日向ぼっこ

大腸ガンになっても生きて行く

続々と

2016-06-29 12:01:54 | 日記
自分で頑張れる事はまだまだあって、食生活ではヨーグルト等の乳酸菌は毎日色々摂っていました。もちろん、今も継続中です。



またお茶は身体の不純物を排泄し、また便通も良くなるので、入院中からハブ茶を飲んでいました。
現在は阿波番茶を飲んで、腸内フローラを活性化しています。



緑茶もカテキン効果を期待して、粉茶を飲んでます。



あとは整腸剤と、これは人からのお勧めでβ-グルカンが病気に良いとの事で、ヨーグルトに混ぜて食べてます。



面倒くさいと言う理由で、野菜も果物も殆ど食べなかった私が、今では毎日バナナを一本、サラダを昼夜食べてます。
お陰様で、現在私は術後10キロ太りました。(^◇^;)

マニアックかな?

2016-06-25 10:32:31 | 日記
人参ジュース作りを習慣にするように努めながら、食生活にも気を付けていました。

日本の野菜や果物、また肉や魚は未だ安全と私も思っていました。
ましてや大手スーパーで売っている物に、病気をするまで、さほども不信感を抱く事も有りませんでした。
しかし今は野菜は残留農薬が無いかとか、加工品なんかの表示はどうなのか?と、気になっています。
毎日そんな事を気にしていると、気持ちも持たないし、生活も出来ません。
やれる事はする、外食や旅行の時は割り切る等、自分なりの線引きを決めました。

やれる事の一つ、野菜等の洗浄には食品用の洗剤を探しました。残留農薬を排除してくれるとの事で、ホタテの貝殻から作った洗剤です。
今はそれを使っています。
中国人によく売れてるみたいです。



その他買い物の主流は生協で、極力無添加、無農薬の物を選んでいます。
通販も大活躍しています。

やり始めると

2016-06-21 09:25:32 | 日記
引き続き、抗ガン剤治療に対抗する目的と、ガンを再発させない為に、人参ジュースや食生活を変える事に、気持ちを集中しました。

人参ジュースは一回あたり人参500グラム、リンゴ一個、レモン一個を基本として低速ジューサーで絞ると、500〜600ccのジュースが出来ます。







当初は1日、朝昼晩と3回作って、飲んで見ましたが、量の多さと手間と費用がかかり過ぎて、断念しました。
それでも抗ガン剤治療中の6ヶ月間は、毎日2回朝晩に作って飲みました。
現在は1日朝一回にしています。

まぁジューサーって、なんであんなにも片付けが面倒なんでしょうか?
洗い物の山です。



それでも今なお続けているのは、再発の恐怖を何か頑張る事で、払拭しようとしているのだと思います。
効くか効かないかは、自分次第ですね。

手始めに

2016-06-18 11:30:23 | 日記
抗ガン剤治療を始めてから、先ず手始めに本を買いました。
ネットで色々な方のブログ等を見ていると、どうも人参ジュースが再発予防に良いように書いて有ります。
退院後の食事作りも色々不安だったので、こちらの本も購入しました。




ガンを予防、克服するには、沢山の情報が氾濫していますが、自分でやってみて続けられるかどうかが課題です。
精神的なコントロールも大変です。

取り敢えず私は、人参ジュース作りをする為に低速ジューサーを購入し、無農薬の人参をネット注文し、リンゴやレモンは道の駅等で購入しました。
主食の米は当初玄米にしましたが、消化に悪いので、無農薬の7分つきの米にもち麦と雑穀をブレンドし、最後に玄米粉を加えて炊きました。
水は水道水の飲水は止めて、ミネラルウォーターにし、煮炊きには浄水器の水を使用しました。















と、まだまだ続きます。
また、次回に…。

ゼローダ

2016-06-15 11:56:34 | 日記
抗ガン剤を始める事になり、第1回目が始まるまでに、自分はどうなるのか、副作用に耐えられるのか、髪毛も抜けてしまうのか等、ゼローダと言う抗ガン剤が分からず、不安ばかり感じていました。
眠れない日が続き、とうとう精神的にまいってしました。
近所の内科で精神安定剤を処方して貰い、何とか1回目の日を迎えました。

ゼローダと言う抗ガン剤は、身体の表面積で薬の量が決まるらしく、身長と体重から計算して錠数が決定しました。
私の場合は大柄で体格も良いので、1回に7錠です。これは、成人男性と同じ位の量です。(; ̄O ̄)
結構大きな錠剤で朝晩食後に7錠は、大変飲みにくかったです。
1日2回、朝晩食後を3週間続けて1週間休薬期間を取り、血液検査をして白血球の数値を見て、
先生の判断が出ます。
これが1クールとして、問題が無ければ2クール目に進みます。
同様に8クールまで進めば、治療は終了です。

しかし8クール目まで問題も無く抗ガン剤治療を進めるのは、難しい事でした。
治療ダイヤリーをつけながら、副作用と戦った日々が今では遠く感じつつも、治療終了から一年経とうとしている今でも、足等に名残りが有ります。