島のまにまに~インドネシアの小径~

海洋国インドネシアのあちこちでで出会う、美しい村、美しいもの。自然とつながる暮らし。

地図にない道、地図にある道

2013-02-10 | まちむら探訪
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私はそれが地図に書いてある道だと信じていたが、実は全然違っていたらしい。オジェマンはそのことを知っていた。彼はもともと地図にある道なんて信じていなかったはずだ。
会う人ごとに道をたずねるのだけど、みんな言うことが違った。
「この先これ以上行けないよ」と、ある人が言う。「わかった、でも行けるところまでもうちょっとだけ行って」と私はオジェマンに頼み、とにかく進むと、次に会う人が「行けるよ」と軽く言ったりするのだ。そのうちに、誰かにこの道は違うと言われても私は全然ショックを受けなくなった。どうせ次に会う人が違うことを言うのだ。信じなくてもいい。そしてオジェマンが言うことも複雑で理解できなくなっていったが、それが言葉のせいなのか、インドネシア人の思考方式のせいなのかも分からない。しかし、そんなことももうどうでもいい。
畑地帯を抜けるとうっそうとした谷に近い道になり、どろどろで歩かなくてはいけないところも出現し、もうこれまでかと思ったが、そこを抜けるとまた石舗装の道で、まだまだ大丈夫そうに思えた。そこでオフロードバイク青年たちに会ったのである。
彼らのうち一人は、茶園はあっちだと、私たちが向かっているのと真逆の方向を指差した。「だって僕今その道を来たから確かだよ」とツーリング用の詳細な地図を見せて教えてくれた。しかし一緒にいた別の一人は、違うことを言った。けれど2人は考えの相違について議論することもなく、ニコニコしていた。理解不能。

そして、茶畑からバイクで帰って来たいう話と、この道では行けないよという2つの矛盾した結論を示されて、私はしばらく頭が混乱しまくった。
それは要するに、オフロードバイクでなら行けるけど、私たちの立派だけど普通のバイクでは行けないということなのだった。
ここまで来て私はやっとあきらめがついて、幹線道路に出ることにした。
そしてやっと分かったことは、1500円の立派な地図に書いてある立派な道は、実は、ない、ということだった。

地図に書いてあるんだから絶対にある、と信じて疑わなかった自分を恥じた。全く疑念を持たなかったのである。これは病気だ。文明病。
目の前の人が言っていることを信じるという基本を、忘れていた。

日ごろから、誰か知らない人によって書かれて印刷されたもの(ときどき文献などとも言われる)よりも、目の前の人が言っていることのほうが、その時点のそこにある事実として確かだと考えるように心がけているつもりだった。
けれどなぜインドネシアでそれをすっかり忘れていたのか。そこには思いあがった気持ちがあったのだ。地図なんか見るよりもっと高度な方向感覚や情報や知識や知恵や経験があるに違いないのだし。

その後、途中でスコールに会いながら、茶畑にたどりつきました。

写真/ブロッコリーとパパイヤの畑 ジャワ島バトゥのあたり(2012年)
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