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まさか日本でカルチャーショックを!

日本で技術者→中国広東省にて日本語教師→日本で技術者復帰→技術者+?
旧題名:まさか私が日本語教師に!(NO.3)

全部を100%出来るはずがない

2014-05-07 13:56:55 | 初級授業(日本語)
初級クラス。

『みんなの日本語』第22課。

まずは第21課の会話文の暗唱を一人一人確認。
当然前に出て発表していただく。
(人数が少ないから、正規授業中に確認できるだけのこと。)

私はすべて覚えていなくても、9割正しければ合格にする。
その理由は以下を読み進めていただければ、おわかりになると思う。


昨日22課のこの文型・例文のページの中から「三つ選択して、自作例文を作っておくように」と言い渡してあった。

しかし、学生はすっかり忘れていた・・・。

だが、別にやってなくても、その場で考えて発表しても問題はないのである。
私もあえて書かせるために(書くと時間はかかるが、書かないとその練習にならないから)宿題にしてあるだけのこと。

それを選択するのは学生自身で考えればいい。

私は教師として、日本の企業で働いていた者として、計画を立てて常にそれをすり合わせ、実行していくことも守りながら、その概念を教えている。
だが、ある意味長期計画が苦手な中国の方がついてゆけるとは思っていない。

私が言いたいことは「すべてのことを100%行うのは無理だ」ということ。
教師の私は教師の責任で「あれをしろ、これをしろ」と言う。

それでも学生には学生の生活がある。
それに彼、彼女たちを教えているのは私だけではなく、他に2人の教師がいる。

言われたことを言われるままにすべてこなそうなどと思ったら、病院送りとなる。

これから先、勉強だけでなく、仕事の面でも、生活の面でも、「取捨選択」は大切になる。



以下は技術的なことを少しだけ記しておく。

この課の後ろにある復習Dの3番。
ます形、辞書形、ない形、た形、否定過去形式(~なかった)。

さすがに学生はスラスラと答える。
ただやはり「ない形、た形、~なかった」のアクセントは別。
これは仕方がない。
一応私は中国で教えるうえでの必須条件である発音やアクセントには自信があるので、指導しておく。

しかし、そればかりに時間をかけてもいけない。

また、ここで注意しておいたのは、「聴解の時は否定形式に注意しろ」ということ。
見れば、わかる。
だが、多くの学生は聴解時の否定表現で間違える。


この課は私のいつもの授業とは順番を変えて、最後の最後に最後に問題の聴解部分を行った。
それは聴解というのも、勉強してしばらく後にならないと、理解できない部分があると感じているので。
であるから、たまにあえて順番を変えている。

問題2のある質問事項に 「~なければなりません」という表現が出てくる。

これは17課(だったっけ?)で勉強している。

それでも間違える学生は多い。
「なければならない」は「否定」が2回出てくる。

中級で「否定+否定=肯定」と勉強する。
だが、ここは初級。
(まあ、中・上級でも聴解時に否定表現で間違える学生はけっこう多いのだが・・・。)

そしておまけに「~ば」がでてくる。
[仮定形は25課で条件形は35課(だったっけ?)で勉強する。]

であるから、どうして聴き間違えるのかわかるような気がする。

私にしてみれば、「案の定、間違えた~」と心の中ではヘラヘラしているだが、顔つきと言葉はもっともらしく「いいか、外教の俺の話をよく聞け!」的に授業している。



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やはり先を考えて授業するべきだと思う

2014-04-30 12:08:33 | 初級授業(日本語)
初級クラス。
私は本日『みんなの日本語』の21課に入った。
「四連休の前であり、20課で止めておいた方がいいかなぁ」とは思ったものの、後を考えて・・・。

(ちなみに本日は上司と私と授業が入れ替わっており、朝一と午後の担当。)

現在私は1週間に4課のペースで進めている。

2月下旬に五十音から始めたクラス。
3月には第1課に入っている。
その時点で授業日数を単純に50課で割ると、1週間に3.3課ペースであった。

しかし、最初から1週間3課も進めれば、学生もついてはいけない。
(1つの教科書だけを日中両教師が1日1課進めるのならば、まだ何とかなるのだが、当校は2人の教師がそれぞれ違う教科書を用い、1人が文法などを進めているわけであり、最初から1日1課では学生も何を勉強しているのかわからなくなる。)

現在『標準日本語』を使っている教師は私よりは遅れている。
本日その教師に言われた。
「現時点で1週間4課は(学生にとって)キツイんじゃないの?」と。

だが、今1週間に4課進めないと、後で1週間に6課進めることになってしまう。
前学期のように土曜日も半日授業しているのならば、まだ何とかなるかもしれない。
しかし、1日に1課以上進めるのは避けたいと私は自分勝手に考えている。

もちろん最後の方で1日に2課進めたこともある。
しかし、その時点では学生もある程度の実力がついているわけであり、そこでの消化不良は中級で何とかできる。
(この意見は後述との矛盾もある・・・。)

ほとんどの日本語学校はどちらの教科書も40課ぐらいからはかなりペースが速くなる。
というより、速くしないと終わらないのである・・・。
だが、36課ぐらいからはけっこう大事な部分であるように私は感じている。
そこを1日に1課以上で進めれば、学生は中級で困るのではなかろうか。

同僚は「二冊目は速く進めることができるが、一冊目は速く進めない方がいい」と言う。

私に言わせれば、どちらの意見も正しい。

ちなみに『標準日本語』は全部で48課であるが、『みんなの日本語』は全部で50課なのである。

しかし『標準日本語』は『みんなの日本語』に比べれば単語量が多い。
そして『標準日本語』はN5範囲もN4範囲も一冊ずつであり、『みんなの日本語』は文法・翻訳書を入れて二冊ずつ。
私の場合、この学校では『みんなの日本語』の文法・翻訳書は単語のページぐらいしか使わない。
つまり、余分な情報(中国語)が少なくなるという利点がある。
今回私は文法もほとんどを単語の所で導入している。
時間はかかるが、テキストで飛ばすことができる。

おまけに17課ぐらいから、『みんなの日本語』の練習A・B・Cは上司に任せた。
最近では問題でさえも、聴解部分とコラムを用いるだけで、他の部分は上司に任せ、自分は確認程度にしている。
だからこそ、1週間4課でも何とかなるのである。

ここで面白いことがある。
それは普通日本人教師が行う「体で覚え込ませる」というパートを上司が行っているということ。
もちろん私も「体で覚え込ませる」という手法も使うのだが、どちらかと言えば「考えさせて、話させる」という部分に重点を置いている。
それはそうしないと、学生が中級に入った時に困るからである。

頭では理解できる。
しかし、日本人教師の説明がわからなかったり、それ以前に何を言っているのか聴き取れない、理解できなくなる。

だが、3、4か月ワンクールではのんびりやってはいられない。
私もあえて初級から教えているような話し方で授業をしていく。
学生ばかりか、教師の私も最初の1か月は本当に苦しい。
しかし、慣れというのも面白いもので、1か月後には学生も理解し始め、会話力も急にアップする。

それでも来学期、私はこの学校にいない。
おまけにこの学校の日本語ネイティブ教師は私だけであり、私がいなければ当然この学校にネイティブ教師がいないのである。

その辺をよく考えている。

出来れば私もゆっくり進めたい。
だが、今の時点である程度英才教育(私の説明でわからない部分を、懸命に考えるということ)をしておかないと、社会に出てから困るのはお客様である学生なのである。

今から考える力を育てておかないと、卒業後に日本人同僚や日本人のお客様の話が理解できるはずがない。

欲張り過ぎかもしれない。
だが、私は同じ日本人として、出来るだけ即戦力になる人材を日本人に渡したい。

それは自分が高卒後に何もわからない状態で仕事を覚えていった経験からきている。

最初は先輩たちが言っていることが全然わからなかった。
「よくもまあ現場で図面を見ただけで、あれこれ考えられるものだ・・・」と思った。
幸い私の場合は「考える力」があった。
だから、なんとかついていくことができた。

それでも現在は世界的に考える力が不足している。
それは新人君を指導すれば、すぐにわかる。
そしてその新人君というのは、高校や大学を卒業したばかりの人材だけではない。

もちろん会社も人材を育てていく。
しかし、実際問題のんびり育てていく時間もない。
おまけに中国と言う異文化の場所で中国の方を使うわけである。
その苦労は想像しただけでため息が出てしまう。

今が無事に終わればいいというわけではない。
私はそう考えて、授業してきた。


かなり長くなった。

ただ、昨日も最初に2年教えた子供たちからのバースデーカード(2007年当時のもの)などを読み返していたのだが、そこに書かれているコメントを見て、「俺のやってきたことも、決して間違いではなかったんだなぁ」と感じる。

最近以前の学生たちとのコンタクトが増えた。
彼らの意見からもそれを痛切に感じる。




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来期の中級クラスに日本人教師がいないから

2014-04-28 13:43:33 | 初級授業(日本語)
このひと月と10日ほど、ほとんどの記事をずっと完全帰国ネタで引っ張っている。
読者様もいいかげんに読み飽きたかもしれない。
だが、・・・。

今学期は久しぶりに初級を教えている。
そこでこの数日考えていたことがある。
今までこの学校では初級に日本人教師が入らずに、中級前の補習から担当していた。
それはそれでいい点も悪い点もあった。
だが、結果的にはそれでよかったように感じる。

何にしても中級は私の授業にも触れて卒業することになる。
もちろん上級に上がって来てくださった学生にはさらに私という教師にしかできないことを指導させていただいた。
ただ、今でも日本語学校の主流は中級までだと私は感じている。

その中級を日本人の私が担当したことは(私という教師の力量はともかく)必ずや学生の将来のためになったであろうと感じている。
それは私が教えるのは単に日本語だけではないということ。
日本語教師であるから、出来れば日本語だけを教えていたい。
だが、教師としては人を育てなければならない。
そして、出来るだけ即戦力になる人材を育てることに念頭を置いている。

即戦力とは言っても、日本語能力試験N2(旧2級程度)やN1(旧1級程度+α)など他の外国語の試験と比べたら、たいした語学力レベルではない。

(それでもそこまで覚えることは並大抵のことではない。
であるから、N1以上の実力があるノンネイティブの方には脱帽する。)

だが、多くの日本人ビジネスパーソンは日本語能力試験1級やN1、2級やN2などのレベルなどわかっていない。

学生が卒業して通訳として企業に入ったとする。
N1やN2のレベルがどれぐらいなのかわからない方は遠慮なく話しかけていくであろう。
それも方言交じりで・・・。
(あのさ、方言まで教えている時間ないのよね・・・。それに日本語の方言までオールマイティな日本語教師は珍しいに違いない・・・・・・。)
おまけに専門用語が入ってくる。
そして、私が授業で話すスピードよりも早口だとしたら・・・。

そんな場面に遭遇した卒業生は思うであろう。
「俺/あたしって、まったく使えないレベルなのね・・・」と。
(学校によって女性の「あたし」を許可するところと許可しないところがある。
もちろん、使用場面が限定されることは教え込む。)

しかし、卒業生たちがそんな状況で生き残っていく術を知っていたとしたら。
「+α」を持っていたとしたら。

その企業も日本語のレベルには目をつぶるかもしれない。

はっきり言って、現在中国で通訳・翻訳で活躍している多くの方のレベルは高くはない。
時に卒業生からのヘルプで翻訳資料を見ることがある私は充分にわかっている。
(企業情報の秘密は守っております。って、それを恩師に平気で見せることが怖いと思うのだが・・・。)

「おまえそれでよく通訳やっていられるなぁ・・・」と感じることがほとんどである。


それでも企業にとっては必要なのである。

学生が素晴らしい経歴をもっていらっしゃるのならば、何の問題もない。
だが、ほとんどは経歴など何も持っていないのである。
経歴の前に何の技術もない・・・。

現在中国で日本語を使って仕事をしている方はたくさんいる。
ではその中で光っていられるには、日本語だけでは駄目なのである。

仮に素晴らしい日本語を見につけたとしても、応用力がなくては企業で務まらない。
おまけに世間的一般的常識も知らないようでは本当に使えない人間・・・。


久しぶりの初級。
なるべく学生全員がわかる授業を心がけてきた。
だが、それで本当にいいのだろうか。

中国での日本人教師の役割とは何であろうか。

現在『みんなの日本語』19課終了。
そして(今までゆっくり確実に行ってきたツケにより)先週からは一週間に4日ペースで進めている。
そこで全員が授業中に理解できる授業などをやっていては間に合わない・・・。

私は自分勝手に思っている。
中国での日本語ネイティブ教師の理想的な授業を。

それは「会話授業」のことではない。
中国で教える日本人教師にとって、「会話授業」は当然行うべきことだと勝手に考えている。

では、日本語ネイティブ教師の理想的な授業とはどんなものなのであろうか。

私の自分勝手な意見を言わせてもらえば、「簡単でわかることだけをしていてはいけない」のだと感じている。

いくら既習語彙のみを用いていたとしても、学習者は日本語ネイティブの表現を聞いて理解できないことがある。
(もっとも私は自分が授業に必要な言葉はついでに導入していくのだが・・・。)

そこで感じる。
「わからなくてもいいんじゃないの?」と。
「80%もわからないような授業をしていては困るが、2、30%わからないのならば、それこそ学生のためになるのではなかろうか」と。

我々が全然知らない言語を聞いていて、ある時なんとなく意味がわかってしまうのと同じこと。
それこそ言語取得の基本なのではなかろうか。

(話が長くなったが)
今の初級が中級になった時、日本人教師はいない。
日本人教師どころか中国人教師も上司のみとなる。
それでも中級を終えて卒業した時に、彼/彼女たちが少しでも即戦力になるように工夫しながら授業してゆきたい。

欲張り過ぎだとは自分でも感じる。
だが、この学校のたった一人のネイティブ教師として、また長く一般企業に勤めてた教師として当然の役割なのかもしれない。



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授業準備の重点も人によって違う

2014-04-21 13:26:55 | 初級授業(日本語)
3週間ぐらい前であったか。
朝一の授業の後、諸事情で階段を降りたくなかったので、初級のクラスから出て来た上司に『みんなの日本語』を借りた。
事務所に教案があるのだが、教案はたいてい覚えているし、授業が始まってしまえばあまり見ない私。
それに私の教案の多くは頭の中にあるわけであり、教案を記したノートは単にその流れが書いてあるようなものに等しい。
(ただ私はけっこう用心深いので、本当に大切なことはテキストにも書き込みをしておく。)

その2限目に練習Bに入って驚いた。
上司は私よりもはるかに長く『みんなの日本語初級』を使っている。
私など11年前に初めて見たに過ぎない。

その上司のテキストの練習Bの部分はすべて鉛筆書きで答えが記してあった。
ちなみに上司にとって日本語は(変な言い方をすれば)準母語のようなもの。
外国語であって外国語ではない。

それだけでなく、教師歴が長いのだから、練習Bなど一瞬見ればわかりそうなもの。

もちろん私もいまだに一瞬間違えそうなもの(特に中・上級を教えていると、無意識に他の表現が口から出てくることがある)や、学生が迷いそうなところだけは答えを記しておく。
だが、1つの文を全部記すことはあまりしない。

しかし、私より1.5倍から2倍の教授歴を持つ上司は全部書いている。

「これがプロというものなのか」と頭を殴られたような気がした。

当地の『みんなの日本語』(初級でおまけに旧版のみ。中級はまだ当地で発売されていない)も3、4年ぐらい前にデザインが変わっている。
薄くて取り扱いやすいテキストから、(日本ほどではないが)厚くて重くなっている。

この学校に来てからの私はそのテキストは初級の代講に入る時に使ったぐらいであり、古いテキストを用いていた。
だが、今回は正式に教えているので、(学生のお古だが)新しいデザインのものを使っている。

現在『みんなの日本語 Ⅱ』の47課まで教案を見直し、テキストへの書き込みもし直したところなのだが、以前より詳しく書くところもあれば、まったく書かないものもある。

授業の準備など教師によって手法が違う。
授業が違うのだから、当然のこと。

逆に上司が私のテキストへの書き込みを見たら、「ネイティブ教師でおまけにかなり文法も得意なのに、文型の接続方法や重要点が記してある・・・」とびっくりするかもしれない。

以前上司は私の中級や上級のテキストを見て、(中級以上のテキストにあまり詳しい接続方法は記さない私だが)その文型が何を表しているかを一言で記し、おまけに似ている文型と何が違うのかを記してあることに感心したらしい。
(その時上司が見たページは書き込みが少なかったのだが・・・。)

つまり、そこまで準備する日本人教師に今まで遭遇したことが少ないということになろうか。




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急いで授業してもバランスは考えたい

2014-04-15 11:16:55 | 初級授業(日本語)
本日はいつもと違う配置。
私は朝一と午後の担当。

朝は初級に入った。
『みんなの日本語』第13課の会話文の暗唱を課し、練習問題と復習Bを宿題にし、第14課の練習A-1のみ行ったところで時間が来た。

13課は昨日入ったのだが、単語に時間をかけた。
と言っても、単語の時点で文型も入れただけのこと。

別にそんな手法は珍しいことではなく、私もよくやっている。
しかし今回はその単語の時点で代入練習も入れてみた。

というわけで、単語では時間がかかったのだが、あとはけっこうスムーズに進んだ。

だが、けっこう時間がかかるのが、問題の聴解部分。
(私はすべて自分の肉声で行っている。)
それでも、すべての技能のバランスを取るために、これを省略したくはない。

確かに日本人教師がほとんど日本語のみで授業を進めて行けば、それも学生の聴解練習にはなる。
だが、そういう聴解と試験の聴解はまた違う。

急いで進めているため、日本から持って来た『聴解タスク25』も使っていない状態でもあるのだから、その辺はよく考えなければならない。

以前ある学校では1日1課で進めたことがあるのだが、それは50分授業が3コマ。
150分あれば、聴解タスクまでできないことはない。

だが、今の学校は90分1コマ。
今までの私であれば、文法翻訳本の参考単語まで教えていた。
しかし、それさえも行っている時間はない。
それに参考単語に触れなくても、同時進行している『標準日本語』の単語量は多いわけであり、それでバランスが取れる。

そしてこの第13課からは練習Aを読まなくなった。
その代わりにその練習AでQを与えていく。

単語ですでに代入練習までしており、文型・例文でもQを与えているのだから、練習Aで今までよりもQを与えれば、ネイティブ教師の会話授業としても何の問題もない。

ただ、私の場合、会話は一往復ではつまらないと考えている。
二、三往復になるように注意している。

日本人教師としては、とにかく学生の口を開かせることに念頭を置いている。
それもただ口を開くだけでなく、「考えて話す」ということを大切にしている。


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