Minstrel

流離が人生

My country is Kabe.

2008-10-24 02:00:59 | Weblog
mixi 見てたら私が住んでいる町に観光に来られた方の感想が載っていた。

私の住んでいる町は「可部」という小さな町。その昔(江戸時代とか)は広島市内と山陰(石見・出雲)を結ぶ宿場町として機能していたらしい。子供のころに観光地の無い可部の町にどうして「宿」があるのか不思議だったが、そのころの名残りなのでしょう。
可部より奥(北側)からくる人は徒歩等で可部まできてここから広島市内へは舟で出ていたそうです。今の JR 可部駅のあたりが船着場だったそうです。
ちなみに荘園時代にはこのあたりは「漢弁荘」と呼ばれていたらしくいつの頃からは「可部」になったそうです。さらに話がそれますが、私が住んでいるところは荘園時代には「彌理荘」と呼ばれていたそうで、現在では「三入」という名に荘園時代の呼び名が残っています。

現在可部の町にある「旧道」と呼ばれている道は当時「出雲街道」と呼ばれていて町の中心あたりで「石見街道」が合流している道でした。そして古い町並みが残っていました(私が小さい頃まで)。が、今は半分も残っていないかな? 古くなった建物は新しく建て直されている。気を使って地味な外装になっているが、中には今風の建築物もある。私にとっては雰囲気もなにもない状態なのですが、可部の古い町並みを PR する写真はうまく撮ってあり、古い街並みがずっと続いているように撮影されています。
はじめて来られた方が町の人に
「古い街並みが続いているのはどのあたりですか?」
とよく聞かれますが、答えは
「ここです」
しかありません。

そういう外部から来られる方は古い街並みがだんだん無くなっていくことに
「もったいない」
とおっしゃり悲しまれますが、住んでいる方からすると公的援助もないのに古い町並みを維持していくのは大変なことになります。

実際に私はこの道沿いには住んでいませんが、同じような経験をしているので…


私の実家も古くて明治初期頃に建てられたものを昭和の初めに改築している家なのですが、大きな「蔵」が家の古さに拍車をかけています。私の父親がつい最近リフォームしたのですが、「蔵」が問題になりました。

住んでいる私たちにとって「蔵」は必要ないもの。蔵に入れておくような大層なものは持っておりません。すぐにでも壊してしまいたいのですが、周りの住民の方は「もったいない。残しときんちゃいやぁ。この辺で蔵が残っとるのはお宅だけよ」
と言われます。昭和初期にきれいにされた蔵の白壁(漆喰)は見るも無残にはげて地の土壁がのぞいています。土台はしっかりした造りなのでだいじょうぶだそうですが、漆喰等外装だけきれいにするだけでウン百万円かかるそうです。逆に蔵自体を取り壊すにも同じくらいの金額がかかります。長い間リフォームを考える時に必ずこの問題にぶち当たって延び延びになってきました。

今回、外装の美しさを度外視したリフォーム案(コスト優先)が業者から出てきたのでついに父親はリフォームに踏み切ったみたいです。

が、金属製で囲まれた蔵の外壁を見た方の感想は
「なんで、漆喰できれいにせんかったん。」

(じゃぁ、お金少しでも出してくれやぁ)
と心の中で叫んでいた Amon です。




という住んでいる住民にとってはいろいろな問題があり、古いものを維持していくためには(厭らしい言い方ですが)お金が必要なのです。その援助もないのに、ただ「残せ!」と言われても土台無理な話。

さらに別の問題も横たわっています。
古い家を維持する力が無くなった方が手放されて、それを企業が買い取りその古い建物をリフォーム or 立て直して店などをオープンされているケースです。

聞いた話ですが、組織を NPO 法人などにして周りの地域住民から寄付を募り、「一律●万円」と額を決めて半ば強引に寄付を引き出すそうです。そのために周りの住民とうまくいっていないケースもあるようです。(表には出てきていませんが…)


大人の事情の「利権」なども絡まると、収拾が付かなくなりそうです。が、JR 西日本さんなどは地元の会などと協力して「町並み見学ツアー」などを主催されたりしてがんばってらっしゃいます。この日曜日にその団体を見たので思ったことを書かせていただきました。





何の取柄もない小さな町(私にとってそう思えるのであって、誤解がないように…)ですが、その昔(私が生まれた頃)には全国に誇れる産業があったそうです。それは「五右衛門風呂」の生産が日本一だったそうです。大きな鉄工所が今もあります。



あ、そういえば最近見た映画で可部にある「ダイワジュウコウ」と同じ名前の会社が日本を征服する映画を見たな… タイトルは「ベクシル 2077日本鎖国」だったと思います。漢字が微妙に違いますが、実際にあるのは「大和重工株式会社」で映画の中では「大和重鋼株式会社」でしたね。2067年頃になるとこの可部にある一鉄工所が日本、いや世界の産業をリードする企業になるんですかね(笑)


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