仏教の歴史 (分裂)
ブッタの入滅後、初期仏教は
修行のため出家した者を僧伽(サンガ)と呼ばれた、
共に修行し出家集団を形成していた
ブッタが悟り得た説法(仏典)を集める
第一回の結集が行われた
これを、三蔵の結集うと呼ばれ
仏典はそのころ口伝によって、伝承されていたが
ブッタの説法を
経・律・論と大きく三つに分類しまとめられた
アショーカ王は仏教を広めるのに尽力し
仏教がインド中に急激に発展をしていった
その頃戒律の解釈の違いで、
出家集団の中に対立が起こり
そのため第二回の結集が行われた
ブッタが入滅後100年めのこと
さらにブッタの入滅200年後教えを再検討するため
第三回の結集が行われたが
教義、戒律の解釈の違いで
保守派の上座部と革新派の大衆部の
二つに大きく分裂(根本分裂)する
この二派は時代とともに多くの部派に分裂する
上座部系11部 大衆部系9部に分かれる
それぞれの分派は独自の聖典有し
この時代の仏教を部派仏教と呼ぶ
口伝によって伝承されていた教えを
文典・経典・典籍を文字によって表記される
これを「論蔵」と言う