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不埒な天国 ~Il paradiso irragionevole

道理だけでは進めない世界で、じたばたした生き様を晒すのも一興

Amore e Psiche

2012-12-26 14:30:37 | アート・文化
ネオクラシックのイタリアを代表する彫刻家とも言われる
Antonio Canova (アントニオ・カノーヴァ)。
幼少の頃父をなくし、彫刻家だった祖父に育てられ、
18歳で自分の工房をもったというカノーヴァは
22歳でローマに移り、ヴェネツィアの大使の客人として
ヴェネツィア宮殿で暮らし、その時期に
「Amore e Psiche(アモーレとプシュケ)」を制作しています。
ナポレオンのお抱えとなり、
ヨーロッパにその名を知られるようになり
1815年にはナポレオン軍によって掠奪されていた
数多くの作品のイタリア返還に貢献し、
1822年10月にローマへ戻る途中の
ヴェネツィアで生涯を閉じています。

彼のプシュケを扱った作品で有名なのは
ルーブル美術館に所蔵されている
「アモーレの接吻で目覚めるプシュケ」ですが、
同じくルーブル美術館に所蔵される
立像のアモーレとプシュケもカノーヴァの作品です。
この作品がルーブル美術館から貸し出され
ミラノのマリーノ宮殿で
イタリア国内初公開展示されています。
Amorepsiche

プシュケの絶世の美しさが
ヴィーナスの嫉妬を招き
様々な試練を課せられた末、
アモーレの愛と永遠の魂を手に入れるという
プシュケの物語。
紀元前2世紀から語り継がれ、
ルネッサンス期には芸術作品としても多く扱われ、
更にネオクラシック期に文学作品としても
重要な位置を占めるようになります。

このカノーヴァの作品と一緒に
Fran?ois G?rard(フランソワ・ジェラール)の
同テーマの絵画作品も
ルーブル美術館から貸し出されています。

どちらの作品にも象徴として「蝶」が描かれています。
古くから蝶がプシュケの象徴として描かれるのは
ギリシャ語でプシュケが「魂」と「蝶」という
二重の意味を持つからで、
蝶は永遠の魂のシンボルともなります。
愛や幸福を手に入れるには、
魂は数多くの試練を乗り越えなくてはならないと教える
プシュケの物語に想いを馳せながら
鑑賞するのもよいかもしれません。

Amore e Psiche
会場:Palazzo Marino(マリーノ宮殿)
   Piazza della Scala 2 ミラノ
会期:2013年1月13日まで
開館時間:9:30-20:00 木曜日9:30-22:30
     12月24・31日 9:30-18:00
入場料:無料


L'Annunciazione Ranieri

2012-12-19 23:13:12 | アート・文化

2004年のペルジーノ展で初めて観た作品
「L'Annunciazione Ranieri」
ラニエリ家の受胎告知と呼ばれる、
ペルジーノの小さな作品です。
ペルージャに今も続くラニエリ家が所有する作品で
これまで1907年と2004年の2回しか
一般公開されたことがない
正真正銘のプライベートコレクション。
この作品が12月6日より5年の期限付きで
ペルージャのウンブリア国立美術館に展示されています。
国立美術館とラニエリ家との間に交わされた契約は、
とりあえず、5年の展示ですが、
問題がなければさらに5年延長の予定。

Ranieri

55,5センチx42センチの小さな作品ですが、
ペルジーノの晩年の作品(1487年から1489年頃の製作)で
建築物の遠近感、人物の表情、画面全体の光の調和など、
どれをとっても申し分ない美しい作品です。
同じくウンブリア国立美術館に収蔵されている
ペルジーノとその工房による
8枚のサン・ベルナルディーノの生涯(1473年)から
さらに成熟した感じが漂っています。
いずれもウンブリアのルネッサンスを代表する作品といえます。

受胎告知というテーマは非常に好まれたので、
数々の作品が残っています。
閉ざされた空間で読書(もしくは針仕事)をしていたマリアの元に
大天使ガブリエレが神の子を宿った知らせをもってやってくるシーン。
この作品も柱廊で囲まれた明るい中庭の右手にマリア、
その左側に大天使ガブリエレが跪いています。
マリアは大天使の訪れとお告げに驚き
今まさに手に持っていた本を足元に落とした感じ。
大天使ガブリエレは純潔の標しである
白いユリの花をマリアへの贈り物としてもっています。
均整の取れた中庭の向こうには
柱の間に開かれた空間から、奥に広がる
ペルジーノらしい柔らかな丘陵の景色が描かれています。
作品全体が非常に柔らかい光に包まれ、
落ち着いた空間に吸い込まれそうな錯覚を覚えます。

マリアの右上、建物の一部の鎧戸が一枚開けられています。
今でもこういう下から開けて支えるタイプの窓は
イタリアに多くありますが、
1400年代からずっと同じなのですね。

Galleria Nazionale dell'Umbria
Corso Vannucci 19, Perugia
開館時間:8:30-19:30
休館日:毎週月曜日、12月25日、1月1日、5月1日
入場料:6,5ユーロ


I mai visti 2013

2012-12-12 22:48:06 | アート・文化
私の中ではフィレンツェの街中にイルミネーションがともり、
そして、ウフィツィの恒例の「I MAI VISTI」が始まると
いよいよ今年も終わりだなという思いが募ってきます。
そして、毎回、あぁもう一年経つのかと感慨深く思ったり。

フィレンツェ美術監督局と
ウフィツィ友の会(gli Amici degli Uffizi)が
フィレンツェ市民と観光客のために毎年用意する
クリスマス時期の展覧会「I MAI VISTI」は今年で12回目。
例年通り、ウフィツィの西翼地上階の
Reali Posteで行われます。
毎回テーマに沿って、
普段は展示されていない
ウフィツィ&その他の美術館所蔵の作品を展示しています。
今回のテーマは「L’Alchimia e le Arti(錬金術と芸術)」。
ウフィツィ内にあった鋳造工房の歴史とその業績に焦点を当て
芸術と科学、魔術と技術の関わりについて
まとめた展示となります。
絵画、彫刻、版画、手稿本、
古くから伝わる民間療法や薬事の本など
60点の作品で16世紀から17世紀のメディチ家長たちの
錬金術への情熱を垣間見ることができます。

メディチ家のコジモ一世によって
ヴェッキオ宮殿内に初めて鋳造工房が設置され、
その後サン・マルコに移され
そこには芸術家、職人、蒸留工、錬金術師などが集い、
秘薬の製造や磁器の製造方法、水晶の溶解実験、
硝子や石灰岩、斑岩の溶解成形実験などに
明け暮れていたといわれます。
1586年には、そのうちの薬剤蒸留部門が
フランチェスコ一世の要望でウフィツィ内に移されます。
現在ティツィアーノやヴェロネーゼの作品が
展示されている部屋がその工房だったそうです。
フランチェスコ一世は若い頃から、
宮廷を訪れる著名人たちからいろいろな話を聞き
化学や薬物製造にかなりの興味を持っており、
ヴェッキオ宮殿内に
自分の研究室(Lo Studiolo)も構えるほどでした。
500人広間に隣接したこの小さな部屋は
壁面に様々な化学へのオマージュが描かれており、
彼のひたむきな情熱を窺い知ることができます。

フランチェスコ一世と関わりの深い
錬金術についての手稿本や
鋳造工房の編み出した製法で作られたという
フランチェスコ一世の磁器の肖像なども展示される予定です。
メディチ家統治時代の科学技術の紹介ということで
フィレンツェ自然科学博物館からは動物の剥製も展示され
ミイラの石棺なども展示されるようです。

I MAI VISTI 2013 L’Alchimia e le Arti
会場:Reali Poste (ウフィツィ美術館西翼)
会期:2012年12月15日-2013年2月3日
休館日:毎週月曜日、12月25日、1月1日
入場料:無料


La Madonna col Bambino di Donatello

2012-12-05 18:38:43 | アート・文化

ドナテッロの作品は確かに優しさが溢れていて、
好きな方も多いですね。
私が若き日の初イタリア訪問で
初めて対面したドナテッロの作品は
フィレンツェのドゥオーモ付属美術館所蔵の
木彫りのマグダラのマリア。
今の私がみると、また別の感想を抱くのですが、
当時はこの木彫りがとても怖く見えた記憶があります。
そんなこともあって、長らく私はドナテッロが苦手でした。
幸いにもフィレンツェで長く暮らすようになり
繰り返し、他の彼の作品も見ていくうちに
印象は少しづつ変わりましたが。

ウンブリア州ペルージャの近くにある
小さな町Citerna(チテルナ)。
この街のChiesa Di San Francesco
(サン・フランチェスコ教会)に
ドナテッロ作とされるテラコッタ製の聖母子像があります。

これも世界的に有名なフィレンツェの
Opificio Di Pietre Dure修復所で
7年に亘り修復が続けられていた作品で
2012年11月30日に修復完了、再展示となりました。
修復が完了するとともに
完全にドナテッロ作であると認定された
多色テラコッタの聖母子像は
1400年代初期のテラコッタの傑作といわれています。

2001年にウンブリアの15-16世紀の
テラコッタ作品の整理を行っていた
女性美術研究家の目に留まった作品。
調べていくうちに、
その作品の技術が
他のものとは比べ物にならないほど
際立っていることから
2004年に迷うことなく、
ドナテッロの作品であると公表し
他の研究者とも意見を交わし
1415年から1420年に制作されたものであろうと
確定していきます。
これを受けて2005年から本格的な修復が始まりました。
修復所に運び込まれた時点では
その後の時代の好みの変化により、
テラコッタは塗りなおしをされており、
表情もかなり手を加えられていたようですが、
まずそれを落としてオリジナルの色をとりもどしていきます。
このページ
Before&Afterがみられますが、まったく別物です。
これに目を留めた研究家に感謝したくなります。

7年に亘る修復が終わり、
国際ゴシック様式の
オリジナルの作品の軽やかな優美さと
彫刻そのものの美しさをみることができるようになりました。

Donatello1024x576

持ち運びも可能な
高さ114センチ重さ58キロの小さな作品で、
当時の裕福な家庭でのプライベートな祈りや
小さな教会などで使われていたものだろうといわれています。

この修復には
日本の女性修復士である西村女史も携わっていて、
日本人としてもとても嬉しいニュースでした。

サン・フランチェスコ教会の聖具室で
厳重な温度&湿度管理をされて、
今後は保存されていきます。

La madonna con bambino di Donatello
La chiesa di San Francesco, Citerna
開館時間: 2013年1月6日まで 
       火曜日から日曜日 10:30-12:30/14:30-17:30
        2013年1月7日以降 
       金曜日 14:30-17:30
       土日 10:30-12:30/14:30-17:30
入場料:3,00ユーロ
インフォメーション


Ariannna dormiente

2012-11-28 18:11:39 | アート・文化

ギリシャ神話の女神アリアドネ、
イタリア語名はアリアンナ(Arianna)。
クレタのミノス王(Minosse)の娘で
テセウス(Teseo)との逸話が残っています。

諸説ありますが、
有名なものは下記のようなもの。
ミノス王は息子がアッティカで殺されたことを受け、
アテネに攻め込み、
これに敗北したアテネは
9年ごとに7人の少女と7人の少年を
ミノタウロスへのいけにえとして
クレタに差し出すことが義務付けられます。
テセウスはこの7人の少年の一人として
志願してクレタに乗り込み、
ミノタウロスを退治することに。
それをみたアリアンナは彼に恋をして、
無事に戻ってこれるように手助けをするので、
戻ったら自分を娶り
アテネに連れ帰るようにと契約を交わします。
アリアンナはダイダロスに知恵を借りて
テセウスがミノタウロスを退治して
無事に戻ってこれるように
迷宮の中で帰り道を見失わないように
毛糸を辿って帰ってくるようにと
迷宮に入るときに毛糸の玉を渡したとされています。
この秘策のおかげで
無事に戻ってきたテセウスと他のいけにえと共に
アリアンナもアテネに逃げのびます。
途中ナクソス島に上陸し、
そこでテセウスはアリアンナを眠らせ
(もしくはひどい悪阻のせいで
アリアンナが眠りについてしまった)
彼女を置き去りにしてしまいます。
このあとアリアンナは
ディオニソス(Dioniso)に見初められていますが、
このことから
ディオニソスの命でテセウスがアリアンナを眠らせて
酒神に彼女を譲ったのだという説も残っています。
このディオニソスとの婚姻の際に
彼がアリアンナのために
火の神エフェストに命じて作らせた
宝石の髪飾りを空に投げ、
それによって「かんむり座」ができた
という逸話も残っています。

約220年もの間、あちこちを転々としてきた
「眠るアリアンナ」の彫刻が
5年の修復を終えて、
12月17日から正式に
ウフィツィ美術館に展示されることになりました。

現在、よくわからない計画の下に
ウフィツィ美術館の展示改装が続けられていますが、
ミケランジェロの作品(Tondo Doni)は35室に移され
この「眠るアリアンナ」も
この部屋に置かれることになるそうです。
1500年代の芸術家は古典回帰で
古代ローマやギリシャ時代の彫刻を
よく参考にしていたといわれています。
こうしたことを前提に
ウフィツィの新しい展示はまとめられていくようなのですが、
残念ながら、いまひとつ方向性が見えていません。

特に「眠る女性」というテーマは
ルネッサンス期に崇拝され、よくモデルとされ、
こよなく愛されたテーマでもあるので
ミケランジェロの部屋に置かれる理由はあるようです。

Arianna

「眠るアリアンナ(Arianna dormiente)」は
紀元前3世紀のヘレニズム期の
古代ローマ彫刻のコピーで
約2トンの大きな作品です。
この作品が11月26日に
シニョリア広場でクレーンに吊るされて
約2時間半をかけて
ランツィのロッジャの上にある
ウフィツィのテラスから廊下に搬入されました。