場所は千葉県北東部。
午後3時少し前。今週の仕事は割とのんびり。
そんな中での地震。
私は地震が大の苦手(得意な人はいないと思うけれど)尋常じゃなくなる。
心臓がドキドキして、何も手につかなくなる。
この頃地震が多いからすぐに机の下にもぐる。(会社でもぐるのはたいてい私しかいない)
今回は長かったから、だんだんみんなも青ざめて机にもぐるが、その机(固定されている)自体が動いてしまうのではないか?というくらいの激しい横揺れ。そして、長い時間。だんだん高いところにある書類がバサバサと落ちる音。
私が働いているビルは海の近くの14階建ての4階。
どちらかというとあまり揺れない階層なんだけれど、それでも今までにないほどの激しい揺れ。
停電し、パソコンの電源がパスっと消える。非常灯が点き、ビルの非常案内放送がバグったように鳴り出す。
「あと、あと、あと5秒で大きな地震が来ます」と放送されているときにはすでに大きな揺れ。こ、これ以上???
余計パニックになるわっ!
いったん地震がおさまると、隣の会社の人が「これ、マジでやばいですよ。余震が来る前にビルから出ないと」と言うので、ことの重体さをやっと理解し(何が起きているのか、だんだんわからなくなって、あぁぁ…あたしは地震で死んでしまうんだ…と現実逃避が頭の中で始まっていた)、そんな中でも頭の中で何を持っていくかきっちりと考えて無駄のない動きで荷物とコートを持って非常階段へ。
上層階の人たちはすでに避難し始めていた。
ぐるぐると階段を下りる。
ビルの緊急対策本部の指導に従って、ショッピングセンターの駐車場へ移動。
ショッピングセンターも全館停電。外には遊びに来ていた人たちが避難していてすでにごったがえしていた。
そのあと津波警報発令…その間も余震は続く…
そして、その駐車場では海から近いということでさらに避難場所を変更。
駐車場から出ようと思ったら、周辺の道路は液状化現象で足場が悪くなっていた。これが液状化現象?始めて目の当たりにした。
駐車場から会社のビルがよく見えるんだけれど、免震構造でビルがターンテーブルの上に載っているかのようにぐわんぐわんとまわりながら揺れているのがよく見える。
携帯がつながらない。
私の携帯は初期の段階から「圏外」表示。
携帯がつながらない人たちがワンセグでテレビを見始める。情報の収集。
地震発生から2時間半後。天気がみるみる変わって、ポカポカ陽気が一転、今にも雨が降りそうな空。
イケアのスタッフの黄色と青のシャツがよく目立つ。行動もてきぱきとしていてよく訓練されていることがわかる。
余震の間隔が長くなったのと、寒さもあって(飛び出してきたショッピングセンターの店員たちはみな薄着)、一度ショッピングセンター付近へ戻る。
会社が入っているビルに一時的に戻れることになる。
帰り支度をして、17時半解散。
解散…と言われても、主な公共機関は麻痺、ストップしている。
以前、会社で小さな折り畳み自転車を買ってあったことを思い出して、それに乗って出発。電話が全く使えないのでのんたんの安否もわからない。とにかく出発。
ここからはひとり。
会社を出てすぐに、画像のような白煙が上がっている風景があった。
救急車、消防車のサイレンが町中いたるところで鳴りっぱなし。
車は長い列をなし、ところどころで罵声が飛び交う。
途中の自転車屋さんで空気を入れてもらう。
そこには自転車を買い求める人たちの列。
途中のビルの外壁がごっそり落ちていたり、マンションの給水タンクが壊れて水があふれ出していたり。
ずっとJR線と並走して走っていたんだけれど、駅はパニックかと思いきや、すでにパニック回避で封鎖されているようで人影がない。止まったままの電車。多くの人はすっぱり諦めた顔でみなもくもくと歩く。
会社を出発して1時間半後地元へ到着。
私は早い方だったと思う。
都内のベッドタウンだからか、まだ、だれも戻ってきていないせいか(戻ってこられない)、町は静まり返っていた。驚くほど人がいない。
自転車を乗り換えてのんたんを迎えに行った。
先生たちはピリピリと張りつめた雰囲気だったけれど、子どもたちは思ったより全然元気。
ちょうど地震発生時はお昼寝をしていて、起きる時間帯だったらしい。
「怖くなかったよ」って言っていた。
家に帰ってどんな惨劇が?と思ったら、レゴのR2D2が倒れてバラバラになっていただけだった。
テレビもそのほか陶器の雑貨も何一つ落ちていなかった。
ようやくテレビをつけて世の中の惨劇を知った。
携帯は相変わらず「圏外」表示。静岡の義父母へ固定電話から安否確認をして、だんなの人へ私たちふたりの無事を知らせてくれることになった。(だんなの人の無事は確認できていたけれど、私の無事を連絡できない状況だった)
実家の母の無事も確認できた。ひとまずホッとしたらどっと疲れが出てきた。
ずっとテレビをつけていると恐怖がよみがえってくる。
テレビを消しても携帯で何度も地震発生のメールが送られてくる。
不安な一夜を明かした。
午後3時少し前。今週の仕事は割とのんびり。
そんな中での地震。
私は地震が大の苦手(得意な人はいないと思うけれど)尋常じゃなくなる。
心臓がドキドキして、何も手につかなくなる。
この頃地震が多いからすぐに机の下にもぐる。(会社でもぐるのはたいてい私しかいない)
今回は長かったから、だんだんみんなも青ざめて机にもぐるが、その机(固定されている)自体が動いてしまうのではないか?というくらいの激しい横揺れ。そして、長い時間。だんだん高いところにある書類がバサバサと落ちる音。
私が働いているビルは海の近くの14階建ての4階。
どちらかというとあまり揺れない階層なんだけれど、それでも今までにないほどの激しい揺れ。
停電し、パソコンの電源がパスっと消える。非常灯が点き、ビルの非常案内放送がバグったように鳴り出す。
「あと、あと、あと5秒で大きな地震が来ます」と放送されているときにはすでに大きな揺れ。こ、これ以上???
余計パニックになるわっ!
いったん地震がおさまると、隣の会社の人が「これ、マジでやばいですよ。余震が来る前にビルから出ないと」と言うので、ことの重体さをやっと理解し(何が起きているのか、だんだんわからなくなって、あぁぁ…あたしは地震で死んでしまうんだ…と現実逃避が頭の中で始まっていた)、そんな中でも頭の中で何を持っていくかきっちりと考えて無駄のない動きで荷物とコートを持って非常階段へ。
上層階の人たちはすでに避難し始めていた。
ぐるぐると階段を下りる。
ビルの緊急対策本部の指導に従って、ショッピングセンターの駐車場へ移動。
ショッピングセンターも全館停電。外には遊びに来ていた人たちが避難していてすでにごったがえしていた。
そのあと津波警報発令…その間も余震は続く…
そして、その駐車場では海から近いということでさらに避難場所を変更。
駐車場から出ようと思ったら、周辺の道路は液状化現象で足場が悪くなっていた。これが液状化現象?始めて目の当たりにした。
駐車場から会社のビルがよく見えるんだけれど、免震構造でビルがターンテーブルの上に載っているかのようにぐわんぐわんとまわりながら揺れているのがよく見える。
携帯がつながらない。
私の携帯は初期の段階から「圏外」表示。
携帯がつながらない人たちがワンセグでテレビを見始める。情報の収集。
地震発生から2時間半後。天気がみるみる変わって、ポカポカ陽気が一転、今にも雨が降りそうな空。
イケアのスタッフの黄色と青のシャツがよく目立つ。行動もてきぱきとしていてよく訓練されていることがわかる。
余震の間隔が長くなったのと、寒さもあって(飛び出してきたショッピングセンターの店員たちはみな薄着)、一度ショッピングセンター付近へ戻る。
会社が入っているビルに一時的に戻れることになる。
帰り支度をして、17時半解散。
解散…と言われても、主な公共機関は麻痺、ストップしている。
以前、会社で小さな折り畳み自転車を買ってあったことを思い出して、それに乗って出発。電話が全く使えないのでのんたんの安否もわからない。とにかく出発。
ここからはひとり。
会社を出てすぐに、画像のような白煙が上がっている風景があった。
救急車、消防車のサイレンが町中いたるところで鳴りっぱなし。
車は長い列をなし、ところどころで罵声が飛び交う。
途中の自転車屋さんで空気を入れてもらう。
そこには自転車を買い求める人たちの列。
途中のビルの外壁がごっそり落ちていたり、マンションの給水タンクが壊れて水があふれ出していたり。
ずっとJR線と並走して走っていたんだけれど、駅はパニックかと思いきや、すでにパニック回避で封鎖されているようで人影がない。止まったままの電車。多くの人はすっぱり諦めた顔でみなもくもくと歩く。
会社を出発して1時間半後地元へ到着。
私は早い方だったと思う。
都内のベッドタウンだからか、まだ、だれも戻ってきていないせいか(戻ってこられない)、町は静まり返っていた。驚くほど人がいない。
自転車を乗り換えてのんたんを迎えに行った。
先生たちはピリピリと張りつめた雰囲気だったけれど、子どもたちは思ったより全然元気。
ちょうど地震発生時はお昼寝をしていて、起きる時間帯だったらしい。
「怖くなかったよ」って言っていた。
家に帰ってどんな惨劇が?と思ったら、レゴのR2D2が倒れてバラバラになっていただけだった。
テレビもそのほか陶器の雑貨も何一つ落ちていなかった。
ようやくテレビをつけて世の中の惨劇を知った。
携帯は相変わらず「圏外」表示。静岡の義父母へ固定電話から安否確認をして、だんなの人へ私たちふたりの無事を知らせてくれることになった。(だんなの人の無事は確認できていたけれど、私の無事を連絡できない状況だった)
実家の母の無事も確認できた。ひとまずホッとしたらどっと疲れが出てきた。
ずっとテレビをつけていると恐怖がよみがえってくる。
テレビを消しても携帯で何度も地震発生のメールが送られてくる。
不安な一夜を明かした。