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おきなわを サラ・さらっと 視る

  

沖縄の歴史書【7】

2016年05月25日 00時03分58秒 | 日記

  歴代宝案 <3>

察度按司(1350年~1396年)によって

1372年に琉球国にとって初めて

中国明王朝との朝貢関係を開く

 

1404年に明王永楽帝より察度の子武寧が冊封を受け

正式に琉球王に即位する、以後500年続く

冊封朝貢体制によって、中国明王朝を宗主国とし藩国になる

 

流球が朝貢している場合は

中国の年号を用い外交文書も漢字を使うことになる

 

明王朝の朝貢政策と海禁政策によって民間人の

海上貿易を禁止し、正式な朝貢使節のみ貿易を行う

海禁政策が行われた

 

流球は、その政策によって存在が増していく

流球の中継貿易の成功は、明王朝を中心とした

朝貢冊封体制によって成り立ち

明も琉球を重要視していた

 

中国が最も必要としていた

東南アジア産物

日本製品の入手に大きな役割を果たしていく

 

その琉球に海船を下賜し、船の修理もし

航海術・通訳・乗組員・朝貢貿易に関わる

専門家も派遣された


来流してきた「閩(びん)人」と呼ばれ

流球の久米村を与えられ、そこに居住し帰化した

そこを朱明府と呼ばれるようになる

 

流球は、朝貢による海外交易によって繁栄し

1550年代最盛期を迎える

 

1567年に中国の海禁政策が廃止され

中国の、海商人が続々と東南アジアに進出した

 

インドを発見した

ポルトガル・スペイン・オランダなどが

直接東南アジア貿易の拠点を構えた

日本も秀吉・後に家康も朱印船を出す

 

流球の中継貿易は失われ経済的に

衰退の一途をたどっていく


そして、1609年に薩摩藩が侵入して政治的独立をも失う

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沖縄の歴史書【6】

2016年05月20日 00時02分17秒 | 日記

 歴代宝案 <2>

歴代宝案の原本と久米村本は第二次世界大戦で離散焼失したが

秘密裏に久米村に保管されていた写本副本が残った

 

1933年に沖縄県立図書館へ移管された

その際に公開され初めて研究者が知ることになり

研究され進展し琉球国が対外交流の範囲と

その内容が初めて明らかになる

 

歴代宝案の内容は

中国明王朝・清王朝の関係文書のものが大半を占め

 

1424年から1867年まで443年

東南アジア諸国含め往復文書で

約5700文書が収録されている

 

タイ・マラッカ・ジャワ・バタニア・スマトラ・バレンバン・

スンダ・ベトナムなど東南アジア諸国との外交文書

その中でタイ国との文書が大半を占めている

 

中国明・清との貢易で琉球からの朝貢品は

馬と硫黄と夜光貝・貝類・牛皮などの産物で

 

それから、東南アジア貿易で得た産物は

胡椒・香辛料・薬種・象牙・黒檀(鳥木)

赤い染の蘇木・瑪瑙・降香など

 

また、日本から輸入した主な産物は

日本刀・磨刀石・生紅銅・扇子など

これらの産品は、琉球の産品より

日本・東南アジアのものが重要な地位を占めていた

 

中国が最も必要としていた物は、

東南アジア産物、日本の産品を琉球に期待していた

そのため大量の海船を下賜されていた

(1385年~1540年頃までに、30隻)

 

また、船の修理が必要な場合、福建省で

修理が行われていたと多くの事例がある

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沖縄の歴史書【5】

2016年05月15日 00時04分08秒 | 日記

 歴代宝案 <1>

流球の歴史書をサラ・さらっと紹介します

歴代宝案は

琉球王国時代の外交文書を記録したもので

すべて漢文で表記されている

1集49巻、2集200巻、3集13巻、目録4巻

別集4巻、全270巻から成っている

 

流球の対外通交貿易及び外交交渉史料である

 

第一尚氏王統尚巴志王(1422年~1439年)から

第二尚氏王統尚泰王(1848年~1872年)まで

443年に及ぶ膨大な記録である

 

歴代宝案

案とは書類、公文書という意味で

宝案は歴史の宝のような重要な公文の

記録となる意味である

 

歴代宝案は、旧案と呼ばれる古文書を

王府によって編集されたものであるが

現存するものは

1集42巻、2集187巻、3集13巻

目録4巻、別集4巻、250巻である

 

編集したとき2部作成し、1部は玉城に

もう1部は久米村の天妃宮に保管された

流球処分のとき、玉城本は明治政府内務省へ移管されたが

関東大震災のとき焼失したと云われている

 

久米村本は歴代宝案自体を秘密裏に

大切に保管され続けてきた1933年に

沖縄県立図書館へ移管されるそのさいの

条件として副本を

一部作成された歴代宝案は公開された

そのとき大学の研究者の史料として

写本が作成されている

 

沖縄県立図書館に移管された久米村本と原本は

第二次世界大戦で離散焼失したが

幸いにも写本副本が残った

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沖縄の歴史書【4】

2016年05月10日 00時05分50秒 | 日記

  球陽

流球の歴史をサラ・さらっと紹介します

球陽とは

尚敬王代(1713年~1751年)に

流球の正史として、鄭乗哲(ていへいてつ)、

伊佐川親方祐実らによって、編纂された歴史書である

 

漢文体、編年体で記録されて、1745に年完成

その後も追記が行われ漢字と平仮名で記述されて

尚泰王代(1848年~1872年)まで記録されている

 

本巻二十二巻、同付巻四巻、外巻三巻、同付巻一巻から成る

全三十巻

 

正巻には歴代国王の治世と政治、経済、宗教、社会、文化

天地異変などの多岐にわたり

国王から百姓までの事象が収録されている

 

中国との外交関係など詳細に記述され

また附巻には日本国との関係について記されている

 

球陽の冒頭に、琉球開闢神話が記述されている

男神志仁礼久と女神阿摩弥姑を下界に遣し

琉球の島々と七御嶽を創り

 

一組の男女を地に降臨させて、三男二女が誕生した

長男は国君・次男は按司(あじ)・三男は百姓の始まり

長女は君君に(貴族の神女)

次女はノロノロの(地方の神女)の始まりとなった

 

長男の王は流球最初の王、天孫といい

この王統は25代17802年・・?続いたと記されている

 

源為朝来流も記述されていて

琉球第二王統なった舜天王統は

三代七十三年続き最初の王舜天は

源為朝の子と記されている・・?

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沖縄の歴史書【3】

2016年05月05日 00時05分49秒 | 日記

 中山世譜 

羽地朝秀により編纂された「中山世監」(1650年)を

蔡鐸(さいたく)が漢文で訳し記事を増加改正して

1701年に完成したものを中山世譜蔡鐸本と呼ぶ

 

蔡鐸本を

蔡鐸の子蔡温(さいおん)が記事数の

大幅な増加や詳細な記述、改訂など行う

中国明王朝との関係記事と

国相、法司、任官などに関する記事

王府の系譜など、歴代国王の実績を記録したものを

これを、中山世譜=蔡温本と呼ぶ

 

その後も史官によって編纂が継承され続け

1876年まで記録された

 

正巻十三巻・附巻七巻から成る

正巻は歴代国王の実績と

中国明王朝との関係の記事が記されている

 

附巻には薩摩藩・江戸幕府との関係記事

江戸上りの記述など詳細に記録されている

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沖縄の歴史書【2】

2016年05月01日 00時04分24秒 | 日記

   中山世譜

 流球の歴史書をサラ・さらっと、紹介します

中山世譜とは

沖縄最初の正史羽地朝秀によって編纂されたもので

『中山世監』を蔡鐸(さいたく)によって漢文で訳し

記事の増加と訂正して

1697年から1701年にかけて完成した

俗に蔡鐸本といわれている

 

琉球開闢説話による天孫王統に始まり

舜天王統から第二尚氏王統の

十二代目尚益王(1710年~1712年)

まれの王家の実績と系譜が記述されている

 

中山世譜は歴代国王の伝記を中心としているが

中国明王朝との関係特に朝貢関係を詳細に記されている

正巻五巻、附巻一巻に加え尚豊王の子

二人の伝を収めた附巻一巻

七巻七冊から成っている

 

蔡鐸本は正附両巻から成っているが

正巻は流球と中国の関係の記事を中心に記述され

附巻は、琉球と薩摩藩との関係が記されている

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