まさか日本でカルチャーショックを!

日本で技術者→中国広東省にて日本語教師→日本で技術者復帰→技術者+?
旧題名:まさか私が日本語教師に!(NO.3)

どこでも入手可能なものは有り難い

2018-04-28 22:08:55 | 行動計画 & 積極的思考
中国に行く前まではあまり聴かなかったNHKラジオ第一。
(同じくあまり見なかったNHK総合テレビ。)
ラジオ第二は頻繁に聴いていた(NHK教育テレビやNHK衛星テレビなどの語学や国際関係のものは良く見ていたのだ)が。

それが帰国後は以前より聴いたり(見たり)するようになった。
(けっこう意外な方々が登場している。)
理由は以前の仕事よりは行動範囲が広がったことにより、日本各地で仕事をする方々と一緒に働く機会が増えたことによる。

簡単にいえば、どこに行ってもある時間にある情報を得ることができるNHKはけっこう便利なのである。

まあ普段仕事で車に乗っているときや、マイカーでは地元の三番人気ぐらいの国際色のあるFM局を聴いていることが多い。

それでも一応外国で仕事をしていた私にとって、どこに行っても手に入るものはとてもありがたいのである。

そういう意味でNHKラジオ第一をイントロにあげてみた。


外国で生活するうえで、そこでも手に入る日本でもおなじみのものはありがたい。
東日本大震災や尖閣問題勃発後も中国大陸でカップヌードルの現地版は買えた。
そして日本でも絶大な人気を誇る韓国農心の辛ラーメンの袋も買えた。

中国大陸にもユニクロはあるし、イオンもある。

そのような習慣から、日本にいる現在も「どこに行っても手に入るもの」を確保するようになってしまった。

ただ大手スーパーで売っている良い品質のアパレルブランド3つに関していえば、あるひとつのブランドばかり買っている。

中国かぶれとしては香港のワニのブランドの(一瞬フランスのラコステと見間違えそうな刺繍の)服を買うかと思われるであろうが、そこは違うのである。

もっとも私がたまに買うその少しは良いアパレルブランドも、海外では手に入らない。
それでも日本ではけっこうどこでも買える(おじさん、おばさん)良質なブランドなのである。

まあ海外でも手に入るアパレルブランドとしてはスペインのZARAも悪くはないと思うのだが、それよりはユニクロを買うであろう。
(アメリカのGAPよりはまだZARAのほうがおじさんの選択肢があるような・・・。)

私はある意味世界標準と言う言葉が好きではない。
ただWORDやEXCEL(やその互換ソフト)が世界標準であり、いくら昔は一太郎や1-2-3を使っていた私でも今や仕方なくそちらを使っているように、どこでも手に入り、誰とでもデータを共有できるような標準を意識してしまう。

どこに行っても、変わりなく生活の一部になることは有り難い。
ラジオでいえば、NHKは(短波にせよネットにせよ放送の一部は)世界中どこでも聴くことは可能。

そんなことを考えるからこそ、日本にいてもどこでも手にはいるものを探すようになったのである。

そんな私も数年前までは大藪春彦ハードボイルドの世界の住人であり、様々なことにこだわっていた。

だがあまりこだわり過ぎると、それがないと生活できなくなってしまう恐れがある。


そんな私が今恐れていること。
それはあまりにも中華圏のメディアに依存し過ぎているのではないかというところ。

もう少し世界中どこでも手に入る英語の情報源も活用したほうが良いのかもしれない。
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適正価格(給料や待遇)

2018-04-25 22:38:23 | 行動計画 & 積極的思考
時々思う。
中学生の頃、いや小学6年生の頃、違う高校への進学を考えて、それなりに勉強したのならば、人生が変わっていたのかもしれない、と。

それでも高等教育機関で勉強したい欲求が社会人になってもあったことにより、私の人生は変わったのである。

そこから話が二転三転し、中国で日本語を教えることになったこと。
それはある意味神の示した道であったのかもしれない。

つまり自分に与えらえた道を歩むための下地が子供の頃の生活であったのだと思う。

ある意味すべては神仏の意思により与えられた下地であったと感じている。


今現在事務系の仕事ではあるが、そこに技術系の手当などが付加されてなんとか生活できるだけの給料をいただいている。

だが帰国して1年半後に就いた仕事は(帰国後に技術系の仕事にて懸命に貯めた)貯金がどんどん減ってゆくような状態であった。

その仕事は私にとって悪くはない内容なのだが・・・。

体の問題から技術系の仕事を諦めた。
そのときに所属している会社から他の部署を勧められた。
ただ向こうから話を持って来た割には給料が低かった。

おそらく将来を見越して私を確保しておきたかったのだと思う。
自分で言うのもなんだが、それぐらいの技術と経歴は持っている。

しかしその将来まで生活できない給料では(とてもやりがいのある仕事でありながらも)転職するしかないわけで。

転職は苦労したが、適正価格の仕事を手にした。
ただお金をいただけるだけに事務系の仕事にしてはけっこうハードである。
もちろん事務系の仕事がとても疲れることはよく知っている。
ただ帰国後2つ目の仕事は完全週休2日、祝日休みであった。

しっかりと休みをいただけるわけであり、多少安くてもそのバランスは取れていたのだと思っておく。

ここで今現在のとても忙しい仕事に話が飛ぶ・・・。
私は自分から過去の様々な経歴をひけらかすことはしない。
ただ1年必死に努力してきたこと、段々とわかってくる私の過去の栄光(?)により、それなりの評価をいただけるようになった。

もちろん世の中には様々な人がおり、わからない方はわからないのである。
それについてどうこう言うつもりはない。

ただ適正な評価も適正価格のひとつだと私は考えている。

自分でも感じている私の長所。
それは「俺に任せておけ!」とばかりに様々なことに手をつけ、道を切り開くことができるところ。
実際まわりが尻込みする未知のことに進んでゆける。
(その割に自分の生活に関してはできるという確信がないと前に進めなかったりするのだが。)

しかしその反面、失敗もけっこう大きかったりする・・・。

やはりその辺については私を上手くコントロールできる上司がいる必要がある。

適正価格。
行き過ぎた給料を求めるつもりはない。
ただ私を動かそうとするのならば、それに見合った給料は欲しいものである。

今までの社会人人生。
無理をしてでも私にそれだけの給料を出していた経営者が存在した。

向こうは折に触れて「これしか出せなくて申し訳ない」と言っていた。
しかし私も状況というところから分析する適正価格はわかっている。
それを考えれば、低くはない。

長くなったので、ここで一気に締めの一言(?)を。

「悪いな! 俺もじいさん、ばあさん、親族を食わせていかなければならないから、適正な給料は必要なのさ!」

「もしどうしても俺が必要ならば、それだけはわかってくれよ!」

「それでもその経験は確実に俺のばねになったよ! 俺にとって必然であったと思っておくさ! ありがとな!!」
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適正価格(サービスと食)

2018-04-22 18:41:17 | 行動計画 & 積極的思考
3月31日(土)にかかりつけの内科にてとある検査をしてあった。
その結果は昨日4月21日(土)に訊くことになり、無理にスケジュールを調整している。
これについては長くなるので記さないことにする。

ただ検査結果は前回2017年9月よりも格段に良い数値となっており、精密検査を免れることができた。

「半年あればなんとかできるかもしれない」という私の判断は正しかった。
人間追い込まれれば何とかしてしまうものであるので。

とは言っても、ドキドキで検査を受けた。
検査の技師から「緊迫性はない」とは聴いていた。
だが血液検査で異常がでないとも限らない。
であるから昨日の受診もドキドキであった。

何が問題であったかといえば2001年に発見されていた胆のうポリープが大きくなっていた(だけでなく他にも増えていた)ということ。

ちなみに日本では健康診断でエコーをやることは少ないが、中国だと必ずある。
その度に技師に「有る」ことを確認してはいた。

しかし日本では昨年9月が帰国して初めてであった。

まあ健康生活については引き続き努力していくつもりである。


話は変わる。
病院の後は実家の用事をこなし、午後は散髪と買い物に出かけた。

2月頃からあまりケチケチすることを止めている。
だが散髪については時短の観点から低料金で早くカットしてくださる店を選んでいる。

ただこの場合、当たる理容師の技術にもかなりの差がある。
昨日などスーパーのトイレで気がついたのだが、服の襟で隠れていたのであろうと思われる箇所の髪が残っていた・・・。
ちなみに私はクセ毛であり、おまけにちょうど残っていた部分がかなり跳ねるのである・・・。

まあそれぐらいは自宅にて合わせ鏡を使えば剃ることができる。
ただ自宅で気づいたのは耳の周りもけっこう乱雑であるということ。
そこなど自分で切ってももっとうまくいく自信がある。
(中国在住時代は自分で刈っていたので。)

やはり物事には適正価格があるということ。
さらには良いものはやはり多少の時間が必要なのである。

これは健康生活に着いても同じことが言える。
安物でお手軽なものを食べていてはいけないのである。

ちなみに私は中華料理が得意であり、たいていのものは「なんとかの素」を使わずに作ることができる。
だが最近はその「なんとかの素」がなければ作れない方が多いとか。

確かに私も時々研究のために買ってきて使うことがある。
しかし毎回毎回それでは体に良くないように思える。

帰国後に日本在住者のマナーのレベルが下がっていることに気がついた。
その理由の一部は食の問題であるのかもしれない。

国産品にこだわるのは良いが、国産だからこそ体に良いというわけでもないのではなかろうか。
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電車の本数が増えるのは良いが、危険も増えるのでは?

2018-04-18 22:02:55 | 日本での生活
リニアが開通すると、東海道新幹線ののぞみ号が減り、ひかり号とこだま号が増えると言われている。

では東海道本線はどうなの・・・と記してみた。

普段は約15分ごとに新快速や区間快速、特別快速がやってくるのだが、今年3月のダイヤ改正後の19時台はそれが約10分ごとになった。

いつもより残業してその時間帯に乗ることもある私にとっては助かる。
しかし逆に怖くもある。

例えば私が帰りに乗る駅の場合、線路は上りと下りでそれぞれ2本ずつしかない。
それぞれ1本は各駅停車の普通が使い、もう1本に新快速や区間快速などが通る。
しかし名古屋から豊橋間の18時台・19時台の上りの場合はそれが約10分ごとになる。

その10分の間に貨物列車が通るとしたら・・・。

それを昨日経験した。
貨物なので長いのだが、それがかなりのスピードでホームの横を走り抜けてゆく。
その風圧はかなりのもの。

時々外国人の友人から言われて「そうだよなぁ」と思うのだが、日本のJRの場合安全柵のないホームは多い。

昨日の帰りの駅のホームでは今までの人生で一番怖い思いをした・・・。
朝自分が乗る駅のホームだと乗客が並んでいないほうを走り抜けてゆくのでそれほど怖くは感じない。
ただ「危ないなぁ・・・」とは思っている。

実際帰りの電車の本数が多いのは助かる。
疲れているし、お腹も空いている。
当然早く帰りたい!

だが私はどんなことに対しても安全を優先に考える。
これは社会人人生の中で一番長い経歴の職業の経験も関係している。

毎朝電車を降りて改札口に向かうときのホームや階段で怖い経験をしたことは数えきれない。
駆け込み乗車はご遠慮くださいというアナウンスを無視して、階段を駆け下りてくる方々。

昨年の夏にケガをしてからしばらくは貧血気味であった。
そんな状態で階段を上る私に下りの方がタックルを・・・。
あのとき足を滑らせたのならば、今私はのんきにブログなど記していないであろう。

公共交通機関の連絡を考えた場合、その電車に乗り遅れたらけっこう大変な場合がある。
私の場合は通勤で電車からバスへの乗り継ぎをすることがある。
ただでさえ遅れることが多いJR東海道本線を使うようになって1年。
それはある種の恐怖でもある。
幸いなことにバスはもっと遅れることが多いので助かっている。
それでも私は遅刻しても安全を選択する。
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そーいえばこの方は外国人であったっけ・・・

2018-04-16 21:43:39 | 授業全般(日本語)
普段は忘れている。
その方が外国からやって来た外国籍であることを。
普段はまったく我々と変わらない日本語を話している。

確かに顔は濃いものの、それぐらいの方は日本国籍の方にも多い。


それはごくたまに現れる。
ずっと日本に住んでいる日本語母語話者であれば、まず使わないような表現。

例えばカタカナ語の単語ひとつでも通じるのに、まわりくどい表現をするとか。

その方の母語が「日本語であるのか」「某西洋言語であるのか」までは知らない。
ただ日本語のカタカナ語というものはときにわかりにくいものである。

そしてそれは決して中国語母語話者だけに限ったことではない。


話は変わる・・・。
私の場合、韓国ドラマを見ていて時々ある。
ワンテンポおいてその外来語を理解したり、中国語の字幕を見てそれが日本でも使う外来語であることに気づいたり。
それは主に発音の違い。

では日本のカタカナの外来語の場合はどうであろうか。

英語が得意な中国人の日本語学習者は周りに比べて外来語の理解が早いときもあれば、まったくわからない場合もある。

後者はやはり発音の違い。


さて話を元に戻す。

カタカナの外来語がわからないのは何も発音の違いだけではない。
表現の違いや意味の違いもあるに違いない。

例をあげると「プロポーズ」。
日本語では求婚のほうの意味で使うことが多いのだが、英語では提案するとう意味で使うことのほうが多いかと思う。

さらには省略の仕方の違いもあるかと思う。
例えば「エアコン」。
確かにエアコンと省略して使う外国語もあったと記憶している。
だがエアコンという表現がわからない方にとっては、それがエアーコンディショナーだと気がつかないことがあるかもしれない。


今回あえてツッコミがありそうな例をあげたのはわかりやすくするため。
本来はもっと違う言葉を提示すべきかと思う。
だが(ただでさえ表現が難解である私のブログを)読みやすくするためにあえて・・・。

とここで強制終了しておく。
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