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不埒な天国 ~Il paradiso irragionevole

道理だけでは進めない世界で、じたばたした生き様を晒すのも一興

Cappella Sistina

2012-11-21 22:17:52 | アート・文化
レオナルド・ダ・ヴィンチが新しい技法を試みたばかりに
完成直後からの剥落がひどく、保存状態が極めて悪かった
ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会の
最後の晩餐は
修復が完了してから、完全な温度&湿度管理を行い
その状態を保持していくために
入場を制限していることはよく知られています。

ヴァチカンのシスティーナ礼拝堂(Cappella Sistina)の
天井フレスコ画は
1512年10月31日に完成し、
ユリウス2世(Giulio II)が完成祝福のミサをあげています。
2012年はそれから500年の記念の年に当たります。
それもあって
観光客はもちろん信者さんの訪問数も今年は増えているようです。

年間500万人以上の入場者があるというシスティーナ礼拝堂ですが、
1994年にColalucci(コラルッチ氏)による修復が終わった時点で
やはり湿度&温度を管理する空調設備が取り付けられていますが、
既に20年も前の話。
当時の最新技術を搭載したシステムだったとしても
現状の人の出入りによる空気の動きを管理していくには
少々無理があるようです。

20年前に比べると増大している日々の入場者の入れ替わりにより
礼拝堂内に蓄積される埃の量も増え、
人体が絶え間なく動くことで礼拝堂内の空気圧も変動し
二酸化炭素の充満度も高くなり、
入場者の多い時間帯は礼拝堂内の気温が上昇し、
休館時は気温が下降し、不自然な気温の変動を招いています。
こうしたいくつもの要素が
繊細なフレスコ画に与える影響は大きく
早急に何らかの手を打つ必要があるといわれています。
現ヴァチカン博物館の美術監督局長である
Paolucci(パオルッチ氏)は、
2013年中に新しい空調設備システムを導入するか、
それが実現できないのであれば、
入場者数を制限するより他に方法がないと明かしています。

ミラノの最後の晩餐のように
独立させて隔離できる環境であれば
入場制限も容易なのかもしれませんが、
サン・ピエトロ寺院の一部であり、
現在はヴァチカン博物館からのアクセスがメインになっている
システィーナ礼拝堂は、その位置的構造からみると
入場者数を制限するのも限界があるのではないかと思います。
システィーナ礼拝堂入場予約という別枠を作るとしても
そこに行き着くまでには
ヴァチカン博物館もしくはサンピエトロ寺院を
通過しなくてはならないので、
時間的にも順路的にも非効率なのではないかと思うのです。

世界のヴァチカン市国、経済的に苦しいわけではないので
現時点での最新技術を搭載した空調管理システムを導入して
フレスコ画の保存と観光客&信者のニーズを満たしてほしいものです。

既に日本企業にも打診はされているのかもしれませんが、
こういう部分で日本が技術提供できることも多いと思います。


La Madonna col Bambino del Mantegna

2012-11-14 19:18:36 | アート・文化
ヨーロッパの美術館や教会でよく見かける「聖母子像」。
聖母マリアと幼子イエスキリストを描くこのテーマでは
ほとんどすべての芸術家が作品を残しています。

Andrea Mantegna
(アンドレア・マンテーニャ)も例に漏れず。

1851年から
Galleria dell'Accademia Carrara di Bergamo
ベルガモのカッラーラ美術館に収蔵されている
マンテーニャの傑作の一つともいわれる作品です。

この作品が世界的に有名なフィレンツェの修復工房
Opificio delle Pietre Dureでの修復を終えて
2012年11月13日より一般公開となります。

2008年にベルガモからフィレンツェに移送され、
修復が続けられていました。
マンテーニャが駆使した独特の技法と
長年に亘る損傷が激しく、
非常にデリケートな作品とされていました。

マンテーニャはこの作品を
キャンバス上にテンペラ画法という
特殊な技法で描いています。
当時は冒険的な試みともいわれましたが
決して彼の気まぐれから生まれたものではなく、
フレスコ壁画のもつような色彩の明るさと質感を与えたいと
試行錯誤した結果でもあります。
実際その試みは成功し、
Tempera magra(テンペラ・マグラ)という
油分を極端に削ぎ落とした絵具を利用した技法を確立し
現在もそうした効果を充分に継承しているといえます。

4年に亘る修復で
一部ほころんでいた布地は一本一本再構築され
以前の修復で上書きされた部分を取り除き
できるだけオリジナル近い形で再現し
将来的な保存を考えてサポート部分にも手を加えています。

修復が完了したので、近い将来この作品は
ベルガモのカッラーラ美術館に戻されますが、
その前に修復を手がけたOpificioへのオマージュとして
フィレンツェのアカデミア美術館内で展示され、
約1ヶ月間一般公開となります。

作品の繊細さから
長年カッラーラ美術館から搬出されたことのない作品を
フィレンツェで観ることのできる数少ない機会です。
お時間のある方は是非足を運んでください。

Andreamantegnamadonnaconilbambinote

La Madonna col Bambino del Mantegna
会場: Galleria dell'Accademia di Firenze
会期: 2012年11月13日から2012年12月9日まで
開館時間: 8:15-18:50
入場料: 6,50ユーロ





La guerra del Marmo di Carrara

2012-08-08 13:55:00 | アート・文化
ミケランジェロがこよなく愛して
自分の作品には必ずここの石を使ったとも言われる
Carrara(カッラーラ)の白大理石。
彼の代表作であるDavide(ダヴィデ像)やPieta'(ピエタ像)にも
カッラーラの大理石が使われています。

そして、この周辺では今もまだ採石は続けられています。
大理石の眠る採石場は名目上は公の所有となっていますが、
実際に管理しているのはもちろんカッラーラ市です。

この大理石を巡ってここ数年熱い闘いが繰り広げられています。
市長対各採石業者はもちろん
環境保全団体は例のごとくすべての関連業者や市を相手に闘っています。
そして、市民の間には
大理石採石から輸出までの関連業界で暴利を貪っている人々に対して
そろそろ堪忍袋の緒が切れそうな雰囲気が漂ってきています。
その昔、この周辺では
石材工場も多く、
もちろん切り出し工や石材加工職人などの仕事に携わる人も多く
親族・家族の中には一人くらい
大理石の仕事に関わっている人がいたものですが、
そうした状況も時代の流れとともに変わってきています。
現在は採石場で働く人はわずか1000人となり、
(因みにカッラーラ市の人口は約6万人)
ほとんどの大理石は切り出されると
そのまま海外に持ち出されてしまうため
カッラーラ周辺での大理石加工業は廃れる一方です。

実はカッラーラ市は
大理石の産み出す資金は潤沢であるにも関わらず、
イタリアで二番目に借金の多い市町村。
これも採石場から港までの石の運び出しを容易にするための
道路整備を行ったためでもあります。

大理石を切り出すことで潤っているのは
関連会社のみという状況で
市長は公共の所有であるものを切り出していることを理由に
切り出し手数料の値上げを打出していますが、
もちろん関連業者はこれに猛反対して
裁判も起こしています。
一方環境保全団体は大理石は公共所有物であり
関連業者だけが勝手に儲けを出してはならないとし
市長が求めている切り出し手数料が安すぎるともいっています。

環境保全団体によれば
昨年1年間で切り出された大理石は約500万トンだそうで
カッラーラ市によれば
市が大理石産業から得る収入は1500万ユーロで
これを2000万ユーロにまで伸ばしたいとしています。

金と権力がからむとどこでも紛争が起きるものですが、
白大理石も自然から切り出している
地球の恩恵であることを忘れずにいたいものです。


Le Grotte di Catullo

2012-07-25 13:55:00 | アート・文化
北イタリアの3州にまたがる、
イタリア最大の湖Lago di Garda(ガルダ湖)。
この湖の南部に湖に突き出すような形で延びているのがSirmione(シルミオーネ)。
この岬の突端に紀元前1世紀の終わりから紀元1世紀にかけて建てられたとされる
古代ローマの遺構が残っています。
北イタリアでは最大規模の古代ローマ時代の別荘跡としても知られています。
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本格的な遺跡の研究はナポレオンの時代に彼の部下であった将官によって
1800年代の初めから開始され
その後、ヴェローナの考古学者Girolamo Orti(ジローラモ・オルティ)が
より詳細な発掘を行い、現在も彼の残した研究がベースになっています。
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1939年に美術監督局が大幅な発掘と修復を行ったうえで
1948年から遺構の周辺地域を監督下において保存活動を続けています。
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1990年代の研究によって、
遺構全体は単独の建設プログラムによって
構築されたものであるということも明らかになっています。
そのためか非常に明確な空間配置に基づいて建てられており
調和の取れた美しい構造がそのまま残っています。
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ローマのドムス・アウレアもそうですが
古代ローマ遺跡というのは
大抵長い時間をかけて蓄積した土に埋もれています。
シルミオーネの遺跡にGrotte(洞窟)と名がついているのは
発掘が始まるまでは鬱蒼とした丘に埋もれていて、
1400年代に初めてその存在が確認されたときには
まるで洞窟のように見えたからです。

シルミオーネは古代ローマ時代の詩人
Gaio Valerio Catullo(カトゥッロ)が賞賛した土地でもあり、
彼の別荘がこの地にあったと言い伝えられています。
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実際にはそれを証明するものは未だ確認されていませんが
慣わしとして、長らくこの遺構はカトゥッロの別荘跡と呼ばれています。

非常に壮大な遺構で、
2ヘクタールにも及ぶといわれる敷地の大部分は現在オリーブ畑に覆われていて
発掘されているのは一部分のみです。
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別荘は167メートル×105メートルの長方形で
北部と南部の短い側面にファサードの突出部分があったようです。
岬の突端の崖の部分にまたがっているため
その斜面の傾斜を補うために、
北側はかなり広い範囲で石造りの基礎による底上げ構造になっており
一方南側は自然の岩場をかなり切り落として平坦にしているようです。

地下部分は紀元前1世紀のものだといわれていますが
実際に全体の別荘としていつ頃まで使われていたのかは定かではありません。
内部そして周辺から発掘された墓跡などから
紀元4世頃には別荘としての機能は既に失い、
放置された土地になっていたのではないかといわれています。

別荘のメインの出入り口は南側の側面に設けられており、
東西の側面は湖に向かって長い開廊とテラスが設けられ
その二つの開廊が北側面で繋がる形になっています。
西側の下層部分にあって長らく覆われていた開廊の一部は
保存状態もよく、現在見学可能となっています。
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南側と北側の上階部分にあったとされる居住ゾーンの建物は
最も風雨にさらされる構造になっていたこと、
また後世に物品や石材の運び出しなどでかなり荒らされたことから
もっとも損傷の多い部分となっています。
南側の地下には
別荘で利用するに足りうるだけの水を貯水しておくための
43メートルの巨大な貯水槽の跡も見つかっています。

遺構の中央にある広い部分は
現在1500本のオリーブが植えられていますが、
その昔は別荘の中庭だったといわれています。
また古代ローマの遺構らしく、温泉設備跡も見つかっています。
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Le Grotte Di Catullo
Piazzale Orti Manara 4
Sirmione
入場料:4ユーロ
オープン時間: 
3月から10月 火-土8:30-19:30、日曜祝日8:30-14:00
11月から2月 火-土8:30-16:30、日曜祝日8:30-14:00
休館日:月曜日


Torre di Arnolfo

2012-07-18 13:20:00 | アート・文化
フィレンツェのヴェッキオ宮殿の最上部に聳えるのが
Torre Di Arnolfo(アルノルフォの塔)で天辺までは94メートル。
1310年、ヴェッキオ宮殿の本体がほぼ完成するころに
ポッピ(POPPI)のCASTELLO DI CONTI GUIDI
(グイディ伯爵の城)をモデルにして建てられたとされています。

もともとこの地にあった塔の家&鐘楼の土台をそのまま利用して
上へ伸ばしているため、
塔は現在のヴェッキオ宮殿の正面向かって少し南寄りに付けられています。

長らく一般には開けられていなかった塔の部分ですが、
2012年6月24日より一般公開となっています。
ヴェッキオ宮殿の美術館のある2階部分から
223段の階段で塔へアクセスすることができます。
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階段を上っていくと所々に鍵のかけられた小部屋もあります。
これはAlberghetto(アルベルゲット)と呼ばれ、
かつては囚人を収容していた部屋でもあります。
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Cosimo Il Vecchio(メディチ家の老コジモ)は
1433年にフィレンツェ追放となる前には
この塔に幽閉されていましたし、
1498年5月23日に処刑される前の
Girolamo Savonarola(ジロラモ・サヴォナローラ)も
この塔に幽閉されていました。

ツバメの尾のような形のギベッリーナ狭間胸壁をもつ
3つの鐘が設置されているバルコニー部分までしか昇ることはできませんが
いつもとは違った視線から見下ろすフィレンツェの街を体感できます。
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このバルコニーの鐘のある空間を支える4本の柱の一本から
さらに上に向かうための螺旋階段が取り付けられています。
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その更に上には高さ2メートル強の風向計が取り付けられています。
この風向計のオリジナルは
ヴェッキオ宮殿の1階中庭に保管されているのでいつでも見学可能ですが、
フィレンツェ市の紋章であるユリを天辺につけたポールを
ライオンが登っています。
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TORRE DI ARNOLFO
Palazzo Vecchio
入場料:6,50ユーロ (美術館との共通チケットで10,00Euro)
オープン時間: 9:00-21:00 木曜日のみ9:00-14:00
年中無休