句読とは(89)
文語文を読むときの一つの大問題である。昔文意が完結したところにL(勾ーかぎーは句と古音同じ)を置き、読むときに息継ぎをするところに「、」(音はzhù。古音は読と同じ)を置いた。現在文語文では標点されて出版されているため句読の知識は必要ないかと言えばそうではない。多くの作品はまだ標点されておらず、標点されたものにも誤りが多いからである。
句読が異なると往々にして異なった観点を浮かび上がらせる。例えば、『論語』泰伯に、
「民可使由之、不可使知之。」
とあるのは、孔子が民衆を軽視することを浮き上がらせるが、梁啓超は『孔子訴冤』で、
「民可、使由之、不可、使知之。」(民が立憲君主の知識を持っていれば、それをすぐさま実行に移すが、そうでない場合知らしめて実行に移す準備とする。」)
と区切って全く意味が反対になっている。
2002.12
『文言文基礎知識問答』陳蒲清編・湖南人民出版社・1979の百一の項目から役立つ項目を翻訳・要約したもの。私の意見は特に加味していません。