葵から菊へ&東京の戦争遺跡を歩く会The Tokyo War Memorial Walkers

パソコン大好き爺さんの日誌。mail:akebonobashi@jcom.home.ne.jp

八王子市・ランドセル地蔵 

2007年08月22日 | 自分史「新宿区役所通り」
『国民学校3年生の時縁故疎開で元八王子村にいました。そこは畑の中の一軒家でした。学校から帰り一人で家にいたところ空襲警報がなりましたので防空壕に入りました。そこへアメリカの戦闘機が畑すれすれに飛んできてロケット砲で学校を爆撃しました。操縦席のアメリカ兵の顔もはっきりと見えた記憶が鮮明です。
その戦闘機の名前と日にちが知りたくて八王子市の郷土資料館に行ってきました。
記録によると20年7月28日で戦闘機はP51ムスタングでした。』
P51

毎日新聞に「戦跡を歩く:07年夏/4 八王子市・ランドセル地蔵 」が掲載されました。http://www.mainichi-msn.co.jp/chihou/tokyo/news/20070821ddlk13040061000c.html

『八王子市泉町の相即寺。この寺の地蔵堂に、灰色にすすけたランドセルを背負った地蔵がいる。ランドセルの持ち主は、品川区の原国民学校から寺の近くの施設に疎開していた当時9歳の神尾明治君。1945(昭和20)年7月8日昼、米軍機の銃撃が明治君の命を奪った。悲しみにくれた母喜美枝さんは、地蔵にわが子の面影を見て、遺品のランドセルを背負わせたという。』

硫黄島を米軍が占領した後、B29戦略爆撃機の支援機としてP51ムスタングが発進し、本土を銃撃しました。

管理人は当時8才でした。P51ムスタングは連日東京を襲い、子どもまでも標的にしていたのです。

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