人生黄昏時

 老いを心身ともに感じ

  日々の生活で思った事を記す
  

門中 【11】

2021年04月25日 00時00分13秒 | 日記

  門中事に、名字、名乗り頭があって

門中の一員、親、兄弟で名字が違っても

名字・名乗り頭を見れば、同じ一門であることが直に分る

 

芋の栽培方法・砂糖の精製方法などを学び

沖縄を始め、全国に広め、飢餓から救ったとされている

沖縄の五大偉人の一人、儀間親方真常を例に挙げてみる

 

唐名は、麻平衛

和名は、儀間親方真常

 

麻は名字・平衛(へいこう)は諱

名字と諱と合わせて唐名と言う

 

儀間は家名(名字)で・親方は称号(位階)・真常は名乗りで

合わせて、和名である

 

家名(名字)の儀間は治めていた領地がそのまま

家名、名字として名乗るのが原則であった

治める領地が変われば、家名も名字も変わった

 

名乗りは日本風の名で、最初の一字が名乗り頭と言い

各門中事に、名乗り頭の一字の漢字が決まっていた

儀間真常の場合は、真常の「真」が名乗り頭である

 

家譜によると、麻氏は首里士族である

現在の本家は、田名 名字で

分家は西原・瀬底・渡口家となっているが

 

名字が違っても、名字と名乗り頭が同じならば

門中一族だと直に分る

 

名字 麻は、大城按司真武が(1557~1644年)一世

二世が真宗・三世が真福・四世が真孟・五世が真命

そして六世が儀間真常で

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門中 【10】

2021年04月20日 00時00分14秒 | 日記

  沖縄の士族には

なぬい(名乗り)とからなー(唐名)

 

童名(わらびなー)の三つの名前を持っていた

名乗りは和名、唐名は中国的な名前である

 

1689年に王府に系図座が設置されたときに

家譜(系図)の提出を命じられた

それと同時に、名字・名乗りも定められた

 

それ以前は、主に童名であったと言われている

それ以後、士族には名乗りと唐名が明確に位置付けられた

 

童名の名前は、家族と仲間内で

一生 童名で呼ばれたと言う

 

和名の名乗りには、最初の一字を

名乗り頭(なぬいがしら)と言い

 

各門中事に

名字と名乗り頭の一字の漢字が決まっていた

 

たとえば羽地按司朝秀の「朝」の字が名乗り頭である

家名(名字)-称号-名乗りを合わせて、和名と呼んだ

 

羽地按司朝秀の唐名は向象賢、「向」は名字、象賢は諱で

これを合わせて、唐名と呼んだ

 

「向」と言う氏名は王家の分家

そして最初の一字が「朝」付いているのは

王族の子孫であることが分る

 

家名(名字)-称号―名乗りを合わせて和名と呼んだ

名字が違っても、名字と名乗り頭の一字を見れば

 

同じ門中(一門)であることがすぐに分る

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門中 【9】

2021年04月15日 00時00分15秒 | 日記

 沖縄には、四百以上の士族門中があり

その個人が唐名(からな)と和名を持っていた

 

羽地按司朝秀と言う和名、向象賢と言う唐名である

 

向は名字で象賢は諱と言う唐名である

中国明・清朝との貿易、外交などの公文書に使用された

 

和名の姓名は、また例を上げると、羽地按司朝秀の場合は

羽地は家名・按司は称(位階)で朝秀は名乗りである

 

羽地間切(今で言う市町村である)を任職している

領地を、家名(ヤーヌーナー)とし

領地名から、名字として名乗るのが原則であった

 

もし領地替えが、あった場合は新しい領地名が家名

名字に代わっていた(家名、名字が6回も変わった人もいる)

 

そのため、親・兄弟であっても、その任職地によって

家名・名字も別々になる

 

和名は、日本との外交文書などの署名に用いられた

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門中 【8】

2021年04月10日 00時00分15秒 | 日記

   門中には必ず、氏名(うじ名)を持っている

氏名とは、中国風の「姓」事である

士族全員が、日本姓名以外に必ず唐名(からな)の姓名を持っていた

 

琉球王朝の本家は尚氏・分家は向氏で

名前も唐名を持っている

 

たとえば、日本名の羽地朝秀(政治家)の唐名は、向象賢と言う

この向姓は、琉球王の分家で

向姓がある場合は王族であることがすぐ分る

 

王族の直系・傍系も名乗り頭には「朝」が付いており

名前に「朝」が付いている人は王族の系統だとすぐに判断できる

 

沖縄には、四大名門門中がある

向氏・翁氏・毛氏・馬氏である

当時の王府の主要な役職は、すべて四門中が独占していた

 

四門中は首里士族の出身で、その氏名を名乗っていた

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門中 【7】

2021年04月05日 00時00分15秒 | 日記

   門中のムートヤー(本家)には

始祖以来の家譜(系図)があり

 

ヤーワカリ(分家)した末端の分家にも

家譜が作成されて受け継がれて来た

 

全ての士族に王府の命によって作らせた家譜は

士族の先祖代々の戸籍と官位・官職・賞罰などの

履歴を記述されたものである

 

士族門中は、四百以上あると言われている

本家・分家合わせると、三千から四千冊の

家譜があったと言われているが

 

去った沖縄戦で大半が焼失したと言われている

 

この家譜(系図)は、王府に仕える士族の

歴史を最も詳細に記録されたもので

 

沖縄の政治・外交・経済などを記述されている

沖縄の歴史を知る、貴重な史料である

 

また士族の身分は、家譜(系図)によって守られ

家譜によって身分は継承されて来た

 

そして、氏名と名乗り頭も定められた

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門中 【6】

2021年04月01日 00時00分15秒 | 日記

 門中はもともと

王府に仕える士族の同じ始祖を持った

血縁一門を表す言葉であったが

 

王府から地方に遣わされた士族役人よって

その土地で平民にも伝わり

門中を作り始めたとされている

 

士族門中と平民門中の違いは

系図の有無である

 

士族門中家譜は始祖から

代々途切れる事なく

 

厳格に男系血筋の系図が記述された

家譜がある

 

平民門中は最初の頃

系図は持たなかったとされている

 

門中制度は

北部にはなく南部の集落に門中が多い

 

南部には王府に仕える士族の領地が多く

地方官として赴任していた

 

そのため南部の平民に伝わり

現在まで残ったとされている

 

南部の平民門中は

門中を強く意識し

 

先祖の共同祭祀・神事は

一門そろって現在でも盛大に行われている

 

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