オーケストラと四重奏の活動で手一杯という呟いているうちに
20代のキトキトな状態で山形へやってきた私も、あっという間に30代後半
おじさんに仕上がりました
山形Qでは、毎年必ず邦人作品に取り組み、尾崎宗吉の作品も何度か演奏し
その度に、手元にある「夜の歌」と「お百度詣」の楽譜が気になっていました
そんな折、それらの楽譜や作曲者に関する資料を発行に携わっておられる小宮多美江さんから、当団の倉田さんに連絡が入ります
「紺野陽吉という戦没した山形出身の作曲家についてなのですが、、、」
というお問い合わせでした
その後、紺野が白鷹町畔藤の出身である事が判り、山形Qでも山形初演や白鷹での公演を行い
庄内定期でも弦楽二重奏を演奏したりと、折に触れ紺野作品を取り上げてまいりました
そして何度も紺野陽吉の弦楽二重奏を演奏するうち、「いまリサイタルを始めなければ」という思いが胸の内に渦を作り始めました
20代のキトキトな状態で山形へやってきた私も、あっという間に30代後半
おじさんに仕上がりました
山形Qでは、毎年必ず邦人作品に取り組み、尾崎宗吉の作品も何度か演奏し
その度に、手元にある「夜の歌」と「お百度詣」の楽譜が気になっていました
そんな折、それらの楽譜や作曲者に関する資料を発行に携わっておられる小宮多美江さんから、当団の倉田さんに連絡が入ります
「紺野陽吉という戦没した山形出身の作曲家についてなのですが、、、」
というお問い合わせでした
その後、紺野が白鷹町畔藤の出身である事が判り、山形Qでも山形初演や白鷹での公演を行い
庄内定期でも弦楽二重奏を演奏したりと、折に触れ紺野作品を取り上げてまいりました
そして何度も紺野陽吉の弦楽二重奏を演奏するうち、「いまリサイタルを始めなければ」という思いが胸の内に渦を作り始めました