まさか日本でカルチャーショックを!

元中国広東省在住者 元日本語教師
日本で技術者に復帰
旧題名:まさか私が日本語教師に!(NO.3)

日曜の黄昏時のラジオドラマは素晴らし過ぎる

2022-09-25 22:10:50 | 行動計画 & 積極的思考

帰国してから(車を運転していれば)聴くようになった日曜夕方からの『NISSAN あ、安部礼司 ~ BEYOND THE AVERAGE ~』( TOKYO FM系)であるが、ときどき涙が溢れてしまうことがある。

作りがコメディータッチであるからこそ、余計に人を感動させるような気がする。

聴き出したのが、中古車を手に入れた帰国して1月ちょっと後であった。

もう8年も聴いているこの番組が始まったのは私が出国した後。

いない間はこの番組の存在など知らなかっただけでなく、日本のテレビ、ラジオの世界の変化をほとんど知らなかった。

それでもこの番組は、今初めて聴いたとしても、すぐに引き込まれてしまうであろう。

 

さて、本日2022年9月25日の放送で「ゴールよりも過程が大切」だという件があったのだが、私もそれに賛同する。

以前頻繁に「過程よりも結果を出してなんぼだ」と言っている割には、何も結果を出していない方を見て失笑を押し殺していたことがあった。

確かに結果を出せれば良いかと思う。

だが、人生すべてのことが上手くいくとは限らない。

途中で方向転換しなくてはならないこともある。

スポーツで例えると、ケガのために違う路線に進んだ方も多いであろう。

また、どんな世界でも金銭的な都合もある。

それ以前に持って生まれた才能もあれば、自分たちの手の届かない世界が定めた我々に与えられた道もある。

何にしても、途中で方向転換をするということはとても勇気が要る。

努力も今まで以上に必要になる。

 

そんな状況で新たな世界を歩んでいる方に対して、「過程よりも結果だ」と言えるであろうか。

短いようで長い人生の中、何も最初に決めたゴールが結果になる必要もないのではなかろうか。

 

例えば、私の場合、一度いや二度高等教育を受けることを諦めたが、夢が叶って大学で勉強する機会を得ることができた。

金銭の問題により、高卒で社会に出たという結果。

働きながら受験勉強する機会を得て、必死に努力したが受からなかったという結果。

その後、不思議な縁に導かれて、再び受験して合格したという結果。

「過程よりも結果が大切だ」というのであれば、お金が無かったことや受験したが受からなかったという結果は大失敗であろう。

だが、「お金に問題で大学を諦めて社会に出たという過程」や「努力したが受からなかったという過程」がなければ、「不思議な縁に導かれて大学に入学するという結果にはつながらなかった」に違いない。

 

それと同じことが帰国後の自分に言えるのかもしれない。

「思うようにならなかった」、つまり、ゴールにたどり着かなかったという事実というのは、今後に必要な過程となるのかもしれない。

 

上述の番組でも同じようなことを言っていたが、ゴールの位置や高さは自分で決めるものである。

他人に「お前は失敗者だ。愚か者だ」と言われようが、自分なりのゴールを設定し直してやれば良いのだと思う。

 

 

 

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私がこのカテゴリに居続ける理由

2022-09-24 22:50:33 | いろいろ

先々週も先週も土曜出勤をした。

先週は午後から用事があったので、午前だけであった。

しかし、家の大事な買い出しは午前のほうがありがたい。

 

本日はさすがに休んで家のことをしたかった。

だが、昨日は台風が来ており、本日未明まではパソコンやスマホで天気予報や雨量、出水状況などのデータの更新を追っていた。

2時過ぎに安心できる数値になったので、寝酒のウイスキーを一口飲んでベッドに上がった。

それでも5時間寝ることができたのだが、眠気がひどく更に1時間寝てしまった。

その1時間のせいで、今朝の朝ごはん作成を諦めて、ゆで卵とフルーツだけを胃に収め、簡単に新聞を読み、食器を片付け、身支度し、買い物に出かけられる準備をすることとなった。

 

実は本日未明に寝酒をひっかける前にお腹が鳴っていた。

それなのに、あまり食べていないという腹ペコ状態で、母親を車に乗せ、スーパー等への買い物に出かけた。

 

もし、私がお金を持っていたとしても、スーパーやドラッグストアをはしごして食材や日用品を買いに出かけるであろう。

それは母親の「少しでも安く良い物を手に入れたい」という主ふの心理を大切にするためでもある。

 

午後は自分の買い物やさらなる家の買い物のためにひとりで出かけているが、ウォーキングの時間も作りたかったので、できるだけ1か所で多くのモノが手に入るように少々遠いがホームセンターもスーパーも衣料店も同じ敷地内になるところまで出かけた。

 

しかし、世の中甘くはない。

結局すべてのものを手に入れるためにあちらこちらに車を走らせる結果となった・・・。

 

今の世の中、ネットでモノを買い、自宅や宅配ロッカーに届けていただくこともできるのだが、それでは手に入れられないモノも多いのが現状。

ましてや衣料となると、モノによっては現物を見たり、体に合わせてみるという作業も大切になったりする。

そんな次第であり、ウォーキングは夕方になってしまった。

 

あまり長く歩くことはできなかったのだが、秋に触れることができ嬉しかった。

きれいだがはかなげであり、毒々しくもある彼岸花。

すでに刈り取られている水田の奥に見える今から黄金色に実る稲穂の美しさ。

木の根元に転がっている栗。

 

もう9月下旬であり、今年も残すところあと3か月ちょっと。

しばらくして気がつけば、日本の年末や中国の春節前にテレビや街中で流れるような歌が頭の中でヘビーローテーションするようになり、あわただしさの中で正月休みを迎えるのであろう。

 

さて、年を取ると、何度も何度も同じ話を繰り返すようになる。

著名人やその世界で有名な方々のブログを見ていても感じることがある。

そして、それは私にも言えること・・・。

そんな前置きをして記してみようと思う。

 

今年は大きな変化があった。

おそらく戻るべきして戻った世界なのであろう。

準備は昨年の春から行っていたが、それに着手したのが、今年の1月のこと。

そして出向元と出向先との何度もの打ち合わせの後、役員との面接となり、2月下旬には4月からの転籍が確実となった。

 

 

望んでも、努力しても日本語教師の世界に戻ることができず、生活のために選んだ道。

それが8年かかっての地元企業への復帰となった。

しかし、それが一番世のためになったのかもしれない。

 

できないことを悔やみ、泣き叫ぶよりは、自分に与えられた道を歩き、世のためとなり、自分をさらに成長させたほうが素敵であることは間違いない。

 

転籍して半年。

すでに様々な経験をさせていただき、とても充実した毎日を送っている。

 

つい先日のことであった。

書類に追われている私はある方々が私の話をしていることに気がついた。

それは私が資格をたくさん持っているということであった。

 

だが、私はのたまった。

社内に私より上がいることを。

 

それでも私が資格をけっこう持っていることは事実である。

それだけの経験も勉強もしてきた。

だが、すべてが望みどおりとなったわけではない。

途中であきらめた資格もある。

それでも今現在の自分に必要なものはすべて手にしている。

 

反面、日本語教師経験者でもあり、国外生活経験者の外国語学習者としての自分はどうなのであろうか。

日本語教師の資格としては、日本語教師養成講座420時間だけである。

力技一本で記せば、そこに経験というものがプラスされる。

ただし、海外での経験であるが・・・。

外国語学習者としてを記すと、中国語もHSK5級止まりである。

元々はそれが最終目標であったのだが、できればHSK6級や(中国語検定やTOCFLで)それ以上を持っていたい。

英語などTOEIC600点にも達していないが、せめて700点以上は手にしたい。

 

実際の話、定年後やその数年前に日本語教師に戻るとしても、今のままでは日本の日本語教育機関で教えることは難しいであろう。

しかし、昨年まではまだ持っていた日本語教育能力検定試験合格や公認日本語教師となるための幾つかの条件を手にしたいという気持ちは薄れている。

 

将来海外ではなく、日本で教師に戻るのならば、他の方法を取るしかないと思う。

プライベートレッスンや企業出張、Webや動画サイトの活用だとか。

そうなると、今までのように直接法にこだわる教え方以外にも、英語や中国語を用いた教授法も必要になるような気がする。

 

そうなると、教師の資格や外国語の資格よりも、外国語で日本語を教えられるぐらいの外国語能力と日本文化の理解こそが必要だと思われる。

 

また、・・・。

現在の私は既に己の日本語教師の経験、海外生活の経験を仕事に活かしている。

そこでプラスワンとして必要だと思うのが英語(とコミュニケーション能力)。

 

そんな私。

今しばらく、日本語教育カテゴリや外国語ブログカテゴリ、中国情報カテゴリに置いていただけるととても勉強になります。

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日本語の会話授業をヒントにする

2022-09-23 21:56:10 | 英語

中国での日本語教師。

学校によって形態は違うが、多くは次のパターンとなる。

中国人教師が文法を教え、日本人教師が会話や聴解を教える。

ただ、聴解に関しては中国人教師が教えることもある。

「では、文字・語彙は?」となるのだが、初級の間は中国人教師が教えることが多い。

日本人教師が教えるとすれば、中級からが多いのではなかろうか。

 

ここであえて記さなかった読解であるが、初級は中国人教師が教えるかと思えば、日本人教師が教える場合もある。

 

さて、日本人教師というか日本語母語話者の教える会話であるが、すべての授業が会話につなげることが可能だと自分勝手に思っている。

文字・語彙、読解、聴解に限らず、文法でさえも可能。

ただ、文字・語彙の授業なのに、会話ばかりに展開し過ぎると、1コマで教えられる量が減る。

そして当然これは読解や聴解、文法でも同じこと。

 

ちなみに私は当初は会話の授業が苦手であった。

なぜかといえば、最初に発音やアクセントにこだわる学校に赴任したからである。

もちろん入替・代入練習も行うのだが、どちらかといえば、日本語母語話者教師に合わせてコーラスさせる手法がメインとなった。

 

ただ、やはりそれらは学生も面白くない。

そこで会話授業に目を向けなければならなくなった。

 

自分がその手法を身につけたのは次の学校であった。

 

とはいえ、初級は1日1課のペースで進むわけであり、そこで本格的なことなどできるはずもない。

聴解もやらなければならないし。

 

ところが人生は面白いもので、会話に特化したコースを始めることとなった。

 

その後、最初の学校グループに戻ったのだが、2つ目の学校で身につけたことは大きな武器となった。

 

ただ、私はどちらかといえば、中級・上級メインの担当であった。

であるからこそ、日本人教師でありながらも文法は知っていた。

その文法を知っているということが会話へとつながったようなもの。

また、中・上級を担当しているからこそ、文字・語彙も大まかに初級、中級、上級の範囲をわかっていた。

 

会話授業をするのには文法と語彙のコントロールは大切である。

ただし、初級を教える場合はあまり文法に触れなかった。

中国人教師のパートを取ってしまうことになるだけではなく、顔を潰してしまうという理由もあった。

 

「会話授業」とは一体何であろうか。

一部の学校経営者や夢見る学生が求めるものとはまた違ったりする。

語彙も文法も基礎がないのに、いきなりべらべら自由に話せるわけもない。

 

ただ、極端なことをいえば、五十音を教えている段階でも会話は可能なのである。

 

「こんにちは」や「さようなら」ぐらいは五十音の段階で導入することもあるに違いない。

それだけでも会話授業はできる。

実際にそれを前に出てきてもらって行うとなると、やはり学生は緊張する。

すると、簡単なようで簡単ではなくなる。

もっともすでにあれこれわかっている学生にとっては簡単であるが・・・。

ここで私の個人企業秘密を少々記せば、演技していただくのもひとつの手であったりする。

別に演技ということを説明する必要はない。

自分が模範でやってみせれば良いのである。

明るく「おはよう」、元気なく「おはよう」だとか。

ただし、これは多少危険でもある。

やはり挨拶は元気よく行いたいものであるので。

まあ、私であれば、「明るく」、「元気なく」だけでどっと笑わせる自信があるけれども・・・。

のせてしまえばこちらのもの。

もちろん「くだらん・・・」と思う学生もいるに違いないわけであり、最初から全員をのせることは難しいけれど・・・。

 

長々と記したが、本題に入る前に・・・。

中国人教師に会話授業ができないかといえば、そうではなく、拍手を送りたくなるぐらい上手にやってしまう方もいらっしゃる。

やはり自分自身が日本語学習者であったことは大きい。

さらには日系企業で働いた経験があったり、日本に留学した経験があったりすれば、それは素敵なことをやらかしてくださる。

 

 

さて、本題。

最近私自身が英語を身につけるためにけっこう力を入れていることを記している。

すっと、瞬間英作文ができない理由のひとつとして、文法をいまいち把握していないことが挙げられる。

しかし、それを把握するにあたって、真剣にテキストを見詰める必要もなかったりする。

中学、高校と勉強してきているし、自身が日本語教師という言葉の先生であり、数回繰り返すと、自然に文法が読めてくる。

似たようなことの違いさえ分かってしまう。

今勉強しているのは中学校範囲であるのだが、けっこう忘れている文法は多いのに・・・。

 

今も日本語を瞬間的に英語にしようとしても、口から中国語が出てくることは多い。

部分的だけならともかくとして、全文中国語になることさえある。

最初はそれでけっこう落ち込んだ。

しかし、今は気にしていない。

ハハハと笑って気持ちを切り替える。

 

諦めずに繰り返していけば、自然に英語が口から出てくるようになると信じている。

そしておそらく中国語を忘れることはないかと思っている。

もちろん逆に中国語ではなく、英語が口から出てくることはあるかもしれないが、それは退化ではなく、進化につながるものだと考えたい。

今とは違う状態になるために、私はひとりで演技しつつ瞬間英作文を行うことがある。

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食わず嫌いはよろしくない

2022-09-18 18:39:54 | 日本での生活

仕事でも個人でもボールペンはコンビニでも替え芯が手に入るものを使っている。

具体的にいえば三菱ユニのジェットストリーム(uni JETSTREAM)の0.7㎜やパイロットのフリクション(PILOT FRIXION)の0.5㎜となる。

 

今年になって仕事で使っているジェットストリームの3色のクリップが折れてしまった。

実に不便であるのだが、もう3年以上使っていたものであり、愛着がある。

仕方がないのでポケットに入れてある手帳に挟んで持ち歩いていた。

 

自在式というかリフト式というかではない固定式のクリップであり、値段は高くない。

高くはないといってもこの製品は他の製品に比べると高い。

ただ、リフトクリップであると、なおさら高い・・・。

 

手帳をポケットに入れたままペンを挿し込むこともあるので、どうしても手帳が数ページ破れたりする。

 

それを先日の木曜日にどこかにやってしまった。

最後に使ったのが社用車の中であるのだが、探しても出てこない。

 

緊急用にかばんに入れてある100均の3色ボールペンと黒の三菱ユニ シグノ(uni Signo)ジェットストリームを代用として金曜日と(飛び込み仕事が続いたため、全然進んでいない書類を進めるために仕方なく出た)土曜の午前を乗り切った。

 

使いづらいので本日日曜日の午後、とあるホームセンターにて物色した。

すると、リフト式クリップでありながらも、ジェットストリームの固定式クリップの3色ぐらいの値段で買える有名メーカーの3色を発見した。

 

だが、問題はどこのコンビニでもこの替え芯を置いているわけではないということ。

 

何かといえば、パイロットのアクロボール(PILOT Acroball)。

仕方がないので、あらかじめ替え芯を2本ずつ買っておいた。

 

書き心地は悪くないし、今年は仕事上で様々な変化があることもあり、思い切って仕事用のボールペンを変えてみるのも悪くはないかと思う。

 

私がなぜコンビニなどですぐ手に入るモノを愛用するかといえば、中国生活での名残りであったりする。

 

欲しい物が手に入らないストレスは大きい。

だが、生きていくには現実に合わせていかなければならない。

行動計画のすり合わせと同じである。

 

週末だとかに大きな繁華街に行ったり、月に1~2回マカオに出て手に入るのならば良いのだが、やはり輸入品は高い。

 

簡単にいえば、普段は近場で手に入るものをうまく使うことが大切。

 

もちろんマカオや香港でなければ買えないのに愛用していたモノもあるが、たいていは近場で手に入るものも交互に愛用していた。

 

私には中国のボディシャンプーは肌に合わない。

いくらきれいに洗い流しても痒くなる。

 

そういう意味ではマカオで買ってくる牛乳石鹸さくらの香りボディーソープ[香港地区限定発売] (日本でも似たようなものが2021年に期間限定販売されたらしい)はありがたかった。

ただ、それも手に入らない時期があった。

 

また、最後の7年は無理をすれば、(けっこうきついが)その気になれば毎週末にでもマカオに出かけられる位置に住んでいた。

だが、その前は広東省でも海のないところに住んでいたわけであり、毎週どころか月一でも難しい話。

となると、中国国内でも買えるP&G製品などで肌に合うものを探すしかない。

 

さて、今現在日本に住んでいる。

大都会ではなく、田舎といえる地に住んでいるが、様々なものが手に入る。

ひとつの製品に固執することで得られなくなるのが新たな発見。

 

私の親の世代など顕著であるのだがが、私の年代も世の中の大きな変化の中で暮らしている。

食わず嫌いは良くないのであろう。

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自分自身を落ち込ませる元教師

2022-09-17 22:43:12 | 授業全般(日本語)

旧1級や現行のN1の試験対策をしているときは難しい。

何が難しいかといえば、「いかに(自発的に)学生の口を開かせるか」ということ。

これが(会話は当然だが)語彙や読解、聴解、普通にテキストを用いた授業であればけっこうやりやすい。

 

旧1級やN1の試験対策となると、教えることが多い。

つまり、教師が話すことのほうが多くなる。

 

それでも何とか自発的に話していただこうとあれこれ考えていた。

 

ただ、人の性格は様々である。

とにかく明るく誰とでも話せる方がいれば、話すのが苦手な方もいる。

私など後者のほうに属しているからこそ、よくわかる。

 

最近英語に力を入れていることは最近の記事からおわかりかと思う。

自分がこんなに話せなかったという現実をまざまざと突き付けられた。

といっても、そのように追い込んだのは自分自身であるが・・・。

 

 

今から6年前。

「単語の羅列でも良いから、とりあえず英語が今より話せるようになろう」と努力し始めた。

また、それ以前に今まで中学校、高校と積み上げてきた英語の勉強もあれば、個人的に努力した勉強もある。

 

例えば『瞬間英作文』であるが、テキストの日本語文を見たり、音声の日本語文を聴いたりして、それなりに英語が口から飛び出ることもある。

ただ、それが模範解答と合っているかといえば、必ずしもそうではなかったりする。

 

今まで「英語を話せますか」と「英語を話しますか」の英文の違いについてあまり考えたことがなかった元日本語教師。

その後者の「話しますか」に対してもとっさに習慣で“can”が口から出てきてしまう。

(答えは“do”を使っている。)

これは中学生のときに勉強したフレーズがそのまま頭に残っているからであるのだが、とっさにその違いにまで頭が回らないことにも落ち込んでしまう。

 

同時に、中国で日本語教師をしていた私は初級、中級、上級を問わず、けっこう学生に無理なことを押し付けていたことに気がつく。

ただ、性格的にすぐ折れるような学生に対しては多少の間違いはあまりツッコまなかった。

とりあえず臆せず話せるようになってもらいたかったので。

 

ツッコんでよい学生に対してはビシバシツッコんでいたが、それもやり過ぎると、内向的な学生が口を開く前にビビッてしまう・・・。

 

では、一応外国語教師である私が自分に瞬間英作文を課すときはどうなのであろうか。

 

それを考えたとき、英語の勉強は己が何かを人に教えるときの再研修なのかもしれないと思えるようになった。

 

自分が自分を落ち込ませ続けるような勉強。

やはり私はまだまだの言語教師であることを知った数週間である。

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