分の話す中国語。
漢字ひとつひとつの声調がわかっていても、単語やフレーズになると日本式アクセントになることも多い。
さらには苦手な発音を代替発音に置き換えることもある。
いかに基本をないがしていたかの証明であろう。
だが、中国に渡った直後はそうでもなかった。
当時は旧HSK3級に過ぎなかったのだが、生活において急に話さなければならなくなった。
さらにはひとりで飲みに出かけることで、嫌でも話さなければならない状況に自分を追い込んでいた。
発音については耳から聴こえる中国語音声を日本語音声に当てはめてしまったことが原因なのかもしれない。
なにせ広東省に住んでいたこともあり、“是”や“試”で“shi”と言えば、“si”と直されることもあるわけで・・・。
ただ、相手から聴こえる音は“si”であっても、実際は“shi”の口で“si”と言っていたとしたら・・・・・・。
もしかしたら私(たち)の“shi”は中国語の“shi”の調音点と調音法になっていなかったのかもしれない。
後に中国ドラマにはまるようになると、発話の口元にも注意が行くようになった。
自分が覚えた口の形よりも、その口のほうが実際の音を出すのに楽であることに気づいた瞬間であった。
[ちなみに私がいまだに苦手な発音は”chao”であり、これについては南方発音で代替することが多い。]
さて、発音はともかくとして、単語やフレーズになったときの(日本語母語話者独特の)声調の変化について考えてみる。
おそらく聴こえた音そのものに注目するあまり、声調まで気が回っていなかったのであろう。
簡単にいえば、聴こえた音は頭の中にインプットされるにはされたが、そこから声調は除外されてしまったらしい・・・・・・。
昨年夏から英語に力を入れたことは何度も記したかと思う。
そこで「英語や中国語で日本語を教えたらどうなるであろうか」と考えた。
それを研究しているうちに、「英語で中国語教えるにはどうするのか」という方面にまで興味がわいてしまった。
「英語で日本語を教える」と「英語で中国語を教える」に注目すると、「英語教育」や「外国語教育」にまで目が向く。
そこで改めて気づく。
英語教育や中国語教育においても、日本語教育で勉強したような世界と遭遇することに。
特に私が「なるほどね」と感じるのは「音声学」。
中国で教える日本語母語話者の日本語教師は標準的な発音とアクセントが求められることが多い。
私もその方面には自信がある。
かと言って、(例えば)日本語教育能力検定試験の試験Ⅱで毎回高得点をあげられるかと言えばそうでもなかったりする。
自分の中国語の発音と声調の問題点もその辺にあるのかもしれない。
[ちょっと最近あれこれあり、今までにも増してうまく時間が取れないことが増えてきました。
せめて週に1,2回はブログ記事をアップしたいとは思いますが、そうならない可能性もあることを記しておきます。]