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まさか日本でカルチャーショックを!

日本で技術者→中国広東省にて日本語教師→日本で技術者復帰→技術者+?
旧題名:まさか私が日本語教師に!(NO.3)

自分に返ってきた?

2025-03-22 23:05:07 | 教育(日本語以外)

最近いくつかの取引先の方々、特に若い方が書類などでやらかしてくれることが多い。

それも企業の規模で考えると、自分たちより上のところでも発生している。

書類をわざわざ持ってきてくださったのに、その場で間違いを見つけ、修正を依頼。

翌日持ってきてくださったのだが、また違う・・・・・・。

「製本などしなくても良いから」とメールでPDFデータを送ってもらうことにした。

後でばらしてスキャンを取ることを考えても、そちらのほうが手間がない。

 

この数日など、電子上でとんでもないことをやらかした業者もあった。

これに関しては、寝ながら考えた。

「私の責任にしておけば何とかなる」であろう。

しかし、私も技術者としてのプライドはあるので、実はかなり腹立たしい。

 

と、歯ぎしりしながらの土曜出勤。

昼休みに考えた。

これは自分に返ってきたということなのかと。

 

20代前半までは書類も手書きのほうが多かった。

何本も仕事が重なると、計算や記入のミスも多くなる。

その都度客先の方々に「直し」を言い渡された。

 

だいたい仕事の合間に社用車の中で書類を作っているような状況であり・・・・・・。

そうなのである。

落ち着いて会社で書類を作っている余裕もなかった。

 

ただ、私は人よりワープロやパソコンに手を出すのが早かった。

20代前半にはワープロを使い出していたし、25歳からは朝早く出社して、社長が導入したパソコンを触り始めた。

これにより、ミスは減っていった。

 

とはいえ、それまでにはいくつかの客先の方々にも迷惑をかけていた。

何年も同じ客先の同じ担当者と仕事をしていると、相手のほうが直しておいてくれたこともあった。

 

今思い出すと、顔が熱くなる話である。

 

昔母が何度か私に言った。

「自分のしたことは必ず自分に返ってくる」

「良いことも悪いことも」

 

この言葉は年齢を重ねるごとによく理解できるようになった。

 

さて、今の私は自分の仕事をしながら、後進の指導もしている。

誰に頼まれたわけでもないけれど、一応前を歩く者としての務めだと思う。

 

もちろん私も語学教師出身であるからには、わかりやすく教えることを心がけている。

ただ、途中で必ず昭和的な手法も含める。

それはある意味OJTであるとも言える。

一から順に説明していけば、物わかりも早い。

だが、いざというときに応用力が働かなくなる。

自分で考える力が育たない。

そこで私は途中で必ず「困った・・・」という状況を与える。

そうすると、考える力が育っていく。

(当たり前であるが、段階に応じた内容である。)

 

もし、若い方がこれを「ある種のいじめ」と考えるのであれば、それはまた私に跳ね返ってくるのかもしれない。

ただ、

「俺たち上の者がいない状況でもとっさに自分で判断できなければ困るよ」

「この先、何も教えてくれない先輩にも出会えば、私以上に教え方の下手な年配者にも出会うであろう。理不尽なことを言い出すおっちゃん、おばちゃんに出会うかもしれない。何かを守るために大嘘をつく人にも出会うのかもしれない。だから、今のうちにあれこれ経験しておいてね」

ということは折りに触れて伝えるようにはしている。

 

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「教え方が下手なんじゃないの?」と言われ・・・

2024-09-28 22:10:03 | 教育(日本語以外)

女性の先生の中には「男性教師って・・・」と思う部分もあるかと思う。

それはともかくとして、語学の世界は(教師も学習者も)女性が多い。

かつて日本語教師でもあり、自身が外国語学習者でもある私も女性たちと対峙してきた。

ここで「対峙」などと記すと、「言い方!」とツッコまれるのかもしれない。

もっともそのようなツッコミを入れるのは教師に留まらない。

 

さて、語学の世界で多くの女性たちに囲まれてきたせいか、他の業界にいる現在も(他の男性社員の話によると)恐ろしいぐらい女性社員と仲良くやっていけたりする。

(当たり前の話であるが、人には相性があるので、誰とでもそういうわけではない。)

今も普段から女性社員と軽口を叩き合いながら、(外に出ていない限りは)パソコンに向かっている。

 

ある日、若い衆からヘルプをお願いされた書類を片付けていた。

なるほど、それは見事な溜めっぷりであった。

もっとも、数日で一気に溜まったのは彼のせいではなく、仕事の特殊さにある。

 

その種類を片付けながら、彼のミスしている部分についてぶつぶつ言っていた私。

折に触れて指導していた箇所であった。

「『だからメモしろ」と言ってんだよ!」と切れかかったとき、普段から迷コンビを組ませていただいている女性社員(主婦)がのたまった。

「教え方が下手なんじゃないの?」と。

 

一瞬戸惑った。

「俺、教師をしていたんだけど・・・」と心の中で呟いた。

その途端、怒り混じりの悲しみが急激に押し寄せてきた。

 

そうなのかもしれない。

いや、そうなのであろう。

私たちの若い時代とは違うのである。

 

遠い目で日本語教師時代を思い出した。

もしかしたら当時もズレた教え方をしていたことがあったのかもしれない。

ちなみにその女性社員は「この人、転職するのならば、何かのインストラクターがお勧めかな」と思えるタイプの方であったりする。

 

それから数日(いつも通りの平静を装いながらも)私の心は暗かった。

「俺って時代遅れなのかな・・・」と。

 

今から約1月前、自分の名前で行っていたプロジェクトの客先への引き渡し直後の話。

 

この話、余裕があれば、続きを記したい。

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教師のときよりも教え方を模索中

2024-05-18 23:06:07 | 教育(日本語以外)

酒は強い部類に入る。

中国で鍛えられたせいもあるかと思う。

だが、ごくたまにビール数杯で意識が遠のくごとく酔うこともある。

覚えているのは4回。そのすべてに関係しているのが、大きなストレス。

 

さて、昨晩は飲み会であった。

浴びるほど飲んだ。

だが、何事もなく帰宅している。それも歩いて。

 

昨晩(今朝未明)、二次会が終わり歩き出した。

たくさん飲んだので、「臓器の保護にしめのラーメンでも」というわけのわからない言い訳により、4月のプロジェクトチームでの飲み会の後に入ったラーメン店に寄ったら、閉まっていた。

そのときやっと日付が変わっていることを知った。

 

交通機関がまだ動いているときであっても、飲んだ後は地元の駅から歩いて帰ることが多い。

それが良い習慣であるとは言えないとは思うが、それも様々な観察のため。

そして、あれこれ冷静に考えるため。

もちろん車の往来がある広い道を選ぶようにはしているが、時々ショートカットで静かな道を歩くこともある。

 

さて、そんな昨晩。

現在の仕事の忙しさからすれば、自分が思う以上のストレスがあるに違いない。

そのストレスに負けずに、ストレスを吹き飛ばすが如く飲めた

 

ただ、少々心にひっかかっているのは上司の言葉。

ありがたい評価と期待、そして当然ながら苦言もあった。

上司もその苦言を伝えるのはつらかったであろう。

それは私の担当しているプロジェクトの特殊さにある。

とはいえ、その苦言の内容は自分でも考えていた。

だが、これからの業界を考えてあえてそのようにして仕事を進めている。

そうしないと、次世代を担う若者が付いてこない。

若者だけでなく、我々シニア層にもキツイ。

 

あえて行っていることは人件費をかけていること。

当たり前であるが、人件費は馬鹿にならない。大きく利益が減る。

しかし、働き方改革となっても、仕事量は減るどころか年々増えていく。

となると、ひとりで抱えられる仕事量には限度がある。

分散していくしかない。

まあ、あえて人件費をかけている張本人の私がなるべく残業を担当するようにはしているけれども。

それがストレスのひとつであるとも言える。

 

また、後進を育てていくことも簡単ではない。

物分かりが良い方には英才教育を施す。

その英才教育とはすべてを伝えずに多少は考えさせたり、少しだけ困った状態を与えるということ。

また、傍に一から丁寧に教える人がいる場合は、自分はあえて英才教育という荒行を課す鬼を演じてみたりする。

 

だが、英才教育をするにも予備知識だけは与えておく。

ここで大切なこと。

それは当然であるが、物分かりが良くない方に英才教育などできないということ。

これも当然ではあるが、わかる方以上に予備知識を与えることになる。

言語教育でいうところの「スキーマの活性化」といえば納得していただける読者様も多いかと思う。

 

ところが……

【ここから先は削除しました。20240519 JST:08:04】

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ギャップ萌え?

2024-02-04 21:31:27 | 教育(日本語以外)

現在技術の世界にいる。

後進やまったく技術のことがわからない事務の方に指導や指示、お願いをしていて時々思う。

「日本語教師をしていた頃、俺の言葉は通じていたのかな・・・」と。

 

日本語母語話者に話が通じないのであるから、非母語話者であればなおさらであろう。

 

仮に後進の方が技術系の学科を出ていたとしても、ただ単に「○○の写真を△△の方向から撮っておいて」では文字通りにしか解釈できない。

文系の出身であればなおさらのこと。

写真を整理していると、確かに△△の方向から撮ってはいたが、物体の動いている方向が△△とは逆の方向であったりする。

つまり、指示は具体的に行わなければならない。

 

技術のことがわからない事務の方に、具体的に説明した。

折に触れて何度も何度も。

だが、30分以上経った時点で、まったく理解していなかったことを知り、愕然とした。

 

それでも、複数のプロジェクトを抱えている状態で、外業も内業もすべてのことを自分一人で行うことは無理。

早朝や夜、休日出勤の自分がやりたかった仕事の途中で時間を割いて、あれこれ修正していくことになる。

 

話は日本語教師時代に飛ぶ。

確かに私が担任をしていた上級から入ってきた大学生は私の指示や説明を理解していなかった。

(最初の1か月は。)

中級から、または初級から私の授業に触れていた方々とは違う。

街中の日本語学校であり、1年弱から1年半で巣立っていく学生に英才教育を施さなければならない。

したがって教え方は違ってくる。

 

教え方が違う。

その場その場で指導方法を変えることになる。

どこに行っても同じというわけにはいかない。

 

 

話を技術の世界に戻す。

後進への指導。

技術系学科出身の方もいれば、文系の方もいる。

学歴も様々。

新卒も中途採用もいる。

出身地もばらばら。

 

状況に応じて指導方法を変えていかなければならない。

もしかしたら、この先、日本語母語話者でない方々も対象になってくるのであろうか。

難しいね・・・・・・。

だけど、ある意味楽しいかもしれない。

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人の不思議な行動を理解するには・・・

2023-03-12 22:31:52 | 教育(日本語以外)

自分もそのひとりなのだが、昔外国で生活をしていた人のなかには、数を数えるときに日本語ではないことがある。

別に格好つけているわけでなく、無意識であるのだが、時々口に出てしまう・・・。

数か月前であるのだが、とある方のそんな振る舞い“!?”となった。

そして、「自分も気をつけよう」と心に決めた。

ところが、長年の習慣は簡単には変えられない。

ちなみに私の場合、中国語普通話よりは中国語某方言のほうが多い。

実は中国に渡る10年以上からであったりするので、四半世紀以上の癖であったりする。

 

先日もそんな方と遭遇した。

前出の方も「そんな方」も何語であったかは記さずにおきたい。

 

さて、話を自分に戻す。

数を数えるのは中国語某方言であるにもかかわらず、九九などの計算は日本語なのである。

 

と、ここまで読んで「それわかる!」という方もいらっしゃれば、「ちっ、カッコつけてんじぇねえよ!」とムカついた方もいらっしゃるかと思う。

 

以上のような、いつもよりは短いイントロで始めてみた。

 

人間の何気ない行動。

理解できるものもあれば、理解に苦しむものもある。

何年も前の経験なのだが、「印鑑(サイン)よろしくね」と書類を渡しておいた。

一応自分よりは職位が高いと記しておく。

普通はその処理した書類を綴じるなり、他や上に回すことになるのだが、翌朝自分のところに戻ってきていることに気がつきイラっとするケースがある。

注意すると、しばらくは改善される。

だが、そのうちに元通りとなる・・・。

 

自分のいる世界はけっこう書類の電子化が進んではいるが、リアルさによる真実を表すために、あえて手書きにする書類もある。

もし、その書類が電子化されているとしたら、朝一でイラっとすることも無くなるかと思う。

 

しかし、もっと注目すべき点は、私の回した書類を処理できない方は「(私を低く見て)オメエ片付けておけ」的に「わざとやっているわけではない」ところにある。

(その根拠まで記すと、私の人格を疑われかねないので控えておきたい。)

 

世の中には片付けられない方が存在する。

だが、ご自分以外の方が散乱させた状況を見て、「汚い」と思う心はお持ちであるという大きな矛盾。

 

だが、ある方面には人の数倍長けていたりする。

それなのに、「ある方面のお隣の方面」にはからきし弱かったりする。

そこまで目が向かないのである・・・。

ただ、(別に歌のタイトルではないが、)『前しか向かねえ』という考えを持っているわけでもない。

 

たまたま自分が教育の世界にいた経験があるので、多少は知っているからなんとかなる。

「大噴火」ではなく、「小噴火」で済む・・・。

(そんなことを記すと、私の人格が疑われるかも。)

 

だが、こういうことをまったく知らない方から見れば、「テメエ、俺を舐めとんのか、コラッ!」と大噴火となることは間違いない。

 

それはともかくとして、この数年、特に今の会社に転籍してからのこの1年実に様々な方と出会っている。

おかげで私も日々勉強させていただいている。

 

[土曜出勤、日曜出勤の後で記しており、自分でも何を記したいのやら・・・という状態です。まあ、今週末にはこの忙しさも多少は改善されるかと。]

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