私はそもそも無精なこともあるし
全員に平等にできないなら
いっさいやらない方がいいと思っているから
基本的にバースデーメッセージは送らないので、
実際にはかなり多方面に不義理をしていると思うのですが、
そんな私なのに、本当にたくさんの方から
バースデーメッセージをいただきました。
皆さん、ありがとうございます。
さて、仕事も辞めちゃって
この人この先一体なにをしようとしているんだろうと
思っている人も中にはいると思うのですが、
誕生日だし、
そろそろ言い出さないといけない時期にもなったので
この辺でご報告でも。
3年半前、2009年12月に最愛のビリーを失ってから
自分の中ではずっとタイミングを探していたのですが、
ようやく時が満ちたような気がしたので、
18年のイタリア生活にピリオドを打つことにしました。
常に自分の人生の方向は
誰にも相談せず勝手に決めてきたので
寝耳に水の方が多いとは思います。
両親をはじめ
ごく一部の友人にしか話していなかったのですが、
2013年の年初には心に決めていたこと。
先の一時帰国は
吉川さんに会いにいくというのがメインではあったけれど、
両親に完全帰国の報告をするためでもあったのです。
ビリーを亡くした時に、あまりにも辛くて
もうこれ以上一人で
イタリアで暮らしていけないと思いはしたものの
その時に抱えていた仕事が
自分の納得できる形になっていなかったこと
そして、支えてくれる友人がいたこともあったし、
なにより、あれこれイタリアに未練があって
とてもイタリアを離れるという
決意をすることができなかった。
でもイタリアという国に骨を埋める気がない以上
いずれどこかのタイミングで引き揚げるのは自明だったし、
自分さえ納得できれば、
それはどの瞬間でも起きうることでもあった。
ビリーが旅立った瞬間から
私はそのタイミングをずっと探していたんだと思う。
だから、そのいつかに向けて
まず仕事を整理して片付けることに専念してきた。
中途半端に無責任な形で辞めるのは
自分が納得できなかったから
自分なりにできることはやってきた。
それでもまだ
年の暮れまで実は辞めるつもりなかったんだけどね。
一人でやってきた支店が再び複数体制になったこと、
運良くなのか運悪くなのか、
まったく反りの合わない、
というか方針に納得できない上司がやってきたこと。
全ての偶然は必然であるというがごとく、
いつのまにか流れが出来上がっていた。
だからさらりと辞めてしまったわけです。
2011年3月11日の東日本大震災が
多くの日本人の考え方を変えたように
私も少なからず影響を受け
特に吉川さんの
「今までのモノサシではやっていけない」という言葉で
自分の生き方在り方、
そしてモノの見方を変える時が来たと実感したのも一つ。
また、2011年の年の暮れに父が倒れ
翌2012年2月には
父が愛してやまなかった家業を畳んだことも一つのきっかけ。
ただし、私にその全てが知らされたのは
家業廃業の届け出を出すという、まさにその日だった。
それまで父が具合が悪かったことも、倒れたことも
母が一人で父を看ながら家業廃業の手続きまで進めたことも
まったく知らずにいた。
母の強さに驚嘆するとともに、
自分の不甲斐なさも思い知ったし、
両親のおかげでなんの不自由もなく
これまで自分第一でやってきたわがままな人生の軸を
愛する人たちのために少しずらす時が来たのだと、
私なりに悟ったりもした。
大切なモノを失ってしまう前に
なんとかするべきだと目が覚めたというか。
更に、ここ数年
フィレンツェの魅力が薄れていっているのを
なんとなくじわじわ感じてきたのだけど
ここにきてはっきりと、
その変化がこの目に見えてきたこともきっかけかもしれない。
私が愛した美しいフィレンツェは
おそらくこの先もずっと変わらず、そこにある。
でもそれを構成する小さな分子が
少しづつ形を変えてしまった。
簡単に言ってしまえば
各種の規制緩和によって様々な枠組みが崩壊したことで
画一化が進み過ぎてしまい、
唯一無二のはずだったフィレンツェが
欧州のどこかの街と大差ない
一都市になりつつあるという事実。
もちろんフィレンツェは「観光都市」としては
今も魅力的だし、
今のフィレンツェをそうあるものとして愛することもできる。
でも私が求め愛し続けた、
ある意味、頑固で不器用なフィレンツェって
もう無くなってしまうような気がしていた。
色々言っても、それは全て自分を納得させるための
後付けの理由かもしれない。
でもそれでもいいんじゃないかと今は思う。
少なくとも10年前、3年前、そして多分1年前にも
イタリアに未練があって決断できなかった。
それが今年になって気づいてみればさらりと決断できた。
時が満ちたからだとしか思えない。
もちろん、日本というルールからはみ出していたばっかりに
うまく生きられずにそこから飛び出してきた私だから
今更そこに戻って
やっていけるのかという不安がないわけじゃない。
でも、そんな不安を越えるほど
愛する人たちの近くにいたいと思う気持ちが強くなった。
それは私が年を重ねたせいかもしれない。
それならそれで、いいかな。
年を重ねたからこそ、わかることもあるんだろうし。
全員に平等にできないなら
いっさいやらない方がいいと思っているから
基本的にバースデーメッセージは送らないので、
実際にはかなり多方面に不義理をしていると思うのですが、
そんな私なのに、本当にたくさんの方から
バースデーメッセージをいただきました。
皆さん、ありがとうございます。
さて、仕事も辞めちゃって
この人この先一体なにをしようとしているんだろうと
思っている人も中にはいると思うのですが、
誕生日だし、
そろそろ言い出さないといけない時期にもなったので
この辺でご報告でも。
3年半前、2009年12月に最愛のビリーを失ってから
自分の中ではずっとタイミングを探していたのですが、
ようやく時が満ちたような気がしたので、
18年のイタリア生活にピリオドを打つことにしました。
常に自分の人生の方向は
誰にも相談せず勝手に決めてきたので
寝耳に水の方が多いとは思います。
両親をはじめ
ごく一部の友人にしか話していなかったのですが、
2013年の年初には心に決めていたこと。
先の一時帰国は
吉川さんに会いにいくというのがメインではあったけれど、
両親に完全帰国の報告をするためでもあったのです。
ビリーを亡くした時に、あまりにも辛くて
もうこれ以上一人で
イタリアで暮らしていけないと思いはしたものの
その時に抱えていた仕事が
自分の納得できる形になっていなかったこと
そして、支えてくれる友人がいたこともあったし、
なにより、あれこれイタリアに未練があって
とてもイタリアを離れるという
決意をすることができなかった。
でもイタリアという国に骨を埋める気がない以上
いずれどこかのタイミングで引き揚げるのは自明だったし、
自分さえ納得できれば、
それはどの瞬間でも起きうることでもあった。
ビリーが旅立った瞬間から
私はそのタイミングをずっと探していたんだと思う。
だから、そのいつかに向けて
まず仕事を整理して片付けることに専念してきた。
中途半端に無責任な形で辞めるのは
自分が納得できなかったから
自分なりにできることはやってきた。
それでもまだ
年の暮れまで実は辞めるつもりなかったんだけどね。
一人でやってきた支店が再び複数体制になったこと、
運良くなのか運悪くなのか、
まったく反りの合わない、
というか方針に納得できない上司がやってきたこと。
全ての偶然は必然であるというがごとく、
いつのまにか流れが出来上がっていた。
だからさらりと辞めてしまったわけです。
2011年3月11日の東日本大震災が
多くの日本人の考え方を変えたように
私も少なからず影響を受け
特に吉川さんの
「今までのモノサシではやっていけない」という言葉で
自分の生き方在り方、
そしてモノの見方を変える時が来たと実感したのも一つ。
また、2011年の年の暮れに父が倒れ
翌2012年2月には
父が愛してやまなかった家業を畳んだことも一つのきっかけ。
ただし、私にその全てが知らされたのは
家業廃業の届け出を出すという、まさにその日だった。
それまで父が具合が悪かったことも、倒れたことも
母が一人で父を看ながら家業廃業の手続きまで進めたことも
まったく知らずにいた。
母の強さに驚嘆するとともに、
自分の不甲斐なさも思い知ったし、
両親のおかげでなんの不自由もなく
これまで自分第一でやってきたわがままな人生の軸を
愛する人たちのために少しずらす時が来たのだと、
私なりに悟ったりもした。
大切なモノを失ってしまう前に
なんとかするべきだと目が覚めたというか。
更に、ここ数年
フィレンツェの魅力が薄れていっているのを
なんとなくじわじわ感じてきたのだけど
ここにきてはっきりと、
その変化がこの目に見えてきたこともきっかけかもしれない。
私が愛した美しいフィレンツェは
おそらくこの先もずっと変わらず、そこにある。
でもそれを構成する小さな分子が
少しづつ形を変えてしまった。
簡単に言ってしまえば
各種の規制緩和によって様々な枠組みが崩壊したことで
画一化が進み過ぎてしまい、
唯一無二のはずだったフィレンツェが
欧州のどこかの街と大差ない
一都市になりつつあるという事実。
もちろんフィレンツェは「観光都市」としては
今も魅力的だし、
今のフィレンツェをそうあるものとして愛することもできる。
でも私が求め愛し続けた、
ある意味、頑固で不器用なフィレンツェって
もう無くなってしまうような気がしていた。
色々言っても、それは全て自分を納得させるための
後付けの理由かもしれない。
でもそれでもいいんじゃないかと今は思う。
少なくとも10年前、3年前、そして多分1年前にも
イタリアに未練があって決断できなかった。
それが今年になって気づいてみればさらりと決断できた。
時が満ちたからだとしか思えない。
もちろん、日本というルールからはみ出していたばっかりに
うまく生きられずにそこから飛び出してきた私だから
今更そこに戻って
やっていけるのかという不安がないわけじゃない。
でも、そんな不安を越えるほど
愛する人たちの近くにいたいと思う気持ちが強くなった。
それは私が年を重ねたせいかもしれない。
それならそれで、いいかな。
年を重ねたからこそ、わかることもあるんだろうし。