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まさか日本でカルチャーショックを!

日本で技術者→中国広東省にて日本語教師→日本で技術者復帰→技術者+?
旧題名:まさか私が日本語教師に!(NO.3)

定年後に海外で教えたい方々へ

2020-11-07 02:54:55 | 日本語に関係する教育
前回の記事でこのようなことを記した。

それでも、今の状況を考えると、今の生活の維持を優先させることが大前提なのである。

せめて、60歳の数年前までには再び外国で教師に戻れれば・・・。
そうすれば、60歳を超えても数年はビザの更新が可能かもしれない。


以前中国という外国で日本語教師をしていた。
ビザ取得の面で嫌な経験は何回かある。
ビザというものは必ずしも本人がその要件を備えているから取得できるというものでもない。

更新は別の方だけに任せても問題ないのだが、新規取得では必ず本人が顔を出さなければならない。
ちなみに私の場合、新規取得だけでも3回行っているのだが、3回すべてがドキドキであった。
初回のドキドキと他2回のドキドキは種類が違う。

とても簡単に記せば、現地採用であった。
以前は日本から応募して合格となった場合、そのまま現地に飛び、ビザ免除の2週間で労働ビザを取ることも可能であった。
もちろんこれは地域や学校の種類によって違った。

ただ、私がまだ中国にいる間に状況は変わっており、今はそんなわけにはいかない。

その始まりは2008年の北京オリンピックの年であった。
私自身その年の学校移動の際に新規ビザ発給の規制で苦労したことがあった。
その年は多くの外国人が新規ビザ取得で苦しんだ。
そして、それが尾を引いて、数年後にまた苦しんだ経験を持つ方は多いであろう。
私もそのひとりである。

ただ、今回そこまで記すと長くなるので、控えておく。
なぜならば、今回の本題は労働ビザを取得できる年齢等の条件についてであるので。

外国で仕事をするには、滞在に際して労働許可があるものでなければならない。
労働ビザやその国や地域の方の配偶者や家族としてのビザ、永住許可などがそれに該当するであろう。

ただ、それが労働ビザである場合、やはりある程度の年齢を迎えると、新規取得はもちろん、更新でさえも難しくなる。

中国の場合、働くとなるとZビザとなるのだが、場所によって制限される年齢は違っていた。
まあ、たいてい60歳である。

私自身、中国で外国人の外国語教師(日本語教師を含む)に限らず、他の職業の方の例も見聞きしてきている。

できれば60歳以降は更新の形を取りたい。
その更新も難しいことがあるのだから、新規だと本当に難しくなる。
当然それ相当の経歴や実績が必要になってくる。

そして、新規の場合、四大卒が求められる。

労働ビザを取るには外国人として働く許可があることが前提となる。
ただ、これについてあれこれ細かく説明して、混乱するといけない。

であるから、とても簡潔に記しておくと、

日本語を含む外国語教師の場合、他の業種以上に四大卒でなければ、労働ビザの新規取得は難しい。

またここで大卒という壁が現れ、ため息をついた方もいらっしゃるであろう。
今現在も日本語教師になるため、日本語教師を続けるため、この条件と闘っているのに。

実際2008年に四大卒でないばかりにビザが取れずに帰国されたケースも知っている。
ただ、2008年以降に中国で日本語教師を始めた四大卒ではない方もいらっしゃるのだが、次の学校では経験により、四大卒でないことなど関係なしに先生を続けたというケースも知っている。
(後者の件については上述で話を濁した部分とも多少関係がある。)

今でも世界中で四大卒でなくても、今までの経験により、日本語教師を生業として生活していらっしゃる方は多い。

ただ、現在は新規での労働ビザ取得が難しいことには変わりない。


定年後に外国で日本語を教える。
とても素晴らしいことだと思う。
ぜひ叶えていただきたい。

ただ、その素晴らしい夢を叶えるために、あれこれ知っておいていただきたいのである。
夢を夢で終わらせないために。

そしてこれは我々のように50歳を過ぎた方々だけでなく、海外で教えたい若い方々にも知っておいていただきたい話である。

また、当たり前の話ではあるが、日本国籍を持っていても、海外に出れば外国人になるのである。
外国人としての生活は決して楽しいことだけではない。
その中で楽しく愉快に暮らしていくためにも、相手(行って教えたい国)について、良く観察しておくことをお勧めしたい。
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日本語教育の世界が豊かになるのであれば

2020-01-22 22:20:50 | 日本語に関係する教育
熱がある。
といっても、私にとって発熱など珍しくもないことである。
だが、けっこうだるいので風邪であろうか・・・。

本日はのんびりする日に設定してあった。
それでも最近見ている中国人気ドラマの最終シリーズぐらいは見たいと思っていた。
しかし、今晩は見ずに寝ようと思う。


さて、帰国後ずっと離れている日本語教師について記したい。

最近あまりこれからの日本語教師の資格と資質の動向を見てはいない。
であるから、これから私が記すことは合っているのかどうか自信がない。

ただ、経験者としては当然興味がある。

これからの日本語教師に求められることのひとつとして、何かしらの教員免許が必要になったとするならば、それはそれで良いかと思う。

それで日本語教師の資質と権限、給料が上がるのであれば。

ただし、現職または休職中であり、それなりのスキルを持っていらっしゃる方には特例措置を取っていただきたいことは言うまでもない。
そして、ボランティアで活躍されていらっしゃる方々も大切にしていただきたい。
日本の日本語教育はボランティアの方々の努力で成り立っていると思っているので。

教員免許。
もちろん私は持っていない。
何とか大学には通ったが、とても教職課程など取っている時間とお金がなかったので。
20代半ばで大学に入学でき、卒業できたこと自体が自分でも驚きであるのだから。
それを求められると、私は「アウト~」である。

ただ、それでも私は日本語教師をしていた。
それも日本語教師の醍醐味のひとつであったと思う。

このブログの前タイトルは『まさか私が日本語教師に!(No.3)』であった。
そのタイトル通り、まさか自分が教師になれるなど思ってはいなかった。
ただ、教師になりたかったことは当然であり・・・。

外国で生活したかった。
特に中国語圏で。
当時の私が中国語圏で労働ビザを取れるとしたら、当時の職種では難しかった。
他地域ならばともかくとして・・・。
ただ、私は自分が日本語の対する何かのセンスを持っていることだけは気づいていた。
そのことと、教師への憧れにより、日本語教師になったのである。


話が脱線した・・・。

次に・・・。
当然注目しているのが、国家資格としての日本語教師免許。
もし私がそれを受けて合格した場合、今までの中国での経験が実習の代わりとして認められるかどうかはわからないけれども・・・。


結構熱が上がってきたので、ワープする。

しつこいようだが・・・。

現在私は日本語教師を離れている。
そして、一番好きな仕事ではあっても、生活のために今は戻れない。

だが、日本語教育の世界が豊かになるのであれば、私はそれを応援していきたい。
ただ、声を上げているだけでなく、行動したい。

2020年1月25日(土)は春節である。
それまでには元気になりたい。
であるので、「おやすみなさい」。
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日本語教師あるある【失敗談 二本立て】

2020-01-11 22:00:33 | 日本語に関係する教育
日本語教師経験者。

①昨年春まで2年配属されていた職場は工業団地の近くであり、技能実習生らしき外国人の青年が多かった。

あるとき自転車に乗った二人組の男性に近くのコンビニ(の場所)を訊かれた。

そのときの彼らの日本語はけっこうしっかりしていた。
それなのに私はティーチャートークで説明をしてしまった・・・。

自身が外国で生活をしていたので、これが助かることもあった。
だが、中国の田舎の場合、私を外国人だと見破る方は少なかったので、滅多にあることではなかった。

なぜならば、中国では中国語が下手な中国人はたくさんいらっしゃるので。
例えば、私が教えたある学生は「日本語と広東語ならば、すぐに説明できることでも、中国語普通話であると、考えてしまう・・・」と日本語で呟いたことがあった。

方言や中国語とは違う言語が母語またはそれに近いものであり、ずっとそれで生活をしていると、普通話が下手であるケースがある。

中国語とは違う言語が母語またはそれに近いものであった場合、昔は少数民族系の学校で小学校から高校、大学までずっとその言語での授業を受けていたというケースもあったらしい。

ここで話を出だしのティーチャートークに戻す・・・。

それ以降、相手の話す日本語の程度に合わせた話し方を心掛け、決してティーチャートーク一本にはならないように注意している。

だいたい私は自分が教える中級以上の学生にそんな話し方はしていなかったのであるし。
(もちろん単語は選んで使っていたという点では、ティーチャートークになるけれども。)


②日本語教師になる前から、外国人の買い物を観察していたような人間であり、日本語教師から離れた今でも外国人の方を見ると、ついつい目で追ってしまう・・・。

特にスーパーの中であるとか、通行中の場合はストーカーにならないようには注意しているつもりである。

ただ、今晩もテレビを見て思ったことがある。
「おっさん、今そこで出会ったばかりの女性を気安く触るんじゃねーよ!!」

フレンドリーを心掛けているのだとは思うのだが、もう少し女性の気持ちを考えたらいかがかと。

つまり、自分のやっていることは自分では理解できないことが多いということ。

そういう点で私は「観察している自分を客観的に見る」ようにしている。

昔のこと。
冬に車を走らせていると、前から自転車に乗った女子高校生がやって来た。
寒い中であるのに、当時流行であったミニスカートの制服。
私にまったく変な気持ちはなかった。
ただ、「今は良くても、将来困るかもしれないのに・・・」と見つめてしまったのがいけなかったか。

女子高生が通りすがりに(窓ガラスを締めている)私に聴こえるような声でのたまった。
「スケベ!!」と・・・。

私はとても心が痛かった。
今でも思い出すと、笑えるのに心が痛かったりする。

では、私に観察されている外国人の方々の気持ちはどうなのであろうか。
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日本語教師あるある【日本語文法編】

2020-01-09 21:56:29 | 日本語に関係する教育
私のこのブログの日本語は特殊であり、まったくもって標準的な日本語ではない。

そんな私であっても、言葉に関する「日本語教師経験者あるある」をいくつか記してみようと思う。

良くテレビやラジオ、ネット上の日本語ネイティブの日本語にツッコミを入れてしまう。

①「凄い美味しい」に対して「『凄く』でしょう・・・」
②「食べれる」→「食べられる(!)」
③「違うくない/違くない」→「『違わない』だろが(!!!)」

①についての「凄い」は本来「凄く」と副詞にするものであると思う。
ただ、これを「感嘆詞」だと考えれば、目をむいて訂正することもないのであろう。
それでも私はそのような使い方はしない。

②について記すと、今では私の両親も「ら抜き」で話すことが多い。
現在住んでいる地域は「ら抜き」使用率が多いこともある。
まあ、理に適っているといえば、適ってはいるのだが、私は使わない。


③について
特にアイドルであるとか、YouTube等を用いて日本語で日本語非母語話者に発信している方が使っていると、「ご自分の影響力を考えてよ・・・」とイラっとくるときがある。
しかし、発話した方が私のお気に入りであると、「そうか、この方がそのような使い方をするのであれば、すでにこの用法は正しいとさえも言えるのかな・・・」「これこそ使える日本語であるのかもしれない」と妙に納得してしまったりもする・・・。
(人間なんてこんなもの!)
それでも私は使わない。

言葉は変化している。
英語の固有名詞の発音もそうであるし、中国語の単語でもけっこう変化があったりする。

それは仕方がないというよりは当然のことだと思う。

しかし、私は日本語教育に限らず、日本全国の方々、外国の方々に対して日本語でコミュニケーションを取ることが多いのである。

今年になってから、飛ばされたところが思いっきり地元であり、いつの間にか思いっきり方言を使って仕事をしていることに気づき、苦笑することがある。

もちろん私は方言が悪いと言っているわけではない。
地元の方々とのコミュニケーションを考えると、使うほうが良いことはわかっている。

ただ、なるべく日本語非母語話者が聴いて理解できるような話し方を心掛けている。
(だからこそ、逆にカタカナ語が日本語母語話者に通じないこともあり、焦ることがある・・・。)


④公文書であろうが、社内書類であろうが、文法の些細な間違いが気になってしかたがない。

自分で直しても問題がない場合は、遠慮なく訂正しておく。
(作者が伝えたいことを考えると、1箇所に数分悩んでしまうことも多い。)

結構多いのが、「自動詞・他動詞」と「ひとつの文に助詞の『を』が2回現れるケース」。
さすがに公文書で変換ミスは少ない。

もちろんこのブログもたまに自・他動詞の間違いをしてしまう。
それは「考え考え打っていることが原因」である。

そして「考え考え打っている割には」変換ミスも多い。

元々だらだらと長文を書き連ねてしまう悪い癖があるのだが、ろくに校正せずにアップしてしまう。


まだあるのだが、後日のために残しておきたい。
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教師に戻れたら、一番いいよね

2019-06-09 18:43:00 | 日本語に関係する教育
以前中国にいた頃、Youku等で外国語の学習ビデオを見ていた。
そうなると、やはり中国語媒介のものが多くなる。

実は帰国の1年ほど前からも無料でけっこう使えるVPNを見つけ、You tubeも見てはいたのだが、2014年夏の日本帰国から、You tubeもかなり活用するようになった。

2016年からはほとんどYou tubeに頼るようになった。

そして最近では中国語媒介や学習言語によるものだけではなく、素直に日本語媒介での学習ビデオも見ている。

最近気になっている先生がいらっしゃる。

その方の日本語での外国語教授はかなりのもの。
さらには日本語に目標言語も交えた教授法もかなり素晴らしく感じる。

今のところ中・上級のものまでは見ていないのでわからないのだが、当然直接法でもやっていらっしゃるのであろう。

その素晴らしさには感動!
そういうわけであり、外国語学習だけでなく、その先生の教え方も真剣に頭にいれるようにしている。

そしてこの方はおそらく日本語教育にも関係していらっしゃるような気がしてならない。


さて、本題。

以前日本語教師をしていた私。
帰国後はさまざまな事情より、他の専門分野を活かした世界で食べている。

とはいえ、日本語教師こそ自分が一番好きな職業であることは偽りのない事実。
しかし、この先日本語教師に戻れるかどうかの保証はない。
いや、戻ることはできるはず。
ただ、それで食べていけるかどうかという大きな問題があるだけのこと。

頻繁に記しているのだが、老いた両親を捨てるわけにはいかない。

ただ、日本語教育だけでなく、他の分野を含めたら生活ができるかもしれない。
それは自分の他の専門分野や自分の知識が活かせるまったく新しい分野だけではない。自分が扱える外国語にも目を向けるという手もある。

もちろんこんな夢は昔とっくに記してある。
ただ、ある種の分野を除き、実力が伴っていないだけの話。

と相変わらず尻切れでアップしておく・・・。
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