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まさか日本でカルチャーショックを!

日本で技術者→中国広東省にて日本語教師→日本で技術者復帰→技術者+?
旧題名:まさか私が日本語教師に!(NO.3)

日本語は母音をはっきりと発音するので・・・

2017-11-21 21:12:39 | 日本語に関係する教育
私はそれほど中国語が上手なわけではない。
英語もあまり得意ではない。

ただ子供の頃から多言語に興味があったこと、夜学で中国に関係したことも勉強し、30代後半に日本語教師として海外(中国)に渡ったことなどから、日本語の外来語の発音において、語末の母音がはっきりしないことがある。
それは特に英米言語で語末に母音がない場合において顕著である。

しかしそれだと日本語母語話者に通じないことがある。
確かにおじさんおばさんに対してその傾向が強かったのだが、時に20代や30代の方にも通じないことがあり・・・。
これは20代の頃からであり、実に不思議に思っていた。

だが昨晩 YouTubeで“Tokyo Bon 東京盆踊り2020 (Makudonarudo) Namewee黃明志 ft.Meu Ninomiya二宮芽生”を見て「なるほど~」と思った。

中華SNSに比べて極端に友人やフォロワー数が少な過ぎるFacebookにも書き込んでしまったぐらいであった。

日本語と言うのは母音もはっきりと発音しないと通じないことがある。
もちろん母音が消えることも多い。
たとえば「おはようございます」を標準語で言った場合の「す」は“su”ではなく“s”であり、五十音のゼロ初級から初級第1課にかけて必ず指導していたことでもあった。

しかし日本語母語話者のそれなりの学歴がある方でさえ、中国語などの人名や地名の末尾の“ng”音を「ング」と読むことも多いのである。

英語を勉強すれば、そんな地名や人名に触れることも多いと思うし、それ以前に“~ing”もあるのだが・・・。

ただ我々はたまたま外国語に興味があったというただそれだけの違いなのかもしれない。


(今晩もコンビニで間違われているのだが)私が日本人的な顔立ちでありながら、よく外国人に間違われることのひとつの原因に話し方もあるのかもしれない。
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多数の前での習慣

2016-05-17 21:36:33 | 日本語に関係する教育
2年前の今頃は真剣に部屋を片付けていた。
夏に帰国するのだから、別に慌てなくてもいいとは思った。
だがしかし、この慌てふためいた行為は正解となった。

片付けるものは部屋のものだけではなく、学校に置いてあるものも・・・。

これもけっこうな量であった。
問題集などは上司に無料で譲って来た。

お金があれば、何か月もかけずに処分することができる。
それ以前に市の郊外の村の奥にあるアパートにひっそりと(?)住んでいたのでなければ・・・。
本来の私は本当に大人しい・・・・・・・・・???


さて本日の話題は・・・。
私は普段仕事で様々な外国の方と会う。
だが本日は久しぶりに一度に多くの外国の方と会った。

その時感じたこと。
それは「あぁ、俺やっぱり教師の仕事が一番好きなんだなぁ」ということ。

別に何かを教えたわけではない。
おまけに突然のことで(仕方なくほとんど)何の準備も無しに大勢の前に立った。
だが、とっさに口から飛び出た言葉はやはり自分の立場よりも、相手のこれからを意識したものであった。

ちなみに私は(今でも)けっこう口下手なほうだと思っている。
(↑みんな信じてくれないのだが・・・・・・)
さらには言葉の教師はあまり多くを話さない。
あくまで学生の口を開くことが第一。
講義形式の授業ならともかく。

それでも本日は話さなければならなかった。
話さなければ、そこに立っている意味がないので。

しかし、緊張していても学生の顔をひとりひとり眺めているのだから、習慣というものは恐ろしい・・・。



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常に新しい情報を得る

2016-05-14 18:24:55 | 日本語に関係する教育
中国で日本語教師をしていた時もやはりインターネットで拾える情報には助けられた。

一番ありがたいのは純粋な日本語教育とは離れた内容を教えなければならなくなったとき。

例えばビジネスマナーだとか。

しかし自己研修のひとつとして本当の意味でネットを活用し出したのは、中国生活も2年が過ぎてから。

ちょうど2年教えた学生たちが巣立って行った直後。

己の授業スタイルを見直し始めた。

その後すぐに学校側からも日本人教師の教え方についての要請があったため、さらに深く追求するようになった。

そして2年半で他の学校に移動してからは、もっともっと真剣に活用し始めた。
教育機関が変われば、教え方も変わる。

中国生活3年数か月に古巣に戻った時はまだ日本人同僚がいたのだが、3年8か月後にたったひとりの日本語教師となったとき、日本語に限らず様々な外国語教育関係者のブログなども拝読させていただくようになった。

4年7か月後には中国で最後の上司となるお二人の下で働くようになった。
そこから日本に本格帰国するまでの間はもっと貪欲であった。

同僚の授業見学やネットだけでも追いつかない。
幸いなことには学校・企業団地内に学校があったこと。
授業の空き時間に事務所で教案などを作成中、散歩に出かける。

英語の授業などあれば、ラッキー。
いや数学だろうが、マルクス経済だろううが関係ない。
廊下を通りながら、さりげなく観察。

中国生活は8年9か月弱で終わったのだが、そのうちのほとんどはネットのお世話になっていた。

教師たる者常に自己研修をし続けなければならない。


スポーツの世界を見ればよくわかるのが、昔の常識は今の非常識だということは多い。

であるから、常に最新の情報が必要となる。

だが、気をつけなければならないことがある。
それは決して鵜呑みにしないこと。

仮にとても素晴らしいテクニックだとしても、教える場所が違えば条件は違ってくる。
いや、それ以前に己の解釈が間違っている可能性もある。

中国時代に国籍を問わず、よく同僚の教師から聞いた言葉は「○○先生がそう言っていたから」だとか「有名な※※先生がネットでそう記していたから」・・・。

おそらく〇〇先生も、※※先生もそういう意味で言っているわけではないと思うわけで・・・。

つまり文字情報にせよ、映像付きの情報にせよ、必ず意味の取り違いは発生するのである。

それ以前にテレビの娯楽番組のように、楽しくさせるためにある部分を強調させていたり、その細部を知らずに外面だけを見てコメントしていることがあるとしたら?


(最近己に字数制限を与えているのだが、本日はこのまま続ける。)

今私は時々普段の仕事以外に「日本語に関係する教育」もしている。
だがそれは純粋に日本語教育ではない。
おまけにほとんどが私の知らない世界で必要となることを教えるのである。

今の職種に移って、当たり前だが休みの日にそういう場所に出かけ、実際のものを肌で感じるという自己研修もやっている。
さらには「日本語に関係する教育」の各種情報もその現場を観察して生の知識を仕入れている。

当たり前のことなのだが、どんな仕事もプライベートタイムに自己研修することは必要。

限られた貴重なプライベートタイムをリラックスして過ごすため、夫婦や家族、カップル、友達との大切な時間を作り出すためにも、どこでどのような形を用いて自己研修するのかはとても重要な課題となる。

仕事にもよるのだが、オン・オフをはっきりさせるのが一番よい。
(日本語教師などけっこうオンとオフが入り混じっているのだが・・・)

ちなみに私の手法なのだが、手で記す、OA機器に向かう、ただ目でと耳の身を使うなどはともかくとして、ビジュアル的に一瞬で覚える。

もちろん40代後半、50歳手前であり、かなり頭の回転は低下している。
昔楽々できたことが、今は時間がかかったりする。

だからこそ鮮烈的なイメージとして残るようにしている。

例えばメモなど文字情報なのだが、それをビジュアルで覚えられるように2.5次元で記している。

ひとつ鮮烈的なイメージを思い出せれば、前後を思い出せるもの。
神経細胞のつながりのような感じかな。



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外国語で仕事をする大変さ

2016-05-13 22:52:33 | 日本語に関係する教育
日本語に関係する教育。

触れるのは日本語だけではない。

日本語教育だけでも難しいのに。


仕事で日本語を使う。
実は私にとっても難しいと感じる・・・。

(ちなみに私は日本語ネイティブで日本語教師でもあったりする・・・。)

実際私が様々な仕事でフルに外国語を使うと考える。
そんな状況などもう6年ぐらいやっていない。
今それをやれば、まず半日もかからずに熱が出るに違いない。

現在それをやっているひと月前に教えた方も、中国で自分が教えた学生たちも凄いことをやっているものだと改めて実感した昨日。
おしゃべりの外国語と仕事の外国語は違う。
それは単に外国語だけの問題ではないのだから。

大変だと思う。
だが、支えてくださる方がいるということは、努力されている方の人間性が素晴らしいからではなかろうか。



実は今晩もっとまともなことを記すつもりであった。
だが、私は本日の昼から心が違う場所に飛んでおり・・・。
(仕事中にも、外国の方の話すまともな日本語の意味を取り違えている。)



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目の鋭いパワハラ教師

2016-04-25 21:41:33 | 日本語に関係する教育
私は人見知りをする。
よく教師をやっていられたものだと自分でも思うのだが、私の場合一対一よりも大勢を相手にする方が緊張しない。

大勢を前にすると逆に「俺を見ろ~」的状態になる。

笑わせてなんぼ、そしてそんな人間が決める時はしっかり決めるというギャップを作り出して楽しんでいる・・・。


先週まで「日本語に関係する教育」をしていた相手の方が本日も言っていた。
「とても楽しかった」と。

これはマンツーマンでのレッスンであった。
つまりけっこう緊張していた。
相手よりも私の方が・・・。

私をよく知っている方々はわかると思うのだが、私はけっこうきつい。
授業で泣かせてしまうこともあった。

だからこそ普段の私は笑いでそれを隠している。

私の授業を見たら「この人ホンマに日本語教師なのであろうか・・・」と思うに違いない。

私は中・上級専門なのだが、初級の授業、それも五十音で学習者を笑わせることができる。
それも日本語だけで。
今でもそれは自信がある。

所々に笑いを入れることができるので、ある程度きついことを課してもついてくる。
それどころがきついことに気づかない場合もある。

(教案作りながら、笑いも考えていたりして・・・。
おまけに学習者の様子を見ながら、とっさに笑いを入れることも多い・・・。)


私は自分でも目が怖いと思っている。
そしてある状況下では時々とても緊張する・・・と言われることもある。

だが、自分ではとても優しい心の持ち主だと思っているわけで・・・。

それが証拠に、今では「あそこに優しそうなおじさんがいる。写真を頼もう」だとか、人によく道を訊かれる。

それでも中国に赴任してしばらくまではホントに目が鋭かったと思う。
当時の写真を見ても、わかる。

最近その時の同僚に言われた。
初対面の時、するどい視線だった、と・・・。
(先にその話を振ったのは私だが。)

それはそうであろう。
自分の退路を断ちきって、中国に渡ったのだし。

そんな自分を変えてくれたのは、当時高校生ぐらいの年齢であったクラス。
最初は本当に怖がられた。
「※※先生嫌い!」という学生がほとんどであったに違いない。

道理から外れたことは許さなかったし。
(今でもそれは大嫌いだが、世の中には様々な方がいることだけは理解しているつもり。)

だが、いくら正しいことをしていても、相手の心を考えなければならない。
そうでなければ、パワハラに等しい。

赴任して1か月後に、ゼロから第6課まで教えてクラスを外れて担当したクラス。
本当に道理を言うものを知れなかった。

いや、私も教育の道理を知らなかったに違いない。
1年もしないうちになついてくれた。
というより、先輩たちの何人かが帰国した後、私しかそのクラスを教えることはできなかったに違いない。

どういうわけか2年も教えた学生たち。
彼、彼女たちがいなければ、今の私はいない。

高等教育を受けていたり、社会人経験がある学生を教える方がよっぽど楽。
それなのに私は今でも「何も持っていない方々」に教えたい。



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