不埒な天国 ~Il paradiso irragionevole

道理だけでは進めない世界で、じたばたした生き様を晒すのも一興

L'abbattimento di un'albero

2011-04-04 23:23:00 | 日記・エッセイ・コラム
私がこの家に越してきて既に16年。
東向きのベランダは小さな中庭に面していて
私のお気に入りの場所。
何の変哲もない、おしゃれでもなんでもない空間。
でも大好きだった景色。

数年前にこの中庭の手前に生えていた
西洋クルミの木が切り倒されたときも
私はすごくショックだった。
そして、今朝は
その奥にあった何の木だかわからないけど、
立派な大木に作業員が上っているのを見かけて
枝打ちでもするのかなと思いながら
後ろ髪引かれながら仕事に出かけてしまった。

まさか、今朝の眺めが最後になるとは夢にも思わず。
ここ数日の暖かさで枝の先に緑が芽吹いてきているのを
レイラと一緒に「春だね」なんて
昨日は幸せいっぱいで見つめていたのに。

ランチ休憩で自宅に戻る途中、
階下のイタリア人住民に腕をつかまれて、
「ねぇ、木が切り倒されちゃうの!」と言われて
事態の重大さに改めて気づきました。

西洋クルミが切られてしまったときにも
彼女が盛大に反対を申し立て
結局クルミの木は切り倒されたけれど、
そこに新しい建物は建てられずに緑が残されたという経緯があり
彼女たちは今朝も作業が始まるや否や、
抗議をしに出かけたけれど、
止められなかったと涙ながらに語ってくれました。
Dscf0145
そう、この中庭は
我々が住む建物と中庭を挟んで向こう側のにある
別の建物に付随しているもので
我々は中庭に入ることもできないし、
今では中庭も個人所有なので、
彼らの思う通りにそこにある木も切り倒されて
しかるべきなのかもしれない。

でも、彼ら曰く
「近隣住民から苦情があったから」というのは
まったくのでたらめだと思う。
少なくとも我々はその木がそこに生えていることを
ありがたいと思いこそすれ、迷惑だなんて思ったことはないもの。

結局は大木は生命力が強くて
根を張り続け、その根の力で
彼らの住居の床が押し上げられているからというのが
本当の理由らしい。

なんか世の中って理不尽だよね。
Dscf0146_2

私が四季を感じながら愛でてきた大木は
夕方にはすっかり切り倒されちゃって
今まで大木の枝が目隠しになっていて見えなかった
向こうの建物のみたくもない日常が
いやがおうにも飛び込んでくるようになった。
そんな景色を見ながら
失ったものの大きさを思い
一人で泣いている私は一体なんなんだろう。

なんだか私の16年分の思い出まで壊された気分なんだよ。

そして、朝この木の枝のどこかにとまって
へたくそに「けきょけきょ」と鳴いていたうぐいすや
巣作りをしていたハトの棲家も奪ってしまったのよ。

もともとその中庭は個人所有ではなくて
国鉄の持ち物だったらしく、
数年前に亡くなった階下のおばあちゃんから聞いた話では
彼女が嫁入りしてきた頃には
その中庭に列車の車両がおさめられていたんだって。
そのおばあちゃんはその敷地が個人の手に渡ったことも
その個人によって西洋クルミの木が切り倒されることも
本当に悲しく思っていつも涙ながらに語っていたっけ。

これからきっと私がそうやって
涙ながらに語り継いでいくのかもしれないよね。

震災ですべてをなくした人の絶望感に比べたら
ちっぽけだけど、
私には今日という日が
私のフィレンツェでの大事な思い出をもぎ取られた
とてつもなく辛い日になってしまったのですよ。

これからずっとこの中庭に向かって
果物の種を投げ続けようかな。
一つくらいは芽を出して立派に育つかもしれないじゃん!!
なんて思ったりして。


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2011-04-04 19:00:23 | Tweet Log