人生黄昏時

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与那国島 【2】

2017年07月10日 00時03分46秒 | 日記

与那国島は

15世紀以前の史料はほとんど無い

 

14世紀後半から各集落に按司あらわれ

始めて大竹祖納堂佐が島を統治する

 

1500年頃女首長サンアイ イソバが与那国を統治していた

宮古諸島を統治していた、空広(仲宗根豊見親)の

嫡男の仲屋金盛が琉球王府の許しをえて

 

与那国に侵攻して来たが

サンアイ イソバ軍が反撃撃退し島を守った

 

1522年頃、鬼虎が統治していた

琉球国命より宮古軍が攻め滅ぼした

 

与那国島は小国だが独立国であった

与那国島を含め八重山諸島全域が琉球国の支配下になる

 

1637年宮古・八重山諸島だけに

人頭税制度が施行された

 

この人頭税は穀物の収穫に関係なく

15歳~50歳の全ての人の頭数によって徴収された

 

制度は与那国島の人々は

この重い年貢に苦しむことになる

 

人頭税を少しでも軽減するために

人口制限が行われた、久部良割(クブラバリ)がある

 

クブラバリは幅3メートルある岩の裂け目

深さ7メートルを島の全員の妊婦を集め

この裂け目を飛び越えさせた

 

飛び越えた妊婦だけが生きのこり

飛び越える事が出来なかった妊婦は

流産するか子供共々死んだ

 

また、トゥングダ(人升田)に

15歳から~50歳の男子を招集し

規定時間内に入りきれない者を殺したと言う

 

人頭税による過酷な取り立てがあった頃の

人減らしの策である

 

八重山諸島の人々を苦しめた人頭税は

1637年に始まり1903年(明治35年)まで続けられ

実に266年続けられた

 

クブラバリ・トゥングダと言う悲惨な

伝承と遺跡が今も島に残っている

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