私の今の仕事。
実はけっこうニッチな部分を攻めている。
もちろん教師に戻れない(生活できない)ので、仕方なくこの方面を攻めてみた。
前職は2017年末での退職であるが、最後の2週間前は優雅に有給休暇を消化。
できれば日本語教師に戻りたかった。
そうでなくても、違う業界の講師に。
でも、戻れなかった。
3月になり、とある日本語学校からの話を断った。
その前夜のことは今でもはっきり覚えている。
かなりの傷心状態ではあったが、翌日の昼間にお断りの電話を入れた。
そして、12月からずっと私にラブコールを送ってくださっていた会社にネット上から応募。
20分もしないうちに採用担当者から電話がかかって面接の日取りが決まった。
結果として3か月半の再就職活動であった・・・。
自分自身も採用をやっていたことがあるわりには3か月半かかったのか。
それとも経験があるからこそ、ひとつ保険を作っておくことができ、3か月半も遊ぶことができたのか・・・。
昔自分が経験したこと。
とても忙しい中、何もかもひとりでやらなければならない苦痛。
分身の術を身に着けたいと思う毎日。
であるからこそ、そのうちのある部分に特化しての仕事を考えたのが、2014年の帰国後に教師に戻ることや外国人との交流に関係した仕事を諦めた瞬間。
いや、中国にいるときから思ってはいた。
しかし、ある会社は私の経歴から、私にも会社にも大きな利益になる仕事しか回さなかった。
もっとも、それが辞めた原因ではない。
それどころか、願ってもない仕事が舞い込んできた。
それが外国人に関連した職種であった。
とても楽しかったのだが、退職願を出した。
それはお金の問題。
という次第で、2017年4月に今の会社に入った。
特にこの1年感じているのだが、今は以前私がひとりであれもこれも行っていた以上に、一人でこなすべき仕事が多いように感じている。
そこを手助けできることは喜びでもある。
そして、自分が苦労して身に着けていた経験や知識がものを言う世界。
特に、これからを担う若い方々を陰で支えることができる喜び。
昔、社会人1~3年生の頃、先輩方が(自分はもっと忙しいはずであるのに)時間を作って動いてくださることがあった。
ボスはのたまった。
「お前が一所懸命努力しているからこそ、自分の時間を削って助けてくれるのだぞ」と。
日本語教師時代。
私はこれからの人間を大切にしてきた。
だからこそ、時には厳しい指導もする。
しかし、自分が持っている技術をさらけ出すことには躊躇しなかった。
もちろん、日本語教師としての個人企業秘密もあるわけであり、その辺は簡単には見せなかったのだが・・・。
(しつこいようだが)いつか教師に戻れる日が来るのかもしれない。
しかし、今は自分に与えらえた世界で、これからの方々を支えて行こうと思っている。
実はけっこうニッチな部分を攻めている。
もちろん教師に戻れない(生活できない)ので、仕方なくこの方面を攻めてみた。
前職は2017年末での退職であるが、最後の2週間前は優雅に有給休暇を消化。
できれば日本語教師に戻りたかった。
そうでなくても、違う業界の講師に。
でも、戻れなかった。
3月になり、とある日本語学校からの話を断った。
その前夜のことは今でもはっきり覚えている。
かなりの傷心状態ではあったが、翌日の昼間にお断りの電話を入れた。
そして、12月からずっと私にラブコールを送ってくださっていた会社にネット上から応募。
20分もしないうちに採用担当者から電話がかかって面接の日取りが決まった。
結果として3か月半の再就職活動であった・・・。
自分自身も採用をやっていたことがあるわりには3か月半かかったのか。
それとも経験があるからこそ、ひとつ保険を作っておくことができ、3か月半も遊ぶことができたのか・・・。
昔自分が経験したこと。
とても忙しい中、何もかもひとりでやらなければならない苦痛。
分身の術を身に着けたいと思う毎日。
であるからこそ、そのうちのある部分に特化しての仕事を考えたのが、2014年の帰国後に教師に戻ることや外国人との交流に関係した仕事を諦めた瞬間。
いや、中国にいるときから思ってはいた。
しかし、ある会社は私の経歴から、私にも会社にも大きな利益になる仕事しか回さなかった。
もっとも、それが辞めた原因ではない。
それどころか、願ってもない仕事が舞い込んできた。
それが外国人に関連した職種であった。
とても楽しかったのだが、退職願を出した。
それはお金の問題。
という次第で、2017年4月に今の会社に入った。
特にこの1年感じているのだが、今は以前私がひとりであれもこれも行っていた以上に、一人でこなすべき仕事が多いように感じている。
そこを手助けできることは喜びでもある。
そして、自分が苦労して身に着けていた経験や知識がものを言う世界。
特に、これからを担う若い方々を陰で支えることができる喜び。
昔、社会人1~3年生の頃、先輩方が(自分はもっと忙しいはずであるのに)時間を作って動いてくださることがあった。
ボスはのたまった。
「お前が一所懸命努力しているからこそ、自分の時間を削って助けてくれるのだぞ」と。
日本語教師時代。
私はこれからの人間を大切にしてきた。
だからこそ、時には厳しい指導もする。
しかし、自分が持っている技術をさらけ出すことには躊躇しなかった。
もちろん、日本語教師としての個人企業秘密もあるわけであり、その辺は簡単には見せなかったのだが・・・。
(しつこいようだが)いつか教師に戻れる日が来るのかもしれない。
しかし、今は自分に与えらえた世界で、これからの方々を支えて行こうと思っている。