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まさか日本でカルチャーショックを!

日本で技術者→中国広東省にて日本語教師→日本で技術者復帰→技術者+?
旧題名:まさか私が日本語教師に!(NO.3)

私の計画管理手法

2016-04-20 22:35:33 | 日本語に関係する教育
本日仕事の一部である日本語教育的なことがひと段落した。
その報告文書をアップしたのが15時10分ぐらい前であったか。

自販機まで缶コーヒーを飲みに行って愕然とした。

朝まではホットがあった。
それなのに・・・。
おまけにいままで存在した無糖のホットはアイスとなったため準備中。

冷たいコーヒーだけならともかく、無糖も飲めないなんて・・・。

それはともかく日本と言う国はどうして夏になると自販機からホットが消えるのか。

高校生の頃から不思議でならない。


まあそれはともかく、これからもこんな仕事が時々来るのであろう。
それはそれで正直嬉しいのだが、その分他の仕事も追われることになる。

だがしかし、少し時間をかけてあれこれ整理していくと、逆に追われる仕事でも時間短縮ができる。

よく考えながら、少しだけ手間をかけるだけで、後の仕事がスピードアップ処理できる。

これは日本語教育の仕事で学んだことではなく、高卒後から中国に渡る2年前、帰国後からつい数か月前までの仕事で学んでいる。
時に帰国後にかなり技術の高い仕事をした時の経験こそ大きい。

ちなみに私の仕事の計画はどんな職種に就いてもけっこうマトリックス表的な表にて管理することが多い。
もっとも仕事の種類が多い場合はネットワーク式が一番いいのだが、十項目程度であれば、マトリックス表でも充分関係を把握できる。



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まるで工事工程表のような私の授業計画

2016-04-18 23:49:03 | 日本語に関係する教育
そろそろそれがひと段落するのだが、この2週間ずっと日本語の教育に関係したことを行っていた。

仕事中に教案も教材も作っているので、けっこう大変なのだが、それでもやってしまえるのはその仕事が好きだから。

もっとも日本語教育に進む前から、仕事上でなぜか教育的なことをする羽目になっていた私・・・。

これは持って生まれた定めなのかもしれない。

ちなみに、計画が計画通りゆくことはない。
授業(?)中にとっさに変えれば、後の計画も変えざるを得ない。
そしてそれを進めてゆくと、さらに変えることになる。

まるで計画工程表と、変更工程表、実施工程表の世界・・・。
だが、そういう変更調整も嫌いではないから成り立つわけで・・・。


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感覚を大切に

2016-04-15 22:09:33 | 日本語に関係する教育
中国の日本語学校で教えているとき、N2は受験者の9割以上は合格できるのに、N1の合格率は1割~5割になることが歯がゆかった。

ましてや私は中国での後半は中・上級が専門であったわけで・・・。

しかし、自慢しておくと、試験はともかく話せる比率はかなりのもの。
卒業後に大学出でN1保持者の通訳さんよりも、私たちの下で中級まで勉強してN2しか持っていない方のほうが話せる・・・ということはよくあった。

もちろん大学での方のすべてがそうではなく、当然話せる方も多い。

現在の私は日本で様々な国の方の日本語を聴く機会が多い。
そこで感じることは、「どの機関で勉強したか」ではなく、やはり「何に比重を置いて勉強したか」だと感じている。

先日も日本に来る3か月前に独学で勉強を始め、日本に来てまだ半年程度であるのに、私がどのように難しく話しても理解してしまう方がいた・・・。
もちろん話す能力の方もたいしたもの。

そして中国でも日本でも驚くことは私に「日本語母語話者と話しているような錯覚を与える方もいるわけで・・・。

もちろんアニメなどの影響もあるのかもしれないのだが、私が自分勝手に感じることは「感覚」の問題ではないかと。


現在の私はオフィスの中にいることがほとんど。

だが私は現場を知らずしてはいけないと考えている。
そしてますますその気持ちが強くなってから、たまに現場でリアルな状況に立ち会える機会が何度かあり、とても有り難く思っている。

自分が3K現場の出身だからだというのもあるのかもしれない。

ただ・・・。
16歳になるまで車やオートバイ、銃などにまったく興味のなかった私がなぜ故大藪春彦氏の小説の世界にのめり込んでいったかといえば、(国際的な視野もあるのだが)やはり己の感覚を大事にするというところなのかもしれない。

例えば『汚れた英雄』の主人公北野晶夫が必ず自分の脚でレース場を歩き確認する。

当時高校生であった私は大いに共感できた。
自分の脚で歩き、自分の手で触り、鼻で匂いを嗅ぎ、口で味わう。
そして感覚を知る。

これがすべての基本ではないのか。

現場がわかるから、何か微妙な違い、雰囲気が読めるのである。
現場を知っているからこそ、直感で何かの異変を感じるのである。
それは何も超能力ではなく、人間が元から持っている能力。

それは外国語習得にも当てはまるのかもしれない。



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ヘトヘトだけど楽しい

2016-04-07 22:45:36 | 日本語に関係する教育
本日。
絶対にしなければならない仕事だけ行った。
もちろん他の仕事もしなければいけないのだが、どこかで取捨選択をしないと体がついてゆかない。

そして浮かせた時間に何をしていたかといえば、教材と教案の作成。

今の本業は日本語教師ではない。

ただ、今までのすべての仕事の経験と中国に住んでいた経験が生きる仕事をしているわけで、どこかで日本語教育にも関係しているわけで・・・。

というわけで(よくわからないとは思うが・・・)1年10か月ぶりに久しぶりに日本語に関係した授業(?)を始めたのが月曜日。

昨日やっとテキストが手に入ったので、その中の使える部分を拾いだしながらの準備に仕事時間の約40%を費やした・・・。
(授業が仕事時間の20%弱なので、合計半分以上。)

おまけに昼も優雅にほとんど1時間楽しんでいる。

今の会社に入った時(違う部署にいたのだが)、とある講師を頼まれて、仕事中に丸一日他のことをそっちのけで1週間分の教案を仕上げたことがあった・・・。
偉いさんが前を通ろうが、まったくお構いなしで。
(やれということをやるのだから、文句は言わさない。)

教えたことがない方にはわからないと思う。
何かを教えるにはそれなりの準備が必要だということが。

その準備だが本来はいくら時間があっても足りない。
しかし、時間をかけ過ぎると、他の仕事どころか生活にもかなりの影響を与えてしまう。

今回、それをやることがとても大事なので、本日かなりの時間を割いた。

だが、日々の授業後はやはりそれなりの計画立て直しが発生する。
毎日その修正だけでも1日の仕事時間の5%必要。

というわけで(ただでさえ忙しいのに)かなり忙しい。
そしてかなり疲れがたまる。
しかし、楽しい。

やはり一番好きな仕事だけのことはある。



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私の教師能力は自分だけの力ではなく・・・

2016-04-05 22:54:33 | 日本語に関係する教育
月曜から仕事上で(純粋な日本語教育ではないが)外国籍の方に日本語を教えている。

先日から記していたテキストなのだが・・・。
そういう代物は存在しない可能性が高まった・・・。

提示されたものはとっくにネットから探し当てて使っているし、それがテキストというのであれば、我々が短時間で作り上げる練習用の資料もテキストとして金を取ることができる・・・。

別に私が1日の仕事でそれだけをしているのならば、いくらでも教案及び教材を作ることができる。
だが、仕事は他にもたくさんあり、多くの方と同じで始業前からどっぷりと仕事をしている。

本日も昼に教案と教材を仕上げるつもりでいたのだが、あまりショック(?)に11時過ぎから他の仕事を投げ捨てて40分かけて作り上げ、久しぶりに同僚たちと社食でランチを楽しんだ。
(私のいいところのひとつ。)


ちなみに教材であるのだが、ただ単純に作っているわけではなく、さりげなく「突然現れる高い難易度」や「落とし穴」を混ぜ込んである。
そういうわけで「こんなの簡単よ~」と授業を受けていると「あれれ・・・」となる。

我ながら「俺って性格悪いなぁ」と思うのだが、その分楽しめる内容も盛り込むし、相手の疲れ具合を見て、突然の笑いも放り込んでいる。

ちなみに私はすべてのレベル、すべての分野の授業(ができると自惚れている・・・)に対応できる。

だが、専門は中・上級。

本当は日本語教師の勉強を始めた時も、中国に赴任した時も初級のプロになりたかった。
それは日本に戻ってから、ある方面で教えることを意識してのこと。

それなのに恩師のひとりの予言(?)通り、いつしか私は中・上級専門となったし、最後の4年中の3年半は代講以外では初級を教えていなかった。

そんな私も中国を離れる前に、初級と上級を同時に受け持つという頭の混乱することを行った。
もっともそんなことは(みなさん同様に)初めてではなかったのだが・・・。

今思えば、私はかなり恵まれた授業経歴を積んできたことになる。
中国でプロの日本語教師デビューをして2か月目にはすべてのレベルを意識せざるを得ない状況に追い込まれた。
(初級をやりながら、中級が終わったクラスに上級入り口とビジネス日本語を教えることになった。)
3年目終了までには初級、中級、上級、ビジネス日本語、大学日本語専門科目とほとんどを経験している。

また、中国で教えていると、ネイティブ教師は文法を教えることが少なくなるのだが、文法もそれなりに自信を持っている。
それは(仕方なくなのだが)それを把握しないといけない状況下を経験し、授業で文法にも触れてきたので。

そんな(思いっきり自画自賛うぬぼれ天狗教師の)私が教える日本語。
私のようなトロい人間がなぜこんなことができるのか不思議に思えることも多い。

まるで誰かが私を遠隔操作しているような感覚・・・。

(こんな自画自賛鼻高々先生に教えられる学習者も迷惑であろう。)



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