ぐりぐらのフォトログ

デジタルカメラであそぼ!

世界遺産テオティワカン遺跡&メキシコ国立人類学博物館

2016年03月30日 | 旅行
メキシコ古代遺跡とカリブ海リゾート・カンクンの旅【Ⅲ】・・・
世界遺産テオティワカン遺跡&メキシコ国立人類学博物館


世界遺産テオティワカン遺跡はメキシコ・シティーから北へ50Kmほどの位置に・・・
中央には南北に「死者の道」が約3.3㎞伸び、その周囲に「太陽のピラミッド」、
城塞、「月のピラミッド」が整然と並ぶ広大な都市だった・・・
テオティワカンとは「神々の都市」という意味

急な石段はなかなか手ごわくて、休みながらのぼり・・・
3つの石段を登った広い踊り場で、テオティワカン「神々の都市」が繁栄した時代
毎日、元気な太陽、作物を実らす雨の恵みを、生贄の儀式で希求した古代文明に
しばし思いを馳せた・・・
画像クリックでスライドショーへ。BGMの音量にご注意ください。

「月のピラミッド」から見た、テオティワカン「神々の都市」
中央に南北に貫く「死者の道」約3.3Kmが伸び、周囲に城塞などが整然と並ぶ・・・



底辺224m四方、高さ64mの「太陽のピラミッド」


底辺168m×149m、高さ45mの「月のピラミッド」



メキシコ国立人類学博物館

国立人類学博物館は遺跡から出土した文化財を約6000点展示。
マヤをはじめ、アステカ、テオティワカン文明などを深く知ることができる
広大でよく考えられた施設。住民は入場無料という・・・
画像クリックでスライドショーへ。BGMの音量にご注意ください。

遺跡から出土した文化財を約6000点展示


マヤの石の暦

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メキシコ 世界遺産プエブラ歴史地区(プエブラの旧市街とチョルーラ遺跡)

2016年03月28日 | 旅行
メキシコ古代遺跡とカリブ海リゾート・カンクンの旅【Ⅱ】・・・
世界遺産プエブラ歴史地区(プエブラの旧市街とチョルーラ遺跡)


メキシコプエブラはメキシコシティから120キロほど東にあり、100万人を超える大都市
雪の山頂から噴煙を上るポポカテペトル山(5452m)とイスタシワトル山(5286m)を見ながらドライブ・・・
街の中心部、メキシコプエブラは歴史地区として世界遺産に指定されている・・・

18世紀のスペインによる植民地時代(1521~1821)に築かれた街・・・

メキシコはヌエバ・エスパーニャ(新スペイン)副王領と呼ばれていた
多くの教会が残る。とくに、壁、柱、天井が精緻な金箔が施された
サント・ドミンゴ教会の壮麗さは息をのむ・・・
また、タラベラ焼きという、タイルで装飾された外壁がカラフルで
競って建てたと思われる家々が並ぶ・・・

その副王の迎賓館として建てられた、赤色のタイルと白色の装飾の組み合わせの
ロココ調の建物は砂糖菓子のように見えるところから、砂糖菓子の家という名前に・・・
現在は、古代文化や古美術品の博物館に・・・

この豊かさ、18世紀初めには、全スペイン王国の税収の半分を生み出していたほど・・・
スペイン領になる以前にプエブラでは良質な土から素焼きを作る技術を持っていて
そこへ、スペイン人が上薬を塗って光沢を出すことを伝えてできたのがタラベラ焼き・・・
しかし、この技術はイスラム文化に影響されたもので大量生産できず、
今現在でも一枚一枚職人が手作りで作っているという

続いて、古都プエブラの近郊、車で20分のチョルーラ遺跡観光
チョルーラはテオティワカンと同時代の古代文明遺跡
スペイン征服軍はその大神殿を破壊して教会を建てたという・・・
先ずは、発掘調査中のピラミッドの内部を見学。

発掘途中のを眺めながら急な坂道を登って・・・
現存すればメキシコ最大のピラミッドの上に建つロス・レメディオス教会へ
遠くに噴煙をあげるポポカテ山、周囲には古代の面影は見えず、町が広がるばかり
古代、巨大なピラミッドを囲んでどんな様子だったのだろう?
画像クリックでスライドショーへ。BGMの音量にご注意ください。

サント・ドミンゴ教会内部、まばゆいほどの金で装飾されて・・・


サン・フランシスコ教会正面はタラベラ焼きタイルで飾られて・・・


スペイン時代、副王の迎賓館だった建物
タラベラ焼きタイルで飾られ、砂糖菓子の家といわれている・・・



メキシコ最大のピラミッド チョルーラ遺跡
スペイン軍に破壊され上に教会が建てられた・・・



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雪割草&水仙 小庭の花・・・

2016年03月27日 | 花&植物
雪割草&水仙 小庭の花・・・

陽ざしの明るさに比して風が冷たいこのごろ・・・
雪割草&水仙など咲き出して小庭が一気に春めいた・・・
気になる草とりは半端しごとで後日にまわし・・・
取りあえず小庭に春がきた~

雪割草&水仙 小庭の花・・・



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メキシコ古代遺跡とカリブ海リゾート・カンクンの旅【Ⅰ】・・・

2016年03月24日 | 旅行
メキシコ古代遺跡とカリブ海リゾート・カンクンの旅【Ⅰ】・・・
世界遺産メキシコシティ歴史地区


アエロメヒコ航空直行便で12時間。マヤ・アステカなど古代文明の遺跡の旅へ・・・
標高約2240mに位置するメキシコシティは11~5月は乾期にあたり
日中は温暖だが、朝晩は冷え込むという・・・
着いたときは、先週の大寒波の余波も去って天候が回復とのこと、幸運でした~

到着後、世界遺産メキシコシティ歴史地区観光
バロック様式のカテドラル、メキシコ独立の象徴ソカロ広場、中世の建造物国立宮殿
テンプロ・マヨール、メキシコ最大の聖地グアダルーペ寺院見学・・・
なかでも、篤い信仰を集める褐色の聖母 グアダルーペの聖母を祀る教会は
聖地であり、2万人収容できる聖堂でミサが行われ毎日大勢の人が訪れている・・・

着いた日は早めにホテルへ・・・
翌日午前、メキシコシティに南西部にあり、広くて学園都市とも呼ばれる
世界遺産メキシコ国立自治大学内の、世界最大規模の壁画で覆われた
中央図書館見学・・・巨大で力強く大迫力!壁画芸術という分野だそう


マヤ文明とアステカ文明、メキシコシティについてミニ学習・・・

* * *マヤ文明とアステカ文明* * *
マヤ文明は紀元前1500~1000年頃に起こり、1697年に消滅したとされ
ユカタン半島を中心にメキシコ南東部からグアテマラ、ベリーズ、
エルサルバドル、ホンジュラスの一部まで都市が広がり、4世紀~10世紀ころの
最盛期には、現代代表的とされる遺構の多くが作られた。

算術と天文学に長け、独自の象形文字を編み出した文明だが
スペインが中米、カリブ地域に進出・制圧しはじめる
15世紀後期に急激に後退した。
マヤは多くの都市遺跡の集合体を指し、国ではなかった。

伝説では、アステカ人は新しい都を築くべき地は、蛇を咥えた鷲がサボテンに
とまっている地である、という予言に従ってテノチティラトンに移住した。
テスココ湖の沼沢地がその場所であるという啓示を得て、
アステカ人は建設の困難にひるまず沼沢地の干拓をはじめた。
干拓により乾いた土地が得られたのち、1325年テノチティラトンが建設された。
多くの水路が築かれ、橋が渡され徒歩でもカヌーでも移動できた。

アステカはテノチティラトン(現・メキシコ・シティ)を首都とする国家だった。
中世頃、アステカ族がマヤなどの文明を継ぎ、強力な軍事力を背景に多くの部族を統合。
1428年頃から栄えたが、1521年にコルテス率いるスペイン軍に征服された。

スペイン人・コルテスがテノチティラトンに着いたのは1519年11月8日。
このときテノチティラトンは20万から30万の人口を持ち同時代のパリや
イスタンブールに並ぶ世界有数のきぼだったと考えられている。
コルテスが部下とともにテノチティラトンを征服。街は完全に破壊され、
切り出した石材を使って、その上にメキシコシティが築かれた。
1978年に、神殿の跡地が発掘、テンプロ・マヨールと命名、博物館になっている。
しかし、都心なのでこれ以上の発掘は望めないのが現状である。
* * * * *
画像クリックでスライドショーへ。BGMの音量にご注意ください。

破壊したアステカ神殿の石材を建材に用いた
バロック様式のカテドラル・メトロポリターナ・・・



「褐色の聖母」を祀るメキシコ最大の聖地グアダルーペ寺院


アステカの神殿の跡地が発掘されてテンプロ・マヨール(大寺院)と命名・・・


メキシコ国立自治大学図書館のシケイロス作立体壁画・・・


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福寿草 花盛り・・・

2016年03月12日 | 花&植物
福寿草 花盛り・・・

ひな祭り頃、寒さが緩んで小庭の福寿草 花盛り・・・
クロッカスの一種は散ってしまって・・・
より日当たりいい場所のユキワリソウが開花・・・
他にも咲きかけるけど、雪や雨で花が痛んでる~
開花時期・順は例年と異なるけど花は咲いて~

福寿草 花盛り・・・



ユキワリソウが開花・・・

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