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不埒な天国 ~Il paradiso irragionevole

道理だけでは進めない世界で、じたばたした生き様を晒すのも一興

Eataly a Roma

2012-07-11 13:27:00 | アート・文化
東京周辺には実に9軒も出展しているので、
ご存知の方も多いと思いますが、
トリノ発祥のEatalyは、
ピエモンテ出身のOscar Farinetti(オスカー・ファリネッティ)が
創案し、展開している食のテーマパークです。

これまでにトリノに2軒、ピネローロ、アスティ、モンティチェッロ、
ミラノ、ジェノヴァ、ボローニャ、ニューヨーク、そして日本に9軒を展開。
2012年6月21日には19店舗目として
Eataly世界最大規模といわれるローマ店がオープンしました。

ローマの観光の中心地から少し外れた
住宅街、工業地帯でもあるオスティエンセ地区。
1990年のサッカーワールドカップイタリア大会のときに
Julio Lafuente(ジュリオ・ラフエンテ)が手がけた
Air Tirminal Ostiense(エア・ターミナル・オスティエンセ)は
実に22年に亘って、様々な再利用&再開発が試みられましたが、
なかなかうまく行かず、ほぼ放置された状態が続いていました。
現市長に政権が移ってから、これまでの方向性から切り替え
ファリネッティが買収、
8000万ユーロを投資してEatalyに生まれ変わらせました。
NTVイタロがオスティエンセ駅に乗り入れることにもなり、
今後のこの地域の再開発と発展が楽しみな状況となっています。

4階建てのガラス張りの建物は
総表面積17000平方メートルで
そのうち60%が食材及び関連商品の売り場に当てられています。
残り40%はレストランや食育スペースに当てられています。
施設内には23店舗の食事処があり、
食育用のスペースが40箇所、8つの講義室に、会議室も装備。
8箇所のオープンスペースで製造過程を見学することができ
約14000品目が販売され、
500名のスタッフが従事しています。
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販売されている商品も、提供される食事も
質が高いことはもちろん、
料金も手ごろなものが多くなっているので
幅広い客層で賑わっています。

オープンしたてということもあり、非常にきれいで
スタッフも好感度が高く、品揃えもよかったので、
余りローマっぽくないというのが私の個人的な感想ですが、
日本へのお土産を探したりするのには便利かもしれません。

フィレンツェにも2013年の出店が噂されていますが、
保守的なフィレンツェではEatalyが進出してくることで
周辺の小売店が圧迫されるのではないかという懸念の声も上がっています。
こうした大型店舗は
よき時代のイタリアからは遠く離れたモノではありますが、
時代の流れは確かに変わってきているのかもしれないと感じたりもします。

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Eataly Roma
Piazzale XII Ottobre 1492
オープン時間: 10:00-24:00
年中無休
http://www.roma.eataly.it








La resurrezione di Lazzaro

2012-07-04 13:42:00 | アート・文化
イエスキリストが起こしたいくつかの奇跡の中でも
よく知られるエピソードのひとつに
「ラザロの蘇生(La resurrezione di Lazzaro)」があります。

ベタニヤ(Betania)に暮らした3姉弟はかねてより
イエスキリストと面識があり、彼を慕っていました。
弟のラザロが重病に倒れたとき、
二人の姉(マルタとマリア)は
医者でも治せない病だけれど、
神であるイエスにならば治すことができると信じて
イエスの元に遣いを送ります。
しかし、イエスはそのメッセージを受けても動かず、
やがてラザロは死を迎えます。

ラザロが死んでしまったあとで
イエスはようやくベタニアに向かう準備をし
死後4日目にベタニアに到着します。

当時ユダヤ教徒は死後4日目から遺体腐敗が始まる、
つまり見かけの死ではなく、
完全な死は4日目をもって確信できると考えていました。
それを知っていたイエスは、
敢えてラザロの死後4日目以降に到着するようにしたのです。

そして、
「私は復活であり、命である。
私を信じる者は、死んでも生きる。
存命で私を信じる者は
誰一人として決して死ぬことはない。」と宣言して
ラザロの墓の前に立つと
神に祈りをささげ、
死んだラザロに「でてきなさい」と声をかけるのです。
すると死者を葬る際にまきつけた白い布をまとったままの
ラザロが蘇生し歩いて出てきたのです。

この奇跡を目の当たりにした人々は
イエスとイエスの教えを信じ、
ユダヤの指導者たちはますます、
イエス殺害をもくろむようになります。

イエス自身が磔刑にかけられる前の
一番最後の軌跡でもあり、
ラザロの蘇生は
そのままイエスの復活の暗示ともなっています。

このテーマもたくさんの芸術家により描かれていますが、
カラヴァッジョ(Caravaggio)も
マルタ島から逃亡した先のメッシーナの地で
1608-1609年にこのテーマの作品を描いています。
ジェノヴァの裕福な商人
ジョヴァンニ・バッティスタ・デ・ラッツァリ
(Giovanni Battista de' Lazzari)の依頼で
かなりの短い期間で仕上げた作品といわれています。
カラヴァッジョの作品らしい陰影の強い一枚ですが、
期間内に仕上げるために
半分以上を闇で埋め尽くしたのではないかとも言われています。
実際高さ4メートルほどもある作品の上半分はほとんど真っ黒です。
闇の中に浮かび上がるような光の筋によって
蘇生のシーンを浮かび上がらせています。

画面の左端に描かれるイエスが指し伸ばす右腕に沿って光が広がり
その先の光の中に蘇生したばかりのラザロの姿が描かれています。
ラザロは両腕を広げて、まるで十字架のような格好で描かれています。
これは後にイエスに降りかかる受難(磔刑)の
隠喩であると解釈されています。

メッシーナの州立美術館に通常は所蔵されている作品ですが、
昨年12月よりローマで修復に入っていました。
修復が終わっても
画面のほとんどが闇で包まれていることには変わりはないのですが、
今までほとんど認識不可能だった詳細が
いくつか認識できるようになっています。
ラザロに顔を近づけて口をあけている老女の口元や、
その後ろに立つラザロの姉マルタの髪などが
より鮮明に見えるようになりました。

7月15日まではローマのPalazzo Braschi
(ブラスキ宮殿)で特別展示され、その後メッシーナに戻されます。

作品の中に自分を描き込むのが好きなカラヴァッジョですが、
この作品のイエスキリストの伸ばした右腕の後ろ、
両手を合わせて、
蘇生するラザロとは逆の方向を向いている男性が
カラヴァッジョ自身です。

La resurrezione di Lazzaro di Caravaggio
会期:2012年7月15日まで
会場:Palazzo Braschi(ブラスキ宮殿)
    Piazza Navona 2、Roma
開館時間: 10:00-20:00
休館日:月曜日
入場料:9,00ユーロ


Endimione di Guercino

2012-06-27 13:39:00 | アート・文化
エンデュミオンはギリシャ神話の登場人物の一人。
ゼウス(Zeus)とカリュケ(Calice)の子供と言われています。
彼にまつわるエピソードは
各地に諸説ありますが、
共通して言えるのは、非常に美しい青年であったこと、
そして深い眠りを与えられたこと。

最も良く知られているのは
月の女神セレーネ(Selene)との恋の話。
ペロポネス半島にあり、
オリンピックが開催された古代都市
エリス(Elide)の王であったエンデュミオンが
ラトモス山で眠る姿を見て
その美しさに心を奪われたセレーネは
彼が年老いていくのを見るに耐えられず
ゼウスに頼んで
永遠の若さのために深い眠りを与えたというもの。
そして眠り続ける彼を愛でるために
セレーネは毎夜地上に降り立つと言われています。

別説ではヘラ(Era)との密かな愛が
ゼウスの知るところとなり
ゼウスの怒りを買って50年の深い眠りにつかされたとも、
またエンデュミオン自身が不老不死を願って
ゼウスに永久の眠りを請うたとも。
この説には別ヴァージョンもあり
ヘラを誘惑したとして
ゼウスによって眠りにつかされた青年を
アルテミス(Artemide)が見つけて恋に落ち、
その美しさを眺めるために
毎晩彼のもとに通ったとも言われています。

幼少の頃からの斜視のため
通称グエルチーノ(Guercino)と呼ばれる
ジョヴァン・フランチェスコ・バルビエーリ
(Giovan Francesco Barbieri)が描いたエンデュミオンは
ローマのドリア・パンドルフィ宮殿のものが有名ですが、
フィレンツェのウフィツィ美術館にも
同じテーマの作品があります。
左肘をついて座ったまま眠る華奢な青年として描かれ、
彼に恋をした月の女神を示す大きな弓形の月が
画面上部に描かれています。
http://bit.ly/QhZ18r


Diamante di Enel

2012-06-20 20:37:00 | アート・文化

ダイヤモンド型をした太陽光発電施設。

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イタリアの電力会社Enelとピサ大学、フィレンツェ県が
3年をかけて共同開発した発電設備で
2009年10月17日から
フィレンツェの郊外Pratolino(プラトリーノ)にある
Villa Demidoff(デミドフ荘)の草原に設置されています。

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38枚のソーラーパネルを装備した12面体の物体は
日中、太陽光を集め、
それを水素の形で内部の槽に溜め込むことができ、
それを必要に応じて電力に変えていくため
太陽の照射がない時間帯や悪天候時にも
電力を供給することができるという
新世代の発電システムといわれました。

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ガラスとステンレスでできた、その概観のスマートさもあり、
デミドフ公園の緑の中にあっても
違和感を感じさせないデザイン。
現在設置されているモデルは高さ12メートル直径8メートル、
11kwpのj発電容量で
軸とガラスとねじでできているため設営&分解も簡単。
11kwpでデミドフ公園の
夜間照明を補って余るほどの電力だそうです。
小さなマンションであれば
これ一基で十分電力供給できるとも言われています。

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南に向けて設置されている太陽光パネルで集光し
日中の必要電力を作り出し、
さらに余剰分を水素に置き換えて
内部に設置されている黄色い3つの球体槽に保存。
こうすることで、
夜間でも必要に応じて
電力に置き換えていくことができます。
単体の小規模設備で、
太陽の照射があるときはもちろんないときにも
継続的に電力供給を可能にするとして
新しい時代の発電設備であると
3年前にも既に高く評価されていました。

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イタリアは日本に比べて
遅れている部分もたくさんありますが、
進んだ技術を開発している分野もたくさんあります。
1970年代に原子力にNOといったこの国では
いまだそれに依存しようとしている日本に比べて
再生エネルギーの技術は進んでいると思います。


Giardino Torrigiani

2012-06-13 13:09:00 | アート・文化
アルノ川左岸、オルトラルノ地区に広がる
約7ヘクタールの広大な庭園が
Giardino Torrigiani(トッリジャーニ庭園)。
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城壁内市街地にある
個人所有の庭園としてはヨーロッパ最大です。
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入り口から庭園内を覗く。

1500年代には植物園として既に知られていましたが、
1800年代初めにPietro Torrigiani
(ピエトロ・トッリジャーニ侯爵)が
近隣の土地を購入して拡張し、
広大なイギリス庭園を作り上げたことで
再びその名を知られるようになります。
当時は10ヘクタールの敷地を有したといわれ、
その庭園改築には当時著名な庭園建築家であった
Luigi de Cambray Dignyがあたり
自然と人工のシンボルの調和の取れた庭園造りになっています。
彼を継いだGaetano Baccaniが
庭園内に聳えるネオゴシック様式の塔を手がけています。
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この塔自体は高さ20メートルですが、
コジモ1世が1544年に対シエナ防衛のために建設した
要塞壁の近くの小高い人工丘の上に立てられているため
実際よりも高く見えます。
当時この3層の塔の内部には図書館や
天文学の器具を保管する部屋などがあり、
塔の天頂には天空を観察するためのテラスも設けられていました。
第二次世界大戦中に占領軍に一部破壊されたあとは
内部の資料などは各地の美術館に保管され
現在は何もなく、また塔内には入場もできない状態になっています。
内部には石造りの階段のほかに
機械仕掛けで昇降する椅子も取り付けられていたそうです。

庭園内には
世界各地から取り寄せられた植物が植えられた広大な森のほかに
植物温室はもちろん、ジムナジウム、
鳥小屋、人工川、半円形劇場なども造られています。
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半円形劇場は
ここで何かの催し物が開催されるためではなく
庭歩きの休憩所としての機能がもっぱらだったようで。
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ジムナジウム。
庭園で狩りや、アーチェリー、球技などを行った際に
更衣室としても使われた建物。
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そのジムナジウムの建物についている
塔をかたどったトッリジャー二家の紋章。

その昔、1824年頃、
一般に公開されていた当時の庭園利用規則をささげ持つオシリデ像や、
ライオンに倒される牡牛の像や、
ヤヌスの像、アスクレピオス像のほか、
若きピエトロ・トッリジャーニとセネカの像も残っています。
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庭園利用規定。
入場料を払うこと。
開館時間は日の出30分後から日の入り1時間前まで。
犬、馬、馬車の入場禁止。
庭園内の植物・動物に触れないこと。

庭園は大きく分けると「昼」と「夜」の2ゾーンに分けられ、
「昼」の部分は広く開放的な草原で
その中央に
先述のピエトロ・トッリジャーニとセネカの巨大な像が立っています。
その裏手に広がる森が「夜」の部分で夜と死をテーマに作られています。
森の中には、蛇が彫りこまれた壺や納骨所、
先述の塔もこのゾーンにあり、
塔の下には火葬場をイメージした空間も残っています。
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蛇が彫り込まれた壷。
これとセットであったといわれるフクロウの壷は喪失。
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納骨所。
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塔自体も下界から天界への通り道としてのシンボルであり、
塔の下で火葬されるとされる灰が塔を介して
より高い知識の状態に到達し
それは復活を意味すると考えられていたようです。
この塔は実用的な意味合いのほかに
哲学的な意味合いも持ち合わせていたということになります。

ピエトロ・トッリジャーニが
フリーメーソンのメンバーだったことはよく知られており、
その思想が庭園のあちこちに反映されているとも言われています。

塔が3層からなっているのも
結社内部の階位制度にある
「徒弟」、「職人」、「親方」を示しているともいわれます。
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肉体の強さと精神の強さの比喩をこめたライオンに倒される牡牛像や
医療と薬学の神であるアスクレピオス像などにも
彼らの思想が反映されているといわれています。
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アスクレピオス像。
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ライオンに倒される牡牛像。


通常は一般公開されておらず、
年に何回か開催される庭園&宮殿オープンデーなどで訪問するほかは、
予約制でトッリジャーニ家の方々の案内つきで見学することも可能です。
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フィレンツェの街中とは思えない静けさと
哲学に満ちた庭園はなかなか興味深い場所のひとつです。
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