中国に行く前まではあまり聴かなかったNHKラジオ第一。
(同じくあまり見なかったNHK総合テレビ。)
ラジオ第二は頻繁に聴いていた(NHK教育テレビやNHK衛星テレビなどの語学や国際関係のものは良く見ていたのだ)が。
それが帰国後は以前より聴いたり(見たり)するようになった。
(けっこう意外な方々が登場している。)
理由は以前の仕事よりは行動範囲が広がったことにより、日本各地で仕事をする方々と一緒に働く機会が増えたことによる。
簡単にいえば、どこに行ってもある時間にある情報を得ることができるNHKはけっこう便利なのである。
まあ普段仕事で車に乗っているときや、マイカーでは地元の三番人気ぐらいの国際色のあるFM局を聴いていることが多い。
それでも一応外国で仕事をしていた私にとって、どこに行っても手に入るものはとてもありがたいのである。
そういう意味でNHKラジオ第一をイントロにあげてみた。
外国で生活するうえで、そこでも手に入る日本でもおなじみのものはありがたい。
東日本大震災や尖閣問題勃発後も中国大陸でカップヌードルの現地版は買えた。
そして日本でも絶大な人気を誇る韓国農心の辛ラーメンの袋も買えた。
中国大陸にもユニクロはあるし、イオンもある。
そのような習慣から、日本にいる現在も「どこに行っても手に入るもの」を確保するようになってしまった。
ただ大手スーパーで売っている良い品質のアパレルブランド3つに関していえば、あるひとつのブランドばかり買っている。
中国かぶれとしては香港のワニのブランドの(一瞬フランスのラコステと見間違えそうな刺繍の)服を買うかと思われるであろうが、そこは違うのである。
もっとも私がたまに買うその少しは良いアパレルブランドも、海外では手に入らない。
それでも日本ではけっこうどこでも買える(おじさん、おばさん)良質なブランドなのである。
まあ海外でも手に入るアパレルブランドとしてはスペインのZARAも悪くはないと思うのだが、それよりはユニクロを買うであろう。
(アメリカのGAPよりはまだZARAのほうがおじさんの選択肢があるような・・・。)
私はある意味世界標準と言う言葉が好きではない。
ただWORDやEXCEL(やその互換ソフト)が世界標準であり、いくら昔は一太郎や1-2-3を使っていた私でも今や仕方なくそちらを使っているように、どこでも手に入り、誰とでもデータを共有できるような標準を意識してしまう。
どこに行っても、変わりなく生活の一部になることは有り難い。
ラジオでいえば、NHKは(短波にせよネットにせよ放送の一部は)世界中どこでも聴くことは可能。
そんなことを考えるからこそ、日本にいてもどこでも手にはいるものを探すようになったのである。
そんな私も数年前までは大藪春彦ハードボイルドの世界の住人であり、様々なことにこだわっていた。
だがあまりこだわり過ぎると、それがないと生活できなくなってしまう恐れがある。
そんな私が今恐れていること。
それはあまりにも中華圏のメディアに依存し過ぎているのではないかというところ。
もう少し世界中どこでも手に入る英語の情報源も活用したほうが良いのかもしれない。
(同じくあまり見なかったNHK総合テレビ。)
ラジオ第二は頻繁に聴いていた(NHK教育テレビやNHK衛星テレビなどの語学や国際関係のものは良く見ていたのだ)が。
それが帰国後は以前より聴いたり(見たり)するようになった。
(けっこう意外な方々が登場している。)
理由は以前の仕事よりは行動範囲が広がったことにより、日本各地で仕事をする方々と一緒に働く機会が増えたことによる。
簡単にいえば、どこに行ってもある時間にある情報を得ることができるNHKはけっこう便利なのである。
まあ普段仕事で車に乗っているときや、マイカーでは地元の三番人気ぐらいの国際色のあるFM局を聴いていることが多い。
それでも一応外国で仕事をしていた私にとって、どこに行っても手に入るものはとてもありがたいのである。
そういう意味でNHKラジオ第一をイントロにあげてみた。
外国で生活するうえで、そこでも手に入る日本でもおなじみのものはありがたい。
東日本大震災や尖閣問題勃発後も中国大陸でカップヌードルの現地版は買えた。
そして日本でも絶大な人気を誇る韓国農心の辛ラーメンの袋も買えた。
中国大陸にもユニクロはあるし、イオンもある。
そのような習慣から、日本にいる現在も「どこに行っても手に入るもの」を確保するようになってしまった。
ただ大手スーパーで売っている良い品質のアパレルブランド3つに関していえば、あるひとつのブランドばかり買っている。
中国かぶれとしては香港のワニのブランドの(一瞬フランスのラコステと見間違えそうな刺繍の)服を買うかと思われるであろうが、そこは違うのである。
もっとも私がたまに買うその少しは良いアパレルブランドも、海外では手に入らない。
それでも日本ではけっこうどこでも買える(おじさん、おばさん)良質なブランドなのである。
まあ海外でも手に入るアパレルブランドとしてはスペインのZARAも悪くはないと思うのだが、それよりはユニクロを買うであろう。
(アメリカのGAPよりはまだZARAのほうがおじさんの選択肢があるような・・・。)
私はある意味世界標準と言う言葉が好きではない。
ただWORDやEXCEL(やその互換ソフト)が世界標準であり、いくら昔は一太郎や1-2-3を使っていた私でも今や仕方なくそちらを使っているように、どこでも手に入り、誰とでもデータを共有できるような標準を意識してしまう。
どこに行っても、変わりなく生活の一部になることは有り難い。
ラジオでいえば、NHKは(短波にせよネットにせよ放送の一部は)世界中どこでも聴くことは可能。
そんなことを考えるからこそ、日本にいてもどこでも手にはいるものを探すようになったのである。
そんな私も数年前までは大藪春彦ハードボイルドの世界の住人であり、様々なことにこだわっていた。
だがあまりこだわり過ぎると、それがないと生活できなくなってしまう恐れがある。
そんな私が今恐れていること。
それはあまりにも中華圏のメディアに依存し過ぎているのではないかというところ。
もう少し世界中どこでも手に入る英語の情報源も活用したほうが良いのかもしれない。