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まさか日本でカルチャーショックを!

日本で技術者→中国広東省にて日本語教師→日本で技術者復帰→技術者+?
旧題名:まさか私が日本語教師に!(NO.3)

日本語教員試験一週間後に

2024-11-23 22:53:09 | 検定試験

先日アップした記事

日本語教員試験

その続きである。

 

↓以前の記事の抜粋開始↓

追加

日葡辞書というかキリシタン関連は出ると思っていた。

また、統計学も間違いなく出題されると思っていた。

これらについては別の機会に記したい。

↑以前の記事の抜粋おわり↑

 

と記した。

 

まずは日葡辞書を含むキリシタン版の問題について。

宣教師が日本に来て、ポルトガル語やラテン語だけでキリスト教を広められるわけもなく、ある程度の日本語を身につける必要があるかと思う。

それ以前に言葉がわからなければ、生活は難しい。

言葉だけでなく、文化、風習もわからなければならない。

また、当時の日本語がわかるものでもある。

そう考えると、日本語教育を行う者としては知っておきたい知識になる。

 

私個人としては約20年前約21年前に仕事を辞めて日本語教育の勉強を始める半年前に長崎を訪れている。

当時隠れキリシタンに興味があったのだが、展示されているローマ字の資料に心を動かされた。

後に何度も訪れることになったマカオで当時の日本人信者の痕跡に触れたことから、キリシタン版は日本人信者の外国語教材にもなったであろうと考えていた。

 

次に統計学について。

登録日本語教員の資格を持つ者がどこで教えられるのかを考えると、当然試験を実施する側となる。

こういう方は少ないであろうが「偏差値って何?」では教師をやっていられない。

それを考えると、当然試験で問われる内容ではなかろうか。

ちなみに私自身は技術者でもあり、統計について簡単な知識は持っている。

そう、本当に「簡単な知識」しか持っていない。

つまり、日本語教育能力試験に出てくるそれらの問題のすべてに正解しているわけではない。

 

と、この2つを取り上げたのは他の理由もある。

 

日葡辞書が現れたキリシタン版の問題ではくどくどと質問されており、思い返すと「間違えた!」という設問がある。

Xにも似たような表現があったと思うが、一種の問題の偏りを感じる。

 

また、あくまで私の個人的な意見ではあるが、無効になりそうな問題がいくつかあったように思える。

 

さて、前回の記事でも記したのだが、私も日本語教員試験の基礎試験で8割取得している自信がない。

ただ、7割は超えていると感じている。

ここで「私も」と記したのはXを見ていて、8割は難しいと思ったが、7割は・・・と感じたのは私だけではなかったことを知ったからである。

(とはいえ、8割を超える方は間違いなく現れるであろう。)

 

得点調整に期待する方は多いと思う。

1回目の試験であり、比較するものがないため、どのような得点調整になるのかわからない。

ここにも統計学の知識は必要になるに違いない。

ただ、私のブログで平均点がどうたらこうたらとかの内容は似合わない。

 

というわけで、とても簡単に考えてみる

仮に3問無効にする問題があったとして、単純に80点からその3問分の得点数が引かれる。

あくまでとても簡単に考えた表現であることを記したうえで、ここで80%以上というハードルが若干下がることになる。

 

試験中にそんなよそ事を考えながら、問題を見直していった・・・・・・。

できない問題がある場合、それにしがみついている時間もなく、他で稼がなければならない。

 

つまり、試験中におかしな問題にイラッとしている余裕などないのである。

 

まあ、試験が終わって1週間となる今、「あとは結果を待つだけ」。

試験問題が手元に残っていないわけであり、見直すこともできないのだし。

 

ちなみに、試験問題が回収される試験はたくさんある。

消しゴムのケースを外す試験も多い。

語学試験でも同じこと。

私の経験だと、鉛筆のキャップを外すように指示された外国語試験があった。

それを思いだし、今回は自主的に外しておいたが、こちらは検定試験同様付けていても何も言われないらしい。

 

最後に。

私が受けた試験会場では聴解もしっかり聞こえたし、試験監督官もとてもしっかりとしていた。

この辺は感謝している。

 

ただ、すべての荷物を机の下におけるわけもない。

当日の私は仕事によるひどい疲れの問題から車で来ていたので、荷物は小さめのリュック一つであった。

(車は数駅離れたコイン駐車場に停めた。)

また、当日は暖かく、長袖シャツに薄手のブルゾンを着ているだけであり、コート類をかばんに押し込んだり、床に置くこともなかった。

 

それでも明らかに遠方から来ていたと思われる方もいたわけで、大きな荷物を椅子の下に置くことなどできない。

3週間前の検定試験では後ろの方に置いても良いという指示もあったが、今回聞かなかった。

 

他にも記したいことはあったのだが、とりあえずここまでにしておく。

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日本語教員試験

2024-11-18 23:05:20 | 検定試験

令和6年度日本語教員試験

(それなりに有名な先生も基礎試験から受けに来ていたところに敬服。)

 

基礎試験

簡単に感じる問題も多かったが、選択肢が絞れない問題もそれなりにあった。そのため意外に苦戦した。

その苦戦は見直しのときに(このような表現にしておきます→)「??」の問題を含めて、7、8問マークを修正したところに現れている。

 

問題の得点は7割を超えたと思うが、8割あるかどうか・・・・・・。

ただ、日本語教育能力検定試験の試験1よりもゆったりと見直しできる時間があったことは記しておきたい。

 

応用試験

応用試験Ⅰ(聴解)、応用試験Ⅱ(読解)ともに簡単で楽に6割以上取れているはず。

聴解の最後の5分程度の余裕時間は(個人的には)不要だと思う。

また、読解に100分も要らないと思った。

楽に2回見直せて、なおかつ時間が余り、寝ようかと思ったが、疲れでいびきが出るといけないので再度見直した。

 

聴解と読解の間が短く、女性の方はトイレが大変だったであろうこと、試験終了から退室許可まで時間がかかることを考えれば、読解の時間を削って、聴解と読解の間の休み時間を増やしたほうが良いかもしれない。

(遠方から来ている方のことも考えて、決して後ろには伸ばさないで欲しい。)

 

総評としては「応用問題を簡単にしているところに含みを感じる」。

 

問題は楽しかったけれど、一見して「疲れ目かな」と数回見直した表現があったが、「故意なのかしら」。

それとも・・・?

 

基礎試験で「得点は7割を超えたと思うが、8割あるかどうか・・・・・・」、応用試験でも「楽に6割以上取れているはず」と記した。

カウントしなくても、それを肌で感じたところは他の国家資格の試験に近いと感じる。

 

追加

日葡辞書というかキリシタン関連は出ると思っていた。

また、統計学も間違いなく出題されると思っていた。

これらについては別の機会に記したい。

 

今年は予定よりも仕事に追われてしまい、年頭に立てた計画通りには勉強できていなかった。

ただ、前日土曜日と前週の土日と休めたので、じっくりと「日本語教育の参照枠」と「国内の日本語教育の概要」に目を通す時間があったことはラッキーであった。

 

どうでも良い話。

仕事で疲れが残っていたこともあり、公共交通機関での乗り換えで体力を消耗したくなかった。

そのため、車で来ており、少し離れた安めの駐車場に停めてあった。

すぐ近くにコンビニもあれば、(使う、使わないはともかくとして)地下鉄の駅もある。

会場近くに同じ値段の広い駐車場があることはわかっていたが、そうなると会場から一番近いコンビニを利用することになる。

それは品不足となる可能性もある。

だいたい11月のこの週に行う試験は他にたくさんあり、私が受験した大学でも、いくつかの試験の会場となっていた。

近くの大学でも有名な国家試験があったはず。

また、早朝に自宅近くコンビニで買うと、前日の配達の品が残っていることもある。

ただでさえ仕事で体力を消耗しているわけであり、出来るだけ新鮮なものを食べたかった。

(コンビニで新鮮を求めるのもどうかとは思うけれど。)

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今年の試験は受けないけれど

2022-10-15 23:01:06 | 検定試験

来週日曜日(2022年10月23日)は日本語教育能力検定試験である。

一応新型式となるので、受けたほうが良かったかと思う。

 

(2018年に「これが最後。二度と受けない」と公言し、精神的に追い込まれるまで勉強し、受験したが、数点差で敗退。それなのに、2020年に公認日本語教師が気になり、吐いた唾をもう一度飲み込んだ。しかし、敗退し、「現行の試験では受けない」とのたまったズルいおっちゃんがここにいる・・・。)

 

だが、今年は会社の籍も移動したので、そちらに慣れることが優先となる。

つまり、資格試験の類は何一つ予定していなかった。

 

公認日本語教師を考えると、受けておくべき試験であろう。

 

だが、「今まで合格していないわけであり、このままの状態でさらに勉強しても改善されないはず」という大問題が存在している。

 

これでも昔はけっこう資格マニア的なところがあり、国家資格をけっこう持っている。

であるから、帰国後も何とか親を養うことができている。

 

そんな私が帰国後に合格した試験の中ではHSK5級が最高レベルとなる。

 

明らかに物覚えは悪くなっている。

だが、中国語も英語も帰国後のほうがレベルアップしているわけであり、すべてに対する能力が低下したわけでもない。

 

それでも今の仕事を考えると、日本語教育能力検定試験へのトライは健康にもかかわってくる。

どんな仕事も決して楽なものはない。

 

仮に楽な仕事があったとしても、それは人生の中のほんの短い間のことだけであり、以降それを続けるとしたら、血反吐を吐きながら自己研修していくことになると自分勝手に思っている。

 

ただ、今の仕事は「いくら親を養うため、自分の老後のために選んだものだとはいえ、決して嫌いな仕事ではない」。

元々私は世のため、人のために働くことを夢見て努力してきたわけであるし。

 

まあ、日本語教育能力検定試験またはそれに代わる新たな試験が登場するにせよ、いつかはまた受ける日が来るであろう。

 

さて、

 

今年日本語教育能力検定試験を受ける方々へ

応援しております。

努力の結果が実ることを願っております。

ただ、お体を大切にすることを忘れないようにお願いいたします。

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俺馬鹿だからさ、正直に記すんだわ・・・

2020-12-27 21:51:33 | 検定試験

令和2年度 日本語教育能力検定試験

やはり試験Ⅰの点数が良くなかった。

平均点より上ではあったけれど。

試験ⅡとⅢはさほど変わらず。

 

私はとてもお馬鹿な男なので正直に記すが、今回も敗退。

前回受けた平成31年度は数点差で敗退であったのだが、今回は見事に試験Ⅰが足を引っ張り完敗である。

(私の日本語教育の恩師たちや中国語の恩師の顔に泥を塗っていることは申し訳ないと思っている。)

 

感想:私より頭が良い方々が落ちているところを見ると、みなさんも試験Ⅰでの動揺が大きかったのであろうか。

私は試験Ⅰを頭から解いていったわけではないのに、その動揺は試験Ⅱの最初まで響いた。

 

恥ずかし過ぎて「今まで何回受けているか」までは記したくないけれど、後の文章のことを考えて記すと、これで9回目・・・。

(中国赴任前に3回、中国赴任中に1回、帰国後続けて3回、1年おいて1回、1年おいて1回。)

 

ただ、これは堂々と記したい。

二度と現行の日本語教育能力検定試験を受けることはないと思う。

(世の中に文字通りの絶対も多くはないので、せめて「現行の」ぐらいは記させておくれ。)

 

今年受けた理由

 

1.受かっても受からなくても平成31年度を最後にすると公言したのに、恥も外聞もなく今年受けたのは国家資格としての公認日本語教師という資格への布石としてであった。

しかし、その公認日本語教師というものも怪しくなっているのであるから、私はクソ忙しい状況下で踊らされてしまったのかもしれない。

(落ちたのは自分の責任であることは認めるけれども。)

 

2.“1.”に付随するのだが、堂々と胸を張って「オラ日本語教師だ~」と言える資格が欲しかった。

もちろん私は420時間を終了しているのだが、おそらくそれは現行基準を満たしていないであろう。

(それを行っていた機関はすでに420時間養成講座から撤退しているので、そんな昔のことを訊いても教えてはくれないであろう。)

別に私が手にした終了証が無効になっているわけではない。

(その1年間お金を使った資格が無効になるというのであれば、私だけでなくかなりの人数が大きく声を上げるであろう。勉学のために使うお金は学費だけではないし、それ以前に費やした時間の問題は大きい。)

 

3.日本語教師に戻った仲間たちに一歩でも近づきたかった。

 

この辺りに何か試験に対する情熱が不足している部分が隠されていたとしたら・・・。

 

 

さて、今後であるのだが、何らかの形で日本語教育に携わっていく気持ちは変わっていない。

ただし、その形態は「日本語教師」と聴いてイメージする一般的な形にはならないであろう。

 

ちなみに、自分の夢を達成できない理由として(行動計画を勉強したことがある私が)最大の要因を3つ記すと、

1.何かを間違えている。

つまり、最新の正しい方法で行動していないということ。

 

2.今はその時期ではない。

 

3.これから先も自分に必要がない。

 

特に3つ目は今までに何度も感じている。

それでもこの資格は欲しかった。

だが・・・。

 

わかり易く記すと、これほど様々なものを犠牲にして勉強しても合格しないということは私に与えられた使命から外れている可能性も高い。

 

実際自分でもそこまで頭が悪いとは思っていないのだし。

教師として中国で自分がしてきたことを見ても、今の仕事で行っていることを見ても。

 

それを考えると、今既に私が持っている物事に目を向けたほうが良いのかもしれない。

 

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最後に。

 

令和2年(2020年)度 日本語教育能力検定試験に合格された方へ

「おめでとうございます!」

努力が報われて良かったですね。

元日本語教師として、日本語教師仲間が増えることを喜ばしく思います。

 

合格されなかった方へ

「心中(しんちゅう)お察しいたします」

残念でしたね。悔しいですよね。

忙しい中、時間を作って勉強し、コロナ禍の中時間をかけて試験会場まで行ったのに。

 

しばらくは落ち込んだり、泣いて過ごすことを止められないかもしれません。

私も何度も何度も落ち込みを経験しています。

特に、平成31年度と今回の令和2年度は悲しみも大きく情けないです。

 

ですが、いつまでもメソメソしていてはいけないと思います。

 

気持ちを切り替えて、来年以降の受験へと繋げたり、違うものを選択するなど、未来へ歩き出さなければなりません。

 

今はまだ先のことなど決められないとおっしゃる方は少し休憩されることをお勧めいたします。

 

年末年始のお休みがあるならば、少しは自分のために飴を与えるのも良いかと思います。

 

 

日本語教師経験者が自分のブログで自分を辱めることで救われる方々もいらっしゃるとすれば、私が落ちたことがみなさんの役に立ったことになるのかもしれません。

 

実際、昨日土曜日に「えっ、来週になると思ったのに・・・」と思いながら、見つめた(一見してわかる)不合格通知へのショックはかなりのものでした。

 

それでも今回は本気で腹をくくっておりましたので、昨日の記事で「本日、今までずっと気にかかっていたことからやっと解放され、のんびりとせんべいを食べながらテレビを見つつ、スマホをいじりながらも次の行動計画を考えていた」と記しました。

 

本日の記事を上げなければ、私が合格したと誤解された方もいらっしゃったかもしれません。

 

それでも、一応10年近くブロガーを続けることができているのも、神というか自然というか、宇宙というかわからない目に見えない存在から私に与えられた使命のひとつなのだと考えた場合、はぐらかしたままで過ごすのも良くないと思いました。

 

「私の人生はまだまだ続きます」

これからもくだらない文章、拙い文章、すぐに話が飛ぶ文章とお付き合いくだされば、幸いです。

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2020年12月6日は日本語能力試験

2020-12-06 22:23:22 | 検定試験

本日は12月第一日曜日。

日本語能力試験(JLPT)の実施日である。

 

2009年より7月第一日曜日も試験が実施されている。

それでも日本語能力試験が行われるすべての国が年に2回実施しているわけではなかったと記憶している。

 

今年2020年は日本でも海外でも7月の試験が中止された。

そこで12月の試験を目指して更なる努力されていた学習者も多いと思う。

ところが海外では12月の試験も中止となった国や地域、都市がある。

 

元日本語教師としてはとても心が痛い。

何度も試験対策も担当していたこともあり、学習者のその努力は良くわかる。

また、私の教えた学生にも、在学中に受けた試験でN2に合格をし、卒業された数年後に働きながらN1に合格された方もいる。

直前で出張を伴う通訳などの仕事が入り、お金を払っておきながらも数回受験できなかった方もいる。

何にしてもその努力は一言では言い表すことは無理。

 

ここで私が言いたいことは「勉強というものも簡単ではない」ということ。

 

学生は遊んでいる。

余裕もある。

 

そう思っていらっしゃる方も多いであろう。

 

以前私は建設技術者をしていたのだが、作業服を着て外で働いているだけで「あんたら、大変だけど頭を使わなくていいね」と言われたことが何度かある。

(頭を使わなくって良いのであれば、構造物や施設などできないし、それ以前に大災害が起きるでしょうね・・・。)

他でも上から目線であれこれ言われたことは数えきれないほどある。

[その度に言葉を選び、静かに(時には笑みさえ浮かべながら)必ず一言返していた私は偉くなろうとは思わない。]

 

(日本の教育って何か間違っていると思いません?)

 

それと同じこと。

「学生だから、やっていることがたいしたことではない」と思うことは大間違い。

「学生ではなく、他の学業をしながら、または働きながら受験をする学習者のやっていることがたいしたことではない」と思うことも間違っている。

「たかが外国語の試験が受けられなかっただけで、ガタガタ騒ぐんじゃねえ!」とおっしゃる方は世の中の方々喜怒哀楽を自分のことのように受け止めることができない可哀そうな方。

 

極端な話、それに命をかけていらっしゃる方もいるのである。

 

たかが試験。

その考えをのたまって良いときもあれば、悪いときもある。

 

考えてみて欲しい。

「大和田さんが現れて、憎たらしい顔でみなさんのやっていることを否定された」と。

(大和田さんて誰かしら?)

たいていムカつくと思う。

 

 

どうでも良い付け足し:

私は今年日本語教育能力検定試験を受けた。

実際以前日本語教師をしていたし、420時間も終了している。

それでも受けた。

近年無理を重ねていた中で無理をした結果、大きく健康を損ねる結果となった。

 

2018年を最後に「もう二度と受けない」と公言しておきながら、『公認日本語教師』という鼻先のニンジン目当てで恥も外聞もなく受験した。

今の状態でそれに認定されるであろうことがわかっていても、教師としてのステップアップとして、教師に戻っている仲間たちに追いつきたくてのこと。

 

その『公認日本語教師』という制度ができる前に無くなりそうだというオチはあるのだが・・・。

 

こんなおっちゃんが必死なのである。

これからの世界を背負って立つ若い方々はもっと必死であろうに違いない。

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