日向ぼっこ

大腸ガンになっても生きて行く

抗ガン剤治療

2016-06-12 23:38:37 | 日記
つい最近、市川海老蔵さんの奥様も若くして、乳がんになられていたと、公表された。
今は、二人に一人はがんになる時代だと、思い知らされる毎日です。

先日TVで心理学の先生が、自分ががんだと分かった時、大抵3つの心理状態になると言うのです。
一つ目は怒り、二つ目は取り引き、三つ目はあきらめだそうです。
そう言えば、私もステージを告げられた時、異常に前医者に対する怒りが込み上げて来ました。
自分は何でこうなってしまったのか?
これが一つ目の怒りです。
そして現在はがんに対抗する為に、色々と情報収集をして、良いと言われる事を実践しています。
これが、二つ目の取り引きです。
要するに、何かをする事で病気への不安を払拭しようとしているのです。
宗教にはまる人もいます。
そして未だ、三つ目には至っていません。

さて話は2015年1月13日に戻って、手術後の組織検査の結果を受けて、私は抗ガン剤治療を6ヶ月間するように勧められました。
自分がステージ3aで有る事態を未だ受け入れられずにいる時に、その上に抗ガン剤治療をする判断を求められても…。(; ̄O ̄)

インターネットなどで、私が見たサイトやブログでは抗ガン剤治療に否定的な物が多かったので、率直にO先生に、先生が私の立場なら抗ガン剤治療を受けますか❓と聞いてみた。
するとO先生は、僕なら受けると淡々と答えたのでした。

名の有るO先生が言う事を信じるか、信じないか❓またもや、選択です。

私は、抗ガン剤治療を受ける事にしました。


2015年の幕開け

2016-06-07 14:26:12 | 日記
いつもなら年末年始の休みは大掃除に始まり、おせち料理を作って家族で新年を迎える準備している年末です。しかしながら退院後すぐなので、ベッドに横になりつつ、時には恐る恐るの状況で家事をしていました。
このご時世、大変便利なネットスーパーも有り、必要な物は家にいても揃います。
また、冷凍の病気食もネットで購入出来るので、インターネット様々でした。

夫は家事を全くするタイプでは無いし、私の退院後の食事はある程度の制限も有ったので、食事だけは何とか自分で作る努力をしました。
掃除は見て見ぬフリを決めてやり過ごし、おせち料理は姉がお裾分けしてくれたので、何とか形だけは新年を迎える準備が出来ました。

いよいよ、2015年の新年を迎えて、1月13日に術後の組織検査の結果とステージを聞きに行く日が来ました。
退院後、何と言う結果が出るのか不安で仕方なく、毎日石切さんのお札にリンパに転移していませんようにと、願っていました。
しかし夫と共に診察室に入り、O先生から聞かされた言葉は、「ガンは腸管共に切除しました。リンパにも3個転移が有りましたが、その他の臓器には転移は見られません。したがって、ステージ3aとなり6ヶ月の抗ガン剤治療をすすめます。」
でした。

やはり、やはり、やはり…。(´Д` )
診断が確定したショックと、抗ガン剤への恐怖で目の前は真っ暗になり、涙が溢れてきました。
なんで、なんで、なんでこうなったのか?
ずっと検査も受けていたのに…。

思いきって、O先生に確認しました。
一番初めのポリープを切除した時に、追加切除で手術していたら、こんな事になっていなかったのかと!
O先生は、その時にちゃんと手術していたら、大丈夫やったと言いました。
重ね重ね、取り返せない時間を悔みました。(T_T)


入院中

2016-06-04 15:10:42 | 日記
手術後に目覚めてからは、お腹の痛みが押し寄せて来ました。
それでも最近は、術後2~3日目位から歩く練習をしたりするのです。
早く起きて、立ち上がり、歩く方が回復が早いそうで、私もお腹を押さえながら立ち上がりました。
しばらくは導尿されていて、トイレに行く事も無かったのですが、導尿の管が外されてからはトイレに行くのも、必死でした。
絶食が一週間位続いて、水も飲めず、人生最大のひもじさを味わいました。
人間は点滴だけでも生きるんだなぁと実感しながら、術後の検査を色々と受ける毎日を過ごしました。
腸が繋がりガスが上手く出たら、飲食が許されます。
久しぶりのおかゆが無性に美味しかったけど、腸がきちんと動くかどうか、便がでるのかどうか不安でした。
ようやく年の押し迫った12月28日退院が決まり、
お腹を押さえながらの病院を後にしました。
帰り道に、どうしても石切さんにお礼がしたかったので、腰を曲げてお腹をかばいながら、お参りしました。
年の暮、はてさてこれからどうして暮らすのか色々と不安を抱えながら、家に帰りました。

目覚め

2016-06-01 00:05:04 | 日記
手術が始まって、目覚める迄に夢を見ました。
時間の経過が良く分からないので、手術中に見ていた夢なのか、終わってからの夢なのかはよく覚えていません。
ただ記憶に有るのは、螺旋状の滑り台の様な形の白い塔の中に居て、隙間から池か湖の様な景色が見えました。
何故か少し暗くて恐い感じがしたので、塔の壁の内側に身を隠す様にして、隙間から覗き込む姿勢で観察していました。
すると、その水の上にはボートが何艘か浮いていました。
桟橋の様な所に黒い人影が二人居て、手帳の様な品物の様な物を手渡していました。
何か怪しい物のやり取りに見えました。
反射的にこの黒い人に見つかってはいけない気がして、更に塔の壁の内側に隠れました。
そして、気付かれない内に逃げなくてはと思い、急いで塔を駆け下りて行きました。

駆け下りている途中でふと違う方向を見ると、遠くの方に凄く綺麗な夕焼けの様な、朝焼けのようなオレンジと白い光に輝いている雄大な景色が見えたのです。
とても綺麗だったので、これは誰かに教えてあげないとと思い、また急いで駆け下りて行きました。

そこで、目覚めたような気がします。
途中に誰かが私を呼んでいた気もします。
あれは、家族が掛けてくれていた声だったのでしょうか?

よくは分かりませんが、あの夢はあの世とこの世の間の出来事だったかも知れません。