昨晩キャンディーズの『微笑みがえし』(1978年)のビデオを見ていた。
当時の私はランちゃんが好きで、ある雑誌のプレゼントのアンケートで「キャンディーズで一番好きなのは」との問いに「ランちゃん」、「理由は」という問いに「可愛いから」と記した記憶がある。
それがたしか1975年ぐらいの時であり、8歳ぐらいのガキに「可愛い」と言われた伊藤蘭さんは「どういう気分だろうか・・・」と考える47歳の私・・・。
解散後はスーちゃんに惹かれた。
それはやはり元々持っている実力という部分であるのだろうか。
(田中好子さんのご冥福をお祈りいたします。)
だが、最近ではミキちゃんに惹かれてしまう私。
藤村美紀さんの笑顔と感性は素晴らしいと感じる。
3人のうちの誰が欠けても、キャンディーズは成り立たなかったであろう。
そして3人それぞれの役割がある。
それを見抜いて上手く配置していた方々にも感謝したい。
本日『みんなの日本語初級』29課を終わらせた。
29課は自動詞であり、30課は他動詞。
1か月以上前に立てた修正計画では今週金曜日には35課が終わらなければならない。
しかし、先週末で31課の予定であったのだが、実際は28.1課とすでに3課も遅れている。
それでも(計画表を書き直してはいないが)「今週は32課まで行けたらいいかなぁ」と思っている。
私の1か月以上前の修正計画では週に4課進めないと、6月末までに終わらないことになっている。
そして進めようと思えば、進めることはできる。
だが、学生がついていけなければ、無理に進めるわけにもいかない。
そしてこの29課、30課はとても大切だと感じている私。
今まで様々な学校で様々な教師を見てきた。
そしてボロを出す確率が高いのがこの自動詞、他動詞。
中国語で説明しようが、日本語で説明しようが、英語で説明しようが、大事なのは中国の学生がわかる説明でなければならないということ。
教師の中には外国語として日本語を勉強したのだが、なんとなくわかってしまったという方も多い。
それは別に朝鮮族などの「母語が日本語と何かしらの共通点が多い方」に限らず、漢民族の方にもけっこういらっしゃる。
だがしかし、自分はなんとなくわかってしまったとしても、他の方がそうであるというわけではない。
そしてこの自動詞と他動詞は納得させてしまわねばならない。
初級で一番危険な個所はここであると自分勝手に思っている私。
当然日本語ネイティブ教師の私でもかなり注意しており、わからないまま進めるわけにはいかない。
ある学校でその課で詰まってしまった中国人教師がいた。
そこである中国人教師がその方や我々他の同僚の前で(中国語で)とっても簡単な説明をした。
幸いなことに私は(少しは)中国語がわかる。
私は「なるほどなぁ」と感じた。
それは「中国の学生にわかりやすく、かつ中国語を例にしての説明」であっただけでなく、「当たり前のこと」を説明しているということ。
ちなみにその詰まった同僚も新人さんだが、その方にわかりやすい解釈を施したのも同じ新人さん。
日本語全体のレベルとしては詰まった新人さんの方がはるかに上。
ただ問題は感覚で日本語がわかってしまっても、それを中国語や日本語で教えるということは別物だということ。
私が自動詞・他動詞を教える時に伝えるのは(自分や他の方はともかく)「意志や目的」の有無。
だが、その新人教師殿の解釈を聞いてから、(誰か/何かが誰か/何かに与える)「作用」という点を意識している。
本日は29課自動詞の終わりに、29課用の例文と30課他動詞用の例文を並べて記してみた。
もちろん日本語の例文である。
それを読めばすぐにわかる。
他動詞には何かの意図や目的があるということに。
ここで私がどんな例文を板書し、読ませ、どんな説明をしたかは割愛しておく。
その理由は「鵜呑み」にされると、大失敗を招くことになるので。
そしてその後、中国語でいくつかの自動詞・他動詞を挙げておいた。
ちなみに「作用」という観点を授業で言う、言わないはその状況によるのだが、中国語をいくつか記した時点で気が付く学生は多い。
私も私が「なるほどなぁ」と感じた新人殿も言っているのは当たり前のこと。
当たり前のことを簡単に提示できるか否かが、教師として生き残ってゆけるか否かの分岐となる。
ただ、誰にでも得手不得手がある。
もしそれがティームティーチングであるのならば、それが上手な方に任せればいい。
そして自分は他の教師ができないことをする。
それでいいのではなかろうか。
自分の役割をよく考えてみるべき。
自分はランちゃんなのか、スーちゃんなのか、ミキちゃんなのか。
しかし、それを一人で教えているとしたら・・・。
極端な話、自動詞・他動詞で躓いても、他の面で学生を納得させられる技術があるのならば、それでいいのかもしれない。
一人であっても、ランちゃん、スー、ミキちゃんのパートは存在するに違いない。
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ちなみにブログ記事右上の投稿時間は北京時間であり、+1Hが日本時間である。
したがってブログランキングサイトにこの記事が反映される時も実際のアップより1時間早く表示される。
当時の私はランちゃんが好きで、ある雑誌のプレゼントのアンケートで「キャンディーズで一番好きなのは」との問いに「ランちゃん」、「理由は」という問いに「可愛いから」と記した記憶がある。
それがたしか1975年ぐらいの時であり、8歳ぐらいのガキに「可愛い」と言われた伊藤蘭さんは「どういう気分だろうか・・・」と考える47歳の私・・・。
解散後はスーちゃんに惹かれた。
それはやはり元々持っている実力という部分であるのだろうか。
(田中好子さんのご冥福をお祈りいたします。)
だが、最近ではミキちゃんに惹かれてしまう私。
藤村美紀さんの笑顔と感性は素晴らしいと感じる。
3人のうちの誰が欠けても、キャンディーズは成り立たなかったであろう。
そして3人それぞれの役割がある。
それを見抜いて上手く配置していた方々にも感謝したい。
本日『みんなの日本語初級』29課を終わらせた。
29課は自動詞であり、30課は他動詞。
1か月以上前に立てた修正計画では今週金曜日には35課が終わらなければならない。
しかし、先週末で31課の予定であったのだが、実際は28.1課とすでに3課も遅れている。
それでも(計画表を書き直してはいないが)「今週は32課まで行けたらいいかなぁ」と思っている。
私の1か月以上前の修正計画では週に4課進めないと、6月末までに終わらないことになっている。
そして進めようと思えば、進めることはできる。
だが、学生がついていけなければ、無理に進めるわけにもいかない。
そしてこの29課、30課はとても大切だと感じている私。
今まで様々な学校で様々な教師を見てきた。
そしてボロを出す確率が高いのがこの自動詞、他動詞。
中国語で説明しようが、日本語で説明しようが、英語で説明しようが、大事なのは中国の学生がわかる説明でなければならないということ。
教師の中には外国語として日本語を勉強したのだが、なんとなくわかってしまったという方も多い。
それは別に朝鮮族などの「母語が日本語と何かしらの共通点が多い方」に限らず、漢民族の方にもけっこういらっしゃる。
だがしかし、自分はなんとなくわかってしまったとしても、他の方がそうであるというわけではない。
そしてこの自動詞と他動詞は納得させてしまわねばならない。
初級で一番危険な個所はここであると自分勝手に思っている私。
当然日本語ネイティブ教師の私でもかなり注意しており、わからないまま進めるわけにはいかない。
ある学校でその課で詰まってしまった中国人教師がいた。
そこである中国人教師がその方や我々他の同僚の前で(中国語で)とっても簡単な説明をした。
幸いなことに私は(少しは)中国語がわかる。
私は「なるほどなぁ」と感じた。
それは「中国の学生にわかりやすく、かつ中国語を例にしての説明」であっただけでなく、「当たり前のこと」を説明しているということ。
ちなみにその詰まった同僚も新人さんだが、その方にわかりやすい解釈を施したのも同じ新人さん。
日本語全体のレベルとしては詰まった新人さんの方がはるかに上。
ただ問題は感覚で日本語がわかってしまっても、それを中国語や日本語で教えるということは別物だということ。
私が自動詞・他動詞を教える時に伝えるのは(自分や他の方はともかく)「意志や目的」の有無。
だが、その新人教師殿の解釈を聞いてから、(誰か/何かが誰か/何かに与える)「作用」という点を意識している。
本日は29課自動詞の終わりに、29課用の例文と30課他動詞用の例文を並べて記してみた。
もちろん日本語の例文である。
それを読めばすぐにわかる。
他動詞には何かの意図や目的があるということに。
ここで私がどんな例文を板書し、読ませ、どんな説明をしたかは割愛しておく。
その理由は「鵜呑み」にされると、大失敗を招くことになるので。
そしてその後、中国語でいくつかの自動詞・他動詞を挙げておいた。
ちなみに「作用」という観点を授業で言う、言わないはその状況によるのだが、中国語をいくつか記した時点で気が付く学生は多い。
私も私が「なるほどなぁ」と感じた新人殿も言っているのは当たり前のこと。
当たり前のことを簡単に提示できるか否かが、教師として生き残ってゆけるか否かの分岐となる。
ただ、誰にでも得手不得手がある。
もしそれがティームティーチングであるのならば、それが上手な方に任せればいい。
そして自分は他の教師ができないことをする。
それでいいのではなかろうか。
自分の役割をよく考えてみるべき。
自分はランちゃんなのか、スーちゃんなのか、ミキちゃんなのか。
しかし、それを一人で教えているとしたら・・・。
極端な話、自動詞・他動詞で躓いても、他の面で学生を納得させられる技術があるのならば、それでいいのかもしれない。
一人であっても、ランちゃん、スー、ミキちゃんのパートは存在するに違いない。
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