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アンサンブル・プラネタ@六本木ヒルズ

2004-12-21 23:55:58 | Weblog
もし音楽フアンが生きる時代と場所を自分で選べるとしたら、どの時期のどの場所を選ぶだろうかということを考えたことがある。むろんこの問題はどの演奏家を聴きたいかということと関係が深い。もちろんそこには、録音として残っている演奏家の生演奏を聴きたいとか、ある特定の演奏家の演奏会をしらみつぶしに行きたいといったかなりぜいたくな欲望とも結びついている。

いずれにせよわれわれは何らかの形で資料として残っている演奏家にしか思いをはせることはできないのであるし、こんなことを考えるのはそもそも馬鹿げていることは自分でも十分分かっているつもりである。

しかし、それでもなお、私は今自分が生きている時代にアンサンブル・プラネタの音楽に出会うことができ、何度も最前列でこのアカペラ・グループの歌声にじかに接することができたことを何ものにもまさる幸せだと感じている。

現代という時代はある意味で演奏家にとって不幸な時代かも知れないということは、すでに遠山一行氏らによって、すでに指摘されていることかもしれない。これだけ録音技術などが発達してしまうと、実際に会場で接することができる生の音に感動することは難しいとも思われる。しかしそれだけに、本当に生の音に感動できるときはその喜びはまた格別なものになるということは言えるであろう。

特に人の歌声というものは、人間自体が楽器になっているようなものであるからその美しさというものを機械が完全に伝えることはできるのだろうかという疑問がわく。

アンサンブル・プラネタの歌声に目の前で接するとき私は、必ずといっていいほど全身が震え、目頭が熱くなるような感動を覚えることを恥ずかしながら告白したい。

自分は以前からピアノという楽器を中心に聴いてきており、声楽の分野には詳しくはないが、リサイタルのようなものにも何度か足を運びそれなりに歌声に魅了されるということは今までにも何度かあった。

しかしアンサンブル・プラネタの音楽に接して感動するときの感動というのは何か違った種類のものだという気がする。まずアカペラだということ、そしてマイクを通して歌っているということなどが思い浮かぶが、今日改めて感じたのはこのグループの演奏というものが、ただ単にコンサート・ホールで聴くということでは収まりきらないスケールの大きなものだということのような気がする。

これは特にこのグループに特有なことではなくてロックのコンサートなどでも野外のコンサートなどでとりわけ感じられることであろう。今日のプラネタのイベントは野外で行われたが、もしかしたらそこで味わえた感動というものはもしかしたらロックのコンサートで感じるような感動と同じ種類のものだったかもしれないとも思うのである。

この項たぶん?明日に続く!

プラネタのサイト(Discographyで試聴可能)