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沖縄人のルーツ【2】

2019年09月15日 00時00分47秒 | 日記

  両大学研究チームの研究では

沖縄本島・宮古・八重山地方から

 

計350人のDNAを採収、一人当たり

50万ヶ所以上の塩基配列の違いを分析した結果

 

遺伝的に、沖縄列島の人々は大陸や台湾の人々との繋がりを否定、

 

アジア全体を通してみても、

日本本土にもっとも近いと研究成果を結論付けた

 

この結果宮古・八重山諸島の人々は

沖縄諸島から南下して移住したとみている

 

またDNA情報から遺伝的距離を導く調査によって

移動は古くても、1万年よりも後の時代と推定している

 

約2万6千年前に宮古島に存在したとみられる

ピンザアブ洞窟人の人骨や

 

約2万年前の白保竿根田原洞窟人(石垣)の人骨は

現在の宮古・八重山諸島の人々の主要な

祖先ではないと結論付けている

 

また沖縄本島の港川人、約1万8千年前の人骨は

沖縄列島の人々の祖先ではないかと関心を呼んだが

 

沖縄列島の人々の主要な祖先ではない

可能性が高いことを示していると推測しているものも

 

さらなる精査が必要と述べている

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沖縄人のルーツ【1】

2019年09月10日 00時00分25秒 | 日記

  沖縄列島(沖縄本島・宮古・八重山諸島)人のルーツは

大陸や台湾・東南アジア系統であると

 

いわゆる南方系であると言う説が多勢であった

 

琉球大学・大学院医学研究科佐藤丈寛博士研究員

木村亮介准教授、北里大学、統計数理研究所の

共同研究チームが

 

現在の沖縄列島に住む人々の核ゲノムDNAを

解析した結果、隣国台湾や大陸の人々とは直接の

遺伝的に沖縄列島の人々は繫がなく

 

日本本島に最も近いと言う研究成果を

2014年9月16日琉球大学が発表した

 

これまで骨や一部、DNAの分析から沖縄列島の人々は

中国や地理的に近い台湾より日本本土の人々に近いとする

研究成果を発表されてきたが

 

今回初めて全ゲノムを網羅した解析によって

同様の成果が得られた

 

宮古・八重山地方も含め大規模に精査した結果である

 

木村准教授は沖縄の人々については

東南アジアや台湾系統に属すると言う

南方系との説もあったが今回の研究はこれを否定している

 

沖縄の人々の成立を明らかにする上で

貴重なデータになると述べている

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日本人のルーツ【4】

2019年09月05日 00時02分45秒 | 日記

  日本列島は、最北端択捉島から

最南西端の与那国島は直線距離、3294㎞ある

 

北海道・本州・四国・九州は橋で繋がっている

 

日本列島のほかに、千島列島・琉球列島に

約1億2623万人(令和元年6月1日)の人が住んでいる

 

約4万年以上前から人々が住んでいたことが

考古学的・人類的証拠が証明されていると言われている

 

現在アイヌ人・本州人・沖縄人の三人類の人々が住んでいる

 

日本列島に最初に移住した縄文人は東アジアに住んでいた

古いアジア人の子孫である弥生時代に北東アジアから

 

日本列島に渡来して来た寒冷地に住んでいたために

顔などは縄文人とは異なっていた

 

この新しい人類(弥生渡来人)は北九州から日本海岸

近畿地方に移住し縄文人と混血を繰り返して来た

 

ところが北海道の縄文人と渡来人との

混血はほとんどなかったため縄文人の

DNAを多く残す事に成った

 

沖縄列島の人々も本州から多く移住したが

本州人よりも縄文人のDNAを多くのこしていると言う

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日本人のルーツ【3】

2019年09月01日 00時00分28秒 | 日記

  東京大学、大学院医学系研究科人類遺伝学専攻分野の徳永勝士教授と

遺伝学研究所集団遺伝研究部門の斉藤成也教授

東京大学・大学医院理学系研究科・理学部の尾本恵市名誉教授を

中心とする研究グループは

 

日本列島人(アイヌ・沖縄・本島人)のゲノム解析により

現在の日本人は縄文人の系統と弥生系渡来人の系統の

混血であるとしている

 

これまでの遺伝学的研究では

アイヌ人と沖縄人は近いことが幾つか得られたが

決定的ではなかった

 

研究グループは、人ゲノム中の単一塩基多形を示す

100万塩基サイトを一挙に調べることが出来る

システムを用いて、日本列島人のDNA分析を行った、

 

その結果アイヌ人に沖縄人は遺伝的に最も近く

日本列島の中間に位置する本土人は沖縄人に次いで

アイヌに近いことが示されたと言う

 

現在日本には、旧石器時代から住む縄文人の系統と

弥生系渡来人の系統が共存すると言う

 

二重構造説を強く支持するとしている

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日本人のルーツ【2】

2019年08月25日 00時00分36秒 | 日記

 東アジアの東端に位置する日本列島に

約4万年前から人が住んでいたことが

石器の出土からわかっている

 

「人」が日本列島に住み付いてから

1万年以上前までを、後期旧石器時代

 

1万年前から、紀元前3世紀頃までの

約8000年間を縄文時代

 

起元前3世紀頃から、起元後3世紀頃までの

500~600年間を弥生時代と呼ばれている

 

日本列島の住人は狩猟の生活であったが

弥生時代に大陸、北東アジアからの

渡来人(弥生渡来人)によって水稲伝来し

稲耕作が始まった

 

渡来人は平坦な顔で歯が大きく長身であった

日本に住む縄文人は彫の深い顔で歯が小さかった

 

渡来人が日本列島に渡来して来たことは

化石からなどから明らかになっている

 

縄文人と渡来人が徐々に混血していくことで

現在の日本列島人が形成された

 

そのため日本人の成立を説明する学説として

二重構造説が定説と成っている

 

日本列島の北の端に住む、アイヌ人と

南に住む沖縄人は、縄文人の遺伝的にもっとも近く

 

中間に位置する本土人は、沖縄人の次に

アイヌ人に近い事がわかった

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日本人のルーツ【1】

2019年08月20日 00時00分26秒 | 日記

  私たち人類(ホモ・サピエンス)は、約5~10万年前に

アフリカを出て世界中に拡散していったとされている

 

その一部の集団が約4~5万年前に東アジアに来たと

化石の証拠などから証明されている

 

人の歴史を得る研究は、人骨や化石、土器などを

観察する考古学や人類学の方法が用いられて来たが

 

1980年代以降は、いろいろな方面の科学技術が進み

DNA、から人類の歴史を読み解く遺伝子学的研究も

盛んに行われるようになった

 

人が100万年以上前に、

アフリカを出て世界中に拡散した

古人類の子孫ではなく

 

約20万年前に

アフリカで誕生した「人」の系統の子孫だとされる

 

また、遺伝学研究によって

アフリカ単一起源説が証明されたと言われている

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琉球開闢説話【7】

2019年08月15日 00時00分28秒 | 日記

  開闢 <2>

最高神天帝がアマミク(阿摩美久)に命じ

琉球の島々を創造させた

 

また、アマミクは神々を拝する霊地(御嶽)を造り

これを称して開闢七御嶽と言われ

現在でも年間を通して祭祀、祭礼が執り行われている

 

それから数万年経っても人が生まれず

これでは神の威光を顕しようがないと

アマミクは、また天帝に人間の種を乞うた

天帝は自分の子である男女の神を下さった

 

そして二人の間から三男二女が誕生した

長男は国の王、天孫氏に

次男は地方の按司(領主)の始めに

三男は百姓の始めに

 

長女は君君(神職の最高位)の始めに

次女はノロノロ(地方の神女)の始めに成ったとある

 

即ち沖縄の島々はアマミクによって創造され

天帝の子が降臨して沖縄の人々の

祖先に成ったと言う事である

 

この説話は沖縄の最も古い中山世鑑に記述されている

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琉球開闢説話【6】

2019年08月10日 00時00分27秒 | 日記

  開闢 <1>

琉球の歴史書中山世鑑(1650年)と球陽(1743~1876年)

遺老瀬節伝(1743~1745年)などに編纂された国創り、人類創世説話

 

昔・大昔、最高神天帝が、アマミク(阿摩美久)を呼んで

この地上に神が鎮座すべき、霊処がある

 

しかし未だに島に成っていない

下界に降りて島を創でと命じた

 

アマミクは降りてみると霊地はあるが

東から西え、西から東えと、海の波が超えていくような状態であった

霊地は島に成っていなかった

 

そこでアマミクは、天に上がり

天帝に土・石・草木を下さるならば島を創りましょうと申し上げた

 

天帝は土・石・草木を与えた

アマミクは持ち下り、沖縄の島々を創造した

 

そうして神々を拝する霊地(御嶽)を造った

始めに国頭の辺戸に、アスムィ(安須森)御嶽

次に今帰仁今泊まりに、クバ御嶽

セーファ(斎場)御嶽を南城市知念

ヤブサツ(藪薩)御嶽は南城市玉城

アマツジ テンツギ(雨つづ天つづ)御嶽は南城市玉城、玉城グスく内

クボー御嶽を南城市知念久高島

シュイマダムイ(首里真玉森)御嶽を首里城内に

 

九つの御嶽を造ったとされているが

現在、この七つが、琉球開闢七御嶽として

沖縄の神聖な拝所として

沖縄の信仰を集めている

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琉球開闢説話【5】

2019年08月05日 00時00分29秒 | 日記

  古宇利島始祖説話<2>

古宇利島の西側に、ファーナシガマと呼ばれる半洞窟がある

この洞窟は「始まりの洞窟」とも呼ばれている

 

最高神、天帝が地上に下した人類の祖と言われる

男女(兄妹)が住んでいた場所である

 

二人は天上から降ってくる餅を食し暮らしていたが

ある日餅は降らなくなった

 

そのためチヌグ浜の洞窟に移住し

魚介類などを獲り食し暮らしていた

 

ある時、海馬が「まぐわう」を見て男女の交わりを知る事になった

やがて二人に子供が出来、人類祖始と成った物語である

 

古宇利島にウンジャミ(海神祭)と言う祭祀がある

この祭祀の儀式の中に、人類創世を証する

餅降り・神送り・「まぐわう」の儀式がある

 

神お送りは、兄が魚の最中、海で亡くなった

兄の墓が大宜味村塩屋にある

そのため妹(女神)を船に乗せて神送りするのである

 

この儀式は、塩屋においても、兄(男神)を送る儀式が行われている

 

まぐわう、は選ばれた、神役の男女が

まぐわうの儀式の演戯を行い子孫繁栄を祈った

この儀式は1982年頃から行われていない

 

人類創世にまつわる、御願所、祠、お宮などの拝所が多数あり

神として祀られ、拝む対象になっている

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琉球開闢説話【4】

2019年08月01日 00時00分27秒 | 日記

 古宇利島の始祖説話<1>

キリスト教の聖典旧約聖書に、アダム(男)とエバ(女)の人類創始と

マナ物語に酷似した、沖縄の祖先と成った人類誕生伝説である

 

最高神、天帝が男女(兄妹)を古宇利島のシラサ岬に降臨させた

二人は裸であったが恥ずかしいとは思わなかった

 

二人は毎日天上から降ってくる、餅を食べて幸福に暮らしていた

ある日、もし餅が降らなくなったら、どうしょうかと考え

 

二人は貯えようと思った

ところが貯え始めると

餅は降らなくなった困った二人は必死に月に向かって祈った

 

たうたうまへされ、たうたうまへ (お月様4、もしお月様)

大餅やと餅、お賜べめしょれ  (大きい餅を、太い餅を下さいまし)

うるまぐる拾うて、おしゃげやべら(赤螺を拾うて上げましょう)と

 

声を嗄らして歌ったが餅は二度と降る事はなかった

 

二人は生きるための糧をえるために

海で魚介類などを獲り生活をした

 

二人は動労の始めと、生きる苦難を知るようになる

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琉球開闢説話【3】

2019年07月25日 00時00分30秒 | 日記

  宮古、島々の国創りと始祖コガタリ(説話)

宮古諸島には、ハ百以上の御嶽が存在し

その中で由緒があり最高の聖地として

 

現在でも厚い信仰を集めているピヤルミジ(漲水)御嶽がある

通称ツカサヤーと呼ばれるこの御嶽(拝所)は

 

天帝(最高神)に命じられた、男神古意角(こいかく)と

女神姑依玉(こいたま)は、盛加神(もりかの)を始め

 

ハ神百神(やそかむももかな)を従え

地上に降りた場所だとされている

 

宮古島御嶽由来記

宮古島の神話・伝説・昔物語をまとめた書によれば

古意角が地上の守護神になることを天帝に願い出ると

 

天帝はこれを祝福し、天の岩戸の先端を折って

下界の大海原に投げ入れ、宮古の島々を創られた

 

天帝は次に赤土を下し、後に黒土を下した

宮古の島々は五穀が豊かに実るようになった

 

天帝は古意角に下界に降りて

人の世建をして守護神と成れと命じた

 

古意角は天帝に「我に足りない片方の身体を賜え」と

天帝は五体備わって何の不足かと問うと

 

古意角は「すべて陽あれば陰あり陰あれば必ず陽あり」と問答を経て

天帝は古意角の願いを聞き入れ女神姑依玉の共を認めた

 

古意角は姑依玉を伴い現在の漲水御嶽のある所に降臨し

二神は多くの神々を産み、その子孫が繁栄し

宮古島々の住民となったと言う

 

島々の創造・人類創世のコガタリを祀った漲水御嶽は

宮古島々に数多い御嶽の中でも漲水御嶽は最高の聖地として

崇め強い信仰を有し大切に守られている

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琉球開闢説話【2】

2019年07月20日 00時00分27秒 | 日記

 八重山諸島波照間島富嘉ムラの始祖説話

昔、大昔の島民は道徳心が乱れ

乱れきった世を天の神は罰するため

 

生きるもの、全てを焼き殺す、熱い油の雨(アバーミ)を

降らし全ての生き物を焼き殺した

 

バショーチィと言う洞窟に逃げ隠れた

兄妹だけが生き残った

 

そして、生き残った二人に最初の子供が生まれた

海水で洗うと、ホーブと言う魚になった

 

また、二番目の子供が生まれ

海水で洗うと海のムカデになった

 

それから、二人は洞窟を出て住まいを

ヤグ(富嘉)のミシクに片屋根の小屋を建てて住まいとした

 

その後シライシ(出産の石)の近くで、三番目の子供を産んだ

その子供を清水で洗うと最初の人間の子となった

 

その子供はアラマリヌパーと呼ばれ

波照間島の人々の祖先となった

 

アラマリヌバーとは、新生の女性と言う意味である

アラマリヌパーを祀ったと言われる墓が

保多盛家に言い伝えられている

 

保多盛家はアラマリヌパーの子孫であると言われ

富嘉ムラの宗家とされ

 

その血筋の女性が代々シカー(司)を受け継ぎ

アースクワー(阿底御嶽)のシカーとなっている

 

なお波照間島には何種類の

始祖神話が存在している

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琉球開闢説話【1】

2019年07月15日 00時07分45秒 | 日記

  沖縄本島と隣接する島々と

宮古諸島・八重山諸島の島々に

 

さまざまな形態の、国創りと

人類始祖の開闢説話

 

穀物起源説などが多数存在し

それぞれの地域で伝承されている

 

その中で、主な国創り、人類創世

穀物起源説を取り上げてみたい

 

八重山諸島の波照間島富嘉ムラの始祖説話

 

宮古島の国創りと始祖説話

 

沖縄本島の近くの古宇利島の始祖説話

 

それから沖縄の歴史書中山世管(1650年)や

 

球陽((1743~1876年)

 

おもろそうし(1531~1623年)などに

 

記録されている琉球開闢説話を

 

サラット紹介したい

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ジーワイ【3】

2019年07月10日 00時00分17秒 | 日記

 久高島はジーワイ制度と総有地守るため

1988年に「字久高島土地憲章」を制定した

 

この土地憲章は4、沖縄全地域で

リゾート開発が行われていた

久高島でもリゾート計画の打診があった

それは島の半分以上を占める計画であったため

住民は開発に反対した

 

先祖代々の土地を守ろうと動きの中から

土地憲章が住民の総意によって制定されたのである

 

        土地憲章の前文

「久高島の土地は従来字久高の総有に属し

字民は、これら父祖伝来の土地について使用収益の権利を

亭有して現在に至る字は、この慣行を基本的に維持しつつ

 

良好な自然環境や集落景観の保持と土地の公正かつ適切な

利用管理との両立を目指すものである」

と明文化された

 

島内はほとんど観光開発されず

島は昔ながらの風景を残している

 

久高島は現在も、ジーワイ(土割)制度を

今後も維持し守ることになっている

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ジーワイ【2】

2019年07月05日 00時00分50秒 | 日記

  沖縄のジーワイ制度は、他の都道府県よりも

三十年遅れて、1899年から1903年(明治36年)に

沖縄土地整理事業が制定、公布され土地地割制度が廃止された

 

沖縄も他の県と同様に土地の私的所有権が認められたのである

だが久高島では個人が土地を所有することはなかった

 

久高島の土地は当時の代表者など十五人の共有とされた

なぜか、そのように認められたのである

これは全国的に異例のことであったと言われている

 

代表者十五人ほかの共有とされたまま

第二次世界大戦後まで維持されたままだった

 

1968年に土地は字(あざ)久高島の名義に

所有権保存登記され現在に至っている

 

現在久高島の土地は、字の有地(総有)のほか

国有地・村有地・民間地がある

 

民間地は、ノロ・根人の宅地、畑など島の全体の、約八%

私有地は沖縄電変所地、〇%

 

村有地は学校用地など、七%

国有地は海岸線など、十三%

 

久高島、字有地(総有地)は

島全体の七十一%、になっている

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