ぐりぐらのフォトログ

デジタルカメラであそぼ!

あいづわくわく学園 猪苗代湖一周【3-1】小平潟天満宮・優婆衣堂「おんば様」・麓山神社

2013年06月30日 | 郷土史・史跡・施設
あいづわくわく学園
猪苗代湖一周【3-1】小平潟天満宮・優婆衣堂「おんば様」・麓山神社


25年度、地域の歴史・史跡などの現地学習第3回目は猪苗代湖一周しての学習・・・
千年前かそれより以前のこの辺りに暮らしに思いを馳せ、歴史にロマンを感じました・・・
見学箇所が多いので2回に分けてアップしようと思います。
BGMは懐かしいような感じをおぼえるメンデルスゾーンをシリーズで・・・

猪苗代湖は南北14キロメートル、東西10キロメートル、湖面面積103.9k㎡の日本で4番目
(琵琶湖、霞ヶ浦、サロマ湖の次ぎ)に広い湖で、会津若松市、郡山市、猪苗代町に囲まれています。
猪苗代湖の湖面は標高514m、最大深度93.5mの湖です。時計回りに一周しました。

小平潟天満宮、関脇優婆衣堂、麓山神社を見学後
舟津浜 (郡山市湖南町舟津)でシートを広げて昼食・・・
舟津公園は猪苗代湖の南側にあり、正面に磐梯山が見える。
磐梯山を眺め、心地よい風に吹かれてのランチタイムでした。

画像クリックでスライドショーへ。BGMの音量にご注意ください。
小平潟天満宮・・・
画像クリックでスライドショーへ

小平潟天満宮

菅原道真をまつり、大宰府,北野とならび、日本三天満宮の一つといわれる。
創建は伝・天暦2年(948年)。元北野天満宮の神像を滋賀県にある比良神社の神良種が
神のお告げにより、景勝地である旧社地に勧請したのが始まりとされます。
現在の本殿の建物は会津藩3代藩主 松平正容が天和2年(1682年)に建てたもので、
会津藩守護の為、鶴ケ城(会津若松城)を向いている現在地に遷座したと伝えられています。

天満宮本殿は、小さな規模の神殿ながら建築と工芸の調和によって、
江戸時代初期の造営であるが桃山式彫刻の手法を如実に顕現しているとされ
昭和48年に猪苗代町指定重要文化財に指定されています。
金網に覆われ頑丈に保護されていてよく見ることはできませんでした。

その他に、福島県指定文化財  紙本墨書猪苗代兼載書八代集秀逸
猪苗代町指定文化財 算額(町指定重要文化財・一般非公開)があります。


関脇優婆衣堂 「おんば様」


関脇 優婆衣堂(堂守のお話)

地元では「おんば様」といわれ、安産と産後の安穏を祈って参詣されています。
おんば様は秘仏で公開されることはないそうです。写真を見せてもらいました。
現在の建物は大正13年に建築されたものだそうです。


関都字権現山にある麓山神社


関都字権現山にある麓山神社

旧村社。猪苗代地方の麓山信仰の総社的存在で農民を見守る農耕の神、田の神という。
大同元年(806)に神官土屋利典の祖先土屋権大夫利胤が岩舘山へ勧進したと伝えられるが、
永禄元年(1558)に現在地に移され、天正年間(1573~1591)三浦盛国が再建した。

保科正之が入部してからは『会津神社誌』『会津神社総録』などの撰書にも記載されるようになり、
藩政期には本殿・拝殿などが藩によって修繕された。
境内には、安永3年(1774)建立の右大臣・左大臣像(石像、猪苗代町指定文化財)がある。

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セグロセキレイのひな

2013年06月26日 | 鳥&昆虫&
セグロセキレイのひな

窓越しのセグロセキレイのひな・・・

あっ、さえずりが聞こえた!今日はセグロセキレイのひなでした・・・
巣立ちの練習中、枯れ葉をつついて餌取りのまねを。 ママ、パパ早く餌を持ってきて・・・
次の朝はキセキレイのひなもきていて・・・キセキレイはもうクルミの枝にすいと飛んでました~

セグロセキレイのひな コラージュ・・・


セグロセキレイのひな 、餌はまだかな~・・・

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アクアワールド大洗

2013年06月23日 | 旅行
アクアワールド大洗

行き先は当日のお楽しみ、というバスツアーで二番目に着いたのは・・・
アクアワールド大洗。土曜日とあって水槽の前はどこもかしこも大賑わい・・・

大水槽アクアウォッチングでは、ダイバーが水中カメラでとらえた画像で対話がはずみ・・・
子どもたちは盛り上がっていました。遅く入場したの指示されたところで立ち見になった
イルカ・アシカオーシャンライブ、前列は盛大な水しぶきをシートで防いでたけど!!?
アシカを乗せたイルカ・・・。アシカのジャンピングボールなど芸が増えてる!!

外でサーファーや水遊びのファミリーなど、いい季節ね~と眺め、次に向かいます・・・
画像クリックでスライドショーへ。BGMの音量にご注意ください。

イルカのジャンピングボール・・・
画像クリックでスライドショーへ

イルカの大ジャンプ

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茨城県 フラワーパークのばら園

2013年06月20日 | 花&植物
茨城県 フラワーパークのばら園

行き先は当日のお楽しみ、というバスツアーに参加。はじめに着いたところは・・・
茨城県フラワーパーク。広大な園内のばらのテラスには650種、3万株という・・・
見ごろをすぎ、前夜の雨でちょっとさびしいばらテラスでした・・・
ブルー系のばら園もあり、スタッフがていねいな手入れをしていたので
手入れが行く届き、次が咲き出したらまた楽しめるでしょうね~
河津桜から秋のダリア園、冬期は温室もあり、ふれあいの森では遊具、アスレチックも
一年中家族そろって楽しめるようです・・・
画像クリックでスライドショーへ。BGMの音量にご注意ください。
フラワーパークのばら・・・
画像クリックでスライドショーへ

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あいづわくわく学園 裏磐梯五色沼・猪苗代 土津神社【2-2】

2013年06月17日 | 郷土史・史跡・施設
あいづわくわく学園
裏磐梯五色沼・猪苗代 土津(はにつ)神社【2-2】

25年度、地域の歴史・史跡などの現地学習第2回の2・・・

裏磐梯五色沼の成立ち

磐梯山は明治21年(1888年)に大噴火を起こし、周辺に大きな被害をもたらした。
噴火は山の北側斜面を大きく吹きとばし、その土石流で川が堰き止められて磐梯三湖>
(桧原湖、小野川湖、秋元湖)や名前のない小さな沼を含め多くの湖沼群を形成しました。

磐梯山の北側山麓の湖沼群のうち桧原湖、小野川湖、秋元湖にはさまれて点在する
湖沼群を総称して五色沼と言います。
中でも五色沼自然探勝路添いのコバルト色、青色、銅色などの水をたたえた沼をめぐる
約3.6キロのコースが、裏磐梯の観光名所として人気があります。

遠藤現夢は、1888年(明治21年)の磐梯山噴火に伴う膨大な岩屑なだれに覆われて数十年間
荒地のままだった裏磐梯を、もう一度野鳥のさえずる森に変えたいと願い、

全通したばかりの磐越西線(開通当時「岩越線」)で、アカマツ・ウルシ・スギの苗木10万本を
新潟方面から運び、さらに猪苗代からは馬車で、岩や泥に埋まった道路を修復、新設しながら
前進するという困難のなか、裏磐梯方面に運んだ。

約2年をかけて気の遠くなるような1340haに及ぶ植林をなしとげ、ついにはこの地の払い下げを受けた。
現夢の墓碑は、本人の願いで五色沼(青沼)のほとり、磐梯山噴火の折に落下した巨石の下にあり、
妻・イクと共に葬られている。
遠藤現夢に植林を指導した中村弥六の名は五色沼に「弥六沼」として残る。(資料より)


土津神社(陸奥会津藩藩祖保科正之が祀られている神社)

保科正之は、2代将軍徳川秀忠の第4子。3代将軍家光の弟、高遠藩藩主・保科正光の養子。
1643年会津に封ぜられ、会津松平家の始祖となる。
家光・家綱と二人の将軍を補佐し、大きな功績を残しました。神道を熱心に学び、
死後は磐椅神社の末社となって神に奉仕したいと 1672年、自ら猪苗代の見祢山に登り墓地を定め
「我が身はここに納めてくれ。」と家臣に命じた。

土津神社の始まりは
1673年、神祇管領長・吉田兼連がご神体(保科正之公)を奉じて仮殿に安置。
この時より、神殿の営築を開始、1675年竣工。神体を正殿に安鎮し、磐椅神社の末社とした。
土津神社は、神殿・回廊などあったが、明治の戊辰の兵火で焼失した。今の社殿は1880年の造営という。
(資料より)
史跡めぐり第二回の2は、五色沼自然探勝路ウォーキングと土津神社やキリシタン殉教の碑等めぐり・・・
この日は、万歩計で14,000歩以上だったとか・・・
画像クリックでスライドショーへ。BGMの音量にご注意ください。

五色沼・・・
画像クリックでスライドショーへ

遠藤現夢の墓碑


土津神社 保科正之顕彰碑

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