昨日の仕事帰りも本日の仕事帰りも駅まで歩いた。
昨日は某外国人寮の前を通り、その後は普段バスや社用車での通勤路に戻り、駅まで。
普段の通勤路上での歩きでも多くの自転車に乗った外国人労働者と遭遇していた。
本日はやはり某外国人寮の前を通り、昨年11月9日(金)に途中数回iPhoneでチェックして歩いたコースを通った。
20181109の記事:
花金仕事帰りのウォーキングとアミーゴたちの青春
明日で去る今の職場。
帰りにウォーキングをするようになったのは、通い出して7週間後の2017年5月20日(土)からであった。
その翌日20170521の記事:
雑記20170521
2回目のウォーキングとなる20170526の記事:
雑記20170526「自分を大切にしたい」
3回目のウォーキングの20170530の記事:
不定期投稿になります
この辺まではそれほど乗り気ではなかった。
バスの時間に間に合わなかったことから、仕方なくであり、ただ経験として歩こうと。
だが、この後1か月ちょっと諸事情により社用車で駅まで戻り、翌朝もその車で出勤していた。
その後、仕事の都合上私がバスに乗り遅れることも増えたせいか、社用車と駅前に借りている駐車場が空いていれば、社用車を使わせてもらえるようになった。
それはそれで通勤時間が少しは短縮されてありがたいのだが、せっかく積極的にあるこうという意思をそがれることとなった・・・。
それでも休みの前日は社用車を使わないようにしていた。
そういうときになるべく歩きを組み入れるようになった。
最初から2年、長くても3年で転勤になることはわかっていた。
(現在が帰国後で2つめの会社勤めであるのだが)今まで最短で3か月半、長くても8か月で転勤していた。
(きれいなオフィス内で1年近く働いたこともあるのだが、それは職種上少し違っている。)
であるから、最短で2年も居られるということで、積極的に歩き、周りを観察するよういなった。
さらには休みの日に車で近くを通ったときは、(オフィスがある都市のその地域だけでなく)仕事で関係しているところにも積極的に寄り道をし、土地勘を掴んでおいた。
それらは仕事だけでなく、自分の知識としてもとても役に立っている。
ただ、仕事はとても忙しかった。
このように表現したらわかっていただけるであろうか。
「残業80時間ですべてをこなすのならばともかくとして、それを残業40時間以内で、超繁忙期でも残業50時間程度でこなさなければならなかった」と。
それと通勤に時間がかかる以外は、実に楽しい職場であった。
話は変わる。
確かに一番やりたい仕事ではない。
それでも、この4月から日本に増える外国人労働者に少しは関わることができるようには努力をしている。
とはいえ、老いた両親を支え、また親族に何かがあったときでも支えられるだけのお金が得られなければならない。
それがあるので、4月からは現在勤めている会社の緊急仕事を行うことにした。
何だかんだ言っても、お金がなければ、生活できないので。
そんな今週、実家でちょっとしたアクシデントが起きた。
そのアクシデントも、私が早く戻れたときであり、病院に連れて行くことができた。
普段気丈な方であるのに、突然のある症状がとても気になった。
そのため、私も「病院に行こう」と勧め、夜の道を夜間当直の病院まで車を走らせた。
その判断は正解であった。
私が予想したよりも深刻であった。
ただ(さらにツイていたことは)その日の当直医が大病院であったこと。
でなければ、翌日未明には帰れなかったであろう。
そんな経験をしたことにより、私の(食べるための仕事を選んだ)判断は間違いではなかったことに気がついた。
やりたいことも大切だが、お金は大切。
そして何かがあってもすぐに実家に戻れる場所への通勤、あまり遅くまで残業がないこと、(自分や両親の病院通いから)月に最低2回は週休2日が可能であること等も大切なこと。
頼ってもらえる仕事にありつけるだけ、幸せなのだと実感した。
さて、明日は最後の出勤。
その中でのメインイベントを終らせた後、私は気が抜けてしまうかもしれない。
それはそれで仕方がないと思っている。
気が抜けてやる気がでなくなったら、身辺整理で机の周りなどをきれいきれいにしようと思っている。
昨日は某外国人寮の前を通り、その後は普段バスや社用車での通勤路に戻り、駅まで。
普段の通勤路上での歩きでも多くの自転車に乗った外国人労働者と遭遇していた。
本日はやはり某外国人寮の前を通り、昨年11月9日(金)に途中数回iPhoneでチェックして歩いたコースを通った。
20181109の記事:
花金仕事帰りのウォーキングとアミーゴたちの青春
明日で去る今の職場。
帰りにウォーキングをするようになったのは、通い出して7週間後の2017年5月20日(土)からであった。
その翌日20170521の記事:
雑記20170521
2回目のウォーキングとなる20170526の記事:
雑記20170526「自分を大切にしたい」
3回目のウォーキングの20170530の記事:
不定期投稿になります
この辺まではそれほど乗り気ではなかった。
バスの時間に間に合わなかったことから、仕方なくであり、ただ経験として歩こうと。
だが、この後1か月ちょっと諸事情により社用車で駅まで戻り、翌朝もその車で出勤していた。
その後、仕事の都合上私がバスに乗り遅れることも増えたせいか、社用車と駅前に借りている駐車場が空いていれば、社用車を使わせてもらえるようになった。
それはそれで通勤時間が少しは短縮されてありがたいのだが、せっかく積極的にあるこうという意思をそがれることとなった・・・。
それでも休みの前日は社用車を使わないようにしていた。
そういうときになるべく歩きを組み入れるようになった。
最初から2年、長くても3年で転勤になることはわかっていた。
(現在が帰国後で2つめの会社勤めであるのだが)今まで最短で3か月半、長くても8か月で転勤していた。
(きれいなオフィス内で1年近く働いたこともあるのだが、それは職種上少し違っている。)
であるから、最短で2年も居られるということで、積極的に歩き、周りを観察するよういなった。
さらには休みの日に車で近くを通ったときは、(オフィスがある都市のその地域だけでなく)仕事で関係しているところにも積極的に寄り道をし、土地勘を掴んでおいた。
それらは仕事だけでなく、自分の知識としてもとても役に立っている。
ただ、仕事はとても忙しかった。
このように表現したらわかっていただけるであろうか。
「残業80時間ですべてをこなすのならばともかくとして、それを残業40時間以内で、超繁忙期でも残業50時間程度でこなさなければならなかった」と。
それと通勤に時間がかかる以外は、実に楽しい職場であった。
話は変わる。
確かに一番やりたい仕事ではない。
それでも、この4月から日本に増える外国人労働者に少しは関わることができるようには努力をしている。
とはいえ、老いた両親を支え、また親族に何かがあったときでも支えられるだけのお金が得られなければならない。
それがあるので、4月からは現在勤めている会社の緊急仕事を行うことにした。
何だかんだ言っても、お金がなければ、生活できないので。
そんな今週、実家でちょっとしたアクシデントが起きた。
そのアクシデントも、私が早く戻れたときであり、病院に連れて行くことができた。
普段気丈な方であるのに、突然のある症状がとても気になった。
そのため、私も「病院に行こう」と勧め、夜の道を夜間当直の病院まで車を走らせた。
その判断は正解であった。
私が予想したよりも深刻であった。
ただ(さらにツイていたことは)その日の当直医が大病院であったこと。
でなければ、翌日未明には帰れなかったであろう。
そんな経験をしたことにより、私の(食べるための仕事を選んだ)判断は間違いではなかったことに気がついた。
やりたいことも大切だが、お金は大切。
そして何かがあってもすぐに実家に戻れる場所への通勤、あまり遅くまで残業がないこと、(自分や両親の病院通いから)月に最低2回は週休2日が可能であること等も大切なこと。
頼ってもらえる仕事にありつけるだけ、幸せなのだと実感した。
さて、明日は最後の出勤。
その中でのメインイベントを終らせた後、私は気が抜けてしまうかもしれない。
それはそれで仕方がないと思っている。
気が抜けてやる気がでなくなったら、身辺整理で机の周りなどをきれいきれいにしようと思っている。