの方眼紙や版下用の台紙に烏口やロットリングなどでトンボや罫線を描いてあります。文字は写植機で植字され紙版で出力されてモノを版下に貼ってあります。写真部分は原稿を拡大・縮小コピーされたモノが貼ってあります。

トンボ…四方の角に二重の罫線、四方センターに十字の罫線をトンボと呼びます。角にあるのは「角トンボ」十字のモノを「センタートンボ」と呼び、角トンボの外側の罫線は「塗りたし罫」内側の罫線を「断ち(仕上がり)罫」と呼びます。印刷する時に(実際には印刷する版を焼く行程の「刷版」で)このトンボで4版を合わせます。主にセンタートンボは版がズレないように印刷するためのモノで、角トンボは製版(後ほど説明します)と断裁の時に使用します。製品状態のモノにはありません。


この版下にはトレペ(トレーシングペーパー)がかけてあり、そのトレペに「製版指示」が書かれてあります。

この製版指示は専門用語で書かれてあり、それを知らない方が見ると何のことかお分かりにならないと思います。簡単な解説を…

ケイアタリ…アタリケイともいう。実際の印刷物には出てこない罫線で、この罫線に併せて枠を開けたりします。逆に「ケイイキ」は印刷物に表現される罫線のことです。今回この印刷物の指示には「ケイイキ」とだけあり、色の指示がありませんが、こういう場合はスミケイになるのが一般的です。

バック(Y30 M10)など…色指示になります。指示された枠の中のアミ指示になります。アミについてはのちほど説明を…

文字白ヌキ…文字がバックに対して抜けて紙色になります。多くは白い紙に印刷されますので表現も「白ヌキ」となるわけです。ちなみに色の付いた紙に印刷する場合でも製版指示では「白ヌキ」です。昔はこの白ヌキ文字にするバックの色指示には CMYK のどれかが 100%になるように指示されていました。当然濃い色でなければ白い文字は見えないこともありますが、100%(ベタ)があることにより白ヌキの抜け方が鮮明になるからです。しかし現在では印刷技術の向上によりその常識はなくなっています。

ph1 など…写真番号の指示です。この印刷物ぐらいのモノであればコピーを見ただけで判断できますが、写真が多く使ってあったり、似たような写真が並んでいたりする印刷物を作る時には写真の貼り間違えがないように必ず写真番号の指示がしてあります。

白フチ…文字や図版・写真などの周りを白く縁取って見えやすくする指示です。白ヌキと同じ原理で表現しますが、現在の DTP では白フチの太さを好きに指示できますが、アナログの時代にはその太さの指示を見たことがありません。(っていうか思い通りに太さをコントロール出来ません)


今回の指示にはコレくらいしか書いてありませんが、他にも専門用語の指示はたくさんあります。


今回の印刷物には写真原稿3点を使用します。下の図になります。



2点は角版(枠の中に写真をそのまま収める)で1点のみキリヌキになります。キリヌキとは原稿で必要な部分のみ出してそれ以外は隠すという意味になります。基本的には写真原稿にトレペなどをかけて切り抜く形を指示してあるのですが、今回の原稿のようなロゴやマークの時にはあまりそのような指示はありませんでした。が、今回はロゴマークに「影」がありますが、それは取るということを想定します。
この原稿を4色分解する機械を「スキャナ」と言いますが、私がいた会社では精度のある分解は不可能*でしたので、外注します。すると4版に分解されたネガフィルムになって戻ってきます。

*不可能といったのはシビアな…といっても今は当たり前の分解精度ですが、今では各家庭でスキャナさえ持っていれば出来ますよね^^; 大昔は精度の悪い(スキャナがないため職人技で四版を撮影して分解していたのです。私がいた会社でも精度を言わない仕事の時には社長が分解していました)カラー写真の印刷物でした。もっと前はモノクロ写真に色を塗ってカラーに見せていたんだそうです。
ただ、現在はフラットベットのスキャナ(一般的に売っているスキャナ。ガラス台の上に原稿を下にして置き蓋をするとガラスのしたにある走査線(スキャナ)が動いてスキャニングする(線でスキャニングする))が主流になっておりますが、ほんとの精度を問うとドラムスキャナ(ドラムという大きなガラス管に原稿をしっかり固定してセットするとそのドラムが高速回転してガラス管の中をレーザービームがスキャニングする(点でスキャニングする))が現在でも(おそらく)高精度のスキャナなんだと思います。(こちらの現役は退いているので最新の情報を持っておりません)


基本的に最初にすることは「版下」を撮影して「ネガフィルム」にすることです。
撮影用の固定カメラ(製版用のカメラには縦型と横型があり縦型でも 180cm もあり横型にいたっては 2、3m はありました)明室用(通常の蛍光灯の明るさの部屋)フィルムもあったのでしょうが、通常は暗室での作業となります。薄暗い赤灯の灯る部屋で、カメラ下部にあるガラス台に版下をセットして上にあるフィルムセット扉を開きフィルムをセットしてスイッチを入れるとバキュームが作動してフィルムを固定します。扉を閉じてフィルムが撮影位置にセットされ露光を調整して撮影します。一般的なカメラに使うフィルムとはちがい感度はかなり鈍くなっており撮影には 5 秒から 10 秒間露光します。撮影が終わると自動現像機(自現)に入れて現像されます。自現とはフィルムを自動で現像する機械で内部は4つの層に分かれておりフィルムがそれぞれの層を通って現像されます。最初に現像液・定着液・水洗の層(ただの水道水)で乾燥の層です。今はあまり見かけなくなりましたが、昔のテレビドラマなどでカメラマン役の方が暗室で紙版を液体に浸けて写真を現像しているシーンがありましたが、あの行程を自動でする機械です。

で、出てきたものがこれです。


先ほどの版下の状態と比べていただけば分かると思いますが、白と黒の部分が入れ替わっています。これが「ネガ」の状態です。

また横道に逸れますが、フィルムには「マク面」と「ベース面」がありフォルムに焼き付けられるのは全て乳剤が塗ってある「マク面」になります。今はほとんどなくなりましたが、普通のカメラにセットするフィルムにもこのマク面がありレンズに近いほうがマク面になっているはずです。被写体に近いほうがまく面になります。ネガフィルムで撮影すると黒い部分の乳剤が現像液でなくなります。ポジフィルム(ネガの逆)で撮影すると白い部分の乳剤がなくなります。製版作業では必ず版下をネガフィルムにします。(それでしか作業が出来ません)

この版下を撮影したネガフィルムがこれから行なわれる作業のベースになります。説明しやすいように [1] と呼びます。

まずピン穴を開けて、出来上がりには必要ない部分を赤テープなどで隠し「ピンホール」をします。


ピン穴とは作業を進めていくときに全ての材料が同じ位置で作業が出来るようにする基準の穴で「ピン」と呼ばれる道具にこの穴で固定して使用するためのものです。角ピンと丸ピンがあり、私が働いた会社の全てで「角ピン」が使用されていました。

赤テープとはセロハンテープが赤い色になっていると思っていただいて間違いないと思います。

ピンホールとは本来ピンで開けたような「小さな穴」を意味します。が、製版では版下についた目に見えないゴミとかが撮影されたものを隠す行為を「ピンホール」といいます。ようはこのネガ状態の時に白く抜けている必要ない部分を「赤」など(紫外線を通さない色)で隠していきます。


次に材料を用意します。
ルミナー 13 枚(透明なビニールフィルム)
赤ベース 3 枚(ルミナーに超薄い赤いフィルムが貼り付けてあるフィルム)
をそれぞれ基本となる版下を撮影したネガと同じ大きさにカットしてピン穴を開け準備します。

基本的な考えとして [1] で白く抜けている部分以外で絵柄や色が付く部分を赤ベースで作っていきます。
もう一つ、最終的に絵柄&色が「上」にくるモノから作ります。そうする理由は後から説明します。

[1] をピンにセットしてその上に赤ベースを一枚セットし、カッターナイフ(カッター)で赤い部分のフィルムのみを必要な部分を切っていきます。ちょうど薄皮一枚切る感じです。カッターの刃は常に鋭く保つために作業前に折っておきます。カッターの刃は出来るだけ平面に対して 5 ~ 10°の角度にして優しく切っていきます。(鉛筆やペンのように持つと刃が深く入ってしまい、透明な部分も切ってしまうから)

で、できたものが下の図の [2]・[3]・[4] です。
一部そうでないものがあります。[2] の3ヶ所切ってある部分の右下。[4] の下側に赤い部分が残っている部分。それは [1] が基準ではなく違うモノを基準にしていますが、後ほど説明を…(こんなのが多いな^^;;)



この赤ベースを切って出来た状態のモノを「マスク」といい、必要な部分が出ている状態にします。このときに絵柄&色が隣り合っているモノはマスクを別にしなければなりません。たまに例外もありますが、基本的には隣り合っている部分を分けながら材料を出来るだけ少なくするように材料を用意する段階で全て考えて完成予想図が頭の中に描けた時から作業に入ります。(初心者の頃はそうではありませんでしたが…^^;)
後、作業がしやすいようにマスクの赤い部分に版下に書いてある指示を書き写しておきます。作業が非常にやりやすくなります。


っと、ここで文字がオーバーフローしてしまいました。


つづく