18年前、中国で日本語を教えることになった。
1年で帰国するつもりでおり、日本帰国後は初級を専門として工場などに食い込む考えでいた。
ところが、1年では帰れなくなってしまった。
その理由は当時教えていた高校生の年齢のクラスには私が必要であったので。後にそのクラスのうちの精鋭と大人のクラスの合同には上級を教えることにもなった。
その初めての上級はとにかく準備が大変であり、夏の終わりから晩秋の約3か月土日も事務所(職員室)で準備をしていた。
その前にある種の布石がなかったわけでもないが、それが始まりであった。
そして、中国で日本語を教え続けるうちに、いつの間にか中・上級専門となってしまった。
もちろん初級もけっこうな数を経験していたし、日本に戻る直前も(上級を教えながら)初級を教えた。
と、初級へのこだわりも記してみた。
何度かこのブログに記しているが、レベルは一応初級から上級、ビジネスまで、教科としては文字語彙、読解、聴解、会話に加えて、中国で教えたネイティブ教師としては珍しく文法も自信がある。
しかし、それは中国で中国語ネイティブの中国人やノンネイティブだが、普段生活で中国語を使っている中国人(多くは少数民族)の方々に教えていたに過ぎないのである。
つまり、「私は様々な国や地域から来た方々がいるクラスで教えることができるのであろうか」と考えるわけで・・・。
中上級ならばまだともかくとして・・・。
これ(直前二段落)については、先日私の仲間で今も現役の日本語教師にも吐露しているのだが、信頼できる仲間の話を聴き、言葉を教える以前の苦労も現れることを改めて知った。
その話で昔を思い出した。
前述の高校生のクラスで当初は「俺って言葉の教師ではなく、まるで生活指導の先生じゃん・・・」と何回思ったことであろうか。
ここで少々話は変わる。
昨年(2022年)の晩夏ぐらいからこのブログに「日本語を中国語や英語で教えるとどうなるか」と記すことが増えた。
ただ、その需要の多くは初級から中級の橋渡しぐらいまでであり、中級や上級では少なくなるに違いない。
実際にYouTube等を活用していらっしゃる教師の作品を見ていてもそれを感じる。
つまり、外国語で日本語を教える場合、その多くは初級なのではなかろうか。
[初級にこだわった表現をすれば、多くは初級なのかもしれない・・・。]
ただ、一回に教える人数は直接法よりも減る可能性があるため、学習者と教師のマッチング度という問題も現れるに違いない。