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お散歩猫のキキとヒゲおじさんの日常

ヒゲおじさんは元遊園地の園長で家庭料理人、今は新聞の料理コラムニスト、猫のキキと前橋な毎日と家庭料理をお届けします。

イトーヨーカドーが閉店する前橋を考える(その7) 市民を惑わす前橋街づくり協議会の「駅周辺再生」提案

2010-05-12 17:16:30 | イトーヨーカドーが消える前橋を考える

Photo 5月9日の上毛新聞1面にこの記事が掲載されました。

前橋市内の経営者たちでつくる前橋街づくり協議会が、イトーヨーカドー前橋店が8月に閉店し、前橋駅前が衰退することを危惧して前橋市に提案書を出したという記事です。

早速ネットで「前橋街づくり協議会」を探したら、ここに協議会のアドレスhttp://www.opti.ne.jp/maebashiが公表されているのですが、なぜか接続できません。

この協議会は、「『市民の視点』に立ち、(中略)県都前橋にふさわしい魅力ある街づくりのための総合的な計画(マスタープラン)を作成する」って設立の目的をうたっています。

でもHPは接続不能、これじゃ市民は報告書を読むことも、意見を言うこともできません。

仕方なく、不本意ですが、新聞の記事を頼りにします。

   

Dscf8193 上毛新聞によると、提案書は駅周辺に「人が集うための核機能を持たせることが重要」と指摘しているそうです。

何で、「前橋駅周辺に人が集わなければいけないのか?」、記事からは分かりません。

Dscf0453 高崎市では、高崎駅周辺に都市機能が集積したために、かつての中心市街地は完全に空洞化し、「廃墟」に近い状態にまでなっています。

前橋市は違います。3月24日に「地価公示」にふれて書いたとおり、前橋の都市の中心はスズラン百貨店辺りにあって、前橋駅は昔も今も場末なのです。

その場末に、どうして人が集わなくてはいけないのか、そのことを明らかにして欲しいです。

そして、「核機能」って用語は何を意味するのか、まったく不明です。

   

記事によると、具体的には、次の三つの機能を集積することを提案しているらしい。

① 医療モール、かかりつけ医となる診療所の集積

② カルチャースクールなどの教育機能の集積

③ 食に関する「物販」機能の充実・飲食店も欠かせない…

  

まずは、診療所の集積ですが、知り合いの診療所経営者たちに聞いたら、「駅周辺はまったく魅力がない」と言っています。「魅力があれば、言われなくても立地してます、空き地はたくさんあるから」って言ってました。

どうやって、医者に診療所を開設してもらうのでしょうか?

それに、大手町(大手町は誤り、本町1丁目が正)の旧前橋消防署跡は穴吹工務店がマンションを分譲してますけど、あそこの低層階は「医療モ-ル」にする約束でしたけど、まだ診療所は一軒も出てないですよね…

協議会の皆さんはちゃんとマーケッティング・リサーチしたのかしら…

   

カルチャースクールって、なんかすごく魅力的な感じ…

だけど、うちの糸駒さん、前橋のNHK文化センターと、伊勢崎のISカルチャーセンターで、教室やってるけど、すごく大変みたいです。

例えば月3回で3000円/月の教室やるとしますよね、20人集まっても6万円、講師の取り分は40~50%、3万円にもならないのですよ。

つまり、前橋のカルチャースクールの現状、とっても厳しいんです。

協議会の皆さん、まずはカルチャーセンターの実態をよく研究してくださいな。どういう経営形態ならば、受講者も講師も安心してやっていけるのか…

   

Dscf7492三つ目は飲食店も欠かせないとおっしゃいますが、このブログの1月6日の記事を見てください。前橋駅北口と駅前通りに面している飲食店は、この写真の1軒しかないのです。

あとは、イトーヨーカドーの中にファミレスとミスドが1軒ずつ、駅の構内に、吉野家、立ち食いソバ、マクドそしてパン屋、これがすべてです。これが現状です。

これしかないということは、それで十分な需要しないということです。

こういう場所で、飲食店の経営を成り立たせるのにはどうしたらよいのでしょうか。

   

今朝早くに家を出て、自転車で伊勢崎駅前まで行きました。

Dscf2064

朝7時40分の伊勢崎駅前です。駅まで人を送ってきた車で交通渋滞が発生していました。

歩いているのは、近くの駐輪場に自転車をおいて歩いている通勤通学者です。

JR両毛線は、7時49分に高崎行きが、7時56分に小山行きが、東武伊勢崎線は7時52分に太田行きが出ます。朝この駅から電車に乗る人たちが一番多い時間です。

私の目には、朝、前橋駅から電車に乗る人たちよりも、伊勢崎駅から乗る人たちのほうがずっとずっと多く見えます。

Dscf2070 駅の西200mほどのところにある巨大な駐輪場です。前橋駅周辺の駐輪場よりも絶対に広いです。警察官が出て、交通整理をしていました。その必要があるからです。

       

実は、今朝、伊勢崎駅周辺で、ヒゲクマは朝食を食べることができませんでした。

探したのですが、喫茶店なし、マクドもミスドもなし、コンビニもなしだったのです。

今伊勢崎では、両毛線と東武線の鉄道高架化のための工事が進められています。

それが終わると、少し様子が変わるかもしれません。

でも、聞いてみると、今伊勢崎駅を利用している人たちが望んでいるのは、駐輪場と駐車場、そして朝の交通渋滞の解消だということでした。

  

実は、伊勢崎駅の乗車人員は4,931人/日、前橋駅のそれは9,853人/日、高崎駅のそれは28,749人/日なのです。2008年のデータ、降車人員は含まない数値です。

伊勢崎駅の倍あるとはいえ、前橋駅の数値は田舎駅の水準です。県都とはいえ、鉄道を利用して前橋に来る人は少ないのです。

これが現実なのですから、乗降客は少ないけれど、素敵な魅力的な駅周辺ってのを考えるほうが良いと思いませんか。

たくさんの乗降客のある駅の真似をすることはない、駅前に無理やり人集めすることもないと思います。

イトーヨーカドーの建物の所有者である曽我製粉のために無理をすることはないと思います。

   

協議会の提案は上毛新聞で読む限り、「あれば良い」「欲しい」というプランです。

「これならできる、可能だ!」というプランではなさそうです。

協議会の皆さんはこの街で企業を経営している皆さんです。

駅前で、自ら事業を起し経営をする視点で、もう一度プランを練り直していただけないでしょうか。

そうでないと、「市民の視点」でなく、「ないものねだり」になってしまいます。

それは、結局、「市民を惑わす」ことになると思います。

   

「イトーヨーカドーが閉店する前橋を考える」

第1回は3月21日「百貨店の消えた街」、

「第2回は3月24日「前橋の中心はスズラン百貨店」、

第3回は3月28日「大手流通業者に食い荒らされた街」、

第4回は4月9日「たった23年のヨーカドー、まちには50年以上続く店がたくさんあるぞ」、

第5回は4月18日「前橋サティーの閉店」、

第6回は4月27日「熱血店舗開店支援事業をイトーヨーカドーが撤退した曽我のビルに適用するの?」です。

第7回は5月12日「市民を惑わす前橋街づくり協議会の「駅周辺再生」提案」

全部をお読みになりたい方はコチラからどうぞ

 

   


イトーヨーカドーが閉店する前橋を考える(その6) 熱血店舗開店支援事業をイトーヨーカドーが撤退した曽

2010-04-27 22:55:28 | イトーヨーカドーが消える前橋を考える

  

Dscf1487 ここは、中央通と銀座通りの交差点、「麻屋」の跡、空き店舗になっています。50年前、「麻屋」は前橋のまちの核店舗でした。

この近くに店舗を構える会社の関係者とお話をする機会がありました。

この方は、前橋市がやっている「熱血店舗開店支援事業」を拡充して、ドンドン若い人たちが出店できるようにしてもらいたいという希望を話されました。

この人は、「熱血店舗開店支援事業」の補助金の上限額が120万円であることもご存知ありませんでした。

ただ、前橋市の行政に大きな期待感を持っておられました。

  

この「熱血店舗開店支援事業」は、3月の前橋市議会の最終日に、市長を支持するグループの市議会議員の総括質問に答えて、高木政夫市長が、従来の対象地域の千代田町を拡大して、前橋駅周辺と駅前通りを加えることとしたと発表しました。

このことについては、3月11日にもなんで拡大するのだろうかって書きましたが、もう一度取上げます。

Kuikizu22 これが、市が発表した新しい対象区域です。象の鼻みたいに駅前通りが加えられています。前橋の中心商業地は、こんな奇妙な形にされてしまいました。

  

「熱血店舗開店支援事業」というのは、これをクリックすると、平成22年度の募集案内が出ますので、これを読んでいただくとよく分かると思います。

かいつまんで説明しますと、対象地域内にある空き店舗を借りて、新たに販売店や飲食店を出そうとする人に、店舗改装費と賃貸料の一部を120万円を限度として補助してくれるという制度です。

  

そこで、ヒゲクマは、今年度から拡大された駅前通の空き店舗を探しに行きました。

Dscf1505 駅前通り東側、サーバス表町の北の角に、閉店した食堂と喫茶店がありました。空き店舗です。

でも、駅前通りの東側には、この2軒しか見当たりませんでした。

Dscf1507 今度は駅前通りの西側です。あれ、テルミープラザ前橋駅前店はまだやってたっけな、閉めたんだっけな、どっちだかわかりません。

Dscf1508_2 これは明らかに空き店舗です。新妻屋さんの少し北のところです。

Dscf1509 そして信号のところ、これは「貸店舗」の表示がついていました。

  

結局、駅前通りに面している明らかに空き店舗と思われるものは、四つだけ、そのうち「貸店舗」表示のあったのは一軒だけでした。

そうなんです、駅前通りに空き店舗はとても少ないのです。

既に、多くの空き店舗は民間によって再開発され、駐車場、ビジネスホテル、日帰り温泉、マンションなどに姿を変えてしまっているのです。

   

面白いですね、高木前橋市長は、空き店舗のほとんどないところに、空き店舗対策の事業を拡大したのです。

   

そして、もう一つ、この事業がとても利用しにくいと言うことについてもお話しておく必要があります。

  

この制度では、120万円を上限とする補助金を希望するために、次の書類を整える必要があります。

  (1)交付申請書
  (2)事業計画書
  (3)収支予算書
  (4)資金計画書
  (5)その他必要書類
     ・経歴等がわかるもの
       (個人では履歴書等、会社においては業務履歴など)
     ・取得免許等の写し
      (取得中の場合はその旨がわかるもの)
     ・完納証明書等
      (市町村民税等必要な納税について滞納がないことがわかるもの)
     ・店舗の契約書の写し、または仮契約書に準じる書類の写し
      (締結済みの場合)
     ・改装工事に関する図面、店舗レイアウト
      ・その他、出店のPRになるような資料

    

私の友人は、専門家の手を借りて、これだけの書類を作って申請しました。

そうしたら、「審査」で落とされ、補助金なしで出店しました。今もやっています。

そうなんです、難しい審査があって、明確でない基準(前出の市の募集案内の「審査」の項を見てください)で振り落とされるんです。

   

この事業が、いかほどの効果を挙げているか、その実績が公表されていませんので分かりません。

でも、先月、この制度を利用して出店した飲食店が閉店しました。

経営者は、どこかに行ってしまいました。

     

Dscf1488

これは、昔日本相互銀行があったところ、銀座通り、銀行が引っ越したあと、大手流通業者の「丸井」が出店し、そして今は空き地です。

空き店舗も問題なのですが、空き地はもっと問題なのです。

中心商業地の千代田町には、空き店舗と空き地がいっぱいあります。

いっぱいあるところで、あまり効果を発揮してこなかった制度を、あまりないところに拡大しても意味のないことだと思います。

   

イトーヨーカドー前橋店の閉店が決まって、何もしないでいるのでは格好がつかないかもしれません。

でも、この程度のことをやって、対策をしていますと言うのであれば、嘘つきだと思います。  

イトーヨーカドーが撤退した後に残る曽我製粉の空きビル対策のためだということは誰にも分かります

だとすれば、国領のサティーにも適用しなくては片手落ちってもんではないでしょうか。

   

いずれにしても、大きな効果の期待できない「熱血店舗開店支援事業」なのです。

   

「イトーヨーカドーが閉店する前橋を考える」

第1回は3月21日「百貨店の消えた街」、

「第2回は3月24日「前橋の中心はスズラン百貨店」、

第3回は3月28日「大手流通業者に食い荒らされた街」、

第4回は4月9日「たった23年のヨーカドー、まちには50年以上続く店がたくさんあるぞ」、

第5回は4月18日「前橋サティーの閉店」、

第6回は4月27日「熱血店舗開店支援事業をイトーヨーカドーが撤退した曽我のビルに適用するの?」です。

第7回は5月12日「市民を惑わす前橋街づくり協議会の「駅周辺再生」提案」

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イトーヨーカドーが閉店する前橋を考える(その5) 前橋サティーの閉店

2010-04-18 20:22:24 | イトーヨーカドーが消える前橋を考える

昨日、「前橋サティーも閉店」(朝日新聞)が報じられましたた。

いつ閉めるかだけが話題でしたし、テナントも歯が抜けたみたいになっていましたから、おどろきはありません。

Dscf9825 これが、10月17日閉店を決めたサティー前橋店です。このお店の沿革をちゃんとしておきましょう。

Photo 写真は千代田町の銀座通りのニコニコパーキングです。ここに前橋ニチイがありました。このニチイが1993年に閉店、新たに国領町に前橋サティーとして開店したのです。

前橋サティーの建物は「グンゼ開発」が所有するショッピングセンターの「リリカ」です。

ここには、かつてグンゼ(郡是)製糸の前橋工場がありました。

製糸工場を止めた後、グンゼは不動産管理会社である「グンゼ開発」を設立し、ショッピングセンターを建設して、中心市街地にあったニチイを誘致し、前橋サティーが生まれました。

ニチイはマイカルとなり、そのマイカルは、2001年に経営破たんし、今はイオンの傘下で経営再建途上です。

ですから、前橋サティーはマイカルの経営破たん以来、ずっと閉店のうわさが絶えませんでした。

     

これより前に、これとそっくりな事業が前橋では他にも行われていました。

Dscf1213 前橋市六供町、今、穴吹工務店によるマンション建設が半分で頓挫しているところです。ここには、かつて、前橋シルクプラザ六供店がありました。

前橋シルクプラザは、上毛撚糸株式会社の工場跡、同社が製糸事業から撤退したあと、上毛シルクプラザと社名を変えショッピングセンターを建設して大手スーパー「ダイエー」を誘致しました。

今の前橋サティーの筋向いにも、前橋シルクプラザ国領店が開設されました。

六供店は、1979年にオープンし、1999年にダイエーが撤退しました。

ダイエーが赤字に陥ったのが1998年、2001年に創業者中内功がすべての役職を辞し、2004年から産業再生機構の支援を得て再建がはじまったのです。

日本一のスーパーだったダイエーは2兆円を超える不良債権を抱えてしまったんです。

そして、上毛シルクプラザは消えました。

    

上毛シルクプラザが始めた業態を、曽我製粉が前橋駅前で真似ました。さらに、グンゼが追随しました。

Dscf9562 曽我製粉が前橋駅前の工場跡にショッピングセンタービルを作ってイトーヨーカドーを誘致したのは1987年、シルクプラザに遅れること8年でした。

イトーヨーカドーは、子会社であったセブンイレブンからの配当益で安定した決算をやってきました。

でも、2003年にイオンに業界首位の座を渡すと、2005年にセブン&アイ・ホールディングスという持ち株会社による経営に移行しました。

この結果、セブンイレブンからの配当益が得られなくなって、収益を悪化させ、店舗の整理が始まったのです。

   

上毛撚糸も、郡是製糸も、曽我製粉も、地元の農産物(繭と小麦)を資源とした地場産業です。

その地場産業が成り立たなくなったとき、ものづくりを止め、企業は資産運用で生き延びようとしました。

そして、彼らが頼ったのは、みんな大手の流通資本でした。

そして、今、大手の流通資本の再編の中で、これらの店舗はみんな切り捨てられているのです。

それだけのことなんです。

   

私たちが、ほんとうに失ったのは、地場産業なのです。

あとは、おまけみたいなものです。

  

今、商業、流通業は一番業態の変化が激しい産業です。

ですから、それに頼った不動産事業は、そもそも長期的な事業になりえないのです。

単に大手流通資本に依存してきた事業の結末なんです。

不動産事業の失敗は、その不動産の所有企業の責任であって、私たち消費者の責任ではありません。

  

曽我製粉に支援の手を差し伸べようとしている前橋市と前橋商工会議所は、グンゼ開発にも同様の支援をするのでしょうか。

どっちも無駄な仕事になると思います。

大事な仕事は、別なところにあります。

  

ダイエーも、イトーヨーカドーも、サティーも、消し去られる運命にあったのです。

   

Dscf1214_2 上毛シルクプラザのあった六供町でであった猫に、「どう思う?」ってたずねてみました。

Dscf1215 <あたしには関係ないよ>、スタスタ行ってしまいました。猫にも関係のない事件なのです。

   

「イトーヨーカドーが閉店する前橋を考える」

第1回は3月21日「百貨店の消えた街」、

「第2回は3月24日「前橋の中心はスズラン百貨店」、

第3回は3月28日「大手流通業者に食い荒らされた街」、

第4回は4月9日「たった23年のヨーカドー、まちには50年以上続く店がたくさんあるぞ」、

第5回は4月18日「前橋サティーの閉店」、

第6回は4月27日「熱血店舗開店支援事業をイトーヨーカドーが撤退した曽我のビルに適用するの?」です。

第7回は5月12日「市民を惑わす前橋街づくり協議会の「駅周辺再生」提案」

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200806072 「ヒゲおじさん厨房に入る」(朝日新聞群馬県版)の次回は、5月1日(土)掲載予定です


イトーヨーカドーが閉店する前橋を考える(その4)  たった23年のヨーカドー、まちには50年以上続く

2010-04-09 22:10:03 | イトーヨーカドーが消える前橋を考える

Dscf9562前橋駅前にイトーヨーカドー前橋店がオープンしたのは、1987年のことです。

ですから、開店以来23年しか経っていません。昔から前橋駅前にあったわけではないのです。

Photo これは、1963年の前橋駅周辺の地図です。前橋駅前には大きな店舗もホテルもありませんでした。あったのは運送会社や倉庫、そして曽我製粉の製粉工場でした。そうそう、曽我製粉の工場の西側には、鯉の養殖池がありました。

前橋駅の周りは、とても静かなところだったんです。まちから離れた…

  

それが、駅前は商売になると考えた曽我製粉が、国の補助金をもらって工場を移転し、跡地にビルを建ててイトーヨーカ堂を誘致したんです。

まちの商店街の皆さんはこぞって反対運動に立ち上がりました。

前橋のまちに商店街は一つで良いと、二つは要らないって…

でも、市長も市議会も商工会議所も小さな商店の皆さんの声を聞くことはありませんでした。

なぜか、こぞって、曽我製粉の応援団になりました。

  

そして華々しく開店したイトーヨーカドー前橋店は、23年でこのまちから撤退します。

ニチイ、長崎屋、丸井、西武…、みんな撤退し他のと同じに、ただそれだけのことです。

  

Dscf0925 今朝の10時、前橋の中心商業地、中央通り名店街と銀座通りの角に立ちました。まだ、お客さまはちらほらの時間です。

南を見ています。左には「すずはん」、右には「アカギ商会」があります。

Ccf20100409_00000 この地図は、1963年、イトーヨーカドーが前橋駅前に出店する24年前のこの通りの地図です。「すずはん」も「アカギ商会」もちゃんとあります。

Dscf0918_2 「アカギ商会」の隣はお茶の「水本園」、次は「新井屋食堂」、そしてリビング用品の「足利屋」、次が佃煮の「小田原屋本店」、みんな、1963年の地図にあります。今も立派にやっています。

Dscf0919 そして、呉服の「小川屋」があって、陶器の「菊屋」、そして蕎麦屋の「東郷庵」です。みんな、1963年の地図にあります。「東郷」さんは、予約すれば素敵な二階のお座敷で宴会もできますよ。その先、緑の旗が出ているところが黒田人形店、八番街の再開発のあおりで場所は移りましたけれど昔からのお店です。

こんどは、反対側を南のほうから見て見ましょう。

Dscf0921 まずは「日野屋」、昔は雑貨屋さん今はお香や小物の専門店、隣は革製品のお店、昔は「丸万」というお菓子屋さんでした。その隣はトンカツうどんとスペシャルオムレツの「パーラーモモヤ」、ご主人の武ちゃんはヒゲクマの幼馴染です。

Dscf0922 スズランの駐車場があって、洋品の「鈴屋」と果物の「八百駒」、この2軒も1963年の地図にちゃんとあります。

Dscf0923 角を越えて、「鈴木ストア」と「鈴木薬局」、昔からあるお店です。今、ヒゲクマの前にある人形ケースは「鈴木ストア」で買ったものです。

Dscf0924 スズラン百貨店の西の入り口は、昔は「今井ストア」がありました。隣は、化粧品と貴金属の「白牡丹」、ヒゲクマとユキ子さんは婚約指輪をこのお店で買いました。ヒゲクマはその指輪をなくしてしまって、今でも恨まれています。そして陶器の「山田屋」です。2軒とも1963年よりずっと前からありました。

   

中央通り商店街には、約50年前の地図に載っているお店がたくさん残っています。

もう代替わりしているし、扱う商品が変わってしまっているお店ももちろんあります。

でも、みんな、頑張って続けているのです。

  

イトーヨーカドーは23年で止めることになりました。理由は「赤字」、「儲からない」だからです。

では、中央通のお店は50年以上続いているのです。

イトーヨーカドーにできないことを、このまちの中心商店街の小さなお店の皆さんは立派にやっているんです。

ヒゲクマは、このまちが廃れたとか、寂しくなったとか言いません。

ちゃんと、ちゃんとやってくれている皆さんがいるからです。

  

そして、その多くの皆さんが、かつてイトーヨーカドーの出店に反対した皆さんです。

歴史的事実は、政治と行政を動かして力づくで出店したイトーヨーカドーの敗北を証明しているのです。

  

Dscf0926_2 銀座通りとの交差点に戻ってきて北を見ています。とても殺風景、商店の姿が消えてしまっています。

どうしてでしょうか、八番街の再開発計画が頓挫しているせいなのです。

もっと正しい言い方をすると、政治と行政に影響力を持つ人たちが、小さな商店の存在を消してしまったからなのです。

この20年間、どうにもならない再開発事業に誰が責任を持つのでしょうか。

   

今、地方都市は、資本力や政治力で何とかなる時期を通り過ぎたと考えたほうが良いようです。

曽我製粉は、中心商業地の商店に比べれば、たくさんの資産をもっていますから資本力に大きな差があります。

でも、今の曽我製粉は、柱であった製粉部門を栃木の笠原産業に売り払い、実業をやめたただの「資産管理人」になり下がっています。

  

前橋駅前のイトーヨーカドーの跡がどうなっても良いと、ヒゲクマは思います。

ちょいと前まで、倉庫と工場しかなかったところなんですから。

 

そんなところより、50年以上、ちゃんと続いている「まち」が大事だと思いませんか。

このまちで、「儲かる」とか「儲からない」ではなくて、このまちそのものとして頑張っている皆さんと、ひげくまはずっと一緒に暮らして行きたいと思っています。

   

「イトーヨーカドーが閉店する前橋を考える」

第1回は3月21日「百貨店の消えた街」、

「第2回は3月24日「前橋の中心はスズラン百貨店」、

第3回は3月28日「大手流通業者に食い荒らされた街」、

第4回は4月9日「たった23年のヨーカドー、まちには50年以上続く店がたくさんあるぞ」、

第5回は4月18日「前橋サティーの閉店」、

第6回は4月27日「熱血店舗開店支援事業をイトーヨーカドーが撤退した曽我のビルに適用するの?」です。

第7回は5月12日「市民を惑わす前橋街づくり協議会の「駅周辺再生」提案」

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200806072 「ヒゲおじさん厨房に入る」(朝日新聞群馬県版)の次回は、4月17日(土)掲載予定です

    


イトーヨーカドーが閉店する前橋を考える(その3) 大手流通業者に食い荒らされた街

2010-03-28 20:20:30 | イトーヨーカドーが消える前橋を考える

  前橋駅前のイトーヨーカ堂げ閉店するということになったら、なぜか大騒ぎです。

市長も市議会も新聞までも、駅前のビルが空き店舗になることがものすごく大変な出来事のように大騒ぎしているのです。

これはとっても変なことだと思います。

   

前橋のまちは、これまでも多くのものを失ってきました。

失ってきたいろいろのものを見て見たいと思います。

   

Photo 前橋のまちの中心、核となっているスズラン百貨店です。このデパートも昔からあったわけではありません。

1 昭和38年の前橋市住宅案内地図の一部です。「横山町」という通りが今の銀座通り、「小石神社」のあるところが現在のスズラン百貨店なのです。

Dscf9816コチラが緑ヶ丘町にある現在の小石神社、昭和46年にこの地に遷宮されました。小石神社は。前橋のまちの祇園祭や酉の市の中心となったお社ですが、今は、敷島町と緑が丘町の鎮守様になってしまっています。

前橋のまちは、まずはお社を失いました。

   

Photo_2 スズランの北東に「ニコニコパーキング」という駐車場があります。

Photo_3 昭和38年の地図、「政淳寺」というお寺があります。このお寺は田口町に墓地ごと引っ越しました。その後に、大手流通業者の「ニチイ」が店舗を作りました。そのニチイが閉店し、再利用されることなく空き地になりました。

そして、政淳寺の左上にある「オリオン座」 も「十字屋」も今はありません。この駐車場の一部になっています。

  

Photo_4 Photo_5

羽生田眼科の東側の空き地と、その前にあるスズラン百貨店の新館です。

2 昭和38年、羽生田眼科の隣は「二本相互銀行前橋支店」でした。その向いは「ミハシ」という呉服屋さんでした。

銀行が引越しをしたあと、ここには、大手流通業者の「丸井」が前橋店を開きました。

丸井が逃げた後、しばらく空き地でしたが、南側だけスズラン百貨店が新館を作ってくれました。北側は、空き地のままです。

  

Photo_6 ここは、中央駐車場、八番街の再開発予定地の大半を占める市有地です。

3 昭和38年、ここには日本銀行前橋支店がありました。日銀が大手町に引越ししてからずっと空き地になっています。

Photo_7 それから、地図に「魚市場」ってのがありますよね。この道の両側にあったんです。中央駐車場からテルサの脇に抜ける道です。今、ここに「魚市場」があったらどうだったのかな…

   

Photo_9 銀座通りを東へ、千代田通りを渡ったとこにあるQの広場です。今は春休みなんで、中学生が結構遊んでいます。今日はダンス・コンテストをしてました。ここも市有地です。

4 昭和38年、ここには「ヒカリ座」と「中央劇場」という映画館がありました。野中興業の映画館でした。映画館の跡に、大手流通業者の「長崎屋」店を出しました。そして、撤退して、空き地になりました。

向いに「東映国際」という映画館があります。映画館になる前はここでサーカスをやっていたって聞いたことがあります。

  

Photo_10 本町の「元気21」です。ここは前は大手流通業者の西友が「前橋西武」をやっていました。撤退を機に市が買収して公共施設とスーパーと専門学校が入居しています。

2_3 ここは、「前橋西武」が出来る前は、群馬銀行本店でした。群銀が元総社に引っ越した後、西友がやってきて、そして去って行きました。

   

Photo_11 ついでに、元気21の北側、旧ウォーク館のところには、「岡源」という前橋一の料亭がありました。その後、前橋最初のボーリング場になって、そして前橋西武のウォーク館になったんです。

   

Dscf9813 ついでなんで、もう一つ、広瀬川の東、前橋文学館の向いの市営城東パーキングです。立派な駐車場です。一階に素敵な紅茶屋「リバティー」があります。

ここには県立図書館がありました。ヒゲクマが高校生のときに良く通ったところでした。

図書館が出来る前は、前橋最大の製糸工場「交水社」の工場の一部でした。

   

このまち、前橋はいろんなものを失ってきました。

失うきっかけは、多くの場合大手流通業者の店舗の進出でした。

そして、大手流通業者はこのまちを食い荒らすと、このまちから逃げ出してゆきました。

その最後を飾ってくれたのが、イトーヨーカドーです。

だから、ヨーカドーが閉店すること自体はたいしたことではないのです。

いっぱいいっぱい繰り返されてきた出来事の一つにしか過ぎないからです。

大手流通業者に食い荒らされた前橋の街、あとにはたくさんの空き地が残りました。

  

空き地を使うのが、このまちはとてもへたくそだったのです。

上手に使っている例がほとんどないのです。

  

だから、もうこれ以上空き地を街中に作らないことが大切です。

今存在しているものを失わないために、何が必要か考えるほうがよいと思います。

空き地対策は、後回しでいいと思いますよ、ずっと空き地だったのだから…

     

「イトーヨーカドーが閉店する前橋を考える」

第1回は3月21日「百貨店の消えた街」、

「第2回は3月24日「前橋の中心はスズラン百貨店」、

第3回は3月28日「大手流通業者に食い荒らされた街」、

第4回は4月9日「たった23年のヨーカドー、まちには50年以上続く店がたくさんあるぞ」、

第5回は4月18日「前橋サティーの閉店」、

第6回は4月27日「熱血店舗開店支援事業をイトーヨーカドーが撤退した曽我のビルに適用するの?」です。

第7回は5月12日「市民を惑わす前橋街づくり協議会の「駅周辺再生」提案」

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