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まさか日本でカルチャーショックを!

日本で技術者→中国広東省にて日本語教師→日本で技術者復帰→技術者+?
旧題名:まさか私が日本語教師に!(NO.3)

次世代への技術の伝承

2020-04-10 22:28:35 | 教育(日本語以外)
私の今の仕事。
実はけっこうニッチな部分を攻めている。

もちろん教師に戻れない(生活できない)ので、仕方なくこの方面を攻めてみた。
前職は2017年末での退職であるが、最後の2週間前は優雅に有給休暇を消化。
できれば日本語教師に戻りたかった。
そうでなくても、違う業界の講師に。
でも、戻れなかった。

3月になり、とある日本語学校からの話を断った。
その前夜のことは今でもはっきり覚えている。
かなりの傷心状態ではあったが、翌日の昼間にお断りの電話を入れた。
そして、12月からずっと私にラブコールを送ってくださっていた会社にネット上から応募。
20分もしないうちに採用担当者から電話がかかって面接の日取りが決まった。
結果として3か月半の再就職活動であった・・・。

自分自身も採用をやっていたことがあるわりには3か月半かかったのか。
それとも経験があるからこそ、ひとつ保険を作っておくことができ、3か月半も遊ぶことができたのか・・・。


昔自分が経験したこと。
とても忙しい中、何もかもひとりでやらなければならない苦痛。
分身の術を身に着けたいと思う毎日。

であるからこそ、そのうちのある部分に特化しての仕事を考えたのが、2014年の帰国後に教師に戻ることや外国人との交流に関係した仕事を諦めた瞬間。

いや、中国にいるときから思ってはいた。

しかし、ある会社は私の経歴から、私にも会社にも大きな利益になる仕事しか回さなかった。
もっとも、それが辞めた原因ではない。
それどころか、願ってもない仕事が舞い込んできた。
それが外国人に関連した職種であった。

とても楽しかったのだが、退職願を出した。
それはお金の問題。

という次第で、2017年4月に今の会社に入った。


特にこの1年感じているのだが、今は以前私がひとりであれもこれも行っていた以上に、一人でこなすべき仕事が多いように感じている。

そこを手助けできることは喜びでもある。
そして、自分が苦労して身に着けていた経験や知識がものを言う世界。

特に、これからを担う若い方々を陰で支えることができる喜び。

昔、社会人1~3年生の頃、先輩方が(自分はもっと忙しいはずであるのに)時間を作って動いてくださることがあった。

ボスはのたまった。
「お前が一所懸命努力しているからこそ、自分の時間を削って助けてくれるのだぞ」と。


日本語教師時代。
私はこれからの人間を大切にしてきた。
だからこそ、時には厳しい指導もする。

しかし、自分が持っている技術をさらけ出すことには躊躇しなかった。

もちろん、日本語教師としての個人企業秘密もあるわけであり、その辺は簡単には見せなかったのだが・・・。



(しつこいようだが)いつか教師に戻れる日が来るのかもしれない。
しかし、今は自分に与えらえた世界で、これからの方々を支えて行こうと思っている。
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試験合格と実際の能力とどちらが大切か

2019-01-07 22:49:08 | 教育(日本語以外)
今年も何かしらの試験を受けるつもりでいる。
そのうちひとつは既に申し込んである。
言語とは関係ないが、外国人関係であったりする。

実際1年に受ける試験は3つまでにしたほうが良いと思っている。
もちろんこれは自分の経験上のものであり、人によって違う。
(できればひとつ、ふたつまでのほうがもっと良いのだが。)

それではあと2つを何にしたらよいのか。
中検2級を受けるべきか、HSK6級にすべきか。
現在HSK5級までは手に入れている。
その場合、段階的に考えると、中検2級→HSK6級となるであろう。
(どちらも今までに2回受けている。)

ただそうなると、これだけで試験3つとなってしまうわけであり、おじさんにしてみればきつい・・・。

TOPIK(韓国語能力検定試験)Ⅰも受けたいのだが、昨年は選択肢から除外した。
それより先にハン検5級、4級を受けてからのほうが良いのかもしれないというよりも、やはり無理をしたくないので。


とりあえず今は最初に記した試験と中検2級の勉強をしている。
仮に中検2級を受けずにHSK6級を受けるにしても、まず自分が中検2級に届いていないと感じるので。


私はけっこう資格オタク的なところがあり、専門的な国家資格だけでもそれなりのものをいくつか持っている。

そんな経験と昨年日本語教育能力検定試験の勉強と試験そのものでとても疲れたことから思ったこと。
それは「自分が受かる試験を受ければ良い」ということ。

もちろん何も勉強せずして受かるはずもない。
ただ、資格をあくまで資格と考え、単に受かるだけで良いのならば、得意な分野で得点を稼げばよいのである。
(各科目の足切り点は注意せねばならないが・・・。)

とにかく20代の頃のようにいくつも掛け持ち同時進行で、さらに資格試験の勉強まですることは無理なのである。

そこは割り切って要領よく進めるべきかと。

例えば自分の中国語で考えると、実際の運用能力はパスした試験の位(HSK5級)ほどではなかった。
もちろんそのままで良いはずもなく、運用能力はパスした2016年よりは上げてある。

しかし自分の年と今までの経歴を考えると、先に試験合格が必要なのである。

中国で日本語を教えているとき、他校の学生と出会ったり、他校から転入してきた学生を教えたことがあった。

ところがJLPTのN2を持っていても、自分が教えている学生よりは話せないし、聴き取れないというケースも多かった。

「それって問題でしょ・・・」とは思う。
であるからこそ、私は実際の運用も可能になるように授業していたつもりであるし、実際に話せる学生が多かった。

しかし実際問題実力よりも試験合格が欲しい学生はたくさんいる。
なぜならば、他に何も得意な能力がないとすれば、日本語能力試験のN2なり、N1がなければ、書類審査にもひっかからないのである。
特に一度も社会人経験がない場合だと。

それを考えると、一概に「おいおい・・・」とは言えないのである。
とにかくチャンスを掴まないと、先に進めないのであるから。

それを今になって感じるのであるから、実際に自分がそういう立場にならないと、わからないということ。

それ以前に自分がかなり中国化されているのかもしれない。
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外教は何でも知っている便利屋?

2018-04-08 09:40:36 | 教育(日本語以外)
土日は当然、平日でも仕事中の時間にWechatやQQでやって来る突然の質問。

日本語教師を離れてこの夏で4年になる。
そして質問も純粋に難しいビジネス日本語上や専門用語だけにとどまらない。
メイク用品、美容用品なんかも当たり前。

「男の俺に聞く自体が間違い」と思いながらも、調べて返してしまう私…。

昨日の土曜日は仕事中で思いっきり忙しく、退勤後の帰りの電車の中で調べて返事した。

相手は子育て中の若奥様。
先に出産してバリバリの日系企業に転職した同期の才女などに聞けよ…とも思う。
しかし忙しい(返事がない)から…と返される。

あのぉ…俺も土曜出勤でとても忙しいかったんだけど!

でも調べて教えてくれたじゃないですか!


外国での日本語教師。
日本に戻っても、日本語教師を離れても、常に様々な情報を収集しておかなければならない。

ある程度知っていたから化粧品の伝票での省略語を見てある程度の推測ができた。
だから一発で検索できたわけで。

ちなみに仕事で外資系企業などに勤めていないと、VPNなど何のことか分からない方も多く、さらにはかなりのVPN規制(禁止)もあり、簡単にGoogleや各国のYahoo 等に接続できない。

つまり我々が簡単に調べられることが簡単ではなかったりもする。

もちろん百度(Baidu)で簡単に調べられるようなことにはわざわざ調べて返事などしないのだが、人には必ず得手不得手がある。

その辺は考慮している。

だが中には普段何の連絡もないのに突然そんな連絡をよこす輩もいる。

「お前誰だっけ…」と考えてやっと思い出すぐらい昔の学生であったり。

それでも「そういえばあの外教(外国人教師)はいろんなこと知っていたっけ」と思っていただけたのならそれも人徳なのかもしれない。

もっとも「てめぇー何年も音信不通であったに急に質問なんて失礼じゃねーか!」的なことは言っておくけれども。

ちなみに相手のレベルにより、日本語でのやり取り、中国語でのやり取り、(お互い相手の言語レベルを良く知っているので)私は日本語で相手は中国語の擬似少林サッカー状態でのやり取りも多い。



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電車の中で教案(?)作成

2016-07-19 18:48:38 | 教育(日本語以外)
連休明け。
予想よりも仕事に追われた…。
それでもすでに部署の全員消えたので、30分の残業で切り上げた。
(急な飛び込み仕事がいくつも入ったせいか、頭も痛い…)

本当は明日の教案(?)だけは考えて帰るつもりであった。

だが、帰宅までの長い電車旅の中で考えることにする。

教案(?)と記したが、何かを教えるわけではない。
ただ人の前で何かをのたまうときは案を作ることにしている。
もちろん途中で変えるし、アドリブも入ることになるのは皆さんと同じこと。

それでは今から教案(?)作成タイム。
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怒る時の心の痛さの原因は何?

2016-07-08 22:58:33 | 教育(日本語以外)
教師も学生も同じ。

自分は正しいと思っているのに、なぜツッコまれるのであろうか。

簡単にいえば、自分の読みや行動が甘いから。

人間誰しも自分が可愛い。
自然に自分を守ろうとする。

しかし自分が可愛いのは自分だけではなく・・・。

「俺はこんなに一所懸命にやっているのに、どうしてわかってくれないんだぁぁああ!」と叫んでみても、自分にもどこか間違いがあると気付かない限り、改善されない。

正しいことを声高にわめいても、理解されなければ同じこと。

理解されるには自分も相手を理解しなければならない。
仮に相手が間違っていたとしても、上から目線でのたまうだけでは通じない。
仮に相手が間違っていたとしても、のたまうことのどこかに納得または共感できる部分はないのであろうか。

私がいた業界の1つは、何度か伝えてわかっていただけなければ、「帰れ!」と出入り禁止にする。
間違いがあってからでは遅い。事故があってからでは遅い。
それは自分たちやその仲間たち、関係者たち、さらにはその家族の生活を考えるから。
そして相手の家族の生活もある。
いくら教育しても変われない世界にいては、大成しないから。

しかしできればそんなことは避けたいのは誰でも同じ。
何も考えずに「二度と来るな」と言えるのであれば、それは人間として不完全。


教師のみなさんは学習者に怒る時、胸が痛いであろう。
だがその痛みはどこから来るのであろうか。



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