埼玉県入間郡毛呂山町の「もろびと平和サークル」や「原爆絵画展」の方々が「平和案内人と歩く靖国神社見学会」を企画し、10月17日(日)午前10時から午後4時半まで、しょうけい館、靖国神社、遊就館を見学しました。感想文が寄せられましたのでアップします。
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参加人数:16名(男性12名、女性4名)
14名もの多数の方の感想文をお送りすることができました。これも長谷川さんのご案内のインパクトの大きさを物語っているのではないかと思います。(原文のまま)
K・K
神になるための舞台装置というのが印象的でした。
私流に言うと笑える。
それから、靖国って非常に分かり易い「出来」になっていること意図を持って余計なことは言わない そんな感じでしょうか。
思考を麻痺させる、思考まで至らなくても 感覚的に理解できる神道原理主義 イスラム原理主義とかキリスト教のネオコンもありますが、宗教経済的に言えば 万民受けしないと経営が成り立たないから分かり易さが重要なんですね。
長谷川さんと私とは少し 拠って立つ所に違いがあるように思いますが、思考を排除する靖国の危うさとの距離は そんなに変わらないと思いました。
私は"社会"が不得手でしたが、昨日の長谷川さんのような、授業だったら 違った道を歩んでいたかも知れないな等と思いながらの、1日でした。
T・K
しょうけい館、存在を知りませんでした。
昔、子供のころ上野駅などで見掛けた傷痍軍人を思い出す。
初めての靖国神社、この企画が無ければ行くことはなかっただろう。
神社の外回りの説明は興味深かった。
東京裁判、戦犯合祀問題、正直今まで関心は無く、知らないことばかりである。
遊就館は戦争博物館、日本人は非常に戦闘能力の高い人種である。恐らくそれは正しい。長谷川氏の解説なしだったら、そちらの印象が強かったかも知れない。
昭和30年代生まれの当方には、こんなところでしょうか。
「日本国」にも「天皇」にも興味ありませんが、同じように「戦争」「平和」についても真剣に考えられない年代です。
S・M
先日は、靖国神社見学会でお世話になりました。
長谷川さんのお話を聞きながら、見学出来たこと、とても有意義な時間でした。
私にとっては、初めての靖国見学だったのですが戦争関連の場所には何故か興味をひかれます。
労働組合の役員をやっていた頃、平和行動の一環で沖縄、広島、長崎と色んなところに行かせてもらいました。
沖縄では、ひめゆりの搭以外に、壕へ入る機会もあり、非常に貴重な体験もしました。戦争体験者のお話も何度となくお聞きしました。
そのせいか、この事実を次世代へ語り継いで行かなくていけないという思いはとても強く持っています。
靖国の問題は正直、よくわからない部分も多いです。
今回の見学では、普通に見学したのではわからない部分も知ることが出来ました。
普通の神社に戻りたい靖国のこと。駐車場の秘密など。
私の父も長谷川さんと同じ年代ですが、父から戦争の話を聞いたことはないように思います。長谷川さんが「子供の頃は、軍人になりたかった」というお話を聞いた時に、うちの父も同じように思っていたのだろうか?と、ふと思いました。
今度実家に帰った時に、ぜひ聞いてみたいと思います。
今後は金沢でお暮らしになるということですが、いつか金沢で平和案内をする長谷川さんにお会い出来たらいいなと思います。
いつまでも、お元気で、これからも多くの方々に戦争の話を語り継いで行って下さい。
S・R
【いわゆるスタンス】
英霊を祭る神社だけに戦争と切り離せないところに「靖国神社のジレンマ」があると感じました。
「靖国神社も普通の神社として多く市井の冠婚葬祭に関わりたい」とのお話は、経済的存続だけではなく、広く人々に愛されたいとの思いに繋がっているのだろうと感じました。しかし、それは靖国から市民への一方的な「片思い」になっています。
靖国の名も考えも既に社会の主流から隔絶しており、その主因は「取り巻き連中」にあると感じています。
靖国神社を大切に扱う方々の中には、「日中戦争・アジア侵 略・太平洋戦争は間違っていなかった」いや、もっと極端に言えば「正しい戦争であった」とするよう な軍国主義・右翼的考えの集団が居ることは否定しようがありません。この極端考えを持つ親派が、リベラルな層をして(一緒にされたくないとの思いから) 靖国神社自身や更にそれを考える・語ると云う行動からすらも距離を取らせていると思うのです。
しかし、好ましくない親派を遠ざける事も難しい。なぜなら 彼ら自身あの境内に(駐車場に、でもいいけど…)しか根を下ろせない絶滅危惧種であるようだから…(但し、その枝葉末節はこれからも自身が薄暗い事をイイことに、周囲から色々なものを吸い取り続けていくのだとも思う)下卑たことを言えば、こんな風にこじれる前にもっと早く「 おさらい」をしてしまえば良かったのに…と思うわけですが、 戦後間もないうちに、今の落とし処を探るのは難しかっただろうなぁとも思います。
【いらっしゃるとか、いらっしゃらないとか】
天皇陛下自身が、「A級戦犯が合祀されているから」などという理由で足を遠ざけられているのだとすればそれも少し奇異な感じがします。
日本には、古来より死によって浄化される、「死ねばみな仏様」的な考え方があったと思います。
生きている・死んだ「人」としての責を問うならともかく、魂に戦犯だとか罪だとかその「格」をうのは、筋違いだと思うのです。(死後にまた甦って裁かれるキリスト教の「審判」からくる西洋的な考え方?仏教にも地獄の概念はあるし…違いを考えておくことは課題ですね)
私は、天皇家を「祭祀者の総本家」(古代の王・シャーマンの流れを汲む)と捉えていますが、その方々をして「魂に罪あり」とするような行動は…ご自身が現代的な考えでされているの?周囲があるべき姿を演出しているのか? 疑問です。天皇家には(たとえある一面では現代社会と距離を置くことになったとしても)もっと古式・文化の継承者としての地位を大事にして欲しいと思うのです。
【合祀とか…でないとか…】
いま豊かな世界を謳歌しているのですから 「生前のあなた方に間違った行いをさせ、無駄(言過ぎかな?)に命を失わせた事は、誤りであった」とまず詫びる事。
「間違った戦争」を指導をした方についても、既に招魂して神になった部分については、とやかく言わない。
神とした魂にではなく、人間としての誤りと罪を問うていけば良いのだと思います。
【靖国の寓意性】
当時、世界的不況の中、帝国主義政策の中、日本は欧米列強の新興脅威であったかも知れない。 国際経済の中では列強の圧力もありました。
しかしそうであっても打開の糸口を戦争に求めたのは、間違っていました。
アジアの多くの方を苦しめ・命を奪い、また苦しめた側の我々同朋も・銃後の云々も誤りに気付く事もほとんどなく死んでいったと思うのです。 戦争に行った方は、自分たちの苦労や命が 間違った・無駄 とは思いたくないはずです。
右翼も彼ら成りに思うところあるでしょう(多分…)。
だから 私にも私の見方があってイイ。
言いたい事は2つ
「ごめんね、安らかに」
S・T
昨日は大変お世話になり、有難うございました。
貴重な日本の近代史を勉強させて貰いました。
また、偏った(と思います)靖国思想というものと遺族の思いにづれがありそうなことも展示物等で確認できたように思います。
実際に確認や体験をしてみてから、批判なり意見をいうべきだと思い、参加させて貰いました。
貴重な体験をさせていただき、有難うございました。
N・S
世話役お疲れさまでした。
大変勉強になりました。あれだけの展示内容ですので、長谷川さんのような方がいなければ通り一遍で過ぎてしまったかと思います。
靖国(問題)を考える一考にもなったようです。
やはり、百聞は一見にしかず、また、論より証拠といったところかと思います。
靖国神社(問題)への考えは、各人各様かと思いますが、いろいろ考えさせられました。意見らしきコメントは控えておきます。
ありがとうございました。
I・T
大変貴重な場を設けていただき有難うございました。
今回参加の一つの目的は、
中国、韓国あるいはASEANの諸国が首相及び閣僚の靖国神社参拝への異常なまでの拒否反応―A級戦犯十余名の合祀がなぜなされているのか。
を勉強出来ればという事でした。
個人的には、A級戦犯者の分祀が解決の道である、各国との友好関係維持には不可欠と考えていました。
説明を受け、100%の納得とはいかないまでも、合祀の経緯、分祀の困難さ(理由づけ、
靖国内でも意見が分かれているのかな?と)が少しは判った気がします。
いづれにしても、説明を受けながらの見学は勉強になりました。
願わくは、長谷川さんがおっしゃっていた、靖国神社が普通の神社のようになり多くの普通の参拝者が増える時が早く出来ればと考えます。
有志A
色々とご配慮いただき有難う御座いました。
今回の靖国神社訪問で自分の知らない点を多く知ることが出来、大変有益でした。
自分自身は今の靖国神社の展示や理論が理解出来ません。
この状態ではとても参る気にはなれません。神の宿る神社に展示物は不釣合いです。
人を神格化すること自体がおかしいと自分は思います。
あの時代に反対者は国賊扱いで生きる事すらままならない状況は、今の中国と同じですね。
人間の多様性を理解しない指導者に牛耳られた時代は悲しい結果が多いですね。
これも人間にも他の動物と同じ様にプログラムされた闘争本能の結果でしょうか?
何故だか解りませんが神は程度の差はあれ同様のプログラムで我々を創った様ですね。
どんなに時代が変わっても人は十人十色のはずです。それを無理矢理十人一色化は出来ないし どちらに一色化しても不幸でしょう。
自分としては運命説の中で出来るだけ平和方向にすべきかと思っています。
幸い、我々は平和的傾向の時代に居ますが、いつまた争いの時代に巻き込まれるか判りませんね。
今の世界を見ればまたどちらかに大きく振れる時が来そうな感じがします。
自分の意思をしっかり持って生きて行けたら良いと思っています。
先の大戦では多くの先人がそう思って死んでいったのではないでしょうか?
人は驕り過ぎています。
色々と有難う御座いました。人の愚かさに気付かされた一日でした。
T・T
感想文ですが簡単に思い付いたまま書かせて頂きます。
靖国に行くと言うと、たまたま家に来ていた息子2人に何しに行くのと問われました。流石に息子の嫁さん達は口にはしなかったですがやはり何んでと言う気持ちだったと推察しています。
やはり一般には靖国と言うと「ちょっと気が引けている」のが普通だと思います。
私も始めて足を踏み入れた場所ですが、神社、戦死された方の御霊がある以外に、あれほど多くの戦争記念物が展示されているとは思いませんでした。以前、鹿児島の知覧特効平和会館を訪れた事がありましたが、入った瞬間のゼロ戦に同じものを感じました。知覧は
起こった出来事をそのまま表現していた感覚ですが、靖国の展示にはどこか「政治色」「右翼化」を感じざるを得ません、静かに、淡々と展示又はナレーションをしている...頑張ってそうしている臭いはするのですが、結果として「政治色」「右翼化」が出てしまっていると言う事です
近現代において、欧米帝国主義の餌食にされたアジアが一発奮起し日本が先頭を切って頑張ったが、やはりGlobalStandardに負けた、多くの犠牲を払った人達の上に今の日本の平和があるんだ、然らば多くの御霊に礼を尽くすべきと言う論法を、今回の靖国の展示から感じてしまいました。
先日も言いましたが、「隣の人が嫌だ」と言っている訳ですから、少しはやり方、考え方を変えるのが仲良くする為の方便と考えます。
T・K
① 先日は靖国神社見学会、参加出来て大変参考になり 考えも自分なりに皆に伝えられる事が出来とってもうれしく思っています。
② 戦争がどうして始まったか 愚かな考えで自国の勝利、欲との戦い・・・・・、決して戦争をしてはならないと思います。
感謝 それは人の和です 憲法9条を守り 日本は今後も戦争を起こさないように 今後も守り続けたいと思います。
③ 遊就館での先生の熱心なお話し とても良くわかりました. 一人でも多くのかたに見て戴き、平和を追究したいと思います。
先生もおっしゃる様に.一人の人が一人に伝えて行く事により・・・・その輪はどんどんふえて行くと思います.今回も原爆絵画でお話しをし、それに感銘を受け、もっと知りたいと言う事で16名もの参加ができた事、皆熱心な人たちで本当に先生のお話をきいておられました。先生有難うございました。
④ 石川県へ行かれましても、平和委員としてのご活躍をなされる事と思います。
どうぞお体をご自愛になり・・・・、又お話をきかせて下さいませ。お元気でネ。