goo blog サービス終了のお知らせ 

不埒な天国 ~Il paradiso irragionevole

道理だけでは進めない世界で、じたばたした生き様を晒すのも一興

Danae

2013-06-12 05:45:10 | アート・文化
Danae(ダナエ)はギリシャ神話の登場人物で
Acrisio di Argo(アルゴス王アクリシオス)の娘。
世継ぎを望んだアルゴス王は神託を求めたところ、
ダナエの息子によってやがて王は殺されると言い渡され
それに驚いた王は、
美しい愛娘を地下室に閉じ込めてしまいます。
しかし、Giove(ジュピター/ゼウス)は
ダナエの美しさの虜となり、
細かい黄金の雨に姿を変えてダナエのもとに降り注ぎ
彼女と関係を持ち、やがてダナエは男の子を産みます。
ジュピターとダナエの間に産まれたのがPerseo(ペルセウス)。
アルゴス王はその事実を知り、
孫を自分の手で殺してしまうと神の怒りを買うと考え
ダナエとペルセウスを箱に閉じ込めて海へ流してしまいます。
しかし、ジュピターの要請でポセイドンが海を鎮め
二人は無事に漂着し、命拾いをします。
いくつかの波瀾万丈な転変を経て
ペルセウスは成長し、やがてアルゴスに向かいます。
ただし途中で予言のことを知り、ラリッサに行き先を変更。
しかし、たまたまラリッサを訪れていたアルゴス王と再会し、
やがて神託が現実となります。
投げ槍の競技中にペルセウスが誤って放った槍に当たり
アルゴス王は命を落としてしまいます。

ダナエのエピソードは
特にルネッサンス期の芸術家の間で好まれたテーマの一つ。
当時このテーマを取り扱うことで
宗教画ではタブーとされている
女性の裸体を描くことができたためともいわれています。
そのためダナエは柔らかなベッドの上に横たわり、
なんとなく上方を見上げる視線で描かれ、
横たわる彼女の上に黄金色の雨が降り注ぎます。

Coreggio(コレッジョ)やTiziano(ティツィアーノ)などに先駆けた
Mabuse(Jan Gossaert/ヤン・ホッサールト)の作品では
ダナエは半円の閉じられた空間の中央に腰掛け
右胸をはだけてはいるものの着衣姿で描かれています。
しかしながら、両脚がゆるく組まれているせいか、
妙に官能的な作品となってもいます。
Jan_gossaert
ホッサールト以降は横たわる裸体で描かれることが多く
このテーマで何点か作品を制作しているティツィアーノは
黄金の雨の代わりに天から金貨が落ちてくるように描き、
これ以降、金貨を描く芸術家も増えていきます。
Tiziano
ダナエのベッドの脇には
女召使いやAmore(アモーレ/エロス)が描かれることがあり、
女召使いは降り注ぐ黄金をエプロンなどで受け止めようとし
アモーレはジュピターの到来を歓迎し手助けするような役目として
描かれることが多いようです。

個人的にはボルゲーゼ美術館に所蔵されている
コレッジョの、
あどけないダナエとそつのないアモーレが描かれる
「Danae」が一番好きです。
Correggio


Il sogno nel Rinascimento

2013-06-05 15:49:48 | アート・文化
夢の解読といえば、フロイトが有名ですが、
実際には未だ謎の部分も多く
日々研究が続けられている夢の世界。
ルネッサンス時代の人々にとっても
不思議な世界であったことは間違いなく、
遥か昔の神話のエピソードや多くの絵画作品にも
夢にまつわるテーマは多く取り上げられています。
そんな夢の世界を
いくつかのセクションごとにわけて展示する
「ルネッサンス期の夢」という特別展示が
フィレンツェのパラティーナ美術館で開催されています。

小作品が多いのは否めませんが、
ボッティチェッリ、ミケランジェロ、
ラファエロ、コレッジョ、
ロレンツォ・ロット、アンドレア・デル・サルト、
ドッソ・ドッシ、デューラー、アッローリなど
多くの作家の作品が集められ、
「夜と睡眠」、「魂の不在」、「彼岸のイメージ」、
「人生こそ夢」、「不可解な夢」、「悪夢」、
そして「夜明けと覚醒」
というふうにセクション展開されていきます。

ギリシャ神話では夢を生み出す「Sonno(睡眠)」は
「Notte(夜)」の息子であり、「Morte(死)」の兄弟。
睡眠のおかげで我々は夜の間に時空を自在に旅し、
別の肉体に魂を宿して
生きることができると考えられていました。
夢の中では想像の怪物と闘ったり、
性的衝動の力を再確認したり、
タブーを犯したりできると考えられていたのです。

また人間の魂は肉体に捕らえられていると考えていた
マルシリオ・フィチーノは
人が夜眠りにつき、夢を見ている間に
魂は肉体を離脱して
別の精神的な体験をすると考えていました。
こうした観念も含め、彼の諸々の哲学は
メディチ家の思想にも大きく影響を与え、
1400年代後半のフィレンツェの、
そしてルネッサンスの思想の基本ともなっています。
そのようなベースがあって、
芸術家たちは決まり事としての夢の描き方と
創造性を発揮した独自の表現の双方を実現していきます。
だからこそ、ルネッサンス時期の芸術作品を
「夢の世界」というテーマでとらえると
面白いのかもしれません。

滅多に外に出されることのない
ロンドンのナショナル・ギャラリー所蔵の
ラファエロの小さな小さな作品
「Il sogno dei Cavaliere(騎兵の夢/スキピオの夢)」が
今展覧会のために出展され、
ラファエロがこの作品の制作時に
参考にしたであろうといわれる原典
「Punica di Silio Italico
(シリオ・イタリコのラテン詩カルタゴ)」
と共に展示されています。

作品は1503年に
ユリウス二世の教皇選出を記念して制作されたもので、
ラファエロ弱冠21歳頃の作品といわれています。
二人の女性が騎士の夢に現れるシーンを描いています。
この女性は画面向かって左がLa Virtu'(Virtus)で
向かって右はIl Piacere(Voluptas)と解釈されています。
美徳(Virtu')は背景に堅強な要塞をいただき、
額と髪を布で覆い、
右手に剣、左手に本を持って騎兵に差し出しています。
この場合、
剣は現実世界を本は観念世界を象徴していますが
いずれも騎士にとって
欠かすことのできない文武を表しています。
一方、官能(Piacere)は甘く緩やかな背景に
額をあらわにした髪を風に揺らし、
右手にもつキンバイカの花を差し出しています。
中央に眠る騎士のうしろに生えているのは月桂樹の若木で
人生の象徴もしくは
眠る騎士の若さを暗示しているといわれます。
その眠る騎士は多くの説では
スキピオ・アエミリアヌスとしていますが、
ラファエロがモデルとしたのは
Scipione di Tommaso Borghese
もしくはFrancesco Maria della Rovere
ではないかともいわれています。
夢に現れた「美徳」と「官能」のどちらを
若い騎士は選択するべきかということなのですが、
古代ローマ時代ならまだしも、
時はルネッサンス時代、
そして作品が
非常に均整の取れた構図で描かれていることから
ルネッサンスの時代の騎士たるもの
文武に長け、同時に快楽も享受できる
肉体と精神をもつべきであるという
メッセージがこめられていると
捕らえるべきなのかもしれません。
また快楽とはいえ、
Piacereが手にしているキンバイカは
夫婦間の愛の象徴であることから、
夫婦相互の貞節(つまり浮気するなと)を
奨励しているとも考えられます。
Sognodelcavalierelondra

様々な芸術家による夢の解釈、
非常に興味深い展示だと思います。

Il sogno nel Rinascimento
会場:Galleria Palatina(パラティーナ美術館)
会期:2013年5月21日から2013年9月15日まで
*その後2013年10月9日から2014年1月26日までは
パリのリュクセンブルグ美術館で展示される予定。
開館時間:8:15-18:50
休館日:月曜日
入場料:13ユーロ
インフォメーション:
http://www.unannoadarte.it/ilsognonelrinascimento/index.html



Gelsomino

2013-06-05 02:19:08 | アート・文化
多分その繊細さと芳香から
世界各地で好まれているジャスミン(Gelsomino)は
もともと東洋の植物で、
イタリアをはじめとするヨーロッパで最も多いのは
中南米辺りから持ち込まれた種だそうです。
ジャスミンそのものは欧州でも遥か昔から知られていて、
絵画作品にも時折描かれています。
開花時期がちょうど今頃で
5月は聖母マリアの月と考えられていることもあり、
ジャスミンの花も聖母マリアと関連づけられることが多いのです。

そもそも5月を聖母マドンナの月とするのはなぜなのか。
その起源は中世の時代にさかのぼるといわれています。
その当時宗教とは無関係に存在していた
数多くの習慣や歳時をキリスト教の祝日と結びつけていく中で
最も崇高な女性である聖母と
尊重すべき自然の移り変わりの繋がりが次第に強くなったのだといわれます。
最初に5月を聖母マリアの月としたのは
1200年代半ばのCastiglia e di Leonの王
Alfonso X(アルフォンソ10世)だとされています。
16世紀になると、ルネッサンス精神が徐々に下俗的になり
それを悔い改めるために
聖母マリアへの祈りを捧げるようになったともいわれ、
実際、今でも5月に悔悛の祈りを捧げる信者も多いようです。

ジャスミンの花の白い色が
聖母マリアの無垢さそして清らかさを暗示し、
慈愛や父なる神の愛をも象徴するとされています。
従って聖母マリアとともに描かれることはもちろん
父なる神の愛の賜物である幼子キリストが手に持っていたり
聖人や天使の花冠にされていたりもします。
時にバラの花とともに描かれ、信仰の象徴とされることも。

ロンドンのナショナルギャラリーに収蔵されている
フィリッピーノ・リッピ(Filippino Lippi)の
聖母子と洗礼者ヨハネ(Madonnna con Bambino e San Giuseppino)では
画面右下の花瓶に白い野バラとジャスミンが描かれています。
こうした花の花弁が5枚で描かれている場合、
それはキリストが受難の際に受ける5つの傷を暗示しているともいわれます。
Gelsomino





Pentecoste

2013-06-05 02:11:49 | アート・文化
キリスト教では、キリスト生誕、キリスト復活と並んで
最も重要な出来事の一つであるペンテコステ(聖霊降臨)は
キリスト復活から50日後に祝う
エルサレム教会創設の日でもあります。

エジプトに暮らすようになっていたユダヤ人たちが
モーゼをリーダーとして約束の地へ向かう「出エジプト」のとき、
神のお告げとおり、戸口に印のない、
つまり災いを知らされていないユダヤ以外の人々の家では
人間も家畜も問わず、すべての長子の命が奪われました。
神から戸口に印を付けるようにと知らされていたユダヤ人の家だけが
この災いから逃れたため、「過ぎ越し」といわれる出来事です。
過ぎ越しの日から7週目にその年の小麦の初収穫を祝う
「7週の祭り」というものがユダヤの習慣にはありました。
また紀元70年にエルサレムがローマ軍によって滅ぼされて以降は
出エジプトの49日後(7週目)に
シナイ山でモーゼが神と契約を交わしたことを記念して
「神との契約によって生きる民」の律法授与の日として
大切にされている日でもあります。

イエスキリストが復活&昇天する時に
「近いうちに精霊がくる」と告げてから50日後、
(キリスト昇天からは10日後ともいわれています)
ちょうどユダヤ教の7週の祭りで
聖母マリアを中心にキリストの12使徒
(裏切りのユダの代わりにマティアが既に参加)
や従った人々が集まって
祈りを捧げていたところに、
キリストのお告げとおり聖霊が降りてきたといわれます。
復活して歩き回っていたキリストが昇天して
その遺体が見当たらないことで
突然姿を消したナザレのキリストを捜す当局の捜査や
尋問から逃れるために
使徒たちの集まった家の扉はきつく閉ざされていました。
突然雷鳴のような爆音が響き、
閉ざされているはずの家の中に風が吹き荒れます。
すると、その場にいた人々は聖霊に満たされ、
それぞれが突然、聴くものそれぞれの母国語で話し始め、
これを受けて、多くの人がその場で洗礼を受けたと伝えられています。
聖霊の力を借りて、
キリストの死と復活の意味、罪の悔い改め、
そしてキリストこそが救世主であるという布教を行ったことで
イエスキリストを救い主だと信じる人々が増え
小さな集まりができたということで
これをもって「教会誕生」とするので、
ペンテコステ(聖霊降臨)はキリスト教にとって重要な行事となったのです。

絵画作品の中では
天空から聖霊のシンボルである白いハトが光を伴って降りてきて
赤い舌のような炎が聖母や使徒の上に描かれます。
おそらく最も知られているのは
マドリッドのプラド美術館に収蔵されている
エル・グレコ(El Greco)の作品でしょう。
個人的には彼の画法が好きではないのですが。
パドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂
(Cappella degli Scrovegni)のジョットのフレスコ画の中では
ゴシック様式の建物風の閉ざされた空間に
12使徒のみが描かれ、聖母マリアは描かれていません。
聖霊も白いハトは描かれず、赤い光線として表現されています。
左から二人目がピエトロで、
「教会の始まり」を観るものに訴えかける構図になっています。
Giotto_scrovegni_pentecost





Scavi archeologici del Teatro Romano Florentia

2013-04-18 23:11:47 | アート・文化

フィレンツェもローマも掘れば何か出るような
古い遺跡のうえに成り立っている都市。
どんなに長く暮らしても、
次から次へ色々見つかってきたりするので
全てのものを見切れるとは思っていません。

市庁舎でもあるヴェッキオ宮殿の地下に
ローマ時代の遺構が見つかり、
きちんと一般公開できるように整備されたのは2011年。
ひっそり一般公開されているのですが、
なかなか機会がなく今回初めて足を踏み入れました。

半円形のローマ劇場跡は
現在のヴェッキオ宮殿とその横のゴンディ宮殿にまたがり、
観客席はシニョリア広場に扇状に広がり
ステージは現在のヴェッキオ宮殿裏手の
Via dei Leoni(レオーニ通り)に添うような形で
作られていたようです。
まだまだ都市としては小さかった
フィレンツェの城壁に組み込まれるようにして
作られていたようです。

Piantagraficascavi

5世紀-6世紀頃には
既にローマ劇場はその目的で使われなくなり、
ロンバルド族の侵攻時には
城塞のようにも利用されたようです。
中世の時代(13世紀頃まで)は
牢舎として再利用されるようになり
その後、ヴェッキオ宮殿の建設及び拡張工事などの際には
すっかり忘れ去られ、劇場の跡は姿を消します。

フィレンツェが一時的に統一イタリアの首都だった時代に、
ヴェッキオ宮殿周辺の大掛かりな都市整備が始まり
1876年にゴンディ通りの下水工事を行っているときに
ローマ劇場の遺構らしきものが見つかっています。
実際フィレンツェに残るローマ時代の遺跡の50%は
このイタリア首都時代の都市整備の際に見つかっています。
その後1935年にも発掘が行われましたが、
その空間は長らく物置や駐車場として使われてきて
ようやく2006年から本格的な発掘作業が始まりました。
2010年に発掘作業が完了し、
フロレンティア時代のローマ劇場跡が
ようやく形として見えるようになりました。

劇場規模もかなり大きく、
当時のフィレンツェの栄華も感じられます。
ステージは35メートル、中央の廊下は100メートル。
観客席15000席は
ローマのマルチェッロ劇場に匹敵するサイズだそうです。

シニョリア広場のほうからステージに向けて
観客の出入りに使われた一本の太い廊下と
それを中心に南北シンメトリーに何本かの通路、
そしてそれに交わるように
観客席下の通路の空間などが一部残っています。

Dscn5900
メインの通路は大きめの石で舗装もされていたらしいです。


この遺跡が紀元1-2世紀のものであるとされているのは
一部に古代ローマ人が浸水フィルターとして使っていた
とされる陶器の層が見つかったためです。
穴の脇にごそっとたまっているのが陶器のかけら。

Dscn5899


またその後の時代、つまり中世やルネッサンス期に使われた
井戸の遺構や家屋や店舗の形跡も残っています。
ルネッサンス期の井戸の跡。
中世のものに比べると円形がきれいに整えられているので
時代検証ができるそうです。

Dscn5898


このように何層にも重なる
異なる時代の遺跡が見つかったことで、
本当に昔からヴェッキオ宮殿周辺地域は
様々な形で
都市活動に常に利用されていたのだということがわかります。

ガイド付の要予約ですが一般公開もされています。
開館時間は頻繁に変更されているようなので、
ご予約時に確認してください。
遺跡とはいえ、見学できる部分は非常に小さくて
30-45分のガイドつきツアーで
あっという間に終わってしまいます。

Scavi archeologici Florentia
Via dei Gondi
開館日:土曜日 15:00/15:45/16:15/17:00
     日曜日 10:30/11:15/12:00/12:45
予約 055-2768224 もしくはinfo.museoragazzi@comune.fi.it
入場料: 8ユーロ (ヴェッキオ宮殿入場共通)