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まさか日本でカルチャーショックを!

日本で技術者→中国広東省にて日本語教師→日本で技術者復帰→技術者+?
旧題名:まさか私が日本語教師に!(NO.3)

「自動詞・他動詞」の時期に要注意

2014-05-27 12:11:11 | 初級授業(日本語)
昨晩キャンディーズの『微笑みがえし』(1978年)のビデオを見ていた。
当時の私はランちゃんが好きで、ある雑誌のプレゼントのアンケートで「キャンディーズで一番好きなのは」との問いに「ランちゃん」、「理由は」という問いに「可愛いから」と記した記憶がある。
それがたしか1975年ぐらいの時であり、8歳ぐらいのガキに「可愛い」と言われた伊藤蘭さんは「どういう気分だろうか・・・」と考える47歳の私・・・。

解散後はスーちゃんに惹かれた。
それはやはり元々持っている実力という部分であるのだろうか。
(田中好子さんのご冥福をお祈りいたします。)

だが、最近ではミキちゃんに惹かれてしまう私。
藤村美紀さんの笑顔と感性は素晴らしいと感じる。

3人のうちの誰が欠けても、キャンディーズは成り立たなかったであろう。
そして3人それぞれの役割がある。
それを見抜いて上手く配置していた方々にも感謝したい。


本日『みんなの日本語初級』29課を終わらせた。
29課は自動詞であり、30課は他動詞。

1か月以上前に立てた修正計画では今週金曜日には35課が終わらなければならない。
しかし、先週末で31課の予定であったのだが、実際は28.1課とすでに3課も遅れている。
それでも(計画表を書き直してはいないが)「今週は32課まで行けたらいいかなぁ」と思っている。

私の1か月以上前の修正計画では週に4課進めないと、6月末までに終わらないことになっている。
そして進めようと思えば、進めることはできる。
だが、学生がついていけなければ、無理に進めるわけにもいかない。

そしてこの29課、30課はとても大切だと感じている私。
今まで様々な学校で様々な教師を見てきた。
そしてボロを出す確率が高いのがこの自動詞、他動詞。

中国語で説明しようが、日本語で説明しようが、英語で説明しようが、大事なのは中国の学生がわかる説明でなければならないということ。

教師の中には外国語として日本語を勉強したのだが、なんとなくわかってしまったという方も多い。
それは別に朝鮮族などの「母語が日本語と何かしらの共通点が多い方」に限らず、漢民族の方にもけっこういらっしゃる。

だがしかし、自分はなんとなくわかってしまったとしても、他の方がそうであるというわけではない。

そしてこの自動詞と他動詞は納得させてしまわねばならない。
初級で一番危険な個所はここであると自分勝手に思っている私。
当然日本語ネイティブ教師の私でもかなり注意しており、わからないまま進めるわけにはいかない。

ある学校でその課で詰まってしまった中国人教師がいた。
そこである中国人教師がその方や我々他の同僚の前で(中国語で)とっても簡単な説明をした。

幸いなことに私は(少しは)中国語がわかる。

私は「なるほどなぁ」と感じた。
それは「中国の学生にわかりやすく、かつ中国語を例にしての説明」であっただけでなく、「当たり前のこと」を説明しているということ。

ちなみにその詰まった同僚も新人さんだが、その方にわかりやすい解釈を施したのも同じ新人さん。
日本語全体のレベルとしては詰まった新人さんの方がはるかに上。
ただ問題は感覚で日本語がわかってしまっても、それを中国語や日本語で教えるということは別物だということ。

私が自動詞・他動詞を教える時に伝えるのは(自分や他の方はともかく)「意志や目的」の有無。

だが、その新人教師殿の解釈を聞いてから、(誰か/何かが誰か/何かに与える)「作用」という点を意識している。

本日は29課自動詞の終わりに、29課用の例文と30課他動詞用の例文を並べて記してみた。
もちろん日本語の例文である。

それを読めばすぐにわかる。
他動詞には何かの意図や目的があるということに。

ここで私がどんな例文を板書し、読ませ、どんな説明をしたかは割愛しておく。
その理由は「鵜呑み」にされると、大失敗を招くことになるので。

そしてその後、中国語でいくつかの自動詞・他動詞を挙げておいた。
ちなみに「作用」という観点を授業で言う、言わないはその状況によるのだが、中国語をいくつか記した時点で気が付く学生は多い。


私も私が「なるほどなぁ」と感じた新人殿も言っているのは当たり前のこと。
当たり前のことを簡単に提示できるか否かが、教師として生き残ってゆけるか否かの分岐となる。

ただ、誰にでも得手不得手がある。
もしそれがティームティーチングであるのならば、それが上手な方に任せればいい。
そして自分は他の教師ができないことをする。
それでいいのではなかろうか。

自分の役割をよく考えてみるべき。
自分はランちゃんなのか、スーちゃんなのか、ミキちゃんなのか。


しかし、それを一人で教えているとしたら・・・。

極端な話、自動詞・他動詞で躓いても、他の面で学生を納得させられる技術があるのならば、それでいいのかもしれない。
一人であっても、ランちゃん、スー、ミキちゃんのパートは存在するに違いない。



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俺はミラーさんに勝った!

2014-05-19 13:25:55 | 初級授業(日本語)
初級クラス。
『みんなの日本語』第26課。

一冊目の終わりの第25課の会話文で、大阪から東京へ転勤することが記してある。
そして二冊目の最初の第26課の会話文では引っ越した先のアパートだかマンションの管理人とのやりとりが記してある。

私のイメージではミラーさんはアパートではなく、マンションが似合う。
そして絵で管理人さんの窓口があることからもマンションだと推測される。
同じ外国人労働者でありながらも、私のように郊外の村の外れのアパートで暮らしているのとは大違いであり、ある意味羨望の眼差しでその挿絵を見つめているおっちゃんがここにいる・・・。

同時にその窓口を挟んだ管理人さんと話すミラーさんがゴミ袋を掲げている姿が異様に私の中でヒットした・・・。

やはり職業に貴賤はない。
以前は建設の世界で汚れていた私も、現在は教室のチョークや街中の埃で汚れている私も、ビジネスエリートのイメージがあるマイク・ミラーさんも同じ人間。

そんな小さなことに安心している私ではあるのだが、1つだけミラーさんに勝っていることがある。

それは初版の『みんなの日本語初級Ⅱ』が発行されたのは1998年。
その原案が数年前に考えらえたとしても、95、6年ぐらいであろうか。
だが、私は1995年には携帯電話を持っていた。

会話文の中でミラーさんは「電話がない」と言っている。
ビジネスエリートであるのだから、携帯電話ぐらい持っていそうなもの。
いくら「あくまでお話」だと考えても、私の中では納得しかねる・・・。

まあ、それはともかく、日本でデジタル携帯電話(2G)が急に普及し出したのは95年であったか。
97、8年には仕事でも携帯電話を持たされた。
1999年、2000年にはかなり多くの方がそれを手にしていたように記憶している。


まあ、なんせ私はミラーさんに勝った。

という冗談(けっこう本気だが・・・)はともかくとして、その会話文では日本の携帯電話事情にも触れておいた。
本来はゴミの話を先にするつもりであったのだが、時間が足りなくなったので・・・。

明日会話文の暗唱を披露していただき、日本のゴミ収集に軽く触れておこうと思う。

何が言いたいか。
同じどーでもいい話をするのならば、学生が身を乗り出す話題、後に役に立ちそうな話題の方が望ましいということ。

当たり前だが、「俺はミラー氏に勝ったぞぉ~!」という話は学生にしていない。

ただ、「どうしてミラーさんは携帯電話も持っていなかったのか」ということに合わせて、「98年頃は日本でデジタル携帯電話が普及している最中だった」ということに触れておけば、学生が社会に出た/戻った時、日本人の同僚やお客様との話のタネにもなる。
またけっこう重要な日本の歴史ではないだろうか。

もっともどんな話題も興味がない方にはどーでもいいに違いないのだが・・・。



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あのさ、方向が逆だぜ・・・

2014-05-16 14:09:55 | 初級授業(日本語)
初級クラス。
『みんなの日本語』第26課。

私は初級でも授業でほとんど日本語を使わない。
だが、当然のことながら、学生に中国語訳を答えさせて確認を取ることは多い。

それは文型や例文も同じなのだが、これは翻訳・文法解説書に中国語訳が載っている。
それでも私は翻訳・文法解説書は単語のページしか使っていない。
一応学生には「ここに中国語の参考翻訳があるよ」とは言ってあるのだが、よほどでなければ見ない。

私も文法などを担当する上司もあまりこちらのテキストは使わない。
だからこそ、週に4課進めることもできるのである。
(今回など私は参考単語ですらほとんど触れていない。本当に大事な所だけ触れている。)

『みんなの日本語』というのは当たり前だが本冊が一番大切。
私は単語のところでは使用する。
それは単語から文章の接続に触れたり、文型の練習をするだけが目的ではない。
当地の翻訳・文法解説書にはアクセント番号もついているのだが、それもデタラメであったり、メジャーではないアクセント番号の時もある。
(翻訳ミスや辞書通り過ぎていまいちの翻訳もあるのだが、これについては製作者の日本側に責任がある。)
また、いくら外国語としての日本語であっても、学習者はほとんど若者であるのだから、なるべく日本の若者が使うアクセントの方を教えておきたい。
もちろん言語教育的に許されている範囲であり、彼氏①を(0)..つまり平板で言うことは許可しない。

まあ、話を元に戻すと・・・。


例文5
日本語で 手紙を 書いたんですが、ちょっと 見ていただけませんか。
・・・いいですよ。

この時に学生のほとんどが方向が逆の中国語でのたまった・・・。
「見て」と「見せて」の混同から、前提の「~が」に注目していないのだと思われる。

ジェスチャー付きで説明したら、わかっていただけた。

本日は時間がなく文型・例文で終わったのだが、来週は時間を作って「見て」「見せて」の練習をしようと思っている。



と、ここで終われば、真面目なセンセイで終わるのだが、以下はサービスタイム~

単語のところで「直接」の意味が分からない学生がいた。
(中国語訳があるからいいというわけではない。)
私:「先生、足が涼しくないですか」
  「先生、今日のパンツは青ですか」
   ではなくて、「先生、天安門が開いていますよ」「社会の窓が開いていますよ」と直接言ってください。

[天安門:「社会の窓」の意味もある(あと半月後には禁止ワードとなるが・・・。)もちろん日本語では「社会の窓が開いている」と表現することは説明しておいた」]

それでわかってくれた。
美人女性が笑い転げながら・・・。

ただし、当地ではこんな些細なことでもスケベ教師のレッテルを貼られることもあるので注意されたし。

我々日本語ネイティブの男性教師は女性学生の卒業後を考えて、わざと軽微なエロ話を入れることもある。

神聖な教室であり、当然度を越さないようにしているのだが、それでも「あの先生はスケベだ/エロ教師だ」と言われることもある・・・。





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どんな教科書も使いよう

2014-05-15 12:55:33 | 初級授業(日本語)
初級クラス。
『みんなの日本語』第25課。

本来私の計画では今週は27課まで終わらせなければならない。
それでも24課でいまいち掴めていないと感じて長めに練習した。
25課はけっこう簡単であったのだが、それでも一冊目の最後の課ということで少し時間をかけた。
さらに25課までの簡単な復習としての会話もしている。

というわけで、本日やっとあらあら25課を終わらせた。
明日少々25課に触れて、すぐに26課に入る。

本日学生たちにさりげなく聞いた。
「『みんなの日本語』と『標準日本語』とどちらが使いやすいか」と。
けっこう危険な質問である。
なぜならば、当校では二冊とも使っているので。

答えは意外なことに全員口を揃えて『みんなの日本語』であった。
『標準日本語』の方が情報量も多く、中国語も多いので、学生はそちらを好むものだと思っていた。

だが、学生の中国語の返答を意訳しておくと、「『みんなの日本語』の方がアクティビティに富んでいる」ということであった。

確かにそれはある。
だが、やはり使い方ではないのだろうか。
それに本文で考えれば、『標準日本語』の方が面白いように思えるのは私だけではないと思う。

以前私よりもはるかにこの世界に長くいる上司に聞いたことがある。
「もし『標準日本語』を1日2コマ、1コマ50分授業と考え、1日2コマで1課進めると考えた場合、どのように用いるか」と。
(当校は1コマ90分。)

それは週末班や夜間班などで、中国人教師、日本人教師がそれぞれ1、2コマずつで1課進めることがあるという前提で、「中国語を交える」、「日本語のみで授業する」の区別を考えずに「一教師としてどうするか」の意見を聞いたものであった。

さすがにプロであり、スラスラと答えた。
それも当然日本語で。

質問した私でもそこまでスラスラと答えられないに違いない。

そして上司の言ったことに「なるほど」と思った。

しかしそれは「ともすれば『標準日本語』は重くなる」ということを証明していることになる。

私はどちらかといえば、会話授業よりは講義形式の授業の方が得意である。
だが、やはりネイティブ教師として、会話面にはそれなりの力を入れている。
おまけに私はなるべく中国語を使わずに日本語のみで授業を進めるので、初級の場合は細かいことを「くっちゃべる」のは難しい。
(くっちゃべる:北海道方言。無駄なおしゃべりをする。よくしゃべる。)

確かに当地の学生は厚い本をありがたがる。
そして意味がはっきりとわからないと不安になる。
確かに現行の初級と中級の『標準日本語』はかなり素晴らしいテキストだと思うのだが、その2点を考えてもうってつけだということになる。

それでも教科書をそのまま使う教師も多くはないわけであり、「重くなりがちな教科書がさらに重くなる」というのは当然教師が何か間違った方向に走っているということになるのではなかろうか。

以前のある学校で、「※※先生、中国の学生には『みんなの日本語』よりも『標準日本語』の方が合ってますよ。ですから、次から『標準日本語』にしましょうよ」と盛んに言ってくる中国人同僚がいた。

確かにその通りかもしれない。
だが、私からみれば、その教師が「『標準日本語』の方がうんちくに走りやすくて、教えやすい」、つまり「自分(その中国人教師自身)の後光がさらに輝く」ことを狙っているようにしか思えなかった。

広い中国であり、日本語能力試験などの合格者をたくさん出す中国人教師なのに、我々日本人教師が話すことが全然わからないという方も少なからずいたりする。

実戦的な会話の面では「アニメで様々な日本語に触れている」学生の方が上だったりするから恐ろしい・・・。

そういうことを考えると、今の上司たちや同僚の能力はかなり高いということになる。


ちなみに私は『みんなの日本語』の方が使いやすい。
それは余分な情報が少ないから。

であるから、今回そちらを担当させていただいた。
おまけにそろそろ日本に戻ろうと思っていたこともあり、そちらの方がありがたかった。
(まさか、計画よりも1年早く帰ることになろうとは・・・。)

それでも私もプロである限り、「『標準日本語』を使ってくれ」と言われば、そちらでも構わなかった。




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要らん説明は要らん

2014-05-13 11:28:33 | 初級授業(日本語)
『みんなの日本語初級』第24課。

いまいち「~くれる」「~てあげる/もらう/くれる」がわかっていない。
確かに初級では体で覚えさせてしまうことも大事なのだが、やはりこの辺りは説明しなければならない。

といっても、24課であるので、説明はすべて日本語。
ただ、日本語にしても、中国語にしても、過度の説明は禁物。

「~くれます」は「視点」の違いに気づいてもらわなければならない。
しかし、いくえ過度の説明は禁物とはいえ、図示したからと言ってわかってくれるものでもない。

説明の後、文型や例文の「~くれます」文を「あげます」や「もらいます」に置き換えてみることを繰り返す。

つまり、「やはり体で覚え、理解する」ことになるわけであり、何が説明なのであろうか・・・と自分で自分にツッコみを入れるのがこの24課。
4年ぶりに初級を教え、「相変わらずだなぁ・・・」と苦笑した。
授業後に事務所でまた苦笑。
それは中国で教え始めて1か月後の2005年12月から担当クラスが変わり、初級クラス2つと中級が終わったクラスを1つ担当した。
その1つがやはり『みんなの日本語』24課であり・・・。

その時から恒例の心の中での一人ボケと一人ツッコミ・・・・・・。
(もしかしてまったく成長していないのか・・・。)


「~てあげる/もらう/くれる」については、「移動するモノは動作や言葉」であることさえ理解させれば、問題はないと感じている。
細かいことはどうでもいい。
それが本来は正しい、正しくないというのも関係ない。
現在の初級の前半終了の時点ではそれが正しいとしておく。

初級はあくまで順番に提示していく。
仮にそれが(例えば場面シラバスのように)積み上げ式で教えているわけではないにしても、他の用法について説明しないほうがいい。
後で学生が「あれっ?」と自分で何かに気づいた時に説明すればいいのだと私は自分勝手に思っている。

それを律儀に「他にもBという用法があり、また中級ではCやDという用法や解釈がある」などと説明する必要はない。

もちろんあらかじめ説明しなければならないものもある。
その場合もやはり細かいところには触れないほうがいい。

この辺が初級の難しいところ。
説明はしなければならない。
だが細かい説明は要らない。
しかし、それだけでは学生は理解しない。
(いったいどうすんねん・・・。)

あくまで私の持論だが、クラスコントロールの問題。
クラスさえしっかりコントロールできるのであれば、学生も素直についてくる。
なまじクラスコントロールが下手な教師ほど、あれこれうんちくを語る。
強い力でクラスをまとめて引っ張っていくことこそ、日本語教師に必要なことだと私は自分勝手にずっと思っている。

一番の問題は「今現在誰と誰と誰が理解しており、誰と誰と誰が理解できていないのか」ということを見抜けるか否かということではないだろうか。

それさえわかれば、理解させる方法はいくらでもある。
極端な話、出来る学生を利用するという方法もある。
(毎日毎回それでは学習者もついてこなくなるのだが・・・。)



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