一週間が終わった。
今学期から週休二日になったので、その分月曜から金曜まで以前よりは無理が出来る。
それでも(昼に記したように)この金曜日の夜が待ち遠しかった。
本日20時過ぎに幹線道路に接続する(人も車も少ない)大通りを歩いていて思い出したことがある。
以前の仕事でも20時帰宅など別に珍しくもなかったし、当然もっともっと遅く帰っていたこともある。
ただ、日中は現場に出ているので、自分の体を考えて(冬場や夏場でも特別な仕事の時以外は)一応なるべく20時までには帰宅するようにしていた。
極端な話、残った仕事を家に持ち帰ってでも。
私は夜の仕事が得意ではないので、自分でそういう調整をしていた。
自分の現場は自分で管理するから出来ること。
その20時過ぎの街灯の下で思い出したこと。
それは1986年3月のこと。
当時高校を卒業したばかりであり、最後の春休みにあれこれしようと考えていた。
だが、入社予定の会社から「慣れるためにも仕事に出てきたら?」と言われ・・・。
そこから19歳直前のガキは二週間の休みもなく働いた。
と、カッコイイことを記しているのだが、当時の私など使えない人間。
言われたことを行うだけ。
その言われたこともわかってんだか、わかってないんだか・・・。
二回目の日曜日出勤の晩であったと思う。
その時に私がついていた(私を指導してくださっていた)先輩が事務所で「現場事務所に書類の一部を忘れた」とのたまった。
彼はどっぷり疲れている。
そこで私に「現場事務所に戻って取って来てくれないか」と。
だが、私は生意気にも「私も疲れて動きたくありませんよ・・・」と。
そういうわけでその日はめでたく先輩も私も帰宅することができた・・・。
ある意味新人君の私の意見も正しかったのかもしれない。
私の心の中では「正式な入社の前に呼びつけておいて2回連続の日曜出勤ってなんだい?!」と叫んでいたのだから。
だが、今晩気が付いた。
当時の私はやはり世間の厳しさを知らない生意気なガキであったのだと。
もちろんすでに28年前のことであり、今までにも何度かその時の自分の世間知らずさに気が付いている。
それでも本日が一番「あぁ・・・当時の俺はやはりガキだったのだなぁ・・・」と感じた。
中国では日本語学校冬の時代。
それでも私は今学期は上昇気流に乗ることができると期待していた。
だが、今期も前期と変わりはない。
それ以前に中級がないだけ収益は少ない。
(これについては日中関係のせいではなく、私の努力不足だと考えるようにしている。)
まさか上司たちも外国人教師の私をそこまで使うこともできず、また誰かひとりは本業を冷静に観察できる人間が欲しいのであろうこともあり、私は今のところ全日制のクラスのみを教えているだけ。
だが、上司は夕方から夜、週末はあちこちで日本語や中国語などを教えている。
そして私と同じく普通の教師である同僚も上司と共に空き時間はプライベートレッスンの学生に日本語や他の言語を教えている。
そうなると現在夕方や夜の管理ができるのは私だけ。
夕方は今までも二クラス見ていたので問題はない。
ただ、交代ではなく固定の晩自習の管理はきつい。
もちろん上司たちはずっと私に夜の管理をさせるつもりはないであろう。
だが私は「今学期の夜は自分が受け持つべきだ」と考えている。
確かに誰かひとり学校を冷静に観察できる人間は必要。
だが、現時点で私が一番楽なのである。
今のところ一日の授業は合計4時間。
もちろん誰よりも早く事務所に来ているし、授業と授業の間の空き時間もすべて個人の生活に使っているわけではない。
授業の準備もあれば、事務仕事も自己研修もある。
そして私は(自分でいうのもなんだが)結構真面目な人間である。
それでも現在、この日本語学校の教師の中で一番余裕があるのは私なのである。
(それに私は日本語とそれに付随することしか教えていないし・・・。)
そして早く学校全体としての成果を出さないと、日本に戻れない。
(学生を増やし、私以外に日本人教師を確保しないと日本に戻れない。)
上司たちは個人の幸せを一番に考える方なので、途中で私が日本に戻ると言っても、快く送り出してくれるであろう。
(もちろんできればずっと一緒にいて欲しいと思っているはずだが。)
だが、今のままの状態で無責任に上司や同僚の前からいなくなるのは人間として失格だと思う。
というわけで私もけっこう追い込まれており、今まで以上に笑みを絶やさないようにはしていてもけっこうきつい。
それに生まれつき体は強い方ではないし・・・。
だからこそ、28年前のことを思い出すのであろう。
その仕事で冬場にずっと休みがないのは別に珍しいことではなく、(以前ほどではないものの)今でも似たようなものではなかろうか。
だが、普通の現場よりは管理項目が厳しい現場を一人で動かしていた先輩。
後に私も工種は違ったが、同じ発注者の現場を一人で管理するのにとても苦労した経験がある。
それは私の建設技術者としての仕事の中で一番嫌な思い出となっている。
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ちなみにブログ記事右上の投稿時間は北京時間であり、+1Hが日本時間である。
したがってブログランキングサイトにこの記事が反映される時も実際のアップより1時間早く表示される。
今学期から週休二日になったので、その分月曜から金曜まで以前よりは無理が出来る。
それでも(昼に記したように)この金曜日の夜が待ち遠しかった。
本日20時過ぎに幹線道路に接続する(人も車も少ない)大通りを歩いていて思い出したことがある。
以前の仕事でも20時帰宅など別に珍しくもなかったし、当然もっともっと遅く帰っていたこともある。
ただ、日中は現場に出ているので、自分の体を考えて(冬場や夏場でも特別な仕事の時以外は)一応なるべく20時までには帰宅するようにしていた。
極端な話、残った仕事を家に持ち帰ってでも。
私は夜の仕事が得意ではないので、自分でそういう調整をしていた。
自分の現場は自分で管理するから出来ること。
その20時過ぎの街灯の下で思い出したこと。
それは1986年3月のこと。
当時高校を卒業したばかりであり、最後の春休みにあれこれしようと考えていた。
だが、入社予定の会社から「慣れるためにも仕事に出てきたら?」と言われ・・・。
そこから19歳直前のガキは二週間の休みもなく働いた。
と、カッコイイことを記しているのだが、当時の私など使えない人間。
言われたことを行うだけ。
その言われたこともわかってんだか、わかってないんだか・・・。
二回目の日曜日出勤の晩であったと思う。
その時に私がついていた(私を指導してくださっていた)先輩が事務所で「現場事務所に書類の一部を忘れた」とのたまった。
彼はどっぷり疲れている。
そこで私に「現場事務所に戻って取って来てくれないか」と。
だが、私は生意気にも「私も疲れて動きたくありませんよ・・・」と。
そういうわけでその日はめでたく先輩も私も帰宅することができた・・・。
ある意味新人君の私の意見も正しかったのかもしれない。
私の心の中では「正式な入社の前に呼びつけておいて2回連続の日曜出勤ってなんだい?!」と叫んでいたのだから。
だが、今晩気が付いた。
当時の私はやはり世間の厳しさを知らない生意気なガキであったのだと。
もちろんすでに28年前のことであり、今までにも何度かその時の自分の世間知らずさに気が付いている。
それでも本日が一番「あぁ・・・当時の俺はやはりガキだったのだなぁ・・・」と感じた。
中国では日本語学校冬の時代。
それでも私は今学期は上昇気流に乗ることができると期待していた。
だが、今期も前期と変わりはない。
それ以前に中級がないだけ収益は少ない。
(これについては日中関係のせいではなく、私の努力不足だと考えるようにしている。)
まさか上司たちも外国人教師の私をそこまで使うこともできず、また誰かひとりは本業を冷静に観察できる人間が欲しいのであろうこともあり、私は今のところ全日制のクラスのみを教えているだけ。
だが、上司は夕方から夜、週末はあちこちで日本語や中国語などを教えている。
そして私と同じく普通の教師である同僚も上司と共に空き時間はプライベートレッスンの学生に日本語や他の言語を教えている。
そうなると現在夕方や夜の管理ができるのは私だけ。
夕方は今までも二クラス見ていたので問題はない。
ただ、交代ではなく固定の晩自習の管理はきつい。
もちろん上司たちはずっと私に夜の管理をさせるつもりはないであろう。
だが私は「今学期の夜は自分が受け持つべきだ」と考えている。
確かに誰かひとり学校を冷静に観察できる人間は必要。
だが、現時点で私が一番楽なのである。
今のところ一日の授業は合計4時間。
もちろん誰よりも早く事務所に来ているし、授業と授業の間の空き時間もすべて個人の生活に使っているわけではない。
授業の準備もあれば、事務仕事も自己研修もある。
そして私は(自分でいうのもなんだが)結構真面目な人間である。
それでも現在、この日本語学校の教師の中で一番余裕があるのは私なのである。
(それに私は日本語とそれに付随することしか教えていないし・・・。)
そして早く学校全体としての成果を出さないと、日本に戻れない。
(学生を増やし、私以外に日本人教師を確保しないと日本に戻れない。)
上司たちは個人の幸せを一番に考える方なので、途中で私が日本に戻ると言っても、快く送り出してくれるであろう。
(もちろんできればずっと一緒にいて欲しいと思っているはずだが。)
だが、今のままの状態で無責任に上司や同僚の前からいなくなるのは人間として失格だと思う。
というわけで私もけっこう追い込まれており、今まで以上に笑みを絶やさないようにはしていてもけっこうきつい。
それに生まれつき体は強い方ではないし・・・。
だからこそ、28年前のことを思い出すのであろう。
その仕事で冬場にずっと休みがないのは別に珍しいことではなく、(以前ほどではないものの)今でも似たようなものではなかろうか。
だが、普通の現場よりは管理項目が厳しい現場を一人で動かしていた先輩。
後に私も工種は違ったが、同じ発注者の現場を一人で管理するのにとても苦労した経験がある。
それは私の建設技術者としての仕事の中で一番嫌な思い出となっている。
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