島のまにまに~インドネシアの小径~

海洋国インドネシアのあちこちでで出会う、美しい村、美しいもの。自然とつながる暮らし。

タナ・トラジャの石柱と種子島

2014-07-26 | 住まい・建物

独特の葬送で有名なスラウェシ島、タナ・トラジャには
大きな石柱の建つ円形葬儀場がある。

ボルというところのものが一番大規模で有名で、
観光客はみんなそこに見に行くけれど
小規模なものはあちこちで見られた。



この円形葬儀場のことをRante(ランテ)といい、石柱をSimbuang(シンブアン)という。
貴族がここで葬式をする。
上の写真の石柱の向こうにみえるのは、広場の中心で、水牛のいけにえを捧げる場所である。

石柱は、下層階級の人たちが、水牛の皮で結んで、コロ(丸太)を敷いて
大勢で、よいしょ、よいしょ、という感じでほかの村から何日もかけて運んでくるという。

この円形葬儀場はいまだ使われていて、新しい石もある。
ボルのランテは400年前から使われているというが
トラジャ人がこの地にやってきた1000年~2500年ぐらい前からあるだろうという話もある。


で、種子島の北部、北種子(きたたね)地方。種子島は日本です、念のため。

   むむむ……  :神社1

   むむ……   :神社2

  むむむむむ……

  入口はこんな感じ。

  脇の道。道の両横は石をずらりと並べて仕切ってある。

こんな巨石のある神社は1つではありません。北種子のどこの神社にも、こんな石が据えられているのです。  :神社3




種子島の南部の茎永というところにある赤米資料館(名前正確じゃない)に行ったら
米の来た道についての説明があった。
日本への米の伝播には2ルートある。1つは中国・台湾のほうから来たもの。雲南とか、そういうところ。
もう1つは、東南アジア、フィリピンを通じて来たもの。こちらの米は今の日本の短粒米でもなく、タイにある長粒米でもないその中間ぐらいの米ということで、インドネシアの今のお米ってそうだろうと思う。種子島へは、このルートで米が伝わってきているらしい、という展示内容であった。

そういう文化の伝播の道があるっていうのは、インドネシアに親しみが感じられて、嬉しい。

写真/スラウェシ島タナ・トラジャ(2008年)
   日本 種子島(2014年)


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