石田明夫の「会津の歴史」

全国的な視野で見た戊辰・会津戦争の歴史です

北の関ヶ原24  神指城の姿1

2008年06月17日 | 北の関ヶ原

天地人直江兼続24神指城の姿1 本丸に残る石垣  

会津古城研究会長 石田 明夫

福島県会津若松市神指町 会津若松ICより西へ5分

005_2 慶長3年(1598)、会津に入った上杉景勝と直江兼続。ただちに、領内の街道や橋、宿場、支城の整備をします。そして、本拠地の若松では、上杉家最後の砦となる会津美里町本郷の向羽黒山城を2年間かけて大改修します。その改修が済むと、慶長5年間から本拠地の城となる神指城の築城に着手したのです。本丸には、直径1メートルから2メートルの溶結凝灰岩の石垣が残されています。石垣は、会津若松市東山町大字石山の石切山から石引き道で運ばれたものです。石垣は、慶長6年6月以降に関ヶ原の敗北責任により、破城され、運ばれたことから地中と一部に確認されるだけです。

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