不埒な天国 ~Il paradiso irragionevole

道理だけでは進めない世界で、じたばたした生き様を晒すのも一興

Quarantadue e da qui

2013-06-04 23:59:00 | 日記・エッセイ・コラム
私はそもそも無精なこともあるし
全員に平等にできないなら
いっさいやらない方がいいと思っているから
基本的にバースデーメッセージは送らないので、
実際にはかなり多方面に不義理をしていると思うのですが、
そんな私なのに、本当にたくさんの方から
バースデーメッセージをいただきました。
皆さん、ありがとうございます。

さて、仕事も辞めちゃって
この人この先一体なにをしようとしているんだろうと
思っている人も中にはいると思うのですが、
誕生日だし、
そろそろ言い出さないといけない時期にもなったので
この辺でご報告でも。

3年半前、2009年12月に最愛のビリーを失ってから
自分の中ではずっとタイミングを探していたのですが、
ようやく時が満ちたような気がしたので、
18年のイタリア生活にピリオドを打つことにしました。

常に自分の人生の方向は
誰にも相談せず勝手に決めてきたので
寝耳に水の方が多いとは思います。
両親をはじめ
ごく一部の友人にしか話していなかったのですが、
2013年の年初には心に決めていたこと。
先の一時帰国は
吉川さんに会いにいくというのがメインではあったけれど、
両親に完全帰国の報告をするためでもあったのです。

ビリーを亡くした時に、あまりにも辛くて
もうこれ以上一人で
イタリアで暮らしていけないと思いはしたものの
その時に抱えていた仕事が
自分の納得できる形になっていなかったこと
そして、支えてくれる友人がいたこともあったし、
なにより、あれこれイタリアに未練があって
とてもイタリアを離れるという
決意をすることができなかった。

でもイタリアという国に骨を埋める気がない以上
いずれどこかのタイミングで引き揚げるのは自明だったし、
自分さえ納得できれば、
それはどの瞬間でも起きうることでもあった。
ビリーが旅立った瞬間から
私はそのタイミングをずっと探していたんだと思う。

だから、そのいつかに向けて
まず仕事を整理して片付けることに専念してきた。
中途半端に無責任な形で辞めるのは
自分が納得できなかったから
自分なりにできることはやってきた。
それでもまだ
年の暮れまで実は辞めるつもりなかったんだけどね。
一人でやってきた支店が再び複数体制になったこと、
運良くなのか運悪くなのか、
まったく反りの合わない、
というか方針に納得できない上司がやってきたこと。
全ての偶然は必然であるというがごとく、
いつのまにか流れが出来上がっていた。
だからさらりと辞めてしまったわけです。


2011年3月11日の東日本大震災が
多くの日本人の考え方を変えたように
私も少なからず影響を受け
特に吉川さんの
「今までのモノサシではやっていけない」という言葉で
自分の生き方在り方、
そしてモノの見方を変える時が来たと実感したのも一つ。

また、2011年の年の暮れに父が倒れ
翌2012年2月には
父が愛してやまなかった家業を畳んだことも一つのきっかけ。
ただし、私にその全てが知らされたのは
家業廃業の届け出を出すという、まさにその日だった。
それまで父が具合が悪かったことも、倒れたことも
母が一人で父を看ながら家業廃業の手続きまで進めたことも
まったく知らずにいた。
母の強さに驚嘆するとともに、
自分の不甲斐なさも思い知ったし、
両親のおかげでなんの不自由もなく
これまで自分第一でやってきたわがままな人生の軸を
愛する人たちのために少しずらす時が来たのだと、
私なりに悟ったりもした。
大切なモノを失ってしまう前に
なんとかするべきだと目が覚めたというか。

更に、ここ数年
フィレンツェの魅力が薄れていっているのを
なんとなくじわじわ感じてきたのだけど
ここにきてはっきりと、
その変化がこの目に見えてきたこともきっかけかもしれない。
私が愛した美しいフィレンツェは
おそらくこの先もずっと変わらず、そこにある。
でもそれを構成する小さな分子が
少しづつ形を変えてしまった。
簡単に言ってしまえば
各種の規制緩和によって様々な枠組みが崩壊したことで
画一化が進み過ぎてしまい、
唯一無二のはずだったフィレンツェが
欧州のどこかの街と大差ない
一都市になりつつあるという事実。
もちろんフィレンツェは「観光都市」としては
今も魅力的だし、
今のフィレンツェをそうあるものとして愛することもできる。
でも私が求め愛し続けた、
ある意味、頑固で不器用なフィレンツェって
もう無くなってしまうような気がしていた。


色々言っても、それは全て自分を納得させるための
後付けの理由かもしれない。
でもそれでもいいんじゃないかと今は思う。
少なくとも10年前、3年前、そして多分1年前にも
イタリアに未練があって決断できなかった。
それが今年になって気づいてみればさらりと決断できた。
時が満ちたからだとしか思えない。

もちろん、日本というルールからはみ出していたばっかりに
うまく生きられずにそこから飛び出してきた私だから
今更そこに戻って
やっていけるのかという不安がないわけじゃない。
でも、そんな不安を越えるほど
愛する人たちの近くにいたいと思う気持ちが強くなった。

それは私が年を重ねたせいかもしれない。
それならそれで、いいかな。
年を重ねたからこそ、わかることもあるんだろうし。


Quarantadue

2013-06-04 23:43:00 | 日記・エッセイ・コラム
まぁ、実感ないですけどね、毎年のように(笑)。
気づけば42歳かぁという感じで、
明日からアンケートの年齢も
間違えずに42歳と記載しなくてはいかんのだなっていうくらい。
私にとっては24歳頃(大学に在籍していた頃)までは
年齢の意味もあったような気がするけれど、
25歳からそれ以降、年齢はどうでもよくなっているので
ともすれば自分が今年何歳なのか忘れたり。

ともかく、朝日を拝んで、
さて一日好きなことだけするぞと心に決めたバースデー。
ここ数年はこの日も仕事していることが多かったし
たとえ週末に当たっていても
仕事のことがそれなりに気になっていたので、
無職になった今こそ、
久々に完全なる私のための一日(笑)。

たいてい好きなことばっかりやって暮らしてはいるけれど、
更に凝縮して好きなことばっかりやることに(爆)。

ということで、
朝からレイラの散歩ものんびり
Chiesa di Santa Maria Novellaからアルノ川沿いへ。
そしてそのあとはChiesa di Ognissantiの
ギルランダイオの最後の晩餐を観に。
大好きな作品を久しぶりに堪能して大満足。
そのままピッティ宮殿に向かって
Galleria Palatinaで開催されている特別展へ。
なかなか興味深い展示で、
行ったり来たりを繰り返し2時間ちょっとかけて鑑賞。
まだ観たりない(笑)、でも腰が痛くなったので
本日のところは引き揚げ。
サント・スピリト教会広場のGustapaninoで
これまた久しぶりにここのパニーノ食べて一旦帰宅。
一休みしてから
Chiesa di San Miniato al Monteへ
一人で行ってじっくり中も観てくるつもりだったのだけど、
時間的にじっくり観られそうもなくなったので、
レイラを連れてお散歩に変更。
行き先は変更なし。
アルノ川の上流には雨雲張り出してどんより暗かったけど、
太陽が落ちていく下流は晴れていたので夕日を拝みに。
1時間半かけてレイラとのんびり歩いて夕日を観ながら帰宅。
汗かいたので、ジムに行ってサウナでのんびりして
帰りに再びChiesa di Santa Maria Novellaを眺めて終了。
佳き一日でした。

こんな何気ない普通の一日が送れることに感謝しないとね。