先日アップした記事
その続きである。
↓以前の記事の抜粋開始↓
追加
日葡辞書というかキリシタン関連は出ると思っていた。
また、統計学も間違いなく出題されると思っていた。
これらについては別の機会に記したい。
↑以前の記事の抜粋おわり↑
と記した。
まずは日葡辞書を含むキリシタン版の問題について。
宣教師が日本に来て、ポルトガル語やラテン語だけでキリスト教を広められるわけもなく、ある程度の日本語を身につける必要があるかと思う。
それ以前に言葉がわからなければ、生活は難しい。
言葉だけでなく、文化、風習もわからなければならない。
また、当時の日本語がわかるものでもある。
そう考えると、日本語教育を行う者としては知っておきたい知識になる。
私個人としては約20年前約21年前に仕事を辞めて日本語教育の勉強を始める半年前に長崎を訪れている。
当時隠れキリシタンに興味があったのだが、展示されているローマ字の資料に心を動かされた。
後に何度も訪れることになったマカオで当時の日本人信者の痕跡に触れたことから、キリシタン版は日本人信者の外国語教材にもなったであろうと考えていた。
次に統計学について。
登録日本語教員の資格を持つ者がどこで教えられるのかを考えると、当然試験を実施する側となる。
こういう方は少ないであろうが「偏差値って何?」では教師をやっていられない。
それを考えると、当然試験で問われる内容ではなかろうか。
ちなみに私自身は技術者でもあり、統計について簡単な知識は持っている。
そう、本当に「簡単な知識」しか持っていない。
つまり、日本語教育能力試験に出てくるそれらの問題のすべてに正解しているわけではない。
と、この2つを取り上げたのは他の理由もある。
日葡辞書が現れたキリシタン版の問題ではくどくどと質問されており、思い返すと「間違えた!」という設問がある。
Xにも似たような表現があったと思うが、一種の問題の偏りを感じる。
また、あくまで私の個人的な意見ではあるが、無効になりそうな問題がいくつかあったように思える。
さて、前回の記事でも記したのだが、私も日本語教員試験の基礎試験で8割取得している自信がない。
ただ、7割は超えていると感じている。
ここで「私も」と記したのはXを見ていて、8割は難しいと思ったが、7割は・・・と感じたのは私だけではなかったことを知ったからである。
(とはいえ、8割を超える方は間違いなく現れるであろう。)
得点調整に期待する方は多いと思う。
1回目の試験であり、比較するものがないため、どのような得点調整になるのかわからない。
ここにも統計学の知識は必要になるに違いない。
ただ、私のブログで平均点がどうたらこうたらとかの内容は似合わない。
というわけで、とても簡単に考えてみる。
仮に3問無効にする問題があったとして、単純に80点からその3問分の得点数が引かれる。
あくまでとても簡単に考えた表現であることを記したうえで、ここで80%以上というハードルが若干下がることになる。
試験中にそんなよそ事を考えながら、問題を見直していった・・・・・・。
できない問題がある場合、それにしがみついている時間もなく、他で稼がなければならない。
つまり、試験中におかしな問題にイラッとしている余裕などないのである。
まあ、試験が終わって1週間となる今、「あとは結果を待つだけ」。
試験問題が手元に残っていないわけであり、見直すこともできないのだし。
ちなみに、試験問題が回収される試験はたくさんある。
消しゴムのケースを外す試験も多い。
語学試験でも同じこと。
私の経験だと、鉛筆のキャップを外すように指示された外国語試験があった。
それを思いだし、今回は自主的に外しておいたが、こちらは検定試験同様付けていても何も言われないらしい。
最後に。
私が受けた試験会場では聴解もしっかり聞こえたし、試験監督官もとてもしっかりとしていた。
この辺は感謝している。
ただ、すべての荷物を机の下におけるわけもない。
当日の私は仕事によるひどい疲れの問題から車で来ていたので、荷物は小さめのリュック一つであった。
(車は数駅離れたコイン駐車場に停めた。)
また、当日は暖かく、長袖シャツに薄手のブルゾンを着ているだけであり、コート類をかばんに押し込んだり、床に置くこともなかった。
それでも明らかに遠方から来ていたと思われる方もいたわけで、大きな荷物を椅子の下に置くことなどできない。
3週間前の検定試験では後ろの方に置いても良いという指示もあったが、今回聞かなかった。
他にも記したいことはあったのだが、とりあえずここまでにしておく。