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まさか日本でカルチャーショックを!

日本で技術者→中国広東省にて日本語教師→日本で技術者復帰→技術者+?
旧題名:まさか私が日本語教師に!(NO.3)

2年前の蹉跌?

2016-07-16 18:57:33 | 中国生活
2年前の今頃。
日本帰国に際しての部屋の片付けの最終段階突入。

この日はタンスや冷蔵庫、(脱水槽の壊れた)二槽式洗濯機、脱水機などを買い取ってもらおうと、あちこち出かけている。
「今日こそは!」という意気込みで。
(タダでもよかったの。)

結局は無理であった・・・。

力を落として帰宅した。
そして大家さんに連絡。

帰国の2日前、結果的にそれらの処分は大家さんに任せることとなった。
(元々1か月前から「最悪の場合はヨロシク」と言ってあったが・・・)

この帰国に関しては飛行機チケットの予約以外は誰の力も借りるつもりはなかった。
チケットについては「最後にこれぐらいは経営者である上司の手を借りる方が、逆にエチケットになる」と思ってのこと。

中国に来てから、8回引っ越していた。
最後の2回は自費での引っ越しではあったものの、なんだかんだで様々な方の力を借りている。

それがいけないことだとは思わない。
逆にお願いしない方が水くさい。

だが、中国生活の締めとしてはすべてを個人で片づけたかった。

途中住んでいた市で仕事をしている卒業生たちの手を借りようかと思ったことも何度かあった。

当たり前だが、学校を挟んで隣の村に住んでいた上司の手を借りようと思ったこともそれ以上にあった。

それ以前に住んでいた村の顔見知りの方々にお願いする方法もあった。
ただこれこそ、彼らに悲しい思いをさせるので、避けたかった。
私は村に残っていた最後の日本人であった。
私はひっそりと住み慣れた村を出てゆきたかった。

手を借りたことは上述の上司にお願いしたEチケットの手配、大家さんに任せることとなった家具の処分、そして大家さんにバスターミナル近くのホテルまで荷物ごと私を運んでもらったことの3つ。

私は帰国の前の夕方、幹線道路に面した村の入り口まで(10kgのショルダーバッグとパソコンバッグ、小さなショルダーバッグを肩にかけて)スーツケース2つを押していくつもりであった。

そこからバス停までは遠くない。
または村の入り口で日本の1BOX軽自動車ぐらいの大きさの白タクをチャーターする手もあった。

それでもできれば、市バスで行きたかった。
(その市では一度も大荷物追加料金を取られたことがないが、さすがにスーツケース2つだと取られたであろうが・・・。)
どのみち空港バスは私の住んでいた村を通るのだが、この市に7年住み、そのうちの6年をその村で過ごした私にとって、村の前を通る市バス6路線には相当の思い出がある。

他の路線を含めて、私はこの市バス及び隣の市のバスを駆使して生活してきた。

だが、新築のアパートに4年もお世話になった私は大家さんの親切を無にするわけにもいかない。
大家さんはずっと「当日の朝にアパートからバスターミナルに行けばいいじゃないか。俺が送るよ」と言ってくれていた。

それでも私は常に危険回避、安全策選択で生きている。
ぎりぎりでの行動は避けたかった。

私が言いたいこと、それは「人は一人では生きてゆけない」ということ。



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スマホがなかった時代に

2016-04-14 22:12:55 | 中国生活
今はスマホがあるからいいのだが・・・。

私が中国でスマホを使い出したのが、2012年の7月であった。

もちろんそれまでは日本でいうところのガラケー。

困るのが日本人とのSMS。

中国語がわかる方とは中国語でやり取りすればよいのだが、まったく中国語がわからずに中国に来ている方も多いわけで・・・。

そうなるとローマ字でのやりとりになる。

しかし、携帯端末で簡単な英語を打つのならまだともかく、ローマ字で日本語となると、大変・・・。

ある日私は漢字とローマ字の併用でSMSを送った。
(わかりやすい例:明日no授业开始wa 15分迟rerusodesu.)

ところが通じなかったらしい。

そう、簡体字がわからなかったとか・・・・・・。

ちなみに以前は日本国内で携帯メールで中国語を使う時はピンインを用いていたわけであり・・・。
電話だけではなく、PCメールでも同じこと。

便利な世の中になったものだと思う。

だが、そんな時代がとても懐かしく思える。

懐かしいといえば、ワープロで日記や行動計画を懸命に中国語を打っていた時期も同じこと。
日本の漢字にないものは作ったり、当て字をしたり、そこだけピンインで記したり・・・。



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今だから笑える不要品処分方法・・・

2016-03-23 22:05:33 | 中国生活

足元をよく見ること。
それは日常生活の中でも、仕事上でも、さらには抽象的な事柄でも基本中の基本。

あれは午後一番目の授業に向かう時であった。
アパートとアパートの間のモルタル舗装のセコ道を歩いていた時のこと。
(ええ、コンクリート舗装ではなく、モルタル舗装でした。)

バナナの皮に気がつかなかった私は思いっきりこけそうになった。
とてもバランスを立て直すどころではなかった。
受け身も取れそうになく、腰、背中、後頭部をぶつけるだろうと感じていた。

その時前から歩いてきた美女が私の腕をヒシッと掴み、助けてくださった。

本当に可憐な容姿であり、どこにそんな力があったのであろうかと・・・。

だが、その時の私は礼を言うことで精一杯であった。

そんな中国在住時代。
本当に様々な経験をしている。
私が現場仕事の出身でなければ、感が働かずにとっくに命を失っていたかもしれない。
そんな日本では考えられない出来事は多数・・・。

とにかくあり得ないことが起きる世界での最後の4か月。

2014年3月下旬早々にその夏の日本本格帰国を決意した。
その翌日の日曜日から行動を始めた。

「1日に最低一つは要らないものを処分する」

最初は日本の小説数冊であった。
それは内容から言って、学生にプレゼントするのは避けたかった。
別にエロ小説ではなく、ハードボイルド小説なのだが・・・。

何と言ってもそこでは唯一の日本人。
そして私はあえて市内の日本人と仲良くなるつもりもなかったので、そういう知り合いもいない。
(まったくいないわけではないのだが、学生に知られたくないので、出来るだけ秘密にしたかった。)

アパートの近くの2つのゴミステーションに出すには危険過ぎる。
まずは一番近い繫華街に行く途中の村の少し大きなコンテナの一番下に外国語学習の書籍を放り込んだ。
資源ゴミ回収が趣味の方に差し上げれば、近くに日本人が住んでいるということがばれてしまうので・・・。

その後繫華街や市の外れの村のゴミステーションやコンテナに放り込もうと思った小説数冊。

結局は企業団地まで行き、その遊歩道上のゴミ箱に入れた。
当然どこかの企業には日本人もいるわけであり、違和感はないであろう。

そんな慎重すぎる行動から始まった私の帰国準備・・・。

「こいつおかしいんじゃないの・・・」と思った方も多いのではなかろうか。

だが、尖閣問題の時に慎重に慎重に、かつ構えて生活をしていた私。
郊外の村の外れのアパートにひっそりと住んでいた私。
平和を維持するには並大抵の努力ではなかった。

確かに今考えてみれば、自分でも「???」という行動をしている。
それでも、最後に頼りになるのは自分なのである。

この感覚は同じ日本人であっても、当時私より都会に住んでいた方にはわからないであろう。

村に1人しかいない日本人。
いままで親切だったお店の方まで顔がこわばっていた。
お店も日本人を相手にしてとばっちりを食いたくないというのが本音であろう。
みんないい方ばかりなのだが。



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周りを考えない自分勝手な中年とエロい中年・・・

2016-03-08 22:57:33 | 中国生活
行きの特急電車。
いつもより1本早いものを選んだ。
(以前と比べれば2本も早い・・・。)

なぜかといえば、本日は諸事情により地元の駅まで車で行ったので、早く着いたという次第。

それでも到着はいつもと同じ時間っていったい何・・・。

駅まで行く時も五里霧中状態であったので、仕方がない。
(昨晩も霧のために若干遅れて到着している。)

守られているなぁ・・・と感じる。
特に本日は定時で帰りたかったので、朝の時間を大切にしないといけなかったし。

だが、そんな時に限って18時になってお客様からメールや電話が入るのだから・・・。

それでもなんとかいつもの電車に乗り込むことができた。

その時間は特急であっても、ベンチシート車両が存在する。
それはそれでいい面も悪い面もある。

いい面は椅子取りゲームをしなくても済むことが多いということ。

悪い面はあまり物事を深く考えない方が隣に座り、私の肩や腕、腿を思いっきり圧迫することがあるということ・・・。

私は狭い隙間に座り込む時は、なるべく遠慮がちに座る。

間違っても大胆不敵にお隣の方に肩や腕、腿を密着させない。

私は異国でもそれを心がけていた。

それでも気を使わない方があまりに多すぎた・・・。

ところがそれは日本でもあまり変わらなかった・・・。
私が日本に居ない間に、あまり深く考えない方が増えたように感じる。

こうなると逆カルチャーショックではなく、思いっきりカルチャーショックとなる。

本日もお隣のおじさんがそうであった。

座り込んでホッとしながら、スマホをいじり出した途端に・・・。
おっさんがドカッと左隣に座り込んだ・・・。
某国家資格の本に夢中で人が窮屈であることなどまったく感じていない・・・。
よっぽど「オイ! コゥオルラ!!」と言いたかったのだが、私のスーツに社章をつけてあること、そんなお下品な言葉はいけないという観点から・・・。

それよりも言ってもわからないと思うんだな・・・。

で、悪いんだけどさ、臭いんだよ・・・・・・。

というわけで、スマホでお勉強どころではなく、苦しさと闘った私・・・。

でもさ、この方も必死なんだろうなぁ・・・と思うわけで。
会社を辞めて資格にチャレンジなのか、平日休みに学校に通っているのか。

もしかしたら会社を辞めて日本語教育の勉強に飛び込んだ13年前の自分もこうだったのかも。

自分も真剣であったからこそ、ほとんどスラックスと革靴姿で通っていた。
収入がないのに、ドレスシャツはすべてクリーニングに出して常に清潔を心がけてはいたものの、勉強に熱中するあまり何かがおかしかったのかもしれない。

そう思うと、厚かましくまったくマナーに欠ける臭いおじさんのテキストへの熱中具合が愛しくも感じるから不思議である・・・。

それでも自分が降りる駅の2つ手前でイラッとした。

あのぉ・・・いいんだけどさ、あんたの隣が二つも空いたのだから、俺にぴったりくっついていなくてもいいだろ・・・。

(俺は右隣りの若い女性の体温を感じていたいから、動かねえぜ!



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5年前の東日本大震災がことの始まり

2016-03-01 21:22:33 | 中国生活
おかしいなぁ・・・。
本来ならば昨日で私の中国の携帯電話番号(China Unicom 2Gリチャージ方式)が失効するはずであったのだが・・・。

先ほど画面を見たら、しっかりとローミングマークがついている・・・。

すでに差し引かれるお金もなくなって3か月・・・。
(こちらからはかけられない・・・。)

いやそれ以前に2Gも実名制に移行しており、私の場合その登録をネット上で処理できないわけであり、本来は2か月前に失効していなければならないはず。

なぜネット上で出来なかったかと言えば、パスポートではできないので。
そう、中国の身分証しか使えない・・・。

(ちなみに3Gの方はお金を入れずに帰国したので、数か月後には失効したはず。)
(ホントは3Gの契約を解除して帰国すべきであったのだが、中国出国直前まで使いたかったので・・・。)


さて、本日3月を迎えた。
東日本大震災から5年目となる。

5年前の私はその数か月前に池田屋の階段落としと表現したくなるほどのことがあった。

その痛手から立ち直りかけたところでの大震災。

あまり変な表現をするのも不謹慎なので止めておくが、それはもうかなりのショックであった。

なぜならば自分は外国で暮らしており、祖国のために何もできないのだから。

その数か月後、私は初めて夏に一時帰国をした。
6年ぶりの日本の夏は電力消費規制中であった。

それでも久しぶりの日本の夏はとても美しかった。
だが、その美しい日本で発生した大震災をより強く感じた夏でもあった。

中国にも戻ってすぐ、外資系スーパーからも日本の食品が消えた・・・。

これなど泣きっ面に蜂という表現では済まされない。

普段いつも日本のものを口にしているわけではない。
多くても一週間に一回程度。

そのささやかな楽しみがなくなったことはとてもとても痛かった。

で、やっと日本以外からの日本の品が中国の外資系スーパーに並びだした頃、尖閣問題・・・。

その年も夏に日本一時帰国した。
中国に戻ったのが、いよいよ両国の溝が深まったお盆の後。
休みの終わりがもう数週間後であったのならば、私は戻ったであろうか。
当時戻らなかった方もいた。

いくらお客様である学生が一番であっても、異国での生活は自分の身を守ることが第一。

それに私はそのちょうど危ない頃に、日本で妹の結婚式があったわけで・・・。

外国で暮らすことは甘くはない。
(ましてや永住となると。)

おそらくその2年に起きた2つのとても大きな出来事が私の本格帰国の決意につながったのであろう。

極めつけが2014年春節の一時帰国時に感じた両親の老い。

長男、いや子としての責任と義務。

実際今でも中国に大切な方々がいる。
そんな状態で帰国することはとてもつらかった。
が、反面ホッとしたことも事実。



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