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ぐりぐらのフォトログ

デジタルカメラであそぼ!

国指定史跡 向羽黒山城跡(白鳳山公園)トレッキング

2016年12月04日 | 郷土史・史跡・施設

国指定史跡 向羽黒山城跡(白鳳山公園)トレッキング

テクテク会11月例会は、向羽黒山城跡トレッキング・・・
隣町の向羽黒山城跡は、戦国時代のの会津を治めた葦名盛氏が築城し
伊達政宗・蒲生氏郷がそれぞれ重要な要衝として改修を加え
上杉景勝・直枝兼続主従が
徳川家康の会津攻めに備えて最後の砦とした日本最大級の
天然の要害「向羽黒山城}・・・

観音山・羽黒山・岩崎山、三山を合わせたところに建つ向羽黒山城は・・・
阿賀川(大川)を足元に、断崖絶壁の岩山に守られた山城・・・
蘆名氏以降、会津を支配した伊達・蒲生・上杉が入部して間もなく
改修工事を行っていることから重要視されていたことがわかるという

本丸・二の丸・三の丸跡の外、御茶屋場跡も残っている・・・
眼下には大川と会津平野、
彼方には磐梯山や飯豊山を望む風光明媚な地・・・
憩の場として、様々な行事が、催されているという・・・

向羽黒山ギャラリーにて、展示資料見ながら講師のお話をお聞きし・・・
二の丸登り口までは車で移動、そのあとは現地で説明を聞きながら
登って、下ってと歴史探訪してきました。
発掘も行われていて、新たな発見があったと新聞記事になっていました。


向羽黒山城を築きはじめた1561年(永禄四)は、どんな時代か?

講師が下さった資料によると、名だたる武将の年齢は下記のよう・・・

蘆名 盛氏 41才  蘆名 盛興 15才

徳川 家康 20才  豊臣 秀吉 26才

織田 信長 28才  上杉 謙信 32才

明智 光秀 34才  武田 信玄 41才


6月、4回目の川中島の戦い。信玄・謙信の一騎打ち
前年1560年、桶狭間の戦いで、織田信長が今川義元を打ち破り名を轟かし
この戦いで、若き徳川家康が表舞台に出た・・・という時代だったそう・・・

蘆名盛氏は、鎌倉の名門三浦氏の一族で、
頼朝の「奥州藤原氏征伐」の軍功により
文治5年(1189)に佐原義連が会津を賜り、400年にわたり治めた・・・
この蘆名氏の全盛期を築いたのが16代盛氏(百万石との説有)・・・

並み居る戦国大名と駆け引きをし、「会津に蘆名あり」と
天下に名を馳せたのかと感動しました。

永禄四(1561)年から9年の歳月をかけ、要衝の地に
会津太守蘆名氏の本城として向羽黒山城を築城・・・


史跡の面積は若松城の約二倍で、三山形式の多目的山城だったという
西は下野街道、北は磐梯山・飯豊連峰、南は絶壁で他人を拒む。
街並みの方角から竪堀や堀切が見られ「要害城」であったという・・・

地勢に恵まれたとはいえ、三ッつの山を「要害城」にする工事は
堀切の大きさなどから、さぞ、大、大、大工事だっただろうと想像します~

戦国時代、会津が全国区だったことを書きたくて長くなってしまいました。
長くなりついでに追加すると

漫画家の手塚治虫氏は、氏のアシスタントで、会津出身の平田氏が
折にふれ向羽黒山城の話をしていたことがきっかけで、
昭和34年に東山温泉に投宿し
豊臣秀吉「奥州仕置」ゆかりの、背炙山の関白平と
向羽黒山城跡を訪れていたという・・・

あまたの作品の中の一つ「夜明け城」は
会津を訪れた5ヶ月後から連載が始まっており
向羽黒山城跡に着想得たのではないかといわれているという・・・
画像クリックでスライドショーへ。BGMの音量にご注意ください。

国重要文化財 蘆名16代 蘆名盛氏座像 ( 向羽黒山城を築城)・・・


国指定史跡向羽黒山城跡 想像図。画像クリックで拡大mapへ・・・


大堀切・・・・・・


一曲輪めざして急坂を登って・・・


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国史跡会津藩主松平家墓所

2016年08月04日 | 郷土史・史跡・施設
国史跡会津藩主松平家墓所

先日のクラブの野外活動にあたり歴史探訪も盛り込まれていました。

*  *  *  *  *

会津藩主、初代正之の墓所は、遺言により自ら選定した猪苗代湖を望む磐梯山山麓の
美祢山に、死去の翌1673年(延宝元年)神式によって造られ、後に土津神社が建立された。

松平家墓所となっている院内御廟は
2代藩主以降の墓は、正之の死より前の1657年(明暦3年)に、
正之の次男保科正頼が死去した際、
正之が若松城下の院内山を墓所として定めたことからはじまる。

2代藩主保科正経は仏式により葬られ、
3代藩主松平正容から9代藩主松平容保までが神式によって葬られた。
両所は、大名家の神式墓所の代表的なものとして、
1987年(昭和62年)に国の史跡に指定されている。

9代目以降は「松平家の墓」が建てられ、13代目も鬼籍に入られたようです。
とまあ、何度も訪れているのにまた資料を参照しています。

山頂墓所近道から入るとすぐに八代藩主容敬公墓所です・・・



八代藩主の業績が刻まれた碑石・・・



聖獣亀趺の上に立つ碑石・・・



三、五、六、七、九代藩主の墓所が並ぶ山頂墓所・・・



院内御廟の会津藩主松平家墓所map(クリックで拡大mapへ)・・・



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郡山布引 風の高原

2016年07月12日 | 郷土史・史跡・施設
郡山布引 風の高原

7月4日、クラブの行事で郡山布引 風の高原へ・・・

猪苗代湖の南に広がる標高1,000mを超える布引高原に位置し
国内最大級のウインドファーム。2007年2月営業開始
計33基の風力発電機の年間発生発電量は
約12,500万kwh(一般家庭35,00世帯の年間消費電力量)という

周囲は有名な布引大根の産地であり、農業との共生が計られている
昭和46年、県の開畑工事がはじまり13年の歳月を経て竣工という
昭和59年、布引高原野菜生産組合が代価にて所有、共有の財産として
営農されているという

夏には向日葵、秋にはコスモスが彩りを添えてくれるけど
今はどちらもようやく数センチ育ったところでした
画像クリックでスライドショーへ。BGMの音量にご注意ください。


郡山布引 風の高原・・・



ヤマアジサイにトンボ・・・


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再作成 あいづわくわく学園、地域の寺社・歴史・史跡などの現地学習

2016年06月16日 | 郷土史・史跡・施設
あいづわくわく学園、地域の寺社・歴史・史跡などの現地学習

~覚書のため再作成し再掲載したもの~

あいづわくわく学園(高齢者学級)2年目の学習の一つで、4月から10月まで月2回
地域の寺社・史跡などの現地学習が、講師同行で行われ
地域や日本の歴史、文化の見聞を深めることができました・・・

スライドショーソフトのサイトを通して載せていたのがすべて廃棄され
ちょっとがっかりしたけど、気を取り直してようやくこの度、再作成、復活・・・
画像クリックで寺社・史跡などの現地学習のページへ。

勝常寺 国宝 平安時代の木造薬師如来坐像・・・



会津坂下町 亀が森古墳・鎮守森古墳・・・

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小峰城跡(白河市)

2016年05月25日 | 郷土史・史跡・施設
小峰城跡(白河市)

西の郷から白河へ出て南湖公園、小峰城へ。
江戸時代に「奥州の押さえ」として築かれた石垣が美しい平山城・・・
戊辰戦争で、新政府軍と奥羽列藩同盟軍の激戦地となり
焼失して以来、平成三年、絵図や発掘の成果をもとに
約百二十年ぶりに、木造で忠実に復元されたに三重櫓。
前御門は平成六年に忠実に復元されたという。
3.11の地震によって大きく崩れた石垣の修復作業が今も行われていた。

絵図と発掘の成果をもとに復元した小峰城前御門と三重櫓


三重櫓内、階段は急でした。12月放送というTV取材クルーが
撮影を終えたところでラッキーでした・・・



桜門


3.11地震で崩壊した石垣修復工事中・・・



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