不埒な天国 ~Il paradiso irragionevole

道理だけでは進めない世界で、じたばたした生き様を晒すのも一興

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2013-01-09 18:05:05 | Tweet Log



Amore e Psiche Bis

2013-01-09 14:00:00 | アート・文化

少し前にここで紹介した
ミラノ・マリーノ宮殿で
今週末まで開催されているアモーレとプシケの展覧会。
ここで紹介したときから
ずっと気になっていたことが2点あって
実際観にいったら、
その答えを得ることができてすっきりしたので
再び紹介させていただきます。
今回ミラノで観ることができなくても、
ルーブルでいつか
この作品に出会う方もいるのではないかと思いますので。

2点の疑問とは
フランソワ・ジェラールの絵画で、
プシケはなぜあらぬ方向を向いているのか。
カノーヴァの彫刻で
アモーレはなぜプシケよりも背が低いのか。
大した疑問ではないのですが、気になっていたのです。

マリーノ宮殿では無料の展示であるにもかかわらず、
小グループごとに全てガイドがついて
この2作品を丁寧に解説してくれます。

ジェラールの作品では
プシケの美しさに嫉妬したヴィーナスの遣いで
世で最も醜悪な男と恋に落ちるように仕掛けるために
彼女の元に送られたアモーレが
ひと目でプシケに恋をして
くちづけをするシーンが描かれていますが、
プシケは両手で胸を押さえ、
あらぬ方向を向いています。
これは神の世界からやってきたアモーレは
彼女の目には見えないという設定であるとともに、
「愛」は目に見えるものではないということを
暗喩しているのだということ。
そういわれればその通りなのですが、
それを知って再びこの作品に向かうと
突然どこかからやってきたアモーレにくちづけをされ
何かわからぬ大きな力に動かされて驚くプシケが
とてもかわいく見えます。

カノーヴァの作品では
神であるアモーレは
そのシンボルである背中の羽もなく
常備している矢も持っていない、
裸体の少年の姿で描かれています。
プシケはそのアモーレよりも少し背が高く、
アモーレの左手首をやさしくつかんで
その掌に蝶を乗せていて、
彼女の髪型は
女神を表現するときによく使われる結い方になっています。
これは当時少しづつ社会が変わり始めたことを
カノーヴァがいち早く感じて
作品に投影しているのだという説明を受けました。
神の世界に身をおく不死身のアモーレと
人間世界の限りある命をもつプシケの恋の物語は
当時の、身分の差を越えて
恋を成就させていく男女の姿を
反映しているのだそうです。
だからこそ、
アモーレとプシケの立場が逆転しているような、
そんな表現が用いられているのだと。
これも説明を聞いて、非常に納得。
さらに蝶は「魂」そして「愛」の証であり
二人がアモーレの掌に乗った蝶を見つめて
その「愛」を確認している姿であると。
そして、今回初めてルーブル外で
オリジナルの支え付きで展示された立像ですが、
当時は支えについている取っ手をもってくるくる回して
光の当たり具合によって変わる
彫刻の表情を楽しんでいたのだそうで、
マリーノ宮殿ではさすがに動かすことはできないので
その光の遊びをライティングで表現していました。

まさに目からウロコのありがたいガイドつき展示でした。