〈旅順〉①
1900年に建てられた旅順駅(絵はがき大連舊影)
旅順ヤマトホテル(絵はがき大連舊影)
徳冨蘆花著「死の蔭に」364P『淋しい心になって、旅順停車場に着く。大連から一時間半。扉が開くと、ざあざあ降って居る。プラットフォムに飛び下りて、其處に出迎へられた二三の人々に初對面の挨拶をする。詰襟のカーキ服、痩せて丈高く若いのが、旅順小學校の菱田正基君。軍服が案内役の重砲兵軍曹吉開次市君。和装が滿洲日々支局の某君。あまり降るので、砲臺めぐりは明日の事とし、諸君に別れて、馬車で此處にもある日本橋を西に渡って旅順新市街のヤマトホテルに入る。」(略)388P「砲臺山列の背後に蜿蜒として居る支那圍壁のそのまた背後は、舊市街の方へ摺鉢形に窪んで居る。菱田君は其處にほの赭い煉亙の建物を指し、「監獄です。安重根は其處で死刑になったのです」と云ふた。何の因果か伊藤さんの導師に生れて來た韓人の安君は、彼處で三十一年の生涯を終へたのか。うち見やる其方には、宵月の光より濃い黄昏が、煉亙を包んで漂ふて居る。』
蘆花恒春園内「蘆花記念館」
管理人が2010年6月18日に撮影した写真
旅順監獄正面玄関
安重根が収監されていた独房
監獄の北東側はずれにある刑死場
絞首刑に使われたロープ
床の板がバタンと開いて落下する
死刑囚が入れられた棺桶
刑死場の後ろにある高い煉瓦の塀に小さな扉がある。ここから棺桶が運び出された。いわゆる「不浄門」である。江戸城にも、市ヶ谷刑務所にも、現在の東京拘置所にも存在する。
監獄墓地の写真。(ここが開発されことになったことを知った韓国政府は、安重根の遺骨を探すように中国政府に依頼をしたが探せなかった。)
拷問台と拷問道具
(完)