まさか日本でカルチャーショックを!

日本で技術者→中国広東省にて日本語教師→日本で技術者復帰→技術者+?
旧題名:まさか私が日本語教師に!(NO.3)

楽しかった仕事帰りのウォーキング。ラストウォークが終わり、明日は職場を卒業する

2019-03-28 21:42:46 | 日本での生活
昨日の仕事帰りも本日の仕事帰りも駅まで歩いた。
昨日は某外国人寮の前を通り、その後は普段バスや社用車での通勤路に戻り、駅まで。
普段の通勤路上での歩きでも多くの自転車に乗った外国人労働者と遭遇していた。

本日はやはり某外国人寮の前を通り、昨年11月9日(金)に途中数回iPhoneでチェックして歩いたコースを通った。

20181109の記事:
花金仕事帰りのウォーキングとアミーゴたちの青春

明日で去る今の職場。
帰りにウォーキングをするようになったのは、通い出して7週間後の2017年5月20日(土)からであった。

その翌日20170521の記事:
雑記20170521

2回目のウォーキングとなる20170526の記事:
雑記20170526「自分を大切にしたい」

3回目のウォーキングの20170530の記事:
不定期投稿になります

この辺まではそれほど乗り気ではなかった。
バスの時間に間に合わなかったことから、仕方なくであり、ただ経験として歩こうと。

だが、この後1か月ちょっと諸事情により社用車で駅まで戻り、翌朝もその車で出勤していた。

その後、仕事の都合上私がバスに乗り遅れることも増えたせいか、社用車と駅前に借りている駐車場が空いていれば、社用車を使わせてもらえるようになった。
それはそれで通勤時間が少しは短縮されてありがたいのだが、せっかく積極的にあるこうという意思をそがれることとなった・・・。

それでも休みの前日は社用車を使わないようにしていた。
そういうときになるべく歩きを組み入れるようになった。

最初から2年、長くても3年で転勤になることはわかっていた。
(現在が帰国後で2つめの会社勤めであるのだが)今まで最短で3か月半、長くても8か月で転勤していた。
(きれいなオフィス内で1年近く働いたこともあるのだが、それは職種上少し違っている。)

であるから、最短で2年も居られるということで、積極的に歩き、周りを観察するよういなった。
さらには休みの日に車で近くを通ったときは、(オフィスがある都市のその地域だけでなく)仕事で関係しているところにも積極的に寄り道をし、土地勘を掴んでおいた。

それらは仕事だけでなく、自分の知識としてもとても役に立っている。

ただ、仕事はとても忙しかった。
このように表現したらわかっていただけるであろうか。
「残業80時間ですべてをこなすのならばともかくとして、それを残業40時間以内で、超繁忙期でも残業50時間程度でこなさなければならなかった」と。

それと通勤に時間がかかる以外は、実に楽しい職場であった。


話は変わる。
確かに一番やりたい仕事ではない。
それでも、この4月から日本に増える外国人労働者に少しは関わることができるようには努力をしている。
とはいえ、老いた両親を支え、また親族に何かがあったときでも支えられるだけのお金が得られなければならない。

それがあるので、4月からは現在勤めている会社の緊急仕事を行うことにした。
何だかんだ言っても、お金がなければ、生活できないので。

そんな今週、実家でちょっとしたアクシデントが起きた。
そのアクシデントも、私が早く戻れたときであり、病院に連れて行くことができた。
普段気丈な方であるのに、突然のある症状がとても気になった。
そのため、私も「病院に行こう」と勧め、夜の道を夜間当直の病院まで車を走らせた。

その判断は正解であった。
私が予想したよりも深刻であった。
ただ(さらにツイていたことは)その日の当直医が大病院であったこと。
でなければ、翌日未明には帰れなかったであろう。

そんな経験をしたことにより、私の(食べるための仕事を選んだ)判断は間違いではなかったことに気がついた。

やりたいことも大切だが、お金は大切。
そして何かがあってもすぐに実家に戻れる場所への通勤、あまり遅くまで残業がないこと、(自分や両親の病院通いから)月に最低2回は週休2日が可能であること等も大切なこと。

頼ってもらえる仕事にありつけるだけ、幸せなのだと実感した。



さて、明日は最後の出勤。
その中でのメインイベントを終らせた後、私は気が抜けてしまうかもしれない。
それはそれで仕方がないと思っている。
気が抜けてやる気がでなくなったら、身辺整理で机の周りなどをきれいきれいにしようと思っている。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

緊急外来にて4時間半の人間模様

2019-03-26 02:05:06 | 日本での生活
諸事情で20時台から25時近くまで大病院の緊急外来にいた。
私が住んでいる市では本日というか昨日の緊急外来担当病院はいくつかの大病院だけであった。

ただ、大病院であるからこそ、処置できた内容であった。

さらには私が転勤前で仕事も少なくなっており、早めに帰宅できたこと、さらには本日は晩ごはんに酒を飲んでいなかったことも幸いであった。

(患者は私ではない。)

待合室で見た様々な人間模様。

例えば、何時間も赤ちゃんを抱っこしてあやしていた若いお母さん。
私自身子供の頃とても身体が弱かったわけであり、このように親に迷惑をかけたのだなぁとしみじみ思った。

まあ、このように記せるのも、患者が入院することなく、翌日未明に帰ることができたからであるのだが。


さて、現在午前2時過ぎ。
明日、いや本日も5時半起き。

来週からしばらくの間は10分ぐらい遅く起き、出かける時間も少しだけ遅くできる。
帰宅も早くなる。

本日のようなことがあっても、対応できる余裕が生まれる。
まあ、そんなことは発生して欲しくないが。


1か月前も私の平日休みの前日に冷蔵庫が壊れ、翌日の休みに買いに行くことができたばかり。
このブログの過去記事でも様々なことを記している通り、私たち家族・親族はいろいろと守られている。

おやすみなさい~

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

“心情不好”

2019-03-24 20:57:18 | 日本での生活
今朝父親と言い争いをした。
誰が見ても、父親に非があることは明らかだと思う。

私が中国で生活をするという夢を叶えなければ、父親も第二定年後に身体を壊すぐらい働かなくても済んだのかもしれない。

それでも自分の人生、ある程度は夢を叶えることをしてもばちはあたらないのではなかろうか。

(受かる受からない、受かっても条件面で私がOKするかはともかくとして)今回も日本語学校に応募してはいた。

しかし目先の数か月の収入確保のために、自分から応募を取り下げている。

2年前の就活でも日本語教師を諦め、今回も諦めた。

リアルにエンジニアの世界に戻れば、お金には苦労しない。
だが私はそれをやりたくない。
嫌いではないのだが、やりたくない理由がある。

それでも両親を支えられるだけのお金が必要。

そういう次第で自分の持つ技術力が活かせる事務系の仕事に就いている。
事務系なので、決して給料が高いわけではないのだが、技術手当があるので、両親を支えながら生きてゆける状態。


実際そんな中で日本語教育関係者から今回の転勤先が日本語関係かと訊かれると、つらいものがある。

友人たちにしろ、恩師たちにしろ、私が日本語教育には戻らないのかと心配してくださる。

とても有り難い話である。

だが、それに「今回も戻っていない」ことを返事するのも心が痛い。
一番やりたい仕事なのだから。


本日実家の買い物がなければ、勉強道具を持って途中で弁当を買い込み、公園駐車場で数時間の勉強後、ウォーキングをしようと思っていた。

だが、何もわかっていないじいさんとやり合って、とことん嫌になったものであるから、気晴らしに自分が生まれた静岡県を車でうろうろした。

数年前の5月も同じ状態でうろうろし、本日とまったく同じスーパーで昼ごはんを買い、そこの駐車場で食べたことを思い出して苦笑い。

父親も私たちを育てるのに、かなり大変であったと思う。
私がその血筋を受け継いでいるように、曲がったことや世間的一般常識にうるさい。
ただ人が良いので、元々流れ者が、人助けのためにあちらこちらに移動をし、けっこう大変であったことは間違いない。

私が高校を卒業してからであったが、会社の倒産にも遭っているし。


このブログ。
いまだに日本語教育ネタをメインいしていることから、そちらに未練があることは皆さまも充分わかっていらっしゃるかと思う。

何にしても(記せないことも多いのだが)私が記すことで、海外で日本語教育を使用と思う方に何かしらの情報提供ができたら・・・と思っている。

そして私のこの話があちらこちらに飛ぶブログを楽しみにしていてくださるのは、語学関係者だけではなかったりする。

ただ、この場を借りて、私の友人たちや恩師など日本語教育関係者に私の近況を報告するためでもあったりする。

しかし、忙しくてこのブログを読んでいない方もいるので、(中華SNSよりは)はるかにつながりが少ないFBなどでもぐだぐだ記していたりする。

特にそちらの方など、特定の方々への近況報告の意味が強い。


と、ここまでは何とか記した。
だが本日はとことん落ち込んでいる。

こんな記事でも心待ちにしてくださっている読者様もいる。
であるから、遅くても今週末にはまた記事をあげたいと思う。
それまでに気持ちを調整したい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

女性の同僚や友人たちと(無事に)交流してゆくには

2019-03-23 22:48:56 | 行動計画 & 積極的思考
20日(水)だけでなく、22日(金)も仕事帰りはウォーキングで駅へ。

この5か月のほとんどはある外国人寮の前を通っている。

私自身中国で学校敷地内の外国人寮で暮らしたこともあるし、学外の村の中の外国人寮で暮らしたこともある。
(村と記したが、小さな繫華街と呼べるぐらいのところであった。)

もちろん自分のお金で外にアパートを借りていたことも2回ある。
それでも今思うと、外国人寮の暮らしでは言葉も通じる仲間たちがおり、力を合わせて暮らしていたのである。

それに教師として見てきた学生の学生寮や外で借りていたアパートでの生活の記憶が加わっている。

であるから、最近よく記しているウォーキングでの帰り道に通る外国人寮の付近を通るときにはある種のノスタルジーさえ感じるのである。


さて、話を一昨日22日(金)に戻す。
この日も途中にまったく知らない道を選んでいる。
そして今回は地図でも確認していない細道。

細道とは記したが、歩きで良く知っている道とさすがに歩きでは通らないが良く知っている道に挟まれている普通の住宅街に囲まれた道であった。

その頃には充分暗くなっており、あまり人は歩いていなかったのだが、住宅地だけあり、人々の生活は思いっきり感じた。
晩ごはんを作る匂いの中、安定した生活を捨て、日本語教師への道を歩み出してから現在までに出会った方々を思い出していた。

そしていつしか想いは数々の女性の同僚や友人たちに。
(もしかして自分は精神的に疲れている?)

特に日本語教育等の外国語が関係する世界には女性の活躍が多い。
そういう意味では仕事上での女性同僚には慣れている。
それが語学関係の仕事ではなくても。

ただそれが職場を離れたときの交流となると、けっこう注意しなければならない部分が多い。

特に相手が既婚女性の場合。
だがもっともっと注意すべきは途中で結婚された(り、事実婚となった)女性の場合。

今までがけっこう仲が良かったこともあり、それほど異性を感じずに交流してしまうこともある。

しかし、いくら「旦那は大丈夫」だとは言われても、男性の自分の立場で考えると、今までとまったく同じ付き合いはできないわけで・・・。

親友というものはもちろんであろうが、決して友人が多くはない自分の場合、段々と気楽に話せない、気楽に連絡を取れない、気楽に一緒に出歩けない友人が減ってゆくことになる・・・。

いや、それは対女性友人だけに限った話ではない。
男性であっても、安易な付き合いは相手の奥様の猜疑心を招くことがある。

特に厄介なのは、今現在自分が花の独身であったりすること。


とそんなことを考えながら駅に辿り着き、電車に乗った。
地元の駅に着き、駅前駐車場に置いてあったマイカーに乗り込み、買い物へ。

スーパーから自宅への途中でまた上記の考え頭に浮かんだ。

しかし、面白いものである。
(わかりやすい表記をすれば→)神は何でもお見通し。
You Tubeで見るのは外国語関係だけではない。

タイトルを見て「あっ!」と思った。
中を見てみると、自分へのメッセージだと気付いた。

やはり相手が女性の場合は自分が感じる以上にかなりの注意が必要なのである。

「なるほどね・・・」と納得し、眠りについた昨晩であった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

無性に魚が食べたい物語 と 日本に住む外国女性の後ろ姿

2019-03-22 22:24:21 | 日本での生活
タイトルはもちろん読者様の目を引くための姑息な手段が含まれている・・・。


朝から無性に淡水魚が食べたかった。

私は中国で広東省に住んでいたのだが、最初は海から遠い場所であった。
そういう場所であるのに、なぜだか夜の“燒烤”で焼いた海産物が食べられたりした。
だが、昼などは魚料理を頼んでも、当然淡水魚となる。

最後に住んだのは海沿いの都市。
最初に住んだ都市よりも海産物を食べる機会が増えたのだが、やはり伝統的な料理となると淡水魚が多くなる。

少々話が説明チックになったのだが、話を元に戻すと、今晩は(淡水魚)ではないが、米焼酎で剥き身ではあるが、おいしい魚を堪能することができた。


昨日3月21日は春分の日であり、今の職業では週中の祝日に休めることが少ないのに、なぜか休むことができた。

その前日の20日の帰り道。
休みの前は駅までウォーキングということが多い。
そしてたいてい某外国人寮の前を通る。
もちろんわざと通っている。

昨日は職場のほうからシャワー後らしい女性二人が現れた。
1人は手に洗濯物を入れたカゴを持ち、1人はスマホでその国の言葉の歌を流していた。

このように記すと、「変態!」と呟かれるかもしれないのだが、しばらく後姿を観察した。

私は歩くのが早い。
東京や大阪などの方々に比べれば遅いのだが。

スマホで音楽の方が私に気づき、音楽を止めた。
普段日本人がそんなところを通るとは思ってもいなかったに違いない。

だが私は最初に就いた職業の影響か、工業団地やそれに近いところを歩くこともかなり好きであったりする・・・。
(これは中国でも同じであった。)

それに工場はどこかで外国とのつながりがあるので・・・。

そんな優雅な(?)小道ではあるのだが、晩秋の頃などその寮の男性が水路で魚を捕まえていた。

あくまで推測であるのだが、食べるのであろう。
(水は汚くはない。ただ工場付近を流れていると言われれば、返す言葉もないが。)

私はその国に行ったことがない。
ただその国の料理は大好きであるし、とても興味がある場所でもある。

そんな光景を見ているからこそ、無性に淡水魚が食べたくなるわけで。


私はけっこう多趣味であるのだが、釣りは小学校5年生頃に始めている。
初めて川で釣ったのが、色鮮やかなオスのヤマベであった。

その時はリリースしたのだが、数か月後スーパーでヤマベを発見した。
母親にねだって買ってもらい、焼いてもらった。
しかし、お世辞にもおいしくなかった・・・。

そんな私であるのだが、中国で淡水魚を食べており、その独特の風味が懐かしかったりする。

私が日本を離れる前まではたまにスーパーでソウギョも売られていた。
しかし、帰って来てからは、一度も目にしていない。


話があちこち飛んで申し訳ない。

今年の夏で、日本に帰国して5年が過ぎる。

しかし、あんなに憧れた日本であるのに、合わない部分もあることに気づいている。
今回はその内容を記すことは控える。
ただ、そういう普段の積み重なったうっぷんが、日本に住むアジア人への観察となり、その推進期間は終わりがなかったりする・・・。

おまけに自分が中国で外国人として仕事をして生活をしていたわけであり、日本に住む外国人労働者に以前の自分を重ねてしまうところがある。

さらには中国で日本語教師をしていたので、寮や付近のアパートで生活をしている学生の普段をよく知っている。

その中国での学生の生活の様子。
それは日本に住むアジア人の方々の生活を見る度に思い出す。


できれば日本語教師に戻りたい。
だが本日のYahoo ニュースにも野っていたのだが、日本語教師で家族を養うことは難しいケースが多い。

老いた両親を放っておくことはできない。

だが、日本語教師に戻れないのであれば、せめてどこかで外国人と関わっていたい。

それもあるので、その前段階として、4月からの転勤が待っているのである。
まあ、あくまで前段階であり、自分の技術は活かせるものの、別に外国人とは何も関係はないのだが。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする