最近いくつかの取引先の方々、特に若い方が書類などでやらかしてくれることが多い。
それも企業の規模で考えると、自分たちより上のところでも発生している。
書類をわざわざ持ってきてくださったのに、その場で間違いを見つけ、修正を依頼。
翌日持ってきてくださったのだが、また違う・・・・・・。
「製本などしなくても良いから」とメールでPDFデータを送ってもらうことにした。
後でばらしてスキャンを取ることを考えても、そちらのほうが手間がない。
この数日など、電子上でとんでもないことをやらかした業者もあった。
これに関しては、寝ながら考えた。
「私の責任にしておけば何とかなる」であろう。
しかし、私も技術者としてのプライドはあるので、実はかなり腹立たしい。
と、歯ぎしりしながらの土曜出勤。
昼休みに考えた。
これは自分に返ってきたということなのかと。
20代前半までは書類も手書きのほうが多かった。
何本も仕事が重なると、計算や記入のミスも多くなる。
その都度客先の方々に「直し」を言い渡された。
だいたい仕事の合間に社用車の中で書類を作っているような状況であり・・・・・・。
そうなのである。
落ち着いて会社で書類を作っている余裕もなかった。
ただ、私は人よりワープロやパソコンに手を出すのが早かった。
20代前半にはワープロを使い出していたし、25歳からは朝早く出社して、社長が導入したパソコンを触り始めた。
これにより、ミスは減っていった。
とはいえ、それまでにはいくつかの客先の方々にも迷惑をかけていた。
何年も同じ客先の同じ担当者と仕事をしていると、相手のほうが直しておいてくれたこともあった。
今思い出すと、顔が熱くなる話である。
昔母が何度か私に言った。
「自分のしたことは必ず自分に返ってくる」
「良いことも悪いことも」
この言葉は年齢を重ねるごとによく理解できるようになった。
さて、今の私は自分の仕事をしながら、後進の指導もしている。
誰に頼まれたわけでもないけれど、一応前を歩く者としての務めだと思う。
もちろん私も語学教師出身であるからには、わかりやすく教えることを心がけている。
ただ、途中で必ず昭和的な手法も含める。
それはある意味OJTであるとも言える。
一から順に説明していけば、物わかりも早い。
だが、いざというときに応用力が働かなくなる。
自分で考える力が育たない。
そこで私は途中で必ず「困った・・・」という状況を与える。
そうすると、考える力が育っていく。
(当たり前であるが、段階に応じた内容である。)
もし、若い方がこれを「ある種のいじめ」と考えるのであれば、それはまた私に跳ね返ってくるのかもしれない。
ただ、
「俺たち上の者がいない状況でもとっさに自分で判断できなければ困るよ」
「この先、何も教えてくれない先輩にも出会えば、私以上に教え方の下手な年配者にも出会うであろう。理不尽なことを言い出すおっちゃん、おばちゃんに出会うかもしれない。何かを守るために大嘘をつく人にも出会うのかもしれない。だから、今のうちにあれこれ経験しておいてね」
ということは折りに触れて伝えるようにはしている。